【新版】優しい狩人 【『軍神マルスの娘』と呼ばれた女 1】 ~第十三軍団第七旅団第三十八連隊独立偵察大隊第二中隊レオン小隊~

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33 雷神レオンの最後

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 やはり、レオン少尉だ!

 この半月ほどの少尉との時間は、今、この時のためにあったのだ。彼女の思考を読み、彼女の意図を打ち砕くために。

「アラン、信号弾! 」

 シュパーッ・・・。

 信号弾は白い煙を曳いて上空の熱い雲の底を目掛けて駆け上り、ドンドンドンと連続して爆発し小さな火球を作った。

「リーズル、威嚇射撃!」

 ダーンッ!

 一発の銃声が丘の周りの岩山に木霊した。銃弾が少尉と他二人の影の後方に弾着して跳ねたのまで見えた。

 ピカッ!

 ・・・ドオーンッ!

 雷は今度はやや遠くに落ちた。

「レオン少尉! 降伏してください! 武装を解いて、膝を着いてください! 」

 ヤヨイは声を励まして、丘の下に叫び下した。

 だが少尉は、いささかも歩みを止めることなく、丘に向かって真っすぐに登ってくる。

「その声は、ヤヨイだな! 」

 少尉からは、丘の上のヤヨイたちの頭が月を背負ったシルエットで見えるはずだ。反対にヤヨイからは高地に拠っていることからも攻撃しやすく、少尉の側からは低地で逆光のため、攻撃しにくい。圧倒的に有利な状況にあった。

「わたしを追って、わたしの考えまで読んで待ち伏せできるのはお前しかいないと思っていた!

 やはり、お前はやるな。うれしいぞ、ヤヨイ!

 つくづく、お前を同志に引き入れられなかったことが、悔やまれるがな!」

「それ以上話さないでください。その場に銃を捨てて、跪いて! 従わなければ、撃ちます!」

 少尉は心理戦にも秀でている。人の心も読める。

 迂闊(うかつ)に彼女と意志を交換し合ったりすると、この不利を有利に変えるぐらいは彼女なら容易に出来そうに思われた。

「わたしは一度、お前にチャンスをやったではないか。お前はわたしを殺せなかった。今も、そうだろう」

 少尉はなおも近づいて来る。彼女の後ろの2人も同じように登って来る。

 背の高い一人は、アレックスだ。青白い顔が月に照らされて白く浮かんでいた。

 そして、もう一人は・・・。

 嘘! 

 ジョー!

 どうしてあなたが、ここに・・・。

「リーズル、もう一度威嚇射撃!

 警告はした。止まらなければ、左の背の高い奴隷を撃って!」

 さっき、彼から貰った干し肉を食べたばかりなのに。彼に襲い掛かった野蛮人を殺して彼を助けたのは自分だというのに・・・。彼の感謝の微笑みが今も胸を去らない。

 ヤヨイは目を閉じた。

 ズダーンッ!

 弾は再び正確に少尉の左隣のアレックスの背後に弾着した。

 しかし、少尉もアレックスもジョーも、怯むことなく丘を登るのをやめなかった。丘を迂回して川沿いに西を目指すのではなく、少尉たちはヤヨイのいる頂上を目指して登ってくる。

 何故なのだろう。何故登ってくるのだろう。ヤヨイの戸惑いや逡巡を戦術に組み込んででもいるのだろうか。

「お願いです少尉! 止まって下さい! でないと、でないと・・・」

「止まるわけにはいかんのだ、ヤヨイ」

 なおも歩みを止めようとしない、少尉の声は澱みなく、落ち着いていた。

「わたしのために、志のために、首都で、ここで、すでに多くの同志が犠牲になった。

 爆発が、二度あった。第五宿営地の東、そして、大隊本部前の前哨陣地。

 チャンが、ヒッピーが、第一、第二分隊のわたしの子供たちが、わたしのために囮になってお前たち鎮圧部隊を引き付けてくれた。その尊い犠牲をムダにするわけにはいかんのだ!」

 ジョーまでが、少尉の言葉に加わった。

「ハンスは軍曹に、ガンジーとジローはヒッピーに従っていた。

 あいつらは、死んだ。

 おれはあいつらの命をもらってここにいる。だから、どうしても行かなくてはならないんだ!」

 ハンスと軍曹の死は、ヤヨイも知っていた。そして、ガンジー、ジロー、ヒッピーも、もうこの世にいないのを、今、知った。

 その上に、ジョーまでが・・・。

 これ以上は、死なせたくない!

「それが、何になるというの、ジョー!

 あそこに行けば、リンデマン大尉の許に行けば、あなたも少尉も死ぬわ。ただそれだけなのに。それに、何の意味があるの? 諦めて降伏してっ!」

「ヤヨイっ! お願いだ、俺たちを、行かせてくれっ! 頼むっ!」

 そう言いながら、ジョーが立ち止まり、銃を構えた。

「ジョーッ! やめてーっ!」

 ズダーンッ!

 ジョーが銃を放り出し、後ろに吹っ飛んだ。

「大丈夫。肩を狙った。彼はもう、銃を撃てない」

 ヒステリックにイラついていたリーズルは、さっきまでとは別人のように落ち着き払い、槓桿を引いて次弾を装填し、再び構えた。片目を瞑って狙いを定めるその頼もしい横顔に力を貰った。

「ヤヨイ! わたしは銃を持っていない。アレックスもだ。丸腰だ。お前は丸腰の相手に銃を持って対するのか」

「だから、だから止まって下さい! 跪いて。・・・お願い! それ以上、登ってこないで! 止まってェーっ!・・・」

「もう、100を切ったぞ!」

 アランの声が震えていた。

 少尉が傍らの野蛮人の死体の傍から諸刃の剣を拾い上げたのが見えた。

「ヤヨイ! 覚悟決めな。このままじゃ、あたしもアランもあんたも死ぬよ!

 あんた、指揮官でしょうが!」

「少尉、これが最後です。止まって下さい。この次は、・・・撃ちます」

 あっはっはっは・・・。

 少尉の高らかな笑い声が響いた。

 野蛮人たちの多くの死体が放置された、砲弾で丸裸になった丘。笑い声は、まるで地獄に舞い降りた雷神のようにヤヨイには聞こえた。

「お前に撃てはせん、ヤヨイ!

 お前は、優し過ぎる狩人だ。そんな狩人は獣に逆襲されて死ぬ。優しい狩人などというものは、論理的にあり得ないのだっ!」

 アレックスが死体が握っていた手斧を取った。

「ヤヨイ! ヤヨイッ!」

 発砲許可を求めるリーズルの抑えた叫びが胸を掻き毟った。

 ヤヨイの心は、千々に乱れた。

 アレックスが手にした斧を投げた。

 それは到底届かない距離だったが、リーズルの意識を一瞬だけ少尉から外した。

 ダーンッ!

 リーズルが、撃たれた。

「アッ!」

 リーズルは衝撃でバランスを崩しタコツボの底に転がり落ちた。

 撃ったのは、ジョーだった。

 まだ生きている片手で銃を撃ち、発射された弾丸が銃を構えたリーズルの腕に命中したのだ。

 だが、ヤヨイもまた、引き金を引いていた。少尉やアレックスを野蛮人の襲撃から守った時と同じ、まったくの、無意識だった。

 よく手入れされた、歴戦の『L』の刻印入りの銃は、鋭く尖ったフルメタルジャケット(完全被甲弾)を音速以上で射出した。

 弾丸は正確に目標に着弾し、徴兵されて2年目の一等兵の眉間を、無慈悲に打ち抜いた。

 一瞬だけ、時が止まった。

 ヤヨイは、詩を喪った。

 命中したのを見届けると、ヤヨイは割れを取り戻した。

「ジョーッ!・・・」

 愛する男を自らの手で殺してしまった。

 その事実は、徴兵されたばかりのヤヨイの心を、ズタズタに引き裂いていた。

 ヤヨイはもう、銃を構えることができなくなってしまった。

 命のほむらが一瞬で消え、単なる物体と化したジョーの屍。

 つい数秒前までジョーだった死体に一瞥をくれたレオン少尉は、再び剣を杖にして丘を登り出した。

 その直後、アレックスがもう一度投げ槍を拾い上げ、構えたところをアランが撃った。彼の弾はアレックスの膝に命中し、肌の青い野蛮人は槍を投げながら、体勢を崩して丘を転がり落ちて行った。放った槍は頂上に届かずに空しく砂に突き刺さった。

 アランは槓桿を引き少尉に狙いを定めた。

 が、

 引き金を引いても弾が出なかった。

「マジかよ!」

 もう一度槓桿を引いた。が、銃の手入れが悪かったのか、今度は槓桿が戻らなくなった。

「チクショッ!」

 銃を放り投げヤヨイの銃を取ろうとした時、少尉の剣が飛んできてアランの肩を切り裂いた。

「ぐわっ!」

「それはわたしがヤヨイに授けたものだ。ヤヨイ以外、手にしてはならない」


 

 いつの間にか少尉は、タコツボの縁に立っていた。


 

 まさに、雷神が、そこにいた。


 

 腰に手を当て、ライオンの咆哮のようにゴロゴロと唸る雷雲を背に仁王立ちしたレオン少尉。

 その姿は、まさに雷神の降臨を思わせた。

 雷神は月明りを浴びて鈍く光り、まるで身体中から稲光を放電しているかのように見えた。震えるほどに荘厳な輝きに満ちていた。

 手負いにもかかわらず、アランは硬直したヤヨイを庇いながら、タコツボの反対側に逃げた。

「ヤヨイ、銃を取るのだ!

 その銃は長年わたしと共に幾多の戦場を渡って来た、わたしの心とも思う愛銃だ。わたしはわたしの心をお前に授けたのだ。

 お前への最後の命令を与える。そのわたしの心の銃で、わたしを撃て。撃つのだっ! ヤヨイっ!」

「で、できません! わたしには、できませんっ!」

「命令だからだろう。レオンは殺すなと。そう命令されているからだろう。

 だが同じだ。

 お前がここにいなければ、わたしはリンデマンたちの許に行き、彼らと共に死んでいた。

 だがお前は待っていてくれた。今、わたしは深い歓びを感じている・・・。

 わたしは死ぬために登って来たのだ、ヤヨイ。お前に殺されるために!

 わたしが死ねば、わたしの志は永遠に生き続ける。わたしの思いを引き継いでくれる者が必ず現れ、帝国は、再び軍人の手に還るのだっ!

 銃を取るのだ、ヤヨイ!

 そしてわたしを殺せ!

 わたしは、神になるのだ!」

 タコツボの縁に刺さった諸刃の剣を、少尉は抜いた。そして、雷雲に翳した。

 雷鳴が近かった。光る雲の底を背景に、少尉の姿はさながら魔王のようにヤヨイを威圧した。

「わたしは、神の技を持つお前に撃たれて、神になる!

 立て、ヤヨイ! 立ってわたしを撃て!

 ヤヨイ! わたしを、神にするのだっ!」


 


 

 それは一瞬の出来事だった。


 


 

 雷は、もっとも電導のよい地点を探して落ちた。

 小高い丘の頂上に立った背の高い、水分を多量に含んだ、電導率の高い人体の振りかざす剣の切っ先に、そして少尉の身体を接地線のように伝い、丘の地面に伝い落ちた。

 巨大な衝撃波が生まれ、眩い閃光と大音響と共に辺りのものを全て吹っ飛ばすはずだった。すぐ近くにいたリーズルやアランやヤヨイにも当然に被害が及び、少尉もろとも、命を失うはずだった。

 だが、不思議にも3人は、かすり傷も火傷ひとつすら負わずに済んだ。

 レオン少尉が立っていたところにはやや窪んで黒く焼け焦げた痕があり、彼女が振りかざしていた野蛮人の諸刃の剣がすぐそばに落ちていた。

 その後の徹底した捜索にも拘わらず、ついに落雷により感電死したはずのレオン少尉の遺体はどこにも発見できなかった。まるで、本当の雷神が降臨し、レオン少尉を娘とするためにかどわかしでもしたかのように。

 帝国から派遣されてきた調査官は、レオン少尉の消息を「不明」と記さざるを得なかった。
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