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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
73 13階段
しおりを挟むその姿を見たものを石に変えてしまうという、メデューサのような底知れない黒い目の男。
「もぐら」は、今度は後宮の女官ではなく、大聖堂の一司祭のごとく、真っ白な祭服の上に金の刺繍が入った紫のカズラを被っていた。
何か言わねば。
わたしは「バロネン・ノルトヴェイト・フォン・ヴァインライヒ」。
帝国貴族にしていにしえのノール貴族ノルトヴェイト公爵家に連なる血筋。目の前の「もぐら」には図らずも王宮で接触され、まずは周辺の状況把握のために「従者」アクセルをここへ遣わした。だが、一晩経っても戻らず、心配になり、直接来てみたまで・・・。
そうした、スパイとして扮する「伝説」に沿った筋書きを、常ならばその超高速で回転する頭脳で瞬時に情報処理し、最も適切な行動オプションを実施する、はずだった。
しかし、これも思いがけず貴殿に会い・・・。しかも、この大雨の中、物々しい武装した一団を垣間見・・・。
そうした不慮の要素が多すぎて、どうにも回転が鈍くなっていた。不覚だったと言わざるを得ない。
「偵察しに行ったにしては、戻りが遅い。非常事態を考えた方がいいんじゃない? 」
これも思いがけなく出会った、ウリル少将の手配した支援要員たる「ジュピター」の助言も、ヤヨイの思考を混乱させ鈍らせる一因だったかもしれない。
とにかく、出没が唐突なのだ、この男は!
だから「もぐら」、なのだが。
「もしや、アクセル殿の帰還が遅いので、お迎えに、でしたか? 」
むしろ、向こうの方から糸口をくれた。
「ええ。国王陛下に今少し、と引き留められ、ついに夜を明かしてしまったのです。それで、アクセルが未だ戻っていないと・・・」
「おお! これは失礼を。そしてご心配をおかけいたしましたね。私が無理にお引止めしてしまったのですよ。私の方から使いを差し上げるべきでしたね。お詫びいたします」
やけに丁寧な口調で、「もぐら」は言った。
「もうアクセル殿もお目覚めの時分でしょう。さあ、ご案内いたしましょう! お目覚めのコーヒーなど差し上げましょう」
ここで断るいわれはない。ヤヨイは、覚悟を決めた。
聖歌隊の讃美歌を聴きつつ、はるか上方からのステンドグラスの灯りが舞い落ちる主身廊を、「もぐら」に促されるまま、祭壇に向かって進んだ。
讃美歌が終わり、大司教の祈りの声が上がった。
「神よ、 わたしをあなたの平和のために用いてください。
憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、
分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに真実を、
絶望のあるところに希望を、
悲しみのあるところに喜びを、暗闇のあるところに光をもたらしたまうべく、
助け導きたまえ・・・」
案内され、主身廊を祭壇のある内陣に向かった中央交差部。十字架のクロスした焦点の左手二階にある「もぐら」のオフィスに上がることになった。
階段を上り際、再び祈りを捧げる大司教と目が合った。
「先ほども貴族の方の一団が表を通られましたでしょう。すでにお聞き及びと思いますが、ハーニッシュ族が一斉蜂起したようでして。陸軍はもとより、貴族の方々も王国のために馳せ参じられているとか。我々神に仕える者もこのノールの安寧のために祈りを捧げているところなのです。経緯はよくわかりませんが、ハーニッシュたちが怒りを鎮められるようにと・・・」
「そうだったのですか。まったく存じ上げませんでしたわ。アクセルが心配だったので、国王陛下にご挨拶もせずに参ってしまいましたので・・・」
そこでヤヨイは居住まいを正し、祭壇に向かって片膝を突き、十字を切って手を組み、祈りを捧げた」
「アーメン」
大司教がじっとヤヨイを見つめたままなのに、またしても背筋が寒くなった。
あれは、聖職者の目じゃないわ。妖怪、魑魅魍魎?・・・。
「バロネン、彼は、大司教はわたしの父なのですよ」
祈りを捧げるヤヨイの背中に、「もぐら」の声がかかった。
なんと!
「まあ! 」
それは演技でもあり、本心からの驚きでもあった。
なんと、大司教がノールを脅かす「もぐら」の後ろ盾だったとは!
だとすれば、「もぐら」の活動費の裏付けもできる。大司教は我が子「もぐら」のために皇太后を操って活動資金を得ていたのだ。「もぐら」は王国の歳費を使って王国を倒そうとしている!
スッと立ち上がったヤヨイ、「バロネン・ヴァインライヒ」に、「もぐら」は告げた。
「申し遅れましたが、わたしはニコライ・ヴァシリエビッチ・メンデレーエフと申します」
「メンデレーエフ殿・・・」
「はい。どうぞ、わたしのことはニコライ、と。
アクセル殿にもお話しましたが、もしバロネンがこのノールにノルトヴェイト家を再興されたいと思し召しならば、このニコライ、是非ともお役に立ちたいと。
さあ、参りましょう・・・」
「ですが、よろしいのですか? ご祈祷の最中だったのでは?」
「構いません。
大きな声では申せませんが、むしろ、幸いなるかな、です。このハーニッシュの蜂起は必ずや貴殿のお家再興に有利に働くでしょう。
そのためにも今、我々は互いの意思をつまびらかにしておく必要があるのですよ、女男爵閣下!」
長身の司祭「もぐら」に従って、ヤヨイは石段を上った。落ち着け! 自分にそう言い聞かせながら。なにしろ、この任務のクライマックスがもう目の前にあるのだ。アクセルの安否を確認し、今この場の状況を把握し、次の行動を決定する!
心を落ち着かせるために、階段の段の数を数えた。
3、4、5・・・。
果たして、ヤヨイを待つのは吉か、凶か。
8、9、10・・・。
踊り場には小窓があり、相変わらず激しい雨が歪んだ板ガラスを打ち続けているのが見えた。
11、12、・・・13。
13。
ヤヨイがまだバカロレアの学生だった頃。
リセからの同級生でヤヨイと違って文学部に進学した友達から聞いたことがある。
「旧文明のヨーロッパではね、『13』という数字が忌み嫌われていたの」
「へえ、ただの数字なのに? 」
「キリスト教の始祖イエス・キリストがね、処刑される前に13人の弟子たちと最後にディナーを摂ったの。その時にね、
『この中の一人がわたしを裏切るだろう』って周りに告げたのよ」
そのリセからの同級生の友達。フワフワの金髪をして言語学を勉強していたフランス系のジョアンナはこう言った。
「その裏切者、エスカリオテのユダが当時そこを治めていたユダヤ王国の役人にお金と引き換えに密告した。イエスはここにいる、ってね。そのせいでキリストは囚われ、十字架にかけられた。
だから、13番目というのは不吉でタブーとされていたのよ」
「へ~・・・」
何の気なしに聞き流していたはずのエピソードが、このキリスト教国の大聖堂の階段を上っていると自然に浮かんできたのは不思議だった。このノールで毎日のようにイエス・キリストの教えに曝されているからだろうか。
「そのときから、ヨーロッパや新大陸では死刑囚を縛り首にする台に登らせるとき、13段ある階段を上らせたんだって。お前は神の教えを裏切った者だ、そういう意味を込めたのかしらね」
「13段、ねえ・・・」
「バロネン? 」
「・・・はい?」
階段の踊り場を折り返す辺りで、無防備にも追憶に気を取られていたヤヨイは、ターゲットである「もぐら」に呼びかけられて我を取り戻した。
やれやれ。任務中だというのに・・・。
しっかりしなきゃ!
「なんでしょう? ニコライ殿」
「バロネン。昨日も申しましたように、わたしは、神の僕(しもべ)として、このノールを再び神の許に戻したいのです。そのためには、是非とも現王朝ヤンベルナドッテ朝は倒さねばならない。
そのためにも、貴女のお力が必要なのです! 」
階段を上るヤヨイに道を示しつつ、ニコライこと「もぐら」は、あの漆黒の深淵を思わせる瞳を向けた。
「さあ、ここです。どうぞお入りください」
そして、階段を上がり切ったフロアの奥にある重厚な黒く塗られたドアに手をかけた。
「ここに、アクセルが? 」
「はい、閣下。貴女のおいでをずっとお待ちになっておられたのですよ。
さあ、どうぞ!」
ギイ、とドアが開いた。
促されるまま、ヤヨイはその部屋の中に足を踏み入れた。
外は雨模様。小さな窓から入る外光は頼りなく、部屋の中央の天井からは蝋燭が灯された粗末なブラケットが下がっていた。
奥にこれも重厚な樫の木で作られたデスク。部屋のなかほどには大きくて広い、これも黒く塗られた頑丈なテーブルがあり、向かい合わせに椅子が一脚ずつ置かれていた。
「どうぞお掛けください。ただいまコーヒーなどお持ちさせましょう」
そう言って、だがニコライ自身は椅子に掛けず、壁の一隅に垂れ下がった緑色のカーテンの際に立った。
「あの、アクセルはどこにいますか? 」
イヤな予感はした。
だが、やはり促されるまま、テーブルの木造りの肘掛椅子に掛けた。
「閣下。実は、アクセル殿は、ここにおいでなのです」
ニコライこと「もぐら」がカーテンの端に下がったモールの紐を引いた。
カーテンは左右に開き、その中に、猿轡をされ、十字架に掛けられ、顔や体中を血だらけにしたアクセルの姿があった。
!
瞬間的に席を立とうとしたヤヨイは背後から恐ろしい力で席に押し付けられた。
振り向くと、先ほどまで祭壇に向かって祈祷をしていた大司教がこの世のものとも思えぬような形相でヤヨイを見下ろし、強靭な腕でヤヨイの肩を押し付けていた。
「! ・・・」
「お静かに願います、閣下。いや、もしかすると、ノールのその手の者? はたまた、帝国の、その筋の者、なのかな?
いずれでもかなわないが、騒ぐとアクセル殿の傷がどんどん増えて彼の血がさらに失われる結果になりますぞ? 」
「もぐら」は、いつの間にか手にしていたナイフの切っ先を猿轡のアクセルの頬に当て、すでに何本かの血を流している切り傷の隣に新たな一本をスーッと加えた。
「・・・」
アクセルは目を瞑って痛みに耐えているように見えた。
「アクセル殿のお命も貴女のそれも、共に助かり皆が幸せになる道について、話をしようではありませんか、美しい人」
もはや椅子に拘束されているに等しいヤヨイに歩み寄った「もぐら」は、アクセルを傷つけたナイフに着いた血を舐め、その冷たい肌を、ヤヨイの白い顎に押し付けた。
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