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第四部 ついにもぐらとの死闘に臨むマルスの娘。そして、愛は永遠に。

39 何かを、掴んだ。

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 夕刻が過ぎ、曇り空は、しくしくと泣き始めた。

 ノラは館の前の街路に立っていた。イングリッド様についてハーニッシュの里に行ったペールが、心配だったのだ。

 ノラが知っている限り、今まで里を追放になった者はそう多くはないが、いずれも理由の如何を問わず再び里に受け入れられることはなかったと。

 神への冒涜に値する言葉や行いが無ければ、怒ってはならない。

 掟があるから殴られたりはしないはず。

 でも、村の境界から一歩足を踏み入れるや無言で取り囲まれて動けなくなる。何を口にしても無視され、無言で睨みつけられる。そんな冷たい応対は追放された者が背を向けて村を出て行くまで続けられるのだ。

 血を分けた兄弟や、命を授かった親でも、慈しんで育てた子であっても。一切の例外はない。

 ノラの知る限り、追放された者に対する里の仕打ちは、そうなる。

 だから、待っていた。

 しとしとの雨が、次第に強くノラの頬を打つようになっても、待っていた。

 どこまでも優しいノラは、愛するペールの心の痛みを自分のものにしていた。

 でも、もしかすると・・・。

 イングリッド様と一緒に行ったことで、里は、ペールを受け入れてくれるかも。

 そこに一縷の望みを抱いていた。

 ペールは、受け入れられたのだろうか。

 街路から見える勝手口からマッタの声がした。

「ノラ! 旦那様のお使いが戻った。もうすぐイングリッド様がお戻りになるよ。お風呂に入られるから御仕度をし! 」

「はあい!」

 ペールはまだ戻らない。

 でも、務めは果たさねば。

 不安を幾重にも心の中に折りたたんで、ノラは館の中に戻った。

「帝国の方は温かいお湯を張った湯船に浸かられるのがお好きなんだとか。たんとお湯を沸かして湯船を満たすんだよ」

「はい、わかりました」

 ノラはバスルームに急いだ。

 すると。

 旦那様のお着きィ~!

 門番や庭師たちが触れ回る声が聞こえた。

 バスルームに行きかけたノラの脚は、いつの間にか館のエントランスに向かっていた。


 


 

 振り始めた雨に打たれながら。

 ヤヨイ扮する「バロネン・ヴァインライヒ」とその一行は、首都オスロホルムのゴルトシュミット邸に帰館した。

 エントランスの車寄せ。雨除けの軒下で一行は下馬し、雨に濡れたマントを脱ぎ、主人の帰館で駆けつけた厩番に手綱を渡した。

 館の主であるゴルトシュミットからは改めて熱烈な賛辞を受けた。

「素晴らしい! 

 近衛の兵の前では控えていましたが、これでハーニッシュは貴女の支配下に入ったも同然です! 」

 まだトリーコーヌから雨の雫を滴らせたまま。ノールの下級貴族であるゴルトシュミット卿の、爆発するような歓喜と滴る雫も蒸発させんばかりの熱情を受け止めるのにちょっと苦労した。

「あの者達の力を背景にすれば、名門ノルトヴェイト家の再興はもう成ったようなもの! さすれば、たとえ国王や皇太后と言えども、もう貴女に指一本触れることすら叶わないでしょう!」

 そのように再び手放しで誉めそやすゴルトシュミットの傍らでは、

「さようでございます女男爵様! いいえ、ノルトヴェイト様! 

 いずれ成りましょうノルトヴェイト家再興の折には、是非とも我ら旧家臣の子孫をお忘れなきよう! 再びノールに立つ『ノルトヴェイト公爵家』にご奉公させていただくのが我ら家臣末裔一同、代々の偽りなき夢でありますれば!」

 両手を組んで必死に願い出る旧家臣の末裔たち。

「皆さま、ありがとうございます。皆さまのお力添えで父祖の念願を果たすことが出来ました。何度も申しますが、神のお導きだけでなく皆さまの・・・」

 そして、やはりここでも今日何度目になるか忘れてしまったがお礼の言葉を述べた。

 無事作戦終了ともなれば、今しがた辞して来たハーニッシュの里の人々だけでなく、ゴルトシュミット卿やこの旧家臣の子孫たちの純粋な願いまでをも裏切らねばならないところが忍びないが、これも、任務だから仕方がない。

 はあ~・・・。疲れる・・・。

 そんなホンネを口に出せないのが、辛い所ではあった。

 グロンダール卿の組織との連絡のため、途中で別れたアクセルはまだ帰館していない。

 そしてペールは帰ると言う。

「ノラに会って行かないの?」

 バロネン・ヴァインライヒの付き添いに限ってハーニッシュの里に立ち入ることを許された。それを彼自身がノラに伝えれば彼女も喜ぶだろうに。そう思ったのだ。

「すいません。ちょっと行くところがあるので。イングリッド様、今日はありがとうございました」

 もう夜も更けた。それにこんな雨の中一体どこへ行くのかとは思ったが、ヤヨイもアクセルのもたらすであろう情報の方に気を取られていたからそれ以上の詮索はしなかった。

「ところでペール。あなた今何のお仕事してるの?」

 ノラを幸せにすると誓った、などというウソを吐いてしまった手前、そのぐらいは把握しておかなければ。

「はあ、いろいろです。ですが・・・」

 濡れそぼったトリコーヌ、三角帽子の下で伏し目がちに言い淀んだ彼の目の奥が光った。

「そのうち、いえ、もうすぐ、イングリッド様にもわかると思います」

「ん?」 

「では。今日は、ありがとうございました」

 なにやら意味深な言葉を残し、そぼ降る夜の雨の中、ペールは黒毛に跨ったまま屋敷を出ていった。

 まあ、いいや。

 とりあえず、ビショビショの服、脱ぎたい。早くお風呂入りたい!

 ・・・と。

 玄関前の屋敷の門灯の下で、そぼ降る雨に打たれながら門番と汚らしい格好の男がなにやら諍いをしているのが目に入った。

「ここはお前のような下賤な者の来るところではない! サッサと消えろ!」

「あんの~・・・。ここに帝国の女男爵様がいらっしゃると聞いただよ! おら、お伝えせねばなんねえ要件があるだ。ちっと呼んできてくんねえかなもし」

 ヤヨイも他人のことは言えないが、その汚らしい男の大きな声は、ひどく訛っていた。

 が、「帝国の女男爵」だって?

 いったい誰がこの男にそんなことを?

「何事だ、この佳き日に」

 見かねたゴルトシュミット卿が雨除けを出て門にとって返した。彼はチョッキのポケットからいくばくかの銅貨を取り出し、その訛りの酷い男に握らせようとした。

「旦那様、おやめ下さい。このような者、甘やかすとクセになりますよ」

 門番のグンダーの抗議をよそに、まだ興奮が冷めやらぬゴルトシュミットは男に銅貨を握らせた。

「よいのだ、グンダー。今日はこのゴルトシュミット家にとって特別な日なのだ。今日という日にわが屋敷に来た者には、おしなべて神の祝福が与えられるべきなのだ!」

 ゴルトシュミットの昂奮は、まだ収まりそうもなかった。

「おありがとうごぜえますだ・・・。やあ、こんなに! 今日は何てツイてる日だ! 酔っぱらった帝国の若衆から10エーレ貰ったばかりだってのに、またこんなに貰えるなんてよォ! こりゃまた酒場でしこたま飲めらァ!」

 酔っぱらった帝国の若衆・・・。 

 何気な言葉の切れ端、そのキーワードを聞き流すヤヨイではなかった。

 彼女も雨除けを出て男に近づいた。その汚らしい酔っ払いは急いで銅貨をポケットに捩じ込み、こう言った。

「やい、あんたが女男爵さんかえ?」

 男の息は猛烈に酒臭かった。

「おい、お前! バロネンに向かってなんて口の利き方しやがる!」

「いいのです、グンダー」

 ヤヨイはなおも居丈高になって浮浪のような男にくってかかろうとする門番を制した。

「あの、今あなたが仰った『帝国の若衆』って・・・」

「はい。アクセルって言ってやしたがね、その若衆がね、この先の酒場で酔い潰れちまっただよ。で、ゴルトシュミットさまのお屋敷の女男爵さまに迎えに来て欲しいってんで。おら、言伝頼まれただよ」

 間違いない!

「それはいけないわ! 」

 殊更に大袈裟に驚いた風を装い、厩番に引かれようとしていた栗毛を連れ戻して鐙に足をかけた。

「ゴルトシュミット卿! わたし、アクセルを迎えに行って来ます」

「いけませんバロネン! もう夜も遅くしかもこの雨です。わざわざ貴方が行かなくても。なんならこのグンダーなりに行かせましょう」

「いいえ、ゴルトシュミット卿。

 お言葉ですが、あんな者でもわたしにはかわいい幼馴染でもあるのです。きっと慣れない異国で緊張のし通しで、つい気が緩んだのでしょう。お恥ずかしい限りですが、わたしが参ります!」

「では私がお供仕りましょう!」

 どうしてもついて来ようとするゴルトシュミットを、何とか辛うじて押し切り、門番が差し出したカンテラを受け取って栗毛に跨った。

 門を抜けて少し離れたところで待っていると先ほどの酒臭い男が寄って来た。

「グロンダール卿の手の者です」

 ずぶ濡れの汚らしい男は言った。

 さっきまでの訛りはどこへやら。男はキビキビした完璧なノール語を話した。

「アクセルは貴女と別れた居酒屋の手前、市街の外れの『愛の巣』という逢引旅籠にいます。そこなら目立ちませんから」

 それだけ言うと、さっきまでの千鳥足など知らなかったように、サッとマントを翻した男は足早に立ち去った。

 よし、急がねば!

 ヤヨイは馬にムチをくれ、男が歩み去ったのと反対へ。今来たばかりの道を西へ戻るように向かった。

 

「なんと召使にお優しいご主人でありましょうねえ、旦那様」

 何も知らないグンダーは、大いに感服して傍らの旦那様に呟いた。

「主人を放りだして酒を飲み、しかも酔いつぶれて迎えに来い、とは! 

 従者の分際で、けしからん! 実になっとらん!

 今後のこともある。バロネンにはあの者の再教育か、人換えをお願いすべきだな」

 これも何も知らないゴルトシュミットは、雨の中暗闇を駆けて行くカンテラの灯りを見送りながら、鼻息を荒くした。

「あの、旦那様。イングリッド様は・・・」

 そこへ屋敷からノラが出て来た。

 車寄せやその周辺を見回したがイングリッド様もペールの姿も見えなかった。

「バロネンなら不届きな従者を迎えに行かれた!」

 ゴルトシュミットは憤然と言い放った。

「湯の用意は出来たか? 恐らくは芯から凍えてお戻りになるだろう。なるべく熱い湯を用意するようにな。ここでバロネンに風邪でもひかれては一大事だ」

「かしこまりました、旦那様。あの・・・」

「なんだね、ノラ」

 旦那様は、怒っていた。思わず気後れがした。

 今日のペールの様子がどうだったか。ペールはどこに行ってしまったのか。

 そんなことを訊けるような雰囲気ではないことは明らかだった。

「・・・いえ、なんでもありません」

 ああ、ペール!

 どこに行ってしまったの?

 お願い!

 今すぐわたしを抱いて! あなたの体を抱きしめさせて!

 あなたがきつく抱きしめてくれないと、わたしは、わたしは・・・。
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