ソルヴェイグの歌 【『軍神マルスの娘』と呼ばれた女 4】 革命家を消せ!

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第三部 歌姫は悲しい歌を歌う

22 プリマドンナのマルスの娘は静かに牙を研ぎ、国王の謁見に臨む。そして歌姫は悲しい歌を歌う

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 夜のとばりが降り、窓から見える新市街の街路にはノール特有の深い霧が立ち込めていた。点在するガス灯の灯りが朧月のように光を和らげ美しく見える。乾燥した気候のせいかなんでもハッキリクッキリ見えてしまう帝都にはない、幻想的な夜景。

 ヤヨイはしばしその美しい景色に魅入った。

 コンコン。

 ドアがノックされた。

「どうぞ」

「イングリッド様。お休み前のお飲み物は何がよろしいですか? 温かいショコラか・・・」

 戸口にメイドのノラが立っていた。

 透き通るような白い肌に美しい金髪をおさげにしたノラは、声もまた可愛らしい。

 そのノラが今日は今までのメイド服の代わりにこれまた可愛らしい、珍しい服を着ていた。

「ああ、ありがとう、ノラ。まあ、素敵な衣装ね。どうしたの?」

「ああ、これですか」

 彼女は嬉しそうに頬を染めスカートのすそをぴら、と広げてみせた。

「旦那様が下さったのです」

「まあ、ゴルトシュミット卿が?」

「はい。ノールの伝統的な民族衣装でブーナッドというのですが、わたし、着るのは初めてなんです」

 白い緩やかなブラウスの上に赤と緑の縞柄のベスト、そして床まで届くこれもゆったりした襞の多い白いスカート。編んだ金髪を背中に垂らした色白の可愛いノラにはその衣装がとても良く似合っていた。

「似合うわよ。とっても可愛いわ」

「あ、ありがとうございます!」

「温かいレモネードはあるかしら」

「ございます。では、お持ち致します」

 可愛い民族衣装だな。任務を終えて帝国に帰る時には是非土産にしたいものだ。

 さて・・・。

 ヤヨイは窓を閉めてレースを引いた。

 明日は、いよいよ王宮に乗り込む!

 そう自らに気合を掛け、グレーに偽装した碧眼に青白く冷たい光を湛えた。


 

 2時間ほど前、宮内省から正式に勅使が来て伝達を受けた。

 王宮の馬車で到着した勅使は、館の主ゴルトシュミット子爵の出迎えを受けて広間に通された。上座に佇立したプラチナのウィッグに黒の官服の勅使は、巻いた羊皮紙を広げ王の言葉を伝えた。ヤヨイもまた子爵と並び深く首を垂れて伝達を聞いた。

「貴、帝国貴族バロネン・イングリッド・マリーア・ノルトヴェイト・フォン・ヴァインライヒ殿におかれては、此度の我がノールへの来訪を王家を挙げて心より歓迎するとともに、余自ら親しく貴殿と歓談し夕餉を共にしたく、ここに正式に王宮へご招待いたすものなり・・・」


 

 いざ戦場へ。

 王宮に乗り込むにあたり、ここまでの情報を整理したほうがいいだろうと思った。

 まず、今回のターゲットは、コードネーム「Muldvarp 『もぐら』」という、正体不明の男だ。

 恐らくはノールの王家と国家の転覆を目論んでいる。この男をおびき寄せ、彼の真意を探り、最終的に抹殺するのがこのミッションの目的である。

 彼はノールの市民社会の各階層に深く浸透し、かつ自らは決して表に出ない。アクセルの属している秘密警察によれば、頻繁に変装し、身に危険が迫るのを察知するやすぐに姿をくらましてしまいとらえどころがない。一時は捕縛しかけたものの失敗したとアクセルは言っていた。

 手掛かりとなるのは「現代のラスプーチン」ノール正教会大司教のマレンキー・ウラジーミロヴィチ・イーブレーニヤと名乗る、怪しげな司祭だ。

「もぐら」がその活動資金の少なくない部分をこの司祭より得ているところまでは秘密警察も掴んでいる。その関係を探るのも任務の一つだ。

 だがこの「マレンキー」の後ろ盾が厄介だ。

 現国王の母であり絶大な権力を持つソニア皇太后。司祭が融通する「もぐら」の活動資金の一部は皇太后が王宮費を横流ししたものであることも調べがついている。容易にマレンキーに手が出せないのもその繋がりの故なのだ。

 それどころか、グロンダール卿率いる秘密警察は、表向き現王よりも皇太后に絶対の忠誠を誓っている。現国王であるスヴェン27世はまだ若すぎ、皇太后の身に追及の手を伸ばす段階ではないという判断なのだろう。「もぐら」抹殺後はその方針を改め大司教と皇太后の排除に乗り出す予定だというが、現時点ではまだ不可能。故にグロンダール卿は国外に、帝国の特務部隊の長であるウリル少将に助勢を求め、ヤヨイが派遣された、というわけなのである。

 ここまでが背景。

 で、「もぐら」がどのように目的達成のための戦略を組み立てているか、だが・・・。

 ノールの国内に、ノール国軍でも侮れないほどの戦力を持つハーニッシュというキリスト教原理主義と言うべき宗教を奉じる住民たちがいる。その数、推定で80万から100万。そのうち、銃で武装出来得る戦力としては20~30万ほどになるという。実に帝国軍正規兵全軍と互角とも言える戦力になる。

 もし「もぐら」が国内の革命勢力の結集に成功し、ハーニッシュを説き伏せてその傘下に収め得た場合、数百年続いて来た現在のノールの国体は倒され、我が帝国にとって非常に大きな軍事的脅威が東部国境に突如出現することになる。

 故にノールのこの危機に際し、帝国は利害の一致を見たわけだ。

「もぐら」は必ずハーニッシュに接触を試みるに違いない。

 そう考えたがゆえの150年前の「伝説」。突然帝国に侵入してきたハーニッシュとその後帝国に亡命したノルトヴェイト家のストーリーだった。

 現実のノルトヴェイト家は断絶。亡命した当主クラウスを受け入れたヴァインライヒ男爵家もまた断絶して久しい。

 今回のミッションの「共同演出家」であるノールのグロンダール卿と帝国のウリル少将とは、それらを「復活」させ、「もぐら」を誘き出す「エサ」にした。ノールで政府と王家を転覆させようとする「もぐら」は、必ずやハーニッシュとのつながりの深いノルトヴェイトに接近しようとするに違いない、と。

 その「エサ」。あるいは地面にすり鉢を穿ってアリが落ちてくるのを待つ「アリジゴク」。それが、ノルトヴェイトの末裔に扮したヤヨイなのである。

 すでに「エサ」は撒き終え、すり鉢は穿った。

 あとはただひたすら待つ。それだけだった。

 現在までのところはまだ「もぐら」らしき兆候は表れてはいない。

 だがこの「待つ」、という行為が、なかなかに忍耐を要するものなのだった。

 偵察機を操って戦場上空を飛び、馬に跨って戦場を駆け巡り、小銃を撃ちまくって弾幕を張ったり、グラナトヴェルファー(迫撃砲)を撃ちまくって敵を牽制したり、カラテで敵兵をばったばったと斃すほうが、よほどヤヨイの性には合っていた。

「本当に、新たな試練だわ、これは」

 自分でもよく耐えていると思う。また、耐えねば任務は果たせない。

 そして、本ミッションに重大な影響を及ぼしかねない不確定要素の問題が残っていた。

 その一つは、ノール王家の反応である。

 温厚で誠実、まだティーンエージャーであるにもかかわらず英明な君主たらんと努力を怠らないといわれるスヴェン国王はよい。

 だが、予てより専横の目立っているソニア皇太后にとり、先祖のポジション、その地位を復活させようとしているかもしれないノルトヴェイト家は「好ましからざる異邦人」ノーブレス・オブリージュであるに違いない。

 旧王朝であるニィ・ヴァーサ朝の重鎮であったノルトヴェイト家は、その断絶によって王朝を開いた現王朝ヤンベルナドッテ朝にとっては邪魔者でしかないはずだ。恐らくは高い確率で女男爵ヴァインライヒをあの手この手で排除しようと画策してくるやもしれない。


 

 ヤヨイのこの特殊なメイクは頻繁に確認する必要があった。化粧台の鏡に向かって目元のあたりをチェックしつつ、ヤヨイは自問した。

 エロ司祭と皇太后は身体の関係だ。しかし、マレンキーと「もぐら」の関係とはいったいどのようなものなのだろう。皇太后は自分が横流しする王宮費が自分たちの地位を危うくする「もぐら」の活動費に流用されていることを知っているのだろうか。自分が自分たちを排除しようとする革命勢力を援けていることを知っているのだろうか。

 もちろん、その懸念はアクセルにも質していた。


 

 今日。

 ノルトヴェイト一族の墓参りを終えたヤヨイは、ゴルトシュミットと「家臣」たちに丁寧に礼を言った。

「閣下とみなさんのおかげをもちまして生れて初めて先祖代々の墓参に臨むことができました。ありがとうございます。願わくば今しばらく先祖の御霊と共に過ごしたく思うのですが・・・」

「では、王宮よりの勅使もじき到着する由。それにこの辺りは遅くなると物騒です。なるべく早めにご帰館なされますよう。・・・」

「大丈夫です。このアクセルは武芸百般に通じている猛者ですので」

 そう言ってすまし顔をしているアクセルを見やった。

 ゴルトシュミットと「家臣」たちを先に返すと、アクセルは辺りを見回し、人影が無いのを確認してからパンパンパン、と両手を打ち、拍手した。

「ブラボー! 完璧だ! さすがアイゼネス・クロイツ! あんたは武術だけじゃなくて演技まで達人なんだな。レトリックも貴族風味満点! 恐れ入ったよ。旧市街の歌劇場でプリマドンナを演じさせたいぐらいだ!」

「実を言うとこれでもヒヤヒヤものだったのよ。でも、こんなに上手く事が運ぶとはね」

「ま、ゴルトシュミットさまさまだな。意外にやってくれるものだ」

 一事は陰口を叩いたものの、そこは素直に認める彼だった。ようやくミッションが軌道に乗り、余裕が出来たのだろうか。リラックスしたアクセルは冗談まで口にするようになった。

 これからミッションはいよいよ佳境に入る。

 サポート役のアクセルともより一層親交を深めておきたいと思った。

 帰り道。彼と馬の首を並べた。

「ねえ、アクセル。訊いていい?」

「なんだい?」

「オスカルが言ってたの。

『私がミッションに参加するとバレる』って。

 ということは彼はノールでは顔が知られてるってことよね。で、当初はあなたがこれを、わたしの役をやるはずだった・・・。あなたはオスカルほどにはノールで顔を知られてないってことよね」

「そういうことになるね」

「どうして?」

「オレは帝国産まれ帝国育ちだからさ」

「へえ・・・」

「親も同じ稼業だったんだよ」

「じゃ、代々帝国をスパイしてるご一家ってこと?」

「言い方がアレだけどま、そういうことになるね」

「アキレタわね。その先祖代々帝国をスパイしてたノール人が同僚だなんて」

「いいじゃないか。敵同士じゃないんだもん、今は」

「今はね」

 そんな軽口を叩けるようになったころ合いで、感じていた一つの懸念を質した。

「ねえ、もう一つ、いい?」

「なんだい?」

「『ヴァインライヒ女男爵』は、『エサ』よね?」

「ま、そうだね」

「でも、その『エサ』はあくまで『もぐら』用だわ。『エサ』がキライな魚もいるわね?」

「ああ、『牝獅子』か・・・」

「メスジシ?」

「ライオンはノール国王の紋章。メスの獅子はその母親のことさ。オレらが使っている符丁だよ」

「なるほど」

「で、『牝獅子』がなんだって?」

「今の王朝にとって、先の王朝ニィ・ヴァーサ朝に繋がるノルトヴェイト一族はジャマ者だと思うの。ソニア皇太后が『ヴァインライヒ女男爵』を快く迎えるとは思えないわ。なにしろ、現王朝は先の王朝の弱体を突いて掠め取ったようなものでしょ?」

「そりゃそうだ。『不俱戴天の仇』とはいかないまでも、目の上のタンコブぐらいには思うかもしれないね」

「皇太后はノルトヴェイトを排除しようとするかもしれない。それが任務に支障をきたさなければいいのだけれど」

「それはそうだね。でもま、大丈夫さ」

 と、アクセルは軽く言った。

「『ノルトヴェイト一族再興』はあくまでも『エサ』の旨味を増すための伝説の中のペーソス、一時の方便だよ。口で言うだけさ。

 実際ニセモノのキミじゃムリだし、ホンキで再興するとなればそれこそ何年もかかるだろうしね。ところがこのミッションは長くてもひと月かふた月でケリをつけるつもりなんだから。

 このミッションが終われば『ノルトヴェイトの末裔、ヴァインライヒ女男爵』はこの世から消える。キミは帝国に帰り元の『アイゼネス・クロイツの女戦士』に戻る。、ゴルトシュミットもハーミッシュたちも、みんながっかりするだろうけどね」

「もう一つ、いい?」

「なんなりと。お嬢様」

「皇太后は自分が流している王宮機密費が打倒ノール王家の活動費に使われていることを知っているのかしら。そこがどうにも腑に落ちないの」

「皇太后はそこまで確認して流しているわけじゃないと思うね。むしろ『もぐら』の存在さえ知らないだろう。ちょっと多額な教会への寄付ぐらいにしか思っちゃいないさ。

 それにさ、そもそもそれほどの女なら、あんなエロ坊主のいいなりになんかなってないだろ? 嫌われて捨てられるのが怖いから言うなりになってるだけじゃないのか。要するに、皇太后が一方的に惚れてる関係なんだよ。恋は盲目。よくあるだろ、そういうの」

「でも、そういう女は怖いわよ。一方的に捨てられでもしたら、逆上して何するかわからないかも。マレンキーをナイフでメッタ刺しにするとか、後宮に火をつけてジサツするとかさ・・・。ノールが大混乱になるかもよ」

「おー、怖! さすが女だね。エグいところを穿っておいでだ」

「あのね、冗談で言ってるんじゃないのよ」

「まあ、このミッションが終わるまでは、お二人の蜜月が続くことを祈るとしようじゃないか」

「自分の国のことでしょ。のん気なのね」

「だってさ、そこまで考えてたら何にもできないぜ? マジな話」

「それはそうと、ねえ。これからどんどん助演俳優や助演女優が増えてくるわ。そうなるとなかなかあなたと意思の疎通をするのが難しくなってくるわね。そう度々お墓参りにも来れないし」

「ま、確かにな」

「アクセル、あなた、帝国語以外に何語が喋れるの?」

「ノール語」

「・・・ちょっ、バカにしてんの?」

「冗談だよ。・・・キミ、わりと直情傾向なんだな」


 

 アクセルとのやり取りにふと思い出し笑いを漏らした。

 ベッドに入り、もう一度重要なポイントを反芻し漏れがないかチェックしていると、ウリル少将との最後のモスクでの打ち合わせの時に何やら大事なことを聞いたような記憶がよみがえって来た。

「あれ、なんか大事なことを聞いたような気がするんだけどな・・・。なんだっけ?」

 夫のラインハルトとの仲を詮索されてウザくなってしまい、肝心のその情報をちゃんと聞くのを怠ってしまったのだ。

「参ったな・・・。閣下は何て言ったんだっけ。マーキュリーじゃなくて・・・。ジュピター・・・。そう、思い出したわ。『ジュピター』よ!」


 


 

 ヨボヨボの、今にも死にそうな南の国の老人に変装したウリル少将とヒジャブを被ったヤヨイが密会した帝都のモスクの休憩所。

 そこで行われた打ち合わせで、ウリル少将はこんなことを言っていたのだ。

「ああ、言い忘れていたが・・・」

「はい」

「当初は全くの単独作戦を想定していたが、万が一を考えやはり現地で後方支援を担当する者をつけることにした」

「『マーキュリー』、ですか?」

「いや、リヨン中尉ではない。彼は今ノールとは反対方向のチナにいる」

「そうですか」

「リヨン中尉はしばらくはお前とペアを組みたくないそうだ」

「・・・なぜですかね」

「わからんか?」

 閣下はほ、とため息をついて遠い眼をした。

「ま、わからんのだろうな。それがわかるほどならば、お前の夫君との間のこともここまでこじれることは無かったろうな」

 急にデリケートなプライベートを詮索されていささか鼻についた。だが事実だから黙っていた。

「お前はずば抜けて優秀な頭脳を持ち、抜群の身体能力を持った優れたエージェントだ。ノールにまで名が知れ渡るほどにな。

 だが、決定的に男心を理解する能力に欠けているところがある。それがお前の、不幸だな」

「大きなお世話です!」

 フン、と鼻を鳴らした閣下は、こう言った。

「コードネームは、『ジュピター』だ」

「『ジュピター』・・・。帝国人ですか?」

「それは関係ない。帝国人であるか、ノール人であるかは重要ではない」

「その人物は何処に?」

「それはまだ、知らぬ方がいい。知ればお前は否が応にも『ジュピター』を意識してしまうだろう。お前が対処不能な、重大なアクシデントが起こった場合に限り、『ジュピター』はお前を援けることになる。反対に、ミッションが無事に終了すれば、お前が『ジュピター』を知る必要はなくなるのだ」

「気になるじゃないですか! 一体誰なんです? 『ジュピター』って!」

「今言ったはずだ。アクシデントが起こらぬ限り、お前は『ジュピター』を知る必要はない。対ノールの諜報上、それほどに重要な存在なのだ、『ジュピター』は」


 


 


 

 ヤヨイは完全に思い出した。

 しかし、相変わらず食えないオヤジだ。ウリル閣下という人は・・・。

 サイドスタンドのカンテラの灯りを消そうかと手を伸ばしかけたところへドアがノックされた。
 

「イングリッド様。お飲み物をお持ちしました」

「どうぞ、入って」

 ベッドわきのサイドテーブルにレモネードが入った高価なグラスを置いたノラに礼を言った。

「ありがとう、ノラ。あなたももうお休みなさいな」

「はい。・・・あのう・・・」

 トレーを胸に抱いた彼女は、何故か頬を染めモジモジしていた。

「・・・なあに、どうしたの?」

「・・・あのう、イングリッド様。じつは明日、わたしもお供させていただくことになったのです」

「まあ! じゃあ、それでその服を。ステキ・・・」

「はい、それで、あのう・・・、旦那様が、歌をご披露しなさいと・・・」

「歌を?」

「はい・・・。貴族の方々がおいでになる王宮で、国王陛下の御前で。

 それでわたし、今から緊張してしまって・・・。イングリッド様にお伝えしておけば、少しは気が楽になるかと・・・。あ、やだ、わたしったら。申し訳ございません!」

「いいえ。全然かまわないわ。誰かに打ち明けると不安な気持ちが和らぐものよね。それに、教えてくれたおかげでわたしも王宮におじゃまする楽しみが出来たわ」

 そしてノラの柔らかな白い可愛い手を取って、言った。

「実を言うと、わたしも少し緊張していたの。ノールの国王陛下に直接御目見えするなんて思ってもいなかったものだから・・・。わあ、楽しみだわ。王宮であなたの歌が聴けるなんて!」

「里にいたころ、讃美歌は毎週歌っていたのですが・・・」

「あら、あなたの実家はこのオスロホルムじゃないのね」

「はい。わたし、ハーニッシュなんです。でした、というべきですが・・・」

「え? 」


 

 

 夜が深くなった。

 カーテンの際から僅かに漏れる明かりにベッドを離れ窓際に立った。

 いつの間にか深く街を覆っていた霧が晴れ、朧の三日月が上ってきていた。霧に濡れた街路や石造りの建物の屋根が月明りに照らされて濡れ光っている風情もまた、帝国にはない美しさだった。

 ハーニッシュとの接点がこのような身近に、意外なところに潜んでいたのをヤヨイは知った。これからあの里に接近するにあたり、いろいろと好都合かもしれない、と。

「わたし、追放されたんです」

 深刻な話を、意外にもあっけらかんと言い放つノラに、どこか逞しささえ感じた。

 聞けばあまりにも気の毒な話だった。

 好きな歌を歌うことも、好きな男の子と添うことも許されず、禁を犯して彼と会ったことを咎められ、生まれ育った里を追われ・・・。そしてここまで流れ着いたのだと。

 清楚で無垢な可愛い女の子だとばかり思っていた少女の胸の内に、このような熱い情念の火が燃え盛っていたとは・・・。それも驚きだった。今も仕事で遠く離れている彼を思い、ただひたすらに待ち続けているのだという。なんとも健気で胸の熱くなる話ではないか。

 それに比べれば、自分は情けなくもある。

 あれだけ燃え上がっていた夫のラインハルトとの仲は、もう修復不可能なほどに冷え切ってしまっているのだから。こと恋愛に関してはあのノラという美少女の半分ほどの情熱も失くしてしまっている。

 と。

 深い夜のしじまを美しい、だが郷愁を誘うような哀し気な歌声がかすかに流れてきた。

 歌っているのは、ノラだろう。

 ノール語であるらしいのだが、古語であるのか、半分ほども意味が解らない。だが、遠いところにいる誰かを想い、ただひたすらに待ち続ける、という歌詞であるらしいのはなんとなくわかる。

 まるで先ほどの彼女の話みたいだ。明日の王宮での披露に備えて練習しているのだろう。

 ヤヨイは、しばしその美しい歌声に聴き入った。


 


 

 Kanskje vil der gå både Vinter og Vår,

 både Vinter og Vår,

 og neste Sommer med og det hele År,

 og det hele År・・・


 


 

 ガタッ・・・。

 急に窓辺で音がして、ノラは歌うのを止めた。

 ここは三階建てのゴルトシュミットの屋敷のさらに屋根裏部屋だ。

 ネコかしら?

 ふと窓辺に寄ってカーテンを引いたら驚いた。

「! 」

 辛うじて悲鳴を上げるのを堪えられたのは良かった。

 そこに月明りに照らされた若い男の影が、愛するペールの横顔があったのだ。
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