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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

53 アクセルとヤヨイに訪れた危機

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 こぽこぽこぽ・・・。

 降り続く雨の音が満ちた薄暗い従者控室に、ティーポットから何杯目かになる冷めたお茶を注ごうとしたペールは、ふと窓の外に目を留めた。

 この雨の中、トリコーヌの男が一人広場を横切っていくのが見えたからだ。

 あれは、アクセルじゃないか。

 まだバロネンは中、国王との逢瀬中だろう。

 なのに、一人でどこに行くんだ? 従者のくせに・・・。

 なにか、胸騒ぎがした。

 自分もまた、トリコーヌをつかんで控室を出ていた。

 アニキには女男爵に付いていろとは言われた。だから、帝国から来た男装の麗人が戻るまではここで待つのが彼の役目だ。

 でも、アニキに拾われてから、彼の僕(しもべ)であることを忘れたことは一度もない。

 その、僕(しもべ)としてのカンが、何かおかしい、と言っていた。

 主人が他家を、しかもこのノール王国の国王の宮殿を訪問中の、その主人を置いて従者だけが一人で出ていくなど、フツーあり得ない。しかも、この雨。

 城門はいつも開かれ、掘割にかかる跳ね橋は常に下ろされていた。番兵はいるが、城門を出入りする者をいちいち捕まえて詮索するなどなかった。

 国境を接する帝国は友好国だし、たびたび越境してくる北の野蛮人は千数百キロのはるか北のかなたにいて陸軍が常に睨みを利かせていた。街で革命騒ぎを起こす輩(やから)もいる。それを焚きつけているのがペールたちなのだが、彼から見てもノールの大衆はじれったいほど大人しく、徒党を組んで王宮に押し掛けるなどという蛮行は一度もしたことがない。

 だから、王宮の広場から城門の外への出入りは自由だった。

 アクセルという従者は、王宮前広場を足早に横切り、城門の外へ出てゆこうとしていた。

 トリコーヌのへさきから雨のしずくを垂らしつつ、気づかれぬよう、ペールは彼を追った。

 マントを着てくればよかったな・・・。

 城門を出たアクセルは、旧市街のレンガ造りの官庁街、雨に濡れる石畳のペイヴメントを歩いてゆく。

 雨空の下、まだ昼間だというのに、官庁街にはもうガス灯が灯っていた。

 ハーニッシュを追放されて、初めて王都に来た時、このガス灯に驚いたのを懐かしく思い出す。

「石炭を「少量の酸素」と「熱」を加えて蒸し焼きにすることで、一酸化炭素(CO)と水素(H2)を主成分とする「燃料ガス」が生成される」

 この技術は帝国から導入したと聞いた。今を去ること約1000年前の旧文明では20世紀の初め、1920年代にすでにこの「石炭ガス化」を実現できていたという。

 幸いにノールはかつて「シベリア」と呼ばれていた土地にある。石炭が豊富に採れ、帝国にも輸出している。

 文明を享受し、それで商売をして潤うノールと帝国。

 その現実を知ってしまうと、両大国の狭間にあって、大昔の暮らしにこだわり、文明を拒否し続けて生きるハーニッシュが、とても惨めに思えたものだ。

 と。

 そのガス灯とガス灯の間の暗がり、庁舎のレンガ壁の間に、アクセルの影がふっと吸い込まれたのに気付いた。

 ここまで来て見失うのはバカげてる。急いで彼を追った。

 後をつけているのを知られるのはマズい。だから、狭い路地を垣間見ただけで通り過ぎたが、それはしっかりと目に焼き付けた。

 主人を置いて一人王宮を抜け出したアクセルは、得体のしれない男と、話をしていた。

 あれは、誰だ?


 

 


 

 大聖堂の告解室に入った。

 アクセルは、少し、ハラが立っていた。


 

 庁舎のレンガ壁のところに立っていたのは、ハーニッシュの里からの帰り道で街道沿いの居酒屋の前に立っていたのと同じ男だった。しかも、酔いどれの無宿者の変装も同じというお粗末さ。

 あんな官庁街に無宿者なんか居ちゃ不自然過ぎるだろう!

 しかも、王宮にめっちゃ近いし!

 せっかく、やっと「もぐら」が近づいてきたというのに、これでは全てが水の泡になってしまう!

 生まれてからずっと帝国にいたアクセルは、ノール秘密情報部の「眠れるアセット」だった。だから直接会ったことはないが、アンドレとかいうグロンダール卿の部下は、少しアホなんじゃないかと思う。

 だから、その「無宿者の」連絡係には苦情を言った。だけでなく、「もぐら」が接近してきたことも伝えた。

「だから、あんまりウロチョロするな。ヤツにバレて失敗しても、知らんぞ!」

 そう、脅しもかけておいた。


 

 カーテンを引き、ひざまづき台に膝をつき、格子の向こうに司祭が現れるのを待ちながら、祈るフリをしてアホな同僚エージェントに対する怒りを鎮めた。

 まず、ここで来るのは大聖堂付きの司祭か修道院の修道僧で、いきなり「もぐら」ではないだろう。

 指輪を見せ、取次を頼む。大聖堂か、何処かへ案内され、そして・・・。

 この後に展開するであろう成り行きを予想しつつ、告解に現れる僧を待っていると、ふいに背後のカーテンが開かれた。

 他人の告解を妨げるのは法には触れないがクリスチャンとしてあるまじき暴挙になる。キリスト教国ノールにも、そんなバカが増え始めたのだろうか、と振り向いたアクセルの前に、トリコーヌから雨のしずくを垂らし青いコートをぐっしょりと濡らした若い紳士が立っていた。

「アクセルさん。バロネンを放って、こんなところで何をしているんですか?」

 ペールの帽子の下の青い瞳は猜疑に満ちていた。


 


 

 先日同様。

 2、3の侍女に10歩ほど後ろに着かれているからとはいえ、あいにくの雨模様だからとはいえ、ノール王宮自慢の美しい中庭をめぐる回廊を、せっかく二人きりで散策しているというのに、スヴェン27世は、無口に過ぎた。

 いや、それは正しい表現ではない。

 正確には、無口なのではなく、きっと、ものを言い出しかねているのだ。

 本当は、もっと語りあいたいのに違いない。もっとたくさん、もっと深く、ヤヨイ扮するイングリッドとわかりあい、近しい間柄になりたいのに違いない。「あわよくば」、はもちろん、あるだろう。

 その証拠に、うつむき加減ではあるものの、時折ヤヨイを伺う彼の貌は赤く燃え、その瞳は、まるで中庭に降り続くこの篠つく雨も全て蒸発させてしまいそうなほどに、熱く潤んでいた。

 現実のヤヨイは、つい一年ほど前に心から愛した男を自らの手で撃ち殺してしまったことに深く苦しみ、そこから立ち直って結婚もし、今は早くも結婚生活の暗礁に乗り上げて夫婦の間の覚めた空気を持て余してもいる、一児の母である。まだ齢(よわい)21ではあるものの、早くも文字通りの生死の狭間を、数々の修羅場をくぐりまくった人生の先輩でもあった。生まれてこの方ずっと王宮という温室の中で大事に大切に育てられたティーンエイジャーの男子の胸の内などたやすく見透かせる。

 でも、これは、任務なのだ。

「もぐら」を無事仕留めるまでは、付かず離れず。しかも、この若き国王はノールにとって貴重な未来でもあるのだから。

 ヤヨイは、「ただ一途に『お家再興』を夢見る、いささか世情に疎い、かつてのノール貴族の末裔の帝国貴族」を演じねばならない。

「あの、陛下・・・」

「ん、な、なんだね、イングリッド!」

「こんな折に不躾とは存じますが、折り入ってお願いの儀が・・・」

「なな、なんでも! なんなりと申されるがよい! 余に出来得ることならば、なんなりと!・・・」

「お陰様で陛下の御威光を持ちまして、この度のノール訪問の目的であった先祖の墓参と、わが一族の頭目であったクラウスが関わりましたハーニッシュ族の方々との懇談も叶いました。

 これ以上の望みを持つのはもしかすると神の御怒りを誘ってしまうやに思われて恐縮していたのですが、陛下のお優しきお人柄に接し、それに甘えたくてたまらない心地がしているのでございます・・・」

「いい! いいよ! 

 遠慮はいらない。もっと甘えてくれよ!」

 10歩後ろに侍女たちが控えているにもかかわらず、ノールの若き君主は一も二もなく激しく被りを振った。

 ヤヨイは、申し出た。

「もうお察しかとは存じますが、わたくしと我が一族の宿願は、『いつの日かこのノールにノルトヴェイト家を再興する』、の一事なのでございます。

 願わくば、もし、それが叶いまするならば、この上なき喜びに他ならないのでございます。ですが、これほどに歓待をいただき、なおかつさらなる我がままを申し上げる無礼を顧みますと、あまりにも畏れ多いことにて・・・」

 我ながら、上手く言えた♪

 では、反応は、如何に?

 ぶっちゃけ、そんなのわたしにはどっちでもいいのよ、スヴェン。

 これは、「演技」なんだから。

 ノルトヴェイト家なんかどうなろうと、この作戦にはこれっぱかしもカンケーないし、わたしが知ったこっちゃないんだから・・・。

 そんな内心を幾重にもひた隠し、ただただひたむきな望みを打ち明ける旧ノール貴族の末裔を演じるヤヨイに、若き君主は、応えた。

「それは、わかっていた。余の周囲の者はみなそう言っていた。はるばる帝国からわがノールへ来られたそなた、イングリッドの切なる想い、願いは、その一事、その一点にある、と。

 余も、そなたの願いを叶えてやりたい! その思いは同じなのだ、イングリッド!

 ただ・・・」

 そのとき、お付きの侍女とは違う女官が二人の背後からまかりでた。

「陛下、ご歓談中大変に申し訳ございませんが、皇太后陛下がバロネン・ヴァインライヒ様をお召しになっておられます」

 そう。

 この若き国王はその女に逆らえない。

 そしてヤヨイもまた、その女を無視できない。

 その女、皇太后ソニアが、ヤヨイ扮するヴァインライヒ女男爵、ノルトヴェイト家の末裔を抹殺せんと企んでいるとしても。すでに「もぐら」が接触してきて、任務のクライマックスがやってきたのを知ったとしても、だ。

 皇太后と大司教、そして「もぐら」の関係を暴くこともまた、ヤヨイの任務だったから。

 仕事の時がやってきた。


 

「こちらにございます、バロネン・ヴァインライヒ」

 その黒髪の女官は汗かきなのだろう。

 燭台を手にした、かすかに汗のにおいがする中年にさしかかった女に導かれ、ヤヨイは後宮へ向かった。

 だが、なぜか地下へと誘われていた。

「いささか遠回りになりますが、これが近道なのでございます」

 ヤヨイの疑問を感じてか、女官はそんな言い訳をした。

 たださえ雨模様の、さらに王宮の地下に降りると石積みの壁の通路は壁のブラケットの蝋燭の灯りなしには暗すぎるほどだった。しかも、うすら寒くもある。壁は地下水が染み出しているのか濡れ光り、壁から伝い落ちた水が心なしか石を敷き詰めた床まで濡らしていて、こころなしか、ヌラヌラしていた。

 なぜこんな通路を歩かせるのかとは思った。「もぐら」の言が正しいなら、ここでわが身を弑しようというのか。どこかから刺客が躍り出てきて・・・。

 そんな想像もしたが、

「そうですか・・・」

 と、応えておいた。

 すると・・・。

 なぜか急に、前を行く女官が小走りに走り出した。

「あの、ちょ・・・」

 女官を呼び止めようと口を開いた刹那、急に足元がなくなった。

 え?

 咄嗟に下に向かって傾いた床に手を着いたが、ヌラヌラした床を掴むことができなかった。
  
  ヤヨイの体は重力の法則に忠実に、王宮と後宮をつなぐ地下通路の床にぽっかりと開いた穴に滑り落ちた。

 その穴はつい先日、後宮費を搾取したベアーテという女官が落ちたと同じ穴だったが、暗黒の奈落の底に落ちてゆくヤヨイには、知る由もなかった。
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