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18 ひと夏の経験
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「この中でまだ処女の人、手を挙げて」
同性とは言え、いきなりこんな質問をされて「ハイッ!」と手を挙げる人がいたらわたしはその人の神経を疑います。そう言う質問をする人に対しても同じですが。
もちろん、左右をキョロキョロしまくりました。みんなモジモジして手を挙げる子は誰もいませんでした。
「いないの? ってことは、みんな経験済みなのね」
「あの・・・、おかしくないですか」
よせばいいのに。
それからの人生を象徴するような行動をわたしはしてしまったのです。納得いかないことはとことんどこまでも突っ込む。その性格のおかげで後年冷や飯を食ったこともありましたが、その性格のおかげでおじいさんと出会い、結婚して四女を設けることが出来たような気もします。人生とは最後までわからないものです。
「なあに、えと、・・・名前、なんだっけ」
「ハヤカワです。あの、どうして新歓コンパで、その、・・・異性との経験の有無が問われるんですか」
「ちなみにあなたは経験あるの?」
質問に質問を返されて、しかもいきなりデリケートな部分を追及されて唖然としていると三年生の先輩が、まあまあ、という感じで割って入ってくれました。あの最初に話しかけてくれたショートボブさんはヤマダさんという法学部の才媛でした。
「ねえサンダさん、こういう訊き方しましょうよ。
あのね、歓迎会は今週指導に来てくれていた表参道大学と合同で行うの。男子ばっかだから、飲み会でシモのネタも出るよね。免疫ないとショック受ける子も出てくるかもしれないじゃない。ここ、女子大だしさ・・・」
関東の大学バレーボールのあつまりがあって、四年制短大を問わずバレー部を持つ大学が全て加入し、毎年春と秋に男子女子それぞれリーグ戦を行っていました。しかし、オリンピック選手も在籍しているような最も強いチームと最も弱いチームとの実力差はゾウとアリほどもありました。そのために、女子についてはAからFまでランクがあり、一つのランクに12チームほどがランキングされていました。例えばBランク12チームでリーグ戦を行い、そこで優勝できれば次のシーズンはAランクに行けるという具合になっていたのです。入れ替わりにAランク最下位がBランクに格下げされます。今のサッカーJリーグと同じです。
わたしの大学のバレー部は弱小も弱小。最下位のFランクのチームでした。しかもここ三年ほどずっとF。戦績も負け越しが続いていたのです。つまり、最下位中の最下位のチームなのでした。それ以上落ちようもないところにいました。
それでチーム強化の一環として、男子の強豪チームのいくつかから、不定期に「稽古をつけて」もらっていたのでした。最初の一週間ですでに一度、その指導を受けていたのです。
しかし、「指導」といってもたった一時間程度。しかも彼らはジーンズにポロシャツやTシャツのままで、コート際で四年生と談笑しながらわたしたちの練習をただ見ているだけだったのです。いつも指導が終わると三四年生は彼らと一緒にどこかへ消えていました。二年生の先輩の一人に訊いてみたところ、
「私たちの指導方法の検討会? みたいなのしてるらしいよ」
なんだか、胡散臭いことこの上ありませんでした。
「だからね、この子はまだネンネだから気をつけてね、って彼らに教えとかないと、なの。わかるでしょ? ハヤカワさん」
ヤマダさんは言いました。
「・・・はあ」
そんなことまでバクロしなきゃいけないのかスゴイとこに来ちゃったな。
それがその場にいた一年生全員の素直な感想だったんじゃないでしょうか。8人の新入生のうち半分はいい所のお嬢さんのような真面目なコで彼女たちがまずおずおずと手を挙げました。それから残りの高校時代にバリバリ部活してたっぽいコたちが続いて手を挙げました。
そうなるとわたしも手を挙げざるを得ませんでした。
「いいえ。わたしは一か月半ぐらいでしたが思いっきりセックスしまくってました」
なんて言えるわけない雰囲気がありました。
「じゃ、明日五時に新宿の東口に集合ね。幹事、一年生に場所教えておくように。それじゃ、おつかれさま」
釈然としない気持ちのまま更衣室で着替えているとヤマダさんに声を掛けられました。
「ハヤカワさん、このあと時間ある? ちょっとお茶しようよ」
彼女に連れられて大学から少し歩いたところにある喫茶店にいきました。
「よくあるでしょ、昼間喫茶店、夜はバーって」
すぐ近くに、あのノーベル文学賞の候補にもなった高名な作家が乗り込んでいって切腹自決した自衛隊の司令部がありました。その時わたしはまだ中学生でしたが、あの衝撃的な事件はまだ記憶に生々しく残っていました。その敷地の塀から一本奥に入った細い路地に店はありました。なんとなく、ワシオ君に連れられて行った北の街の喫茶店を思わせるような佇まいの店でした。
ヤマダさんは黒光りする年季の入ったカウンター席に座り、中にいたマスターらしき中年のエプロンおじさんに会釈しました。
「いらっしゃい。部活の帰りかい?」
「うん。・・・これ、新人」
「そう・・・」
「・・・よろしくお願いします」
そのマスターにあいさつしました。中肉中背、油で固めた髪に口髭を生やした、温和そうな人でした。
ちょうどこの十年後に「スーパーマリオ」というビデオゲームが発売になります。幼い長女に強請られておもちゃ屋さんにソフトを買いに行ってそのポスターを見た瞬間、
「あ、これ、マスターだ!」
と思わず叫んでしまったことを懐かしく思い出します。
結論を先に言えば、わたしは大学の四年間、このマスターの女でした。
ワシオ君との恋愛でセックスに目覚めたわたしでしたが、このマスターとのお付き合いでさらに開発され、調教されていったような気がします。普通は若い女と中年男との恋愛なんて女が男に一方的に利用されて終わりのようなイメージがありますが、わたしの場合はまったくの逆だったような気がします。むしろわたしの方がマスターを利用しまくったような・・・。
それにこれよりずっと後に就職した会社で上司にセクハラされ、その末にその上司のセックスに溺れそうになりながらもなんとか踏みとどまり、おじいさんと結婚して今の幸せな家庭を築くことができたのも、ある面ではマスターとお付き合いしたお陰かもしれないと思うこともあります。ですがその話はまた後に譲り、大学時代に話を戻します。
「これからごひいきにね。何飲む?」
「あたし、ビール。奢るからあなたも飲めば。飲めるクチでしょ」
同意する前にバドワイザーのボトルが二本、目の前に置かれました。引き換えにヤマダさんが伊藤博文の千円札を一枚カウンターに載せておいたのをサッと持って行きました。キャッシュオンデリバリーというやつです。
「じゃ、カンパイ」
まだ陽のあるうちから、しかも他のお客さんたちもいるお店で、しかもボトルでラッパ飲みなんて初めてでした。軽いものでしたが久々に飲んだのですぐにほわんとなりました。再びマスターが来てピーナッツの小皿と百円玉を二つ置いてゆきました。
「ハヤカワ、ミオだっけ。ミオって呼んでいい?」
「・・・どうぞ」
「ねえ、なんでミオを誘ったかわかる?」
「・・・すいません、わかりません」
ヤマダさんはフッと鼻で笑ってわたしをジロリとニラみました。
「あなた、経験あるでしょ」
マスターには聞こえなかったようです。表情も変えずカウンターの後ろのグラスをナプキンで磨いていました。有線放送が流行りの歌謡曲を流していました。
--・・・あなたに女の子の一番、大切な、ものをあげるわー・・・--
「・・・どうして、そう思うんですか」
「だって、一番顔赤かったもん」
「・・・」
「で、ムキになってた・・・」
「・・・」
「ごめんね。責めてるんじゃないの。わたしもそうだったの。二年前ね」
ヤマダさんはボトルをあおり気持ちよさげに喉を鳴らしました。
「あんな非常識な質問て、ないじゃない。失礼だし、破廉恥よね」
「・・・はあ」
「ねえ、飲んでよ。マスター、お代わり」
そう言って岩倉具視の五百円札を置き、さっきと同様にボトルと百円玉が置かれました。百円玉が三枚になりました。
「で、わたしもそうだったの。高校の時もう経験してたの。でもウソついた。だって、当たり前じゃない、ねえ?・・・」
わたしももう一口飲みました。さっきよりも水っぽく感じました。
店の外が暗くなるとお客さんが一人二人と増えてきました。学生風だったり若い勤め人ふうだったり、カップルだったり。マスターはBGMを洋楽のロックに切り替えました。するとジージャンを着た学生風の男の人がカウンターに入り、後ろの棚に置いてあるレコードを勝手にあれこれと探し、白っぽい地に燃え堕ちる飛行船の画が書かれているジャケットを取り出し、ターンテーブルに載せて有線から切り変えました。
重厚なヘヴィーロックが大音量で店内に流れ始めると男の子は満足してカウンターの奥に陣取りました。
In the days of my youth, I was told what it means to be a man And now I've reached that age,・・・
「・・・実は、そうです」
わたしは大きな音に力づけられ、白状しました。
ヤマダさんはニヤッと笑い黙ってボトルをわたしのにゴツと軽くぶつけました。あらためてカンパイ、というわけです。
「うるさいでしょ。こういう店なの。・・・飲んで」
音があまりにも大きすぎたのでしょう。マスターがカウンターの奥から慌てて飛んできて音量を絞り、ヤマダさんの向こう側に見えるカウンターの奥のジージャン君に何か文句を言いました。叱られても彼はニヤニヤ笑っているだけでした。
「わたしのほうがもっとハデに突っかかったよ。なんでバレーボールするのに処女かそうでないかが関係あるんですか。おかしくないですか、って。今はもう卒業した先輩にね。
その先輩は言ったの。実はね、って
あなたたちが処女かそうでないかはどうでもいいの、って。男の子たちと飲むってことはそういうことがあることもあるよって、知らせたかっただけなの、って
わたしたちの学校に来る子ってさ、いいところのお嬢さんとか、大学に入るまでガリガリ勉強ばかりしてロクに男の子と付き合ったこともないなんて子が多いのよ。ミオの同期たちの中にもいると思うよ、半分ぐらいはそうじゃないのかな」
ヤマダさんはまた五百円札を取り出してマスターを呼びました。彼がボトルと百円玉を持ってきて、空のボトルとお札を持って行くと彼女は再び語り始めました。百円玉が四枚になりました。
「ウチは弱小チーム。それでもみんな身体動かすの好きだから、バレーがやりたいから入ってきてる。あなたもそうでしょ。わたしもそう。これでもインターハイ行ったからね、わたし。だから、なんとか続けていきたいじゃない?
でもね、あんまり成績がひどいと学校も文句言い始める。文句だけならハイハイ聞いてりゃいいけど、ただでさえ少ない活動費を減らされたり、ましてや廃部されたりしたら、イヤよね。国公立はね、こういう経費にうるさいの。ワタクシ立とは違うのよ。
それで強化策を講じてるわけ。それが今週来てた男の子たちなの。
女でもいいけど、癪じゃない? いずれは同じリーグに上ってやっつけたい相手に教わりたくないじゃない? 彼女たちもタダじゃ来ないよ。それにたぶんイヤミたらたらで来るよ。そんなヤツらに教わりたくないでしょ?
それに男子の方が背が高いしパワーがある。男子のサーブをレシーヴしたりブロックしたりができれば女相手にしてるよりも強くなれるでしょ。
男子を呼ぶのはそういう理由。それに彼ら、見返りはお金じゃないから。弱小貧乏クラブにとっては助かるのよ」
「それじゃ、見返りって・・・」
「そ。・・・ミオって、カンがいいのね」
グビグビ。ヤマダさんは気持ちよさげにビールを喉に流し込みました。
「毎年新入生の子をデート相手にアテンドしてあげるの。勘違いしないでよ。アテンドするだけ。わたしたちは女衒じゃないからね。そこから先は自由恋愛だから、女の子が拒否すれば何も起こらない。彼らもそこは承知してる。
そこでミオに頼みがあるの」
なんとなく彼女の頼みの内容が予想できました。
彼女はマスターを呼びわたしのお代わりを頼んでくれました。マスターが新しいボトルを持ってきて百円玉4個と空のボトルを持ってゆくと、ヤマダさんは言いました。
「あくまで自由恋愛だけど、ミオの好みだったり、嫌いじゃないタイプだったら、相手してやってくれないかな。もちろん、最後までイケなんて言わないからさ。だって、自由恋愛だもんね」
このヤマダさんは在学中に国家公務員一種試験を受けて合格し、どこだかの役所に入省しました。順調に出世してあと一歩で役人最高峰の事務次官、という手前で定年退官し、今は天下りもせずに好きなことやってるみたいです。生涯独身を通していて、いまだに年賀状のやり取りをしています。添え書きには必ず、
「いつかまた一緒に飲もうね」と書いてあります。
夕食終了時間ギリギリに寮に戻りました。おばちゃんズが食器を洗う音をBGMにして冷凍秋刀魚の塩焼き定食を平らげ、お風呂に行きました。
湯船は大きく、四人ぐらいが一度に入れます。わたしが髪を洗っていると、短大生の博多のサナが浴室に入ってきました。
「おつかれー」
優にわたしの三倍はある、ムチムチ巨乳のコです。
ちょうどいいや、とわたしは思いました。湯船の外で背中に掛け湯をしいるサナの背中に呼びかけました。
「なあに?」
湯に浸かりながら、彼女は応えました。わたしも髪を流して湯船に浸かりました。
「あのさ、サナ。明日、頼まれてくれないかな」
「何を?」
巨乳が湯の中で揺れていました。半分とは言いません。その三分の一でもお肉を譲ってくれないかなと彼女の胸を見るたびに思ったものです。
お風呂の後、スウェットの上下に着替えて雑誌を片手に食堂に行き、自動販売機でコーヒー牛乳を買いました。そのままパックをちゅうちゅうしながら何気に一番奥の吐き出しのサッシ窓の近くに座りました。
わたしがロクに下見もせずにこの女子寮を申し込んだのは、高校のバレー部のOGからの情報を聞いたからでした。彼女はそのころもう北の国に帰り社会人になっていましたが、時々母校であるわたしの高校を訪ねて来て練習を見てくれたりしていました。そこで上京した時の住まいの話が出て、いい所があるよ、と耳寄りな情報をくれました。彼女はかつてこの寮の住人だったのです。
「今もそうかどうかは知らないよ。でもね、夜管理人がいないのは大きかったなあ。夜遊びして帰って来ても、玄関の札ひっくり返すの頼んでおけばバッチリだし。一階の友達の部屋の窓から余裕で出入りできたしね。それにさらに裏技があってね。食堂の奥の吐き出しのサッシ窓がね・・・」
彼女の言によれば、その掃き出し窓のカギが壊れたまま放置されていたのだそうです。彼女が住人だったころから何年も経つし、いくらなんでもそこは直してあるだろうと半信半疑だったのですが、雑誌を読むふりをしてそこをみると、先輩の言った通りでした。カラン錠の回転部分が、無いのです。その窓の向こうは隣家のコンクリート壁で窓との隙間が三十センチもなく、まさかここから誰かが侵入してくることはないだろうと見過ごされていたのでしょう。
あれは単なる笑い話ではなかったのでした。
「でも、もしそこを使うなら太れないからね。それにビニールのゴミ袋かなんか身体に巻き付けないと服が汚れたり切れたりするかもよ・・・」
今回は札と侵入窓の借用はサナと彼女の部屋に頼みました。でもいつかは探検してやろうと思いました。夜遊びするときの強力な武器を手に入れた思いでした。
同性とは言え、いきなりこんな質問をされて「ハイッ!」と手を挙げる人がいたらわたしはその人の神経を疑います。そう言う質問をする人に対しても同じですが。
もちろん、左右をキョロキョロしまくりました。みんなモジモジして手を挙げる子は誰もいませんでした。
「いないの? ってことは、みんな経験済みなのね」
「あの・・・、おかしくないですか」
よせばいいのに。
それからの人生を象徴するような行動をわたしはしてしまったのです。納得いかないことはとことんどこまでも突っ込む。その性格のおかげで後年冷や飯を食ったこともありましたが、その性格のおかげでおじいさんと出会い、結婚して四女を設けることが出来たような気もします。人生とは最後までわからないものです。
「なあに、えと、・・・名前、なんだっけ」
「ハヤカワです。あの、どうして新歓コンパで、その、・・・異性との経験の有無が問われるんですか」
「ちなみにあなたは経験あるの?」
質問に質問を返されて、しかもいきなりデリケートな部分を追及されて唖然としていると三年生の先輩が、まあまあ、という感じで割って入ってくれました。あの最初に話しかけてくれたショートボブさんはヤマダさんという法学部の才媛でした。
「ねえサンダさん、こういう訊き方しましょうよ。
あのね、歓迎会は今週指導に来てくれていた表参道大学と合同で行うの。男子ばっかだから、飲み会でシモのネタも出るよね。免疫ないとショック受ける子も出てくるかもしれないじゃない。ここ、女子大だしさ・・・」
関東の大学バレーボールのあつまりがあって、四年制短大を問わずバレー部を持つ大学が全て加入し、毎年春と秋に男子女子それぞれリーグ戦を行っていました。しかし、オリンピック選手も在籍しているような最も強いチームと最も弱いチームとの実力差はゾウとアリほどもありました。そのために、女子についてはAからFまでランクがあり、一つのランクに12チームほどがランキングされていました。例えばBランク12チームでリーグ戦を行い、そこで優勝できれば次のシーズンはAランクに行けるという具合になっていたのです。入れ替わりにAランク最下位がBランクに格下げされます。今のサッカーJリーグと同じです。
わたしの大学のバレー部は弱小も弱小。最下位のFランクのチームでした。しかもここ三年ほどずっとF。戦績も負け越しが続いていたのです。つまり、最下位中の最下位のチームなのでした。それ以上落ちようもないところにいました。
それでチーム強化の一環として、男子の強豪チームのいくつかから、不定期に「稽古をつけて」もらっていたのでした。最初の一週間ですでに一度、その指導を受けていたのです。
しかし、「指導」といってもたった一時間程度。しかも彼らはジーンズにポロシャツやTシャツのままで、コート際で四年生と談笑しながらわたしたちの練習をただ見ているだけだったのです。いつも指導が終わると三四年生は彼らと一緒にどこかへ消えていました。二年生の先輩の一人に訊いてみたところ、
「私たちの指導方法の検討会? みたいなのしてるらしいよ」
なんだか、胡散臭いことこの上ありませんでした。
「だからね、この子はまだネンネだから気をつけてね、って彼らに教えとかないと、なの。わかるでしょ? ハヤカワさん」
ヤマダさんは言いました。
「・・・はあ」
そんなことまでバクロしなきゃいけないのかスゴイとこに来ちゃったな。
それがその場にいた一年生全員の素直な感想だったんじゃないでしょうか。8人の新入生のうち半分はいい所のお嬢さんのような真面目なコで彼女たちがまずおずおずと手を挙げました。それから残りの高校時代にバリバリ部活してたっぽいコたちが続いて手を挙げました。
そうなるとわたしも手を挙げざるを得ませんでした。
「いいえ。わたしは一か月半ぐらいでしたが思いっきりセックスしまくってました」
なんて言えるわけない雰囲気がありました。
「じゃ、明日五時に新宿の東口に集合ね。幹事、一年生に場所教えておくように。それじゃ、おつかれさま」
釈然としない気持ちのまま更衣室で着替えているとヤマダさんに声を掛けられました。
「ハヤカワさん、このあと時間ある? ちょっとお茶しようよ」
彼女に連れられて大学から少し歩いたところにある喫茶店にいきました。
「よくあるでしょ、昼間喫茶店、夜はバーって」
すぐ近くに、あのノーベル文学賞の候補にもなった高名な作家が乗り込んでいって切腹自決した自衛隊の司令部がありました。その時わたしはまだ中学生でしたが、あの衝撃的な事件はまだ記憶に生々しく残っていました。その敷地の塀から一本奥に入った細い路地に店はありました。なんとなく、ワシオ君に連れられて行った北の街の喫茶店を思わせるような佇まいの店でした。
ヤマダさんは黒光りする年季の入ったカウンター席に座り、中にいたマスターらしき中年のエプロンおじさんに会釈しました。
「いらっしゃい。部活の帰りかい?」
「うん。・・・これ、新人」
「そう・・・」
「・・・よろしくお願いします」
そのマスターにあいさつしました。中肉中背、油で固めた髪に口髭を生やした、温和そうな人でした。
ちょうどこの十年後に「スーパーマリオ」というビデオゲームが発売になります。幼い長女に強請られておもちゃ屋さんにソフトを買いに行ってそのポスターを見た瞬間、
「あ、これ、マスターだ!」
と思わず叫んでしまったことを懐かしく思い出します。
結論を先に言えば、わたしは大学の四年間、このマスターの女でした。
ワシオ君との恋愛でセックスに目覚めたわたしでしたが、このマスターとのお付き合いでさらに開発され、調教されていったような気がします。普通は若い女と中年男との恋愛なんて女が男に一方的に利用されて終わりのようなイメージがありますが、わたしの場合はまったくの逆だったような気がします。むしろわたしの方がマスターを利用しまくったような・・・。
それにこれよりずっと後に就職した会社で上司にセクハラされ、その末にその上司のセックスに溺れそうになりながらもなんとか踏みとどまり、おじいさんと結婚して今の幸せな家庭を築くことができたのも、ある面ではマスターとお付き合いしたお陰かもしれないと思うこともあります。ですがその話はまた後に譲り、大学時代に話を戻します。
「これからごひいきにね。何飲む?」
「あたし、ビール。奢るからあなたも飲めば。飲めるクチでしょ」
同意する前にバドワイザーのボトルが二本、目の前に置かれました。引き換えにヤマダさんが伊藤博文の千円札を一枚カウンターに載せておいたのをサッと持って行きました。キャッシュオンデリバリーというやつです。
「じゃ、カンパイ」
まだ陽のあるうちから、しかも他のお客さんたちもいるお店で、しかもボトルでラッパ飲みなんて初めてでした。軽いものでしたが久々に飲んだのですぐにほわんとなりました。再びマスターが来てピーナッツの小皿と百円玉を二つ置いてゆきました。
「ハヤカワ、ミオだっけ。ミオって呼んでいい?」
「・・・どうぞ」
「ねえ、なんでミオを誘ったかわかる?」
「・・・すいません、わかりません」
ヤマダさんはフッと鼻で笑ってわたしをジロリとニラみました。
「あなた、経験あるでしょ」
マスターには聞こえなかったようです。表情も変えずカウンターの後ろのグラスをナプキンで磨いていました。有線放送が流行りの歌謡曲を流していました。
--・・・あなたに女の子の一番、大切な、ものをあげるわー・・・--
「・・・どうして、そう思うんですか」
「だって、一番顔赤かったもん」
「・・・」
「で、ムキになってた・・・」
「・・・」
「ごめんね。責めてるんじゃないの。わたしもそうだったの。二年前ね」
ヤマダさんはボトルをあおり気持ちよさげに喉を鳴らしました。
「あんな非常識な質問て、ないじゃない。失礼だし、破廉恥よね」
「・・・はあ」
「ねえ、飲んでよ。マスター、お代わり」
そう言って岩倉具視の五百円札を置き、さっきと同様にボトルと百円玉が置かれました。百円玉が三枚になりました。
「で、わたしもそうだったの。高校の時もう経験してたの。でもウソついた。だって、当たり前じゃない、ねえ?・・・」
わたしももう一口飲みました。さっきよりも水っぽく感じました。
店の外が暗くなるとお客さんが一人二人と増えてきました。学生風だったり若い勤め人ふうだったり、カップルだったり。マスターはBGMを洋楽のロックに切り替えました。するとジージャンを着た学生風の男の人がカウンターに入り、後ろの棚に置いてあるレコードを勝手にあれこれと探し、白っぽい地に燃え堕ちる飛行船の画が書かれているジャケットを取り出し、ターンテーブルに載せて有線から切り変えました。
重厚なヘヴィーロックが大音量で店内に流れ始めると男の子は満足してカウンターの奥に陣取りました。
In the days of my youth, I was told what it means to be a man And now I've reached that age,・・・
「・・・実は、そうです」
わたしは大きな音に力づけられ、白状しました。
ヤマダさんはニヤッと笑い黙ってボトルをわたしのにゴツと軽くぶつけました。あらためてカンパイ、というわけです。
「うるさいでしょ。こういう店なの。・・・飲んで」
音があまりにも大きすぎたのでしょう。マスターがカウンターの奥から慌てて飛んできて音量を絞り、ヤマダさんの向こう側に見えるカウンターの奥のジージャン君に何か文句を言いました。叱られても彼はニヤニヤ笑っているだけでした。
「わたしのほうがもっとハデに突っかかったよ。なんでバレーボールするのに処女かそうでないかが関係あるんですか。おかしくないですか、って。今はもう卒業した先輩にね。
その先輩は言ったの。実はね、って
あなたたちが処女かそうでないかはどうでもいいの、って。男の子たちと飲むってことはそういうことがあることもあるよって、知らせたかっただけなの、って
わたしたちの学校に来る子ってさ、いいところのお嬢さんとか、大学に入るまでガリガリ勉強ばかりしてロクに男の子と付き合ったこともないなんて子が多いのよ。ミオの同期たちの中にもいると思うよ、半分ぐらいはそうじゃないのかな」
ヤマダさんはまた五百円札を取り出してマスターを呼びました。彼がボトルと百円玉を持ってきて、空のボトルとお札を持って行くと彼女は再び語り始めました。百円玉が四枚になりました。
「ウチは弱小チーム。それでもみんな身体動かすの好きだから、バレーがやりたいから入ってきてる。あなたもそうでしょ。わたしもそう。これでもインターハイ行ったからね、わたし。だから、なんとか続けていきたいじゃない?
でもね、あんまり成績がひどいと学校も文句言い始める。文句だけならハイハイ聞いてりゃいいけど、ただでさえ少ない活動費を減らされたり、ましてや廃部されたりしたら、イヤよね。国公立はね、こういう経費にうるさいの。ワタクシ立とは違うのよ。
それで強化策を講じてるわけ。それが今週来てた男の子たちなの。
女でもいいけど、癪じゃない? いずれは同じリーグに上ってやっつけたい相手に教わりたくないじゃない? 彼女たちもタダじゃ来ないよ。それにたぶんイヤミたらたらで来るよ。そんなヤツらに教わりたくないでしょ?
それに男子の方が背が高いしパワーがある。男子のサーブをレシーヴしたりブロックしたりができれば女相手にしてるよりも強くなれるでしょ。
男子を呼ぶのはそういう理由。それに彼ら、見返りはお金じゃないから。弱小貧乏クラブにとっては助かるのよ」
「それじゃ、見返りって・・・」
「そ。・・・ミオって、カンがいいのね」
グビグビ。ヤマダさんは気持ちよさげにビールを喉に流し込みました。
「毎年新入生の子をデート相手にアテンドしてあげるの。勘違いしないでよ。アテンドするだけ。わたしたちは女衒じゃないからね。そこから先は自由恋愛だから、女の子が拒否すれば何も起こらない。彼らもそこは承知してる。
そこでミオに頼みがあるの」
なんとなく彼女の頼みの内容が予想できました。
彼女はマスターを呼びわたしのお代わりを頼んでくれました。マスターが新しいボトルを持ってきて百円玉4個と空のボトルを持ってゆくと、ヤマダさんは言いました。
「あくまで自由恋愛だけど、ミオの好みだったり、嫌いじゃないタイプだったら、相手してやってくれないかな。もちろん、最後までイケなんて言わないからさ。だって、自由恋愛だもんね」
このヤマダさんは在学中に国家公務員一種試験を受けて合格し、どこだかの役所に入省しました。順調に出世してあと一歩で役人最高峰の事務次官、という手前で定年退官し、今は天下りもせずに好きなことやってるみたいです。生涯独身を通していて、いまだに年賀状のやり取りをしています。添え書きには必ず、
「いつかまた一緒に飲もうね」と書いてあります。
夕食終了時間ギリギリに寮に戻りました。おばちゃんズが食器を洗う音をBGMにして冷凍秋刀魚の塩焼き定食を平らげ、お風呂に行きました。
湯船は大きく、四人ぐらいが一度に入れます。わたしが髪を洗っていると、短大生の博多のサナが浴室に入ってきました。
「おつかれー」
優にわたしの三倍はある、ムチムチ巨乳のコです。
ちょうどいいや、とわたしは思いました。湯船の外で背中に掛け湯をしいるサナの背中に呼びかけました。
「なあに?」
湯に浸かりながら、彼女は応えました。わたしも髪を流して湯船に浸かりました。
「あのさ、サナ。明日、頼まれてくれないかな」
「何を?」
巨乳が湯の中で揺れていました。半分とは言いません。その三分の一でもお肉を譲ってくれないかなと彼女の胸を見るたびに思ったものです。
お風呂の後、スウェットの上下に着替えて雑誌を片手に食堂に行き、自動販売機でコーヒー牛乳を買いました。そのままパックをちゅうちゅうしながら何気に一番奥の吐き出しのサッシ窓の近くに座りました。
わたしがロクに下見もせずにこの女子寮を申し込んだのは、高校のバレー部のOGからの情報を聞いたからでした。彼女はそのころもう北の国に帰り社会人になっていましたが、時々母校であるわたしの高校を訪ねて来て練習を見てくれたりしていました。そこで上京した時の住まいの話が出て、いい所があるよ、と耳寄りな情報をくれました。彼女はかつてこの寮の住人だったのです。
「今もそうかどうかは知らないよ。でもね、夜管理人がいないのは大きかったなあ。夜遊びして帰って来ても、玄関の札ひっくり返すの頼んでおけばバッチリだし。一階の友達の部屋の窓から余裕で出入りできたしね。それにさらに裏技があってね。食堂の奥の吐き出しのサッシ窓がね・・・」
彼女の言によれば、その掃き出し窓のカギが壊れたまま放置されていたのだそうです。彼女が住人だったころから何年も経つし、いくらなんでもそこは直してあるだろうと半信半疑だったのですが、雑誌を読むふりをしてそこをみると、先輩の言った通りでした。カラン錠の回転部分が、無いのです。その窓の向こうは隣家のコンクリート壁で窓との隙間が三十センチもなく、まさかここから誰かが侵入してくることはないだろうと見過ごされていたのでしょう。
あれは単なる笑い話ではなかったのでした。
「でも、もしそこを使うなら太れないからね。それにビニールのゴミ袋かなんか身体に巻き付けないと服が汚れたり切れたりするかもよ・・・」
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