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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

62 ペールの嘘

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 ハーニッシュを追放になったばかりで途方に暮れていたころ。

 ノール陸軍に入隊しようかどうか迷った挙句、ペールは兵営まで行ったことがある。

 結局、兵隊にはならなくて、その代わりにアニキに声をかけられて拾われたわけだけれど。

 兵営では古式ゆかしい戦列歩兵の演習真っ最中だった。

 どんどんどんどんどんどんどこどん、どこどんどんどこどこどんどこどん・・・。

「ブリティッシュ・グレナーディアーズ」というらしい。その古めかしい太鼓と笛の音に合わせ、兵たちが横一線に一糸乱れずに敵陣へ向かって行進してゆく。

 そんな悠長な行進してたら、たちまちにマトになってしまうだろうな。そう思って、バカバカしくなったのを思い出す。

 でも、その太鼓の音が妙に耳に残っていた。

 今。

 降り続く雨の暗闇の中で、無意識にか、かつての故郷に入り込んでいたペールの胸は、その行進の太鼓の音よりもはるかに大きく高鳴っていた。


 

 自分がかつて暮らした家は、もうそこにはない。

 不埒を繰り返し、神の教えに背いた不肖の息子を苦にし、父も母もとうに天に召され、家も空き家になっている。親友のクリスティアンからはそう聞いてはいた。

 無意識のうちに、ノラの家のドアの前に立っていた。

 自分はこの家の大切な一人娘を奪い、自分と同じ追放者にしてしまった。

 だから、ホントなら顔を出せた義理ではない。どの面下げて! そういわれるのがオチだ。でも、他に寄る辺はなかった。

 ドアを叩いた。

 真っ暗だった窓辺にほの明るい灯が浮かび上がり、やがて、ドアの向こうから重々しい声が響いた。

「どなたですか」

 若い男にとり、ただでさえ、彼女の父親というのは鬼門だ。ましてや、ペールには、特に。

「・・・ペールです、ムンクさん」

 しばしの沈黙があった。

 ギイ、とドアが鳴った。

 黒い影がカンテラを下げて立っていた。下からの灯りに浮かび上がった不気味な貌がペールを睨んでいた。思わず、身が竦んだ。

「しばらくです、ムンクさん」

 黒い影の恐ろしい貌に表情はなかった。

 沈黙が、長かった。

 胸の高鳴りは、最高潮に達していた。太鼓の音が、より一層ペールを揺さぶった。

「・・・遅い時間に、すいません」

 ふいに、太鼓の音が止んだ。

 目の前が、急に暗くなった。


 


 

目の覚めるようなブルーのアビ・ア・ラ・フランセーズもぐっしょりと濡れ、納屋の横木に掛けられていた。しずくの落ちる藁積みの向こうには荷馬車を曳くロバが休んでいた。

「このような嵐の夜に、しかも王都から休ませもせずに駆けさせてきた、とは・・・」

 ムンクは干し藁の上に横たわったペールを顧みながら、藁束で横たわった黒毛の腹を擦り続けた。

「幸い、疝痛(せんつう)までは起こしてはいないようだ。馬は濡れるのを嫌う。人間と同じだ。よかったな。強靭な馬に、感謝するのだ」

 濡れた馬を放置すると腹が冷え、悪化すると胃潰瘍を起こし、時には死ぬことさえある。馬のことをよく知りもせずに平気で乗り回し続けていたペールは、少し申し訳ない気持ちになった。

「お前を母屋に入れることはできん。悪く思うな」

「いいえ、ありがとうございます、ムンクさん」

 藁の褥の上で、ペールは首(こうべ)を垂れた。

 ムンクは藁束を捨て、黒毛の腹を、首筋を幾度か撫でてから、やおら立ち上がった。ペールに背を向けたまま、壁に掛けられたカンテラを取った。

「わたしは今、・・・耐えている」

 白髪の混じった長い金髪を背中に垂らした、ムンクの肩が震えていた。そして、声も。

「里の掟を破っただけではない、お前は、わたしのたった一人の可愛い娘を奪い、里に居れなくした。わたしにとってお前は、憎っくき悪魔だ!

 だが、私事で怒りを露にすることは神の教えに背く。

 神の御慈愛と、ノルトヴェイトさまの御恩情に感謝し、神に許しを請うことだ。朝になったら、帝国へでもどこへでも好きに行くがいい。サッサと立ち去れ!」

 そう言いおいて納屋を出ようとするムンクに、半ば無意識に、声をかけていた。

「ムンクさん!」

「礼ならば、無用だ」

「違います。オレがなぜ帝国に行こうとしていたか、本当のことをお知らせしたかったんです!」

「・・・本当のこと?」

 嘘を吐くことは神の教えに背く。

 だが、ペールにはもう神などどうでもよかった。神も、この世も、どうとでもなればいい。

 めちゃくちゃにしてやる!

 そんなわけのわからない理不尽な思いに駆られた。

 なぜだか、そんな想像をめぐらすと、気がスーッと、晴れた。

 そうだ。全て、めちゃくちゃにしてやる!

「そうです、ムンクさん。

 バロネンに、ノルトヴェイトさまに危機が迫っているんです!」

「なんだと?」

 ムンクは、ゆっくりと振り向いた。

「ノルトヴェイトさまの従者は、あれは、ニセモノです! 王国の諜報の手の者と密会していました。もしかすると、ノルトヴェイトさまを快く思わない、皇太后の手下かも。

 だからオレは、それを、バロネンの危機を帝国に知らせに行こうと・・・」

 ムンクの大きな、黒い影が藁の褥に身を起こしたペールに近づいた。

「・・・もう一度、説明しろ! きちんと。筋道を立てて!」

 

 ペールは、もう後へは引けないウソをついてしまった。

 もっとも、全てがウソではなかった。彼が無意識に吐いた出まかせの一部には真実も含まれていた。

 ノール王国転覆を企てるアニキこと「もぐら」の計画。

 それを阻止しようと計画したグロンダール卿と帝国のウリル機関。そして送り込まれたエージェント・ヤヨイと彼女が偽装している「ノルトヴェイト家」の伝説。

 そうとは知らずに王家存続の障害になると思い込み、ノルトヴェイト抹殺を果たした皇太后。

 

 その全ての真実を知らぬまま、ペールはパンドラの函を開けてしまった。

 それはつまり、ハーニッシュ30万の一斉蜂起を意味していた。

 一度動き出せば、それはもう誰にも止めることはできない。


 
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