69 / 83
第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
69 大役を担うノラ
しおりを挟む
混沌の時は過ぎた。
ゴルトシュミット家もまた、王国の他の貴族たちと同様、ノールの伝統にしたがい王家と王国の一大事に馳せ参ずるべく、当主以下使用人の男子全てが軍装を整え、銃を取り、屋敷を後にしようとしていた。
もちろん、ゴルトシュミットの密かな願望、すなわち「ノルトヴェイト家再興」のためには、むしろ迫りくるハーニッシュ族を支援し、この圧力を利用して現王家打倒の狼煙を上げてしまった方がトクなのである。
だが、まだ早いと思っていた。
寝耳に水のハーニッシュ蜂起ではあったが、それだけに、まだ準備が整わない。
しかも、王都に向かっているというハーニッシュ族とコンタクトすら取れておらず、さらには肝心のバロネンが未だ王宮から戻っていないのである。
旗印がいないでは、話にならない。
バロネン・ノルトヴェイト・フォン・ヴェインライヒという存在がハーニッシュ族の先頭に立って王宮に向かい、現王家をして平和裏にノルトヴェイト家再興を認めさせる。
そうしたいわば「ソフト・ランディング」こそが望ましいのであって、なんの見通しもなく現王家を打倒してそれにとってかわるなどいう「ハード・ランディング」が成功する保障などどこにもないのである。
「国粋バカ」ではあっても、ゴルトシュミットはそうした計算はできる男だった。
「皆の者! 用意はできたか!」
執事頭のエリックはじめ厨房や庭師や門番のグンダーにいたるまで。ゴルトシュミット家の使用人5名が陸軍の軍装に似た青いコートを着、銃を携え、トリコーヌの庇からとうとうと雨だれを落としながら、エントランス前に並んだ。
「出来ましてございます、旦那様!」
エリックが応えた。
それでは。
曳いてこさせた黒斑の鐙に長靴(ブーツ)をかけ、いざ出発の下知を下そうと跨ろうとしたゴルトシュミット。その、刹那。
「お待ちください、旦那様!」
他の使用人たちと同様に青のネル生地で誂えた膝上までのコート、同じ生地のウェストコートにヒラヒラのフリルのついたクラヴァットなしのシャツの袖を濡らしつつ、同じ青のブリーチズに短靴という、男子の装束を着けて駆け寄ったのは、なんとノラであった。
トリコーヌの後ろから垂らした金髪の三つ編みが泳がんばかりに駆けてきたノラは、エントランスに立つゴルトシュミットの前に片膝を突いた。
「ノラ・・・。なんだお前のその姿(なり)は!」
「旦那様、お願いでございます! わたしも一緒にお連れ下さい!」
構わず騎乗の人となったゴルトシュミットは、吐息と共に哀れな使用人を見下ろした。軍装整い今しも供をせんばかりの屋敷の男衆も、皆一様にノラをみつめた。なんだ、コイツは! そんな目をして。
「何事だ、ノラ。お前はわかっておるのか? 殺し合いぞ。いくさになるかもしれんのだぞ。いや、これはもういくさだ。お前のごときおなごが戦場に行ってなんとするのだ」
「わたしのせいかもしれないのです!」
雨除けの外から降り込む激しい雨に濡れるのも厭わず、ノラは叫ぶように懇願した。
「・・・何を言っているのだ」
「きっと、またペールがなにかしでかしたのです!
昨日、急に帝国に行くと言い出して。訳が分からなかったので断ったんです。そうしたら、ひとりでも行くと。喧嘩になってしまったんです。それで、もしかして、と。
帝国に行く途中で、もしかして気が変わって、ハーニッシュの人たちに何か焚きつけたんじゃないか、と。そう思ったのです!」
「訳が分からぬ。いったいお前はなにを・・・」
「旦那様!
彼は、ペールは、前からいかがわしい人たちと関わっているんです!」
「いかがわしい人たちだと?」
「はい、そうなのです! 今まで旦那様には黙っておりましたが、革命騒ぎを起こしている人たちだと思います。
だからこれも、きっと、そうなのです!
イングリッド様に関わることを何か持ち出して・・・。でなければ、あのハーニッシュが銃をもってやってくるなど、ありえないのです!
もし、だとしたら。わたしのせいかも、と。
わたしが、何が何でも彼を引き留めていれば、と。
そう思ったのです!」
まだうら若いメイドの、その言を黙って聞いていたゴルトシュミットだった。
ノラの言をそのまま受け入れたからではない。
もう、事この期に及んでハーニッシュの田舎娘一人戦場に連れて行ってなんになるだろう。
いやむしろ、それよりも、と。そう考えていた。
革命騒ぎとやらがいささか気になるが、むしろ、唐突ではあっても、これは好機となるやも!
そう考えていたゴルトシュミットにとっては、バロネンの消息がないことの方が気にかかっていたのだ。彼の名代として。バロネン付きの従者としてノラを王宮に使いに遣り、バロネンとの連絡に使う方が有用ではないか。戦場になるやもしれぬところへ連れていけと欲しているぐらいの娘なのだ。使わない手はない! そう考えていたのだ。
「よろしい!」
馬上、ゴルトシュミットは快諾した。
「ノラ。
ではお前にいくさに出るよりも重要な任務を授けよう。
バロネンの、ノルトヴェイト様のご様子を伺いに王宮に参るのだ」
「わたしが、王宮に? 」
「そうだ!」
ゴルトシュミットは頷首した。
「こたびのハーニッシュの突然の蜂起。その理由はわからぬが、バロネンにおいでいただき、彼らを諫めていただく。それが一番なのだ。彼らの暴挙を抑えられるのは、今このノールにおいては唯一、バロネンだけなのだ。
150年前。ノルトヴェイト公クラウス様が暴徒と化したハーニッシュを諫め、ひいてはノールを救ったように。
これは、戦場で王国のために働くよりはるかに王国と陛下のお役に立つ。バロネンの御存在あらば、傷つくべき兵も、命を落とすべきハーニッシュも救うことができよう。
行ってくれるか? ノラ」
ノラは、そのひたむきなエメラルドの瞳をあげ、館の主を見つめた。
ゴルトシュミット家もまた、王国の他の貴族たちと同様、ノールの伝統にしたがい王家と王国の一大事に馳せ参ずるべく、当主以下使用人の男子全てが軍装を整え、銃を取り、屋敷を後にしようとしていた。
もちろん、ゴルトシュミットの密かな願望、すなわち「ノルトヴェイト家再興」のためには、むしろ迫りくるハーニッシュ族を支援し、この圧力を利用して現王家打倒の狼煙を上げてしまった方がトクなのである。
だが、まだ早いと思っていた。
寝耳に水のハーニッシュ蜂起ではあったが、それだけに、まだ準備が整わない。
しかも、王都に向かっているというハーニッシュ族とコンタクトすら取れておらず、さらには肝心のバロネンが未だ王宮から戻っていないのである。
旗印がいないでは、話にならない。
バロネン・ノルトヴェイト・フォン・ヴェインライヒという存在がハーニッシュ族の先頭に立って王宮に向かい、現王家をして平和裏にノルトヴェイト家再興を認めさせる。
そうしたいわば「ソフト・ランディング」こそが望ましいのであって、なんの見通しもなく現王家を打倒してそれにとってかわるなどいう「ハード・ランディング」が成功する保障などどこにもないのである。
「国粋バカ」ではあっても、ゴルトシュミットはそうした計算はできる男だった。
「皆の者! 用意はできたか!」
執事頭のエリックはじめ厨房や庭師や門番のグンダーにいたるまで。ゴルトシュミット家の使用人5名が陸軍の軍装に似た青いコートを着、銃を携え、トリコーヌの庇からとうとうと雨だれを落としながら、エントランス前に並んだ。
「出来ましてございます、旦那様!」
エリックが応えた。
それでは。
曳いてこさせた黒斑の鐙に長靴(ブーツ)をかけ、いざ出発の下知を下そうと跨ろうとしたゴルトシュミット。その、刹那。
「お待ちください、旦那様!」
他の使用人たちと同様に青のネル生地で誂えた膝上までのコート、同じ生地のウェストコートにヒラヒラのフリルのついたクラヴァットなしのシャツの袖を濡らしつつ、同じ青のブリーチズに短靴という、男子の装束を着けて駆け寄ったのは、なんとノラであった。
トリコーヌの後ろから垂らした金髪の三つ編みが泳がんばかりに駆けてきたノラは、エントランスに立つゴルトシュミットの前に片膝を突いた。
「ノラ・・・。なんだお前のその姿(なり)は!」
「旦那様、お願いでございます! わたしも一緒にお連れ下さい!」
構わず騎乗の人となったゴルトシュミットは、吐息と共に哀れな使用人を見下ろした。軍装整い今しも供をせんばかりの屋敷の男衆も、皆一様にノラをみつめた。なんだ、コイツは! そんな目をして。
「何事だ、ノラ。お前はわかっておるのか? 殺し合いぞ。いくさになるかもしれんのだぞ。いや、これはもういくさだ。お前のごときおなごが戦場に行ってなんとするのだ」
「わたしのせいかもしれないのです!」
雨除けの外から降り込む激しい雨に濡れるのも厭わず、ノラは叫ぶように懇願した。
「・・・何を言っているのだ」
「きっと、またペールがなにかしでかしたのです!
昨日、急に帝国に行くと言い出して。訳が分からなかったので断ったんです。そうしたら、ひとりでも行くと。喧嘩になってしまったんです。それで、もしかして、と。
帝国に行く途中で、もしかして気が変わって、ハーニッシュの人たちに何か焚きつけたんじゃないか、と。そう思ったのです!」
「訳が分からぬ。いったいお前はなにを・・・」
「旦那様!
彼は、ペールは、前からいかがわしい人たちと関わっているんです!」
「いかがわしい人たちだと?」
「はい、そうなのです! 今まで旦那様には黙っておりましたが、革命騒ぎを起こしている人たちだと思います。
だからこれも、きっと、そうなのです!
イングリッド様に関わることを何か持ち出して・・・。でなければ、あのハーニッシュが銃をもってやってくるなど、ありえないのです!
もし、だとしたら。わたしのせいかも、と。
わたしが、何が何でも彼を引き留めていれば、と。
そう思ったのです!」
まだうら若いメイドの、その言を黙って聞いていたゴルトシュミットだった。
ノラの言をそのまま受け入れたからではない。
もう、事この期に及んでハーニッシュの田舎娘一人戦場に連れて行ってなんになるだろう。
いやむしろ、それよりも、と。そう考えていた。
革命騒ぎとやらがいささか気になるが、むしろ、唐突ではあっても、これは好機となるやも!
そう考えていたゴルトシュミットにとっては、バロネンの消息がないことの方が気にかかっていたのだ。彼の名代として。バロネン付きの従者としてノラを王宮に使いに遣り、バロネンとの連絡に使う方が有用ではないか。戦場になるやもしれぬところへ連れていけと欲しているぐらいの娘なのだ。使わない手はない! そう考えていたのだ。
「よろしい!」
馬上、ゴルトシュミットは快諾した。
「ノラ。
ではお前にいくさに出るよりも重要な任務を授けよう。
バロネンの、ノルトヴェイト様のご様子を伺いに王宮に参るのだ」
「わたしが、王宮に? 」
「そうだ!」
ゴルトシュミットは頷首した。
「こたびのハーニッシュの突然の蜂起。その理由はわからぬが、バロネンにおいでいただき、彼らを諫めていただく。それが一番なのだ。彼らの暴挙を抑えられるのは、今このノールにおいては唯一、バロネンだけなのだ。
150年前。ノルトヴェイト公クラウス様が暴徒と化したハーニッシュを諫め、ひいてはノールを救ったように。
これは、戦場で王国のために働くよりはるかに王国と陛下のお役に立つ。バロネンの御存在あらば、傷つくべき兵も、命を落とすべきハーニッシュも救うことができよう。
行ってくれるか? ノラ」
ノラは、そのひたむきなエメラルドの瞳をあげ、館の主を見つめた。
1
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
【完結】今日も女の香水の匂いをさせて朝帰りする夫が愛していると言ってくる。
たろ
恋愛
「ただいま」
朝早く小さな声でわたしの寝ているベッドにそっと声をかける夫。
そして、自分のベッドにもぐり込み、すぐに寝息を立てる夫。
わたしはそんな夫を見て溜息を吐きながら、朝目覚める。
そして、朝食用のパンを捏ねる。
「ったく、いっつも朝帰りして何しているの?朝から香水の匂いをプンプンさせて、臭いのよ!
バッカじゃないの!少しカッコいいからって女にモテると思って!調子に乗るんじゃないわ!」
パンを捏ねるのはストレス発散になる。
結婚して一年。
わたしは近くのレストランで昼間仕事をしている。
夫のアッシュは、伯爵家で料理人をしている。
なので勤務時間は不規則だ。
それでも早朝に帰ることは今までなかった。
早出、遅出はあっても、夜中に勤務して早朝帰ることなど料理人にはまずない。
それにこんな香水の匂いなど料理人はまずさせない。
だって料理人にとって匂いは大事だ。
なのに……
「そろそろ離婚かしら?」
夫をぎゃふんと言わせてから離婚しようと考えるユウナのお話です。
若妻シリーズ
笹椰かな
恋愛
とある事情により中年男性・飛龍(ひりゅう)の妻となった18歳の愛実(めぐみ)。
気の進まない結婚だったが、優しく接してくれる夫に愛実の気持ちは傾いていく。これはそんな二人の夜(または昼)の営みの話。
乳首責め/クリ責め/潮吹き
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/SplitShire様
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~
希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。
しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。
それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…
【 ⚠ 】
・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。
・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる