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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

60 ヤヨイの運命、雨の暗闇を彷徨うペール

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  何時間経ったのか。それすらも、わからない。

 ヤヨイの陥った絶望的な状況に変化はなかった。

 腐肉を漁っていたネズミの群れは壁の床との境目に一か所だけ開いた小さな穴から這いこんで来たもののようだった。

 咄嗟(とっさ)に持っていた死者の松明を投げた。カラカラに干からび、かつ、まだ十分に脂分を含んでいたミイラ状の遺体はその黒い服と共に、よく燃えた。そのお陰か、ネズミたちはこぞって穴の向こうに逃げて行った。

「ごほ、ごほ・・・、おえ・・・」

 もう、と煙が上がり、悪臭がより一層ひどくなった。上着を脱いで切り裂き、それで顔半分を覆った。気休めだが、今はこれが精いっぱいだ。

  壁の石積みにはどこにもスキマなどはなかった。ネズミの穴以外には。

 不思議に煙は充満しなかった。暗くてわからないが上へ登ってゆくように見えた。ということは、ネズミの穴から入ってくる空気はどこかに、たぶん上の方へ抜けていくのだ。温められた暖かい空気と一緒に。

 もしかして、この煙がこの「地下牢」の存在を後宮や王宮に知らしめるかも。

 そんな期待を持たないでもなかったが、その前に煙で窒息して燻製になってしまう恐れの方が大きいような気がした。

 それに、仮に燻製にならなくても、不幸な黒衣の遺体はいつかは尽きる。その時は・・・。

 しかし、とりあえず今はこれしかやりようがない。


 ひとりぼっち、か・・・。

 久しぶりだな。

 小学校を卒業して母の許を離れリセに入ったとき以来か。でも、あれは寄宿舎。他の子たちと相部屋だった。じゃあ、大学に入った時? それも、初めての一人部屋だったけれど、級友たちはいたし、寂しくはなかった。むしろ、どこか孤独を求めて夜屋根の上に登って星空を見上げながら宇宙旅行の空想をしていたぐらい。徴兵されて、エージェントになってからも、一人で星空を見上げるのは好きだった。

 だけど、これは、全く違う。

 

 ウリル機関に入ったとき、様々な諜報に関する教育を受けた。

 その中に、絶望的、危機的状況に陥ったときの心得、のようなものもあった。

 ネガティヴになりがちな思考を止め、常に助かる方法を考え続けるのだ、と。

 しかし、次第にそれにも疲れてきた。


 

 このまま干からびて、いつかはネズミのエサになるのかな・・・。

 だとしたら、あまりにもひどい死に方だな。

「誰かあ! 誰もいないの? 誰かあ! 」

 何度目かになる叫びは、残響と共に頭上の暗闇の虚空に消えただけだった。

 さしものヤヨイも自棄に襲われた。

 なら、いっそのこと・・・。

 奥歯に仕込んだ毒薬を思った。幸い、ポケットには固いライターがある。それを奥歯に入れて強く噛めば、たった30秒ほどで、この惨めな境遇から抜け出すことができる。

 だが、早い。捨て鉢になるには、まだ早い。

 ヤヨイは自分に言い聞かせた。

 ああ、タオに会いたい! 

 タオ!・・・。

 タオのことを思うと、自然に涙が出た。

 不思議だな。

 今回の任務は、泣いてばっかりだ。


 


 

 


 


 

 ペールは走った。

 雨のぬかるんだ道を、夜通し、馬を駆った。

 走りながら、考えた。

 ノラのバカ!

 まず最初に、それがあった。

 なぜオレの言うことが聞けないんだ! 

 オレがビッグになれば、お前だって幸せになれるのに!

 次に、アニキに腹を立てた。

 どうしてオレの言うことを疑うんだ! 

 あんたのために、人殺しだってした。アイツは、あのアクセルとかいうやつは、絶対に怪しい! それを教えてやったのに! オレよりも、あんな昨日今日あったばかりのヤツを信じるなんて!

 もう全てがどうでもいい。どうなってもいい。

 ノールなんか、くそくらえ、だ!

 夜通し走って、黒毛もよく耐えていた。

 だが、冷たい雨の中の騎行は黒毛から気力を奪っていった。

 スピードが落ちた。

「おい! どうしたんだ。ガンバレ! おい!」

 やがて、止まった。どんなに腹を蹴っても、黒毛はもう動かなくなった。ペールが降りると、黒毛は頽れた。雨に打たれながら、黒毛は震えていた。

 ふと、あたりを見回した。

 降り続く雨の暗闇の中に、うっすらと黒い影が見えた。というよりも、無数の黒い影たちの中に、ペールはいた。

 そこは、かつて彼が生まれ育った、村だった。
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