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29 戦友殺し
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『連隊一のスナイパー』、そして、『地獄耳の千里眼』。
二人の頼れる「部下」を従えて、ヤヨイは暗い、雨粒の滴る森の中を東に向かって進んだ。
さっきグラナトヴェルファーの発射光が見えた地点まで、普通に歩けば一時間弱、だ。
だが相手が前進してきている可能性もまだ捨てきれない。アランを先頭にし、ヤヨイは左右を、リーズルはしんがりで後方にも目を光らせつつ、慎重に歩みを進めていった。
と。
アランが立ち止まる。
フクロウも鳴いていない。そぼ降る雨の音も地上までは届かない。時折森を吹き抜けるざああという風の音以外には、何も聞えなかった。
だが、彼には聞こえるみたいだ。何かが。
アランが腰を落とし、ヤヨイもリーズルも身を低くして彼に寄り添った。
「いるぞ・・・」
アランはじっと目を閉じていた。ヤヨイもリーズルにも聞こえないほどの、木々の向こうから来る、微かな気配を、彼は、心の耳で、見ていた。
「600もない。・・・さっきの4、5名だ。言葉の内容はわからないが、何かを囁き合ってる。一人が立ったり座ったりしてる。一人が歩き回って、濡れた枯れ枝を、踏んだ・・・」
「どのあたり?」
アランは暗い森の奥のある一点を、指さした。
「リーズル、行くよ」
ヤヨイはウィスパーした。
「わたしは南から迂回する。あなたはアランと一緒に出来る限り彼らの方に前進して。あなたが相手を視認出来て、撃てるところまで、でいい。そして、わたしが合図するまで撃たないで」
「・・・わかった」
「アランも。いい?」
「うん」
ヤヨイは「L」の刻印のある銃と背嚢をアランに預けた。
「これ、ジャマだから預かってて」
ヘルメットも脱ぎ、身軽になったヤヨイは、暗い森の中に、入って行った。
折からの小雨。
さっきの攻撃による爆発の炎は、もう消えていた。
夜の、雨の森。だが、真の暗闇ではなかった。
厚い雨雲に覆われてはいても、月齢は21。そして、帝国の北の街にシュバルツバルトシュタットの名をもたらした黒い森の木々の根本には所々にヒカリゴケが息づいていた。
太い杉や松の影に隠れつつ、慎重に歩みを進める。辺りの気配に感覚を研ぎ澄ませながら、彼女は、ここに来る直前にクィリナリスで受けた師匠の、イマム先生の教えを思い出していた。
地下の道場。天窓を塞げば、そこは真の暗闇になる。
青い道着に黒帯を締めたヤヨイは、イグサの香りのする畳に正座し、師匠の発する気配を全身を耳にして感じていた。
「相手の『気』を捉えるのだ、ヤヨイ。
憤怒。恐怖。憎悪。
武器を持って他者を害しようとする者が持つ独特の『気』。それを、その揺らぎを捉えるのだ、ヤヨイ!」
ヤーパンの生き残り、その末裔たちの間に昔から伝わる剣。
「ニホントウ」という、諸刃の剣(グラディウス)に比べるととてもスマートな、だが冷たい凛々しさを秘めた片刃の剣を持った先生が、強烈な殺気を放ちながら、正座するヤヨイの前後左右に刀を振る。
ビュッ! フウッ!
ヤヨイのブルネットの毛先が揺れる。肌を、音速より速く空気を裂く刀が掠める。
まかり間違えば、カラテの手練れであるヤヨイさえも躱せない。ニホントウの鋭い刃はヤヨイの白い肌を容赦なく切り裂き、その命を奪う。
だが、先生には、ヤヨイが見えている。恐怖にかられ、それでも、恐怖を克服し、恐怖に打ち勝って先生の気配を感じ取ろうとしているヤヨイの放つ「気」が、先生には見えるのだ。
先生に、克ちたい。自分の怖気る心に、克ちたい!
その一心で、ヤヨイは、耐えていた。
「心を無にしろ! そうすれば、相手の『気』が見える。無心になるのだ、ヤヨイ!」
瞬間。
ヤヨイの心の眼に、振り下ろされるニホントウの冷たさが、先生の放つ『気』が見えた。
ビュッ!
振り下ろされたニホントウの鎬(しのぎ)を右の手刀で打ち、左足で立ち上がりつつ右足を踏み出し、先生の懐に飛び込み、左の手刀でその喉元に触れた。その動き、コンマ零秒以下の電光。指先が触れた先生の肌は、汗でびっしょりと、濡れていた。
「どうやら、兆しを掴んだようだな、ヤヨイ」
暗闇の中で、先生は、笑った。
強烈な殺気が、消えていた。
クィリナリスでイマム先生から伝授された、『気』のセンサー。ヤヨイは、それを、全開した。
全神経を、暗闇の奥へ。
・・・いた。
さっきの4、5名の内の一人だろう。最も南に展開した者か、あるいは、この南にさらにもう一人、いるのか。
ヘルメットも、銃も、ナイフも、背嚢も身に付けていない。身一つの身軽さで、音もなく相手に近づいた。
ふいに、ほおー、と間延びしたフクロウが、鳴いた。
すると、目の前の、まだ顔が見えない兵がそれに応えるように、ほおー、両手で口を覆うようにして、鳴いた。
なるほど。これは、点呼だ。
この分隊の指揮官が散開させた部下たちの安否を確認するために定期的に合図し合っているのだと知れた。
その辺りの石ころやコケと同じに、自分の気配を殺した。ヤヨイは、目の前の「フクロウ」に、さらに近づいた。
そして、辺りの暗闇に目を凝らしているその兵の肩を、とんとん、と叩いた。
「!」
振り向いて銃を構えようとする兵の銃を蹴り飛ばし、鳩尾に強烈な突きを喰らわせ、彼の背後を取って口を抑え、彼の腰のナイフを抜き、彼の首に冷たい刃をピタリと当てた。
「声をたてるな」
ヤヨイはその兵の耳に小さく囁いた。
「死にたいのなら、叫べばいい。どうする?」
男の汗の匂いがした。怯えているのがわかる。
男は、全身から力を抜いた。
ヤヨイは気づいた。彼は最後の第三の兵だ。この小隊で最初に夜の歩哨をしたときに相方になった初年兵・・・。
「質問に、答えなさい」
男は、頷いた。
「この分隊は、第二?」
男は首を振った。第二でないとすれば、第一か。レオン少尉の小隊でもっともベテラン揃い。強兵の集まりだ。
「指揮しているのは誰? 少尉?」
彼は、もう一度首を振った。
やはり・・・。これは少尉の本隊じゃない。囮(おとり)だ。少尉の本隊は、第二だ。ヤヨイの、つかの間の「戦友たち」。そして、ジョー・・・。
「じゃあ、指揮官は軍曹か、ヒッピーね。少尉はどこ? レオン少尉は、どこに行ったの?」
黙っている男の首筋に当てたナイフの切っ先をグイ、と肌に押した。男は三度目の首を振った。知らない、というのだろう。男の汗の匂いが増した。
すると、少し北の、軍用道路の方から、また「フクロウ」が鳴く声がした。
「応えてやりなさい。おかしなマネをすれば・・・、わかるよね?」
ヤヨイは彼の口から手を離した。ナイフを彼の首、頸動脈の辺りに据えたまま。
最後の第三の兵は両手を口に当て、そして・・・。
「ヤヨイが居るぞっ!」
一瞬の躊躇は、あった。
つい先日まで文字通り同じ釜の飯を食った、戦友。同じ夜間の歩哨に立ち、共に威力偵察に参加した仲間・・・。
だが。
自分が躊躇(ためら)えば、もっと多くの兵が犠牲になる!
それを止めるために、自分は戻って来たのだから!
ヤヨイと同じ、徴兵されたばかりの20歳。初年兵にしては芯の通った若者。それだけに、生かしては置けなかった。
レオン少尉の許にさえいなければ・・・。
彼の甲高い声は、彼の短い生涯最後に放った声になった。
ヤヨイはナイフをスッ、と無慈悲に引いた。
暗闇の中に、レオン小隊の最初の犠牲者となった彼の鮮血が迸ったときにはもう、その場を離れて分隊の指揮官がいるであろうさらに北側に寄り、草葉の陰に身を隠した。
この任務で初めて、同じ帝国人を、殺した。
ヤヨイは、叫んだ。
「リーズル! アラン! 見える? 信号弾あげて! 敵は第一分隊! 指揮は少尉じゃない!
軍曹! ヒッピー! 一人がギセイになりました! もう抵抗は止めて下さい! 降伏して! さもないと、容赦しません! あなた方を全員、抹殺します!」
さほど遠くない西の森の上にシュルルルと光の帯が上がって行きバンバンバンッ、と3度爆発し小さな火球を作った。その光が、つかの間、小雨に煙る暗い森の中とヤヨイの硬直した頬を照らした。
その直後。
ダ、ダアーンッ!
ピチュ、ピチューンッ!
再び暗闇となった森の奥が光り、発砲音と音速を超えた弾丸が頭の上を掠める音がほぼ同時に見え、聞こえた。
至近だ。200はないだろう。だが、まだヤヨイを視認してのものではないこともわかる。これは、探索射撃だ。
だが、ベテランにして強兵のはずの第一の兵は、暗闇で銃を撃つリスクを考慮していなかったようだ。
昼間の森の中なら分かりづらいが、夜間射撃の発射光は、目立つ。オレはここにいる、とこちらに教えるようなものなのだ。
「ヤヨイッ! 見えるよっ! 援護する!」
左側からリーズルの緊迫した声が届いた。
ヤヨイは左側の発射光目指して、身を低くしてひた走った。まだ銃声の余韻が響いていて、彼女の足音を隠してくれているうちに。
左側は西側。リーズルの射線に入る。誤射を受ける危険はあるが、東側を行って流れ弾を喰らうよりは、彼女に見えやすい方がいいと思った。『連隊一のスナイパー』のウデを信じる!
迫るヤヨイに気付いた相手は、当然、撃って来た。
ダンッ!
弾はヤヨイの左耳のすぐそばを掠めた。敵はヤヨイに相手の懐に飛び込む絶好のチャンスをくれた。
二式アサルトライフルは5連の実包を装填し、槓桿を引いて弾を銃身に送り込み、射撃後に再び槓桿を引いて薬莢を排出し、同時にカム機構が5連実包をスライドさせ、槓桿の戻りで次弾を薬室に送り込む仕組みだ。だが、次弾装填でどうしても照準が狂うからもう一度狙いをつけ直さねばならない。だから初弾発砲から次弾を装填して第二射発砲までに慣れた者でも2、3秒のラグが生じるのだ。
2、3秒もあれば、ヤヨイには充分だった。
「はあっっっ!・・・」
風のように相手の前に飛び込み、構えていた銃を蹴り飛ばし、掌底で相手の鼻を直撃した。
「ぐはっ!」
軟骨を陥没させられた相手は、血を噴き出した鼻を抑えて蹲った。これで、ほとんどの者は戦意を喪う。
やはり、第一の兵だ。
大柄な兵にとどめを刺すべく近寄ろうとしたところに、
ダンッ!
背後の木の幹をピチューンッ、と弾が掠めた。
とっさに蹲った兵の陰に身を隠した。
「ヤヨイっ!」
その声に、凍り付いた。
「ハンス! 」
共に囲んだ夕食の鍋。共にパトロールした国境。初めての実戦を経験した威力偵察、共に籠った前哨陣地のタコツボ。共に勝利の美酒に酔い、歌い合った、仲間・・・。
彼の朗々とした歌声、「マイスタージンガー」という綽名に違わない美声が、今も耳に残っていた。
ジャキーンッ!
暗闇の中にうっすらと影が見えた。あの太った影が、槓桿を引いて再びこちらに銃口を向けていた。
「ヤヨイ、頼むっ! お願いだ! 立ち去ってくれ!
オレは戦友を殺したくない。お前も『戦友殺し』にしたくないんだ! お願いだ、ヤヨイっ!・・・」
戦友殺し・・・。
最初から欺いていたとはいえ、確かに彼は「戦友」だ。
ここに戻ればこんな時が来るのは、わかっていた。
だが、わかっていたこととはいえ・・・。
「ハンス、武器を捨ててっ! 降伏してっ! 降伏しないなら、あなたを、殺す」
「ハンス!」
左手、北の方から声がした。軍曹の声だった。
「ここはオレに任せて少尉のところに行けっ! 」
「軍曹っ! 降伏してくださいっ! あなた方はもうどこにも行けないっ! ムダなことは止めましょうっ! 」
その時。
目の前で顔を抑えて蹲っていたはずの一分隊の兵の手が、草の間に転がっていた小銃に伸びたのが見えた。
二人の頼れる「部下」を従えて、ヤヨイは暗い、雨粒の滴る森の中を東に向かって進んだ。
さっきグラナトヴェルファーの発射光が見えた地点まで、普通に歩けば一時間弱、だ。
だが相手が前進してきている可能性もまだ捨てきれない。アランを先頭にし、ヤヨイは左右を、リーズルはしんがりで後方にも目を光らせつつ、慎重に歩みを進めていった。
と。
アランが立ち止まる。
フクロウも鳴いていない。そぼ降る雨の音も地上までは届かない。時折森を吹き抜けるざああという風の音以外には、何も聞えなかった。
だが、彼には聞こえるみたいだ。何かが。
アランが腰を落とし、ヤヨイもリーズルも身を低くして彼に寄り添った。
「いるぞ・・・」
アランはじっと目を閉じていた。ヤヨイもリーズルにも聞こえないほどの、木々の向こうから来る、微かな気配を、彼は、心の耳で、見ていた。
「600もない。・・・さっきの4、5名だ。言葉の内容はわからないが、何かを囁き合ってる。一人が立ったり座ったりしてる。一人が歩き回って、濡れた枯れ枝を、踏んだ・・・」
「どのあたり?」
アランは暗い森の奥のある一点を、指さした。
「リーズル、行くよ」
ヤヨイはウィスパーした。
「わたしは南から迂回する。あなたはアランと一緒に出来る限り彼らの方に前進して。あなたが相手を視認出来て、撃てるところまで、でいい。そして、わたしが合図するまで撃たないで」
「・・・わかった」
「アランも。いい?」
「うん」
ヤヨイは「L」の刻印のある銃と背嚢をアランに預けた。
「これ、ジャマだから預かってて」
ヘルメットも脱ぎ、身軽になったヤヨイは、暗い森の中に、入って行った。
折からの小雨。
さっきの攻撃による爆発の炎は、もう消えていた。
夜の、雨の森。だが、真の暗闇ではなかった。
厚い雨雲に覆われてはいても、月齢は21。そして、帝国の北の街にシュバルツバルトシュタットの名をもたらした黒い森の木々の根本には所々にヒカリゴケが息づいていた。
太い杉や松の影に隠れつつ、慎重に歩みを進める。辺りの気配に感覚を研ぎ澄ませながら、彼女は、ここに来る直前にクィリナリスで受けた師匠の、イマム先生の教えを思い出していた。
地下の道場。天窓を塞げば、そこは真の暗闇になる。
青い道着に黒帯を締めたヤヨイは、イグサの香りのする畳に正座し、師匠の発する気配を全身を耳にして感じていた。
「相手の『気』を捉えるのだ、ヤヨイ。
憤怒。恐怖。憎悪。
武器を持って他者を害しようとする者が持つ独特の『気』。それを、その揺らぎを捉えるのだ、ヤヨイ!」
ヤーパンの生き残り、その末裔たちの間に昔から伝わる剣。
「ニホントウ」という、諸刃の剣(グラディウス)に比べるととてもスマートな、だが冷たい凛々しさを秘めた片刃の剣を持った先生が、強烈な殺気を放ちながら、正座するヤヨイの前後左右に刀を振る。
ビュッ! フウッ!
ヤヨイのブルネットの毛先が揺れる。肌を、音速より速く空気を裂く刀が掠める。
まかり間違えば、カラテの手練れであるヤヨイさえも躱せない。ニホントウの鋭い刃はヤヨイの白い肌を容赦なく切り裂き、その命を奪う。
だが、先生には、ヤヨイが見えている。恐怖にかられ、それでも、恐怖を克服し、恐怖に打ち勝って先生の気配を感じ取ろうとしているヤヨイの放つ「気」が、先生には見えるのだ。
先生に、克ちたい。自分の怖気る心に、克ちたい!
その一心で、ヤヨイは、耐えていた。
「心を無にしろ! そうすれば、相手の『気』が見える。無心になるのだ、ヤヨイ!」
瞬間。
ヤヨイの心の眼に、振り下ろされるニホントウの冷たさが、先生の放つ『気』が見えた。
ビュッ!
振り下ろされたニホントウの鎬(しのぎ)を右の手刀で打ち、左足で立ち上がりつつ右足を踏み出し、先生の懐に飛び込み、左の手刀でその喉元に触れた。その動き、コンマ零秒以下の電光。指先が触れた先生の肌は、汗でびっしょりと、濡れていた。
「どうやら、兆しを掴んだようだな、ヤヨイ」
暗闇の中で、先生は、笑った。
強烈な殺気が、消えていた。
クィリナリスでイマム先生から伝授された、『気』のセンサー。ヤヨイは、それを、全開した。
全神経を、暗闇の奥へ。
・・・いた。
さっきの4、5名の内の一人だろう。最も南に展開した者か、あるいは、この南にさらにもう一人、いるのか。
ヘルメットも、銃も、ナイフも、背嚢も身に付けていない。身一つの身軽さで、音もなく相手に近づいた。
ふいに、ほおー、と間延びしたフクロウが、鳴いた。
すると、目の前の、まだ顔が見えない兵がそれに応えるように、ほおー、両手で口を覆うようにして、鳴いた。
なるほど。これは、点呼だ。
この分隊の指揮官が散開させた部下たちの安否を確認するために定期的に合図し合っているのだと知れた。
その辺りの石ころやコケと同じに、自分の気配を殺した。ヤヨイは、目の前の「フクロウ」に、さらに近づいた。
そして、辺りの暗闇に目を凝らしているその兵の肩を、とんとん、と叩いた。
「!」
振り向いて銃を構えようとする兵の銃を蹴り飛ばし、鳩尾に強烈な突きを喰らわせ、彼の背後を取って口を抑え、彼の腰のナイフを抜き、彼の首に冷たい刃をピタリと当てた。
「声をたてるな」
ヤヨイはその兵の耳に小さく囁いた。
「死にたいのなら、叫べばいい。どうする?」
男の汗の匂いがした。怯えているのがわかる。
男は、全身から力を抜いた。
ヤヨイは気づいた。彼は最後の第三の兵だ。この小隊で最初に夜の歩哨をしたときに相方になった初年兵・・・。
「質問に、答えなさい」
男は、頷いた。
「この分隊は、第二?」
男は首を振った。第二でないとすれば、第一か。レオン少尉の小隊でもっともベテラン揃い。強兵の集まりだ。
「指揮しているのは誰? 少尉?」
彼は、もう一度首を振った。
やはり・・・。これは少尉の本隊じゃない。囮(おとり)だ。少尉の本隊は、第二だ。ヤヨイの、つかの間の「戦友たち」。そして、ジョー・・・。
「じゃあ、指揮官は軍曹か、ヒッピーね。少尉はどこ? レオン少尉は、どこに行ったの?」
黙っている男の首筋に当てたナイフの切っ先をグイ、と肌に押した。男は三度目の首を振った。知らない、というのだろう。男の汗の匂いが増した。
すると、少し北の、軍用道路の方から、また「フクロウ」が鳴く声がした。
「応えてやりなさい。おかしなマネをすれば・・・、わかるよね?」
ヤヨイは彼の口から手を離した。ナイフを彼の首、頸動脈の辺りに据えたまま。
最後の第三の兵は両手を口に当て、そして・・・。
「ヤヨイが居るぞっ!」
一瞬の躊躇は、あった。
つい先日まで文字通り同じ釜の飯を食った、戦友。同じ夜間の歩哨に立ち、共に威力偵察に参加した仲間・・・。
だが。
自分が躊躇(ためら)えば、もっと多くの兵が犠牲になる!
それを止めるために、自分は戻って来たのだから!
ヤヨイと同じ、徴兵されたばかりの20歳。初年兵にしては芯の通った若者。それだけに、生かしては置けなかった。
レオン少尉の許にさえいなければ・・・。
彼の甲高い声は、彼の短い生涯最後に放った声になった。
ヤヨイはナイフをスッ、と無慈悲に引いた。
暗闇の中に、レオン小隊の最初の犠牲者となった彼の鮮血が迸ったときにはもう、その場を離れて分隊の指揮官がいるであろうさらに北側に寄り、草葉の陰に身を隠した。
この任務で初めて、同じ帝国人を、殺した。
ヤヨイは、叫んだ。
「リーズル! アラン! 見える? 信号弾あげて! 敵は第一分隊! 指揮は少尉じゃない!
軍曹! ヒッピー! 一人がギセイになりました! もう抵抗は止めて下さい! 降伏して! さもないと、容赦しません! あなた方を全員、抹殺します!」
さほど遠くない西の森の上にシュルルルと光の帯が上がって行きバンバンバンッ、と3度爆発し小さな火球を作った。その光が、つかの間、小雨に煙る暗い森の中とヤヨイの硬直した頬を照らした。
その直後。
ダ、ダアーンッ!
ピチュ、ピチューンッ!
再び暗闇となった森の奥が光り、発砲音と音速を超えた弾丸が頭の上を掠める音がほぼ同時に見え、聞こえた。
至近だ。200はないだろう。だが、まだヤヨイを視認してのものではないこともわかる。これは、探索射撃だ。
だが、ベテランにして強兵のはずの第一の兵は、暗闇で銃を撃つリスクを考慮していなかったようだ。
昼間の森の中なら分かりづらいが、夜間射撃の発射光は、目立つ。オレはここにいる、とこちらに教えるようなものなのだ。
「ヤヨイッ! 見えるよっ! 援護する!」
左側からリーズルの緊迫した声が届いた。
ヤヨイは左側の発射光目指して、身を低くしてひた走った。まだ銃声の余韻が響いていて、彼女の足音を隠してくれているうちに。
左側は西側。リーズルの射線に入る。誤射を受ける危険はあるが、東側を行って流れ弾を喰らうよりは、彼女に見えやすい方がいいと思った。『連隊一のスナイパー』のウデを信じる!
迫るヤヨイに気付いた相手は、当然、撃って来た。
ダンッ!
弾はヤヨイの左耳のすぐそばを掠めた。敵はヤヨイに相手の懐に飛び込む絶好のチャンスをくれた。
二式アサルトライフルは5連の実包を装填し、槓桿を引いて弾を銃身に送り込み、射撃後に再び槓桿を引いて薬莢を排出し、同時にカム機構が5連実包をスライドさせ、槓桿の戻りで次弾を薬室に送り込む仕組みだ。だが、次弾装填でどうしても照準が狂うからもう一度狙いをつけ直さねばならない。だから初弾発砲から次弾を装填して第二射発砲までに慣れた者でも2、3秒のラグが生じるのだ。
2、3秒もあれば、ヤヨイには充分だった。
「はあっっっ!・・・」
風のように相手の前に飛び込み、構えていた銃を蹴り飛ばし、掌底で相手の鼻を直撃した。
「ぐはっ!」
軟骨を陥没させられた相手は、血を噴き出した鼻を抑えて蹲った。これで、ほとんどの者は戦意を喪う。
やはり、第一の兵だ。
大柄な兵にとどめを刺すべく近寄ろうとしたところに、
ダンッ!
背後の木の幹をピチューンッ、と弾が掠めた。
とっさに蹲った兵の陰に身を隠した。
「ヤヨイっ!」
その声に、凍り付いた。
「ハンス! 」
共に囲んだ夕食の鍋。共にパトロールした国境。初めての実戦を経験した威力偵察、共に籠った前哨陣地のタコツボ。共に勝利の美酒に酔い、歌い合った、仲間・・・。
彼の朗々とした歌声、「マイスタージンガー」という綽名に違わない美声が、今も耳に残っていた。
ジャキーンッ!
暗闇の中にうっすらと影が見えた。あの太った影が、槓桿を引いて再びこちらに銃口を向けていた。
「ヤヨイ、頼むっ! お願いだ! 立ち去ってくれ!
オレは戦友を殺したくない。お前も『戦友殺し』にしたくないんだ! お願いだ、ヤヨイっ!・・・」
戦友殺し・・・。
最初から欺いていたとはいえ、確かに彼は「戦友」だ。
ここに戻ればこんな時が来るのは、わかっていた。
だが、わかっていたこととはいえ・・・。
「ハンス、武器を捨ててっ! 降伏してっ! 降伏しないなら、あなたを、殺す」
「ハンス!」
左手、北の方から声がした。軍曹の声だった。
「ここはオレに任せて少尉のところに行けっ! 」
「軍曹っ! 降伏してくださいっ! あなた方はもうどこにも行けないっ! ムダなことは止めましょうっ! 」
その時。
目の前で顔を抑えて蹲っていたはずの一分隊の兵の手が、草の間に転がっていた小銃に伸びたのが見えた。
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naosi
歴史・時代
大日本帝国海軍のほぼすべての戦力を出撃させ、挑んだレイテ沖海戦、それは日本最後の空母機動部隊を囮にアメリカ軍の輸送部隊を攻撃するというものだった。この海戦で主力艦艇のほぼすべてを失った。これにより、日本軍首脳部は本土決戦へと移っていく。日本艦隊を敗北させたアメリカ軍は本土攻撃の中継地点の為に硫黄島を攻略を開始した。しかし、アメリカ海兵隊が上陸を始めた時、支援と輸送船を護衛していたアメリカ第五艦隊が攻撃を受けった。それをしたのは、アメリカ軍が沈めたはずの艦艇ばかりの日本の連合艦隊だった。
この作品は個人的に日本がアメリカ軍に負けなかったらどうなっていたか、はたまた、別の世界から来た日本が敗北寸前の日本を救うと言う架空の戦記です。
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