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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
51 若き国王の滾(たぎ)る欲望と、皇太后の激しい怒り
しおりを挟む「先だって謁見を賜ったばかりですのに、こうしてまたお目見えをお許し頂きましたこと、誠に望外の事にて、ただただ感激、感謝致しております」
「そ、そうか・・・。バロネンにお喜びいただけて、よ、余も、まことに、祝着である・・・」
ぎこちない挨拶。形ばかりの儀礼の応酬。
そんなの、もううんざりだ!
ぼくは、ぼくは・・・。
イングリッドともっと近しい間柄に、友達に、いや、もっと、それ以上の深い仲に、なりたいんだっ!
だが・・・。
家臣たちが居並ぶ中でとはいえ、謁見の間で会ったときはもっと近い距離で話せたのに。それなのに、今はそれ以上の距離。10フィートもかなたのソファーに座ってるキミと話さなきゃならないなんて!
しかも・・・。
非公式とはいえ、国王付きの女官や侍従が1ダースも控えている、懇談の間。
もちろん、仰々しい装飾も、その度合いは謁見の間に比べればはるかに簡素ではある。
謁見の間のように公式な面会ではなく、国王がごく私的に臣下やお目見え以上の市民と話をするための部屋だ。
しかし、それでもスヴェンには不満だった。
まだ16歳の若き国王の奥底では、君主としての鷹揚さを演じねばならぬ責務よりも、ティーンエージャーの抑えきれない欲望と激情を解き放ちたい思いのほうが勝った。
もっと近づきたい!
できるなら、その美しい手を取りたい!
そのグレーの愁いを帯びた瞳を、ぼくだけのものにしたいんだっ! ・・・。
ゆえに、スヴェンは居たたまれなかった。10分と居られるものではなかった。
「あの、バロネン、いや、イングリッド! その、あの・・・、
も、もしよかったらであるが、その、な、中庭を巡る、か、回廊を歩かぬか? その、あいにくの、雨であるのだが・・・」
気が付けば、そう持ちかけていた。
「ええ! もちろんですわ、陛下! ノール王宮ご自慢の美しい中庭を一度拝見いたしたく存じておりました! 」
帝国生まれの秀麗なノール美女は、あまりにも無邪気に応えてくれた。
それが、スヴェンをして若鳥の羽のように宙に舞い上がらせ、その若い欲望を、さらなる高みに押し上げた。
吉報を待ちながら、自室であるアフロディーテの間でタローカードで暇をつぶしていた皇太后ソニアは、出る札が何度繰り返しても彼女の意に添わぬものばかりなのに業を煮やし、歯ぎしりを重ねていた。
出る札のことごとくが逆位置。
たまに正位置が出たと思いきや、大アルカナ、塔のカード!
高い塔の上に神罰のごとく雷が落ち、炎に包まれ、王冠は吹き飛び、人が真っ逆さまに落ちて行く。カードの意味は「困難、苦境、崩壊、破滅」・・・。
そして気を取り直して再度試みた何度目かの札が、「審判」だった。
羽の生えた天使がラッパを吹く。その下に跪き、審判を受ける人々の画が。
だが、やはり、逆位置!
正位置ならば、「復縁」や「寄りが戻る」、「努力が報われる」、「目標の達成」。
だが、逆位置ならば、最悪だ。
「支援を受けられず、挫折」!
「間違いに気づかず、意地を張って大損」!
「実力以上のチャレンジで失敗」!
そして・・・。
「返り討ちに遭う」!
チッ!
やんごとなき、ノール王国の高貴な皇太后ともあろう者が、舌打ちなど。
しかも、
「キイイイイイイイッ!」
奇声を発し、カフェテーブルの上の、意のままにならないカードを全て薙ぎ払い、床に落とした。
ええいっ!
知らせはまだかっ!
あの女が死んだという知らせは!
大司教ご推薦の「刺客」とやらはどうしたのだ?!
いったいどうなっているのだ!
思わずヴェンケを呼んでしまいそうになったが、あの小うるさい女官長など呼べるべくもないと自制した。
憤懣、やるかたなし!
その辺のものに八つ当たりしそうなほどにムカムカしているところへ、
「陛下! たいへんでございます!」
聞きなじみの女官の声がした。
もしや、「吉報」か
「何用ぞ!」
「至急皇太后陛下の御耳に入れたき議が・・・」
声の主は、去年後宮に入って来た、女官長ヴェンケの部下となる、ソニアよりも年嵩の、目つきのイヤらしい女だ。
聞けば身分も卑しく素性も確と知れぬ。が、このところ後宮の侍女が相次いで出奔したりで人手不足が続いていた。その原因の大半がソニア自身の横暴とワガママのせいだったのだが・・・。それで、ヴェンケの反対を押し切り、強引に採用した女であった。
その女、名前をリンダという。
だが、この女。
ソニアが痒いところに手が届く、小うるさいヴェンケに内密にしたい事柄に他に知られぬように精通し、ソニアの望むがごとくに事を密かに運んでくれる得がたい存在となっていた。ゆくゆくは小うるさい女官長に代えて昇進させたいとまで目をかけてきた、なにかと重宝する女なのだった。
「苦しゅうない! 入れ!」
黒髪のリンダが、息せき切ってスルリと皇太后の居室に這入って来た。
この汗かきの女の臭いはいささか鼻につく。しかもその才覚たるや切れ者であるヴェンケの半ばにも及ばぬ。
だが、小うるさい女官長のように要らぬ詮索も諫言もしないし、ソニアの言うことには絶対服従。しかも恐らくは後宮一口が堅い、とソニアは踏んでいた。
彼女が、ヴェンケをはじめ他の女官たちの中で孤立していたからだ。
つまり、この女は女官たちの中の「鼻つまみ」者なのである。
だがこういう女は、使いようであるのをソニアは学んでいた。少し優しくしてやれば、犬のように尻尾を振り素直にすり寄って来る。
リンダは、言った。
「陛下! たいへんでございます!」
「たいへん、はもう聞いた。何事であるか! 早く要点を申せ!」
「中庭を、ご覧くださいませ!」
「中庭? 中庭がどうした」
「と、とにかく!」
たださえ気分が悪い。その上に雨の降り続く中庭など見れば余計に憂鬱な気分になるではないか! ソニアは憤懣を隠しもせずに窓辺に立った。
と。
打ちつける雨が流れる窓ガラスの向こう。中庭をめぐる回廊に二人の紳士の姿が。
激しい雨にも拘わらず、ソニアは窓を開け放った。
途端に振り込んで来る雨粒を避けつつ、彼女が目にしたのは有りえぬ光景だった。
紳士の一人は我が息子、スヴェン。
そして、いま一人は・・・。
「・・・なぜじゃ!」
思わず声が口を吐いて出た。
「なぜにまだあの女が生きておるのか!」
いま一人の紳士は、控え目な色ながら、気品のあるコートに身を包んだあの帝国の、男装の金髪の令嬢だったのだ!
中庭に降り続く雨の向こう。美しいブラケットの灯りが照らす庇の下の回廊を、ふたりは、5、6歩ほど離れた後ろに二三の侍女を引き連れてはいるものの、時折顔を見合わせては親し気に、仲睦まじげに歩みを進めていた。
「陛下、お声が・・・」
リンダは窓を閉めた。
歯ぎしりする皇太后ソニアは、豪奢なビロードのカーテンの金モールのタッセルを掴み、怒りを込めて引き千切り、濡れた床の上に激しく叩きつけた。
「・・・陛下。・・・皇太后陛下。あの、もしよろしければ、・・・わたくしめが」
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