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23 ふたたび最前線へ
しおりを挟むリヨン中尉は汽車まで待たせていてくれていた。
同じ汽車で第13軍団の司令部に赴こうとしていた貴族の元老院議員や各省庁から派遣される役人たちからは文句を言われた。
「たかが尉官ふぜいと下士官兵のために元老院議員を待たせるとは何たることだ。ウリル少将には厳重に抗議する。覚悟しておけ!」
ヤヨイたちが乗車するのを待っていたように汽笛が鳴り、汽車は発車した。
帝都に戻るときと同様、高官たちの無遠慮な悪意の眼差しを浴びながら夜風に髪を弄らせ続けた。
「気にするな、ヤヨイ」
中尉は何故か笑っていた。
「でも、これできみもぼくと同じになったな」
どういう意味か解りかねていると、彼は言った。
「ぼくの名前はシャルル・リヨン。きみと同じ、平民だ。だけどかつては名前と姓の間に『キャピュレット・ド』が入ってた。バカバカしくなってね、抜けたんだよ、貴族を」
育ちの良さは感じていたからさして驚きはしなかったが、無口な彼の口からの突然の身の上話に少し、戸惑った。
「でも、わたしは貴族じゃありませんけど・・・」
「でも、親が馬鹿みたいに見えたんだろう? 違うのかい」
高速を出しているためにガタガタ揺れる乗り心地の悪い客車でしばしの仮眠を取った。
終点に着いたのは翌々日の日の出前だった。
胸糞の悪くなる議員たちと別れ駅舎で陸軍の換え馬に乗って駅を出た頃、ようやく夜が明けた。
38連隊の駐屯地に着いたのは、6月20日の昼前だった。レオン少尉の決起の日はもう明日に迫っていた。彼女が言葉通りに行動するなら、そうなる。
司令部前のポールには13軍団旗の隣に西隣の戦線を担当する第15軍団旗と東隣りの第4軍団旗とが掲揚されていた。徒歩行軍の本隊はまだだったが、司令部要員が先行して馬で到着していた。厩の馬の数が一挙に二倍に増え、司令部の中の喧騒も増していた。この連隊司令部が反乱部隊討伐のための総司令部を兼ねることになるのだ。
そして驚くことには国境に向かって東西に二本のケーブルが、通信用の高価な銅の裸線が伸びていたことだった。極力雑音を拾わぬように木の支柱で地面から浮かせてあった。反乱部隊鎮圧のためのウリル少将が万全の手配をしているのがわかった。
彼は事情聴取の時と同じ落ち着いた風情で司令部のオフィスにいた。
「閣下、わたしを前線に戻してください」
オフィスに入ったヤヨイのすぐ後ろにはリヨン中尉が控えていた。
「なぜ戻って来たのか。お前にはクィリナリスで待機するよう命じたはずだ」
「わたしには責任があります。まだ果たしていない任務を遂行しなければなりません」
「お前に与えた任は全て解いた。お前にはなんの責任もないし、咎もないし、ここにはお前の為すべきことは何もない」
「ここではわたしが一番レオン少尉を知っています!
わたしにしか、少尉を斃すことは出来ません!」
少将はニヤリと笑った。
「ずいぶんと、思い上がったものだな」
と、彼は言った。
「どうしてそう思うようになったのだ」
「わたしが少尉を排除しなかったせいで、多くの兵たちが傷ついたり命を落とすのが、イヤなのです」
「しかし、イザとなればお前はまたためらってしまうかもしれない。その時はお前自身が命を落とすぞ。それでもいいというのか」
「・・・覚悟の上です」
「何故だ。このまま他の新兵達と同じ野戦部隊で徴兵を終えて大学に戻る方がよかろうに。お前の継父、あのパークという実業家の援助を受けられるかもしれんぞ。お前の母の夫だ。そのほうがトクではないか」
「あの人たちは・・・、わたしとは、違います」
「どう違う」
「わたしの帰るべき家は、あそこではありませんでした。軍隊がそうなのかは、わかりません。でも、少なくともわたしの力を必要としている人がそこにいるなら、わたしはそのために働きたいと・・・」
ヤヨイが言い淀むと、ウリルはしばし瞑目した。そして立ち上がるとヤヨイを穏やかな黒い目でじっと見据えた。
「わかった」
と、彼は言った。
「そこまで言うのならば、再びお前に任務を与える。
ヴァインライヒ二等兵。38連隊独立偵察大隊付きとしてニシダ・リンデマン・カンターらによる反乱部隊討伐の任に付け。偵察大隊司令ポンテ中佐の直接指揮下に入り、彼の作戦に参加することを命ずる」
ヤヨイは少将の下命に対し敬礼で応えた。
「ヴァインライヒ二等兵、独立偵察大隊付きとして反乱部隊討伐の任に就きます!」
「お前の補佐役としてリヨン中尉を派遣する。大隊司令部から離れて行動する際には彼が力になってくれるだろう。ただし、」
なんだろう、と身構えたヤヨイに、ウリル少将はデスク越しに詰め寄った。
「反乱首謀者、特に士官の中でもレオン少尉だけは生かして捕らえろ。絶対に殺してはならん。
何故か、わかるか」
「・・・裁判を受けさせるため、ですか」
「彼女を殉教者にしないため、だ」
「殉教者?」
少将はデスクを回ってヤヨイの前に立った。
「今から三千年ほど前。古代ローマ帝国の辺境地にユダヤという土地があった。
そこに生まれたある男が『自分は救世主だ』と言い始めた。ローマの許しも得ずに自分が作り上げた教えを布教し、その教えはあっという間に周囲の人々に広まった。
ローマから派遣されたその地方の総督は彼を逮捕し裁判にかけて死刑にした。ローマ帝国と皇帝をないがしろにし、この世は唯一絶対の神のものであるという教えに危険なものを感じたからだ。ところが『救世主』を自称する男のその教えはその後ローマ全土に広まり、やがて古代世界をあまねく支配したローマは分裂し、滅びた。
その『救世主』を自称する男、イエス・キリストを死刑にさえしなければ、その教えのシンボルである十字架を崇めることもなかっただろうし、教えは輝きを失い、広まることもなく、消えたことだろう」
ウリル少将は静かに言い放った。
「わかるか、ヤヨイ。
彼女は、レオンは、死のうとしている。現にお前に殺されようとした。だが、お前は殺さなかった。それで、よかったのだ、ヤヨイ。
皇帝陛下もわたしも、彼女を殺さず、終身労役を課す処分を考えている。そうすれば彼女は伝説にはならず、彼女の教義は、死ぬ。わたしはお前の報告から、そう判断をしたのだ。
大切なのは彼女を排除することではない。彼女の教義が陳腐なものであることを知らしめ、この世から葬り去ることなのだ!」
ウリル少将はキッパリと言い切った。
「わかりました、閣下」
レオン少尉を殺さなくていい。捕えればいい。
そのことは、ヤヨイの胸につかえていたわだかまりを消し去った。
「・・・死ぬなよ、ヤヨイ」
ウリル少将は不敵な笑みを浮かべた。
偵察部隊用の、同意を示す小さなバウだけの敬礼で応え、ヤヨイは少将のオフィスを後にした。
第二中隊の兵器保管所の伍長のところに行き、預けていた小銃と実包とを受け取った。
「預かってるのは2丁だな。2丁ともか」
「いいえ、伍長殿。銃床に『L』の刻印のあるものだけです」
短冊の下に受け取りをサインして小銃を持ってゆこうとすると、待て、と止められた。
「貸してみろ」
遊底を開いて窓に銃口を向けて中を覗いてから棚の実包を一発取って銃身に装填し試射台に固定した。
ダァーン!
丁度兵舎の長さいっぱいに設けてある弾道検査用の筒の向こう側を一本望遠鏡で見た伍長は、
「古いが、手入れの行き届いた、いい銃だ」
そう言って銃身を握り、返してくれた。
「お前は新兵だろう。こんな古い銃、誰から譲り受けた」
「自分の、師匠からです」
とヤヨイは答えた。
的の紙を新しいのに替えておいてくれ。
保管所の伍長からそう言われ、兵舎の反対側の西の端、食堂の壁に刺さっている枠を抜いた。木枠には的用の紙が貼ってあり試射した弾丸の穴が開いていた。穴は見事に的のど真ん中を貫通していた。
再び完全武装を整えたヤヨイは厩に走った。すでにリヨン中尉が同じく完全武装で待っていた。
「では、行くか」
「はい」
こうして二人は、揃って連隊駐屯地を出た。
行く先は、レオン少尉を討伐する38連隊の独立偵察大隊司令部だった。
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