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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。
43 愛ゆえに、男は女を打ち、愛ゆえに、女は男を包む
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深夜、ノラは馬を駆った。
イングリッド様がお召しになった栗毛を無断で拝借し、そぼ降る雨の中を、走った。
王都での騎乗は初めてだったが、そんなことは言っていられない。夜となれば真っ暗闇になるハーニッシュの里とは違い、街路にはそこかしこに明かりがあったのが救いだった。それに、ペールが全速を出していないのにも。
おかげで、はるか先を行く黒毛に跨るペールの青いコート姿が何とか見えた。
手綱を握りつつ、さっき打たれた頬に触れた。
さっき、屋根裏部屋の窓からペールが帰って行った。
ノラは初めて愛する男の求めに逆らった。
「バロネンは何か言ってた?」
ペールの問いに、ノラは答えなかった。
「なあ、バロネンは、ヴァインライヒ様は何か言っていたかい?」
「・・・言いたくないわ」
「なんだって?」
「もう、あのお方を欺くようなことはしたくない! 」
「なにをっ!」
ペールはノラの頬を打った。
「きゃっ!」
ノラは屋根裏部屋の床に倒れた。
「もう一度訊く。帝国の女男爵は何か言っていたか?」
「ペール!」
打たれた頬を抑えつつ、でも、ノラは怯まなかった。まっすぐに、愛する男を見上げ、見据えた。
「あのお方のお優しさが、わからないの? ペール! 追放されたわたしたちのことをあんなにも深く思って下さっている、あのお優しいお心が!」
「声が大きいよ」
「イングリッド様はね、いつかノールにお家を再興出来たら、わたしたちをお雇い下さるとまで言って下さったのよ! イングリッド様の従者としてなら、里に出入りが許されるから、って! それなのに・・・」
さらに力を籠め、ノラは言い放った。
「神もおっしゃっているわ! 『欺くことをする者はわが家のうちに住むことができぬ。偽りを言う者はわが目の前に立つことができぬ』、と」
聖書の、詩篇第101編7節にその言葉がある。
「目を覚まして、ペール! もうあの人と会うのはやめて! 」
ノラから目を背けていたペールは、天窓に手をかけた。
「・・・どうしようもないな」
と、ペールは言った。
「恋人のおれよりも、外国の女の言葉の方を信じるなんて」
「違うわ!」
ノラは、立ち上がった。
「わたしは今でも、神のしもべ。
あなたと一緒に、神の手に抱かれたいのよ!
あなたと一緒に、神の国に入りたいのよ!
あなたが大切だから!
あなたを愛しているから!
どうして、それがわからないの!」
だから、ノラはペールを追っていた。
その、ペールが「アニキ」と慕う、革命などという物騒なことに関わっているらしい男の居場所を突き止め、そのいかがわしい男の許からペールを救い出さなくては!
愛は偉大だ。
愛は、馬に慣れてもいない田舎娘に手綱を取らせ、冷たい雨の中、危険な夜の騎行までさせるのだった。
絶対に、目を覚まさせる! 絶対に、ペールを救い出す!
ノラには、その一念しかなかった。
潮の匂いがしてきた。
いつの間にか、波止場の近くまで来ていた。入り口にカンテラの灯された、同じようなレンガの建物が並ぶ。人通りの絶えた、暗い家並み。
倉庫街か・・・。
と。
黒毛を止め、ペールの青いコートが下馬したのが見えた。
ノラもまた馬を降りた。建物の陰に栗毛を引き入れ、鼻ずらを撫でた。栗毛は大人しかった。
「ごめんね。すぐに戻るから、ここで待っていてね」
ガス灯の支柱に手綱を結び、陰からペールの後姿を窺った。「13」と書いてある倉庫番号。そのドアが開き、ペールが入ったのを見た。
あそこだ!
愛しい恋人の姿を追って、彼女もまたその「13番倉庫」に入るべく、暗がりから踏み出した時だった。
ふいに背後から襲われ、顔に布を当てられたところまでは覚えていた。
そこから、ノラの意識は、暗闇の中に遠のいた。
イングリッド様がお召しになった栗毛を無断で拝借し、そぼ降る雨の中を、走った。
王都での騎乗は初めてだったが、そんなことは言っていられない。夜となれば真っ暗闇になるハーニッシュの里とは違い、街路にはそこかしこに明かりがあったのが救いだった。それに、ペールが全速を出していないのにも。
おかげで、はるか先を行く黒毛に跨るペールの青いコート姿が何とか見えた。
手綱を握りつつ、さっき打たれた頬に触れた。
さっき、屋根裏部屋の窓からペールが帰って行った。
ノラは初めて愛する男の求めに逆らった。
「バロネンは何か言ってた?」
ペールの問いに、ノラは答えなかった。
「なあ、バロネンは、ヴァインライヒ様は何か言っていたかい?」
「・・・言いたくないわ」
「なんだって?」
「もう、あのお方を欺くようなことはしたくない! 」
「なにをっ!」
ペールはノラの頬を打った。
「きゃっ!」
ノラは屋根裏部屋の床に倒れた。
「もう一度訊く。帝国の女男爵は何か言っていたか?」
「ペール!」
打たれた頬を抑えつつ、でも、ノラは怯まなかった。まっすぐに、愛する男を見上げ、見据えた。
「あのお方のお優しさが、わからないの? ペール! 追放されたわたしたちのことをあんなにも深く思って下さっている、あのお優しいお心が!」
「声が大きいよ」
「イングリッド様はね、いつかノールにお家を再興出来たら、わたしたちをお雇い下さるとまで言って下さったのよ! イングリッド様の従者としてなら、里に出入りが許されるから、って! それなのに・・・」
さらに力を籠め、ノラは言い放った。
「神もおっしゃっているわ! 『欺くことをする者はわが家のうちに住むことができぬ。偽りを言う者はわが目の前に立つことができぬ』、と」
聖書の、詩篇第101編7節にその言葉がある。
「目を覚まして、ペール! もうあの人と会うのはやめて! 」
ノラから目を背けていたペールは、天窓に手をかけた。
「・・・どうしようもないな」
と、ペールは言った。
「恋人のおれよりも、外国の女の言葉の方を信じるなんて」
「違うわ!」
ノラは、立ち上がった。
「わたしは今でも、神のしもべ。
あなたと一緒に、神の手に抱かれたいのよ!
あなたと一緒に、神の国に入りたいのよ!
あなたが大切だから!
あなたを愛しているから!
どうして、それがわからないの!」
だから、ノラはペールを追っていた。
その、ペールが「アニキ」と慕う、革命などという物騒なことに関わっているらしい男の居場所を突き止め、そのいかがわしい男の許からペールを救い出さなくては!
愛は偉大だ。
愛は、馬に慣れてもいない田舎娘に手綱を取らせ、冷たい雨の中、危険な夜の騎行までさせるのだった。
絶対に、目を覚まさせる! 絶対に、ペールを救い出す!
ノラには、その一念しかなかった。
潮の匂いがしてきた。
いつの間にか、波止場の近くまで来ていた。入り口にカンテラの灯された、同じようなレンガの建物が並ぶ。人通りの絶えた、暗い家並み。
倉庫街か・・・。
と。
黒毛を止め、ペールの青いコートが下馬したのが見えた。
ノラもまた馬を降りた。建物の陰に栗毛を引き入れ、鼻ずらを撫でた。栗毛は大人しかった。
「ごめんね。すぐに戻るから、ここで待っていてね」
ガス灯の支柱に手綱を結び、陰からペールの後姿を窺った。「13」と書いてある倉庫番号。そのドアが開き、ペールが入ったのを見た。
あそこだ!
愛しい恋人の姿を追って、彼女もまたその「13番倉庫」に入るべく、暗がりから踏み出した時だった。
ふいに背後から襲われ、顔に布を当てられたところまでは覚えていた。
そこから、ノラの意識は、暗闇の中に遠のいた。
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