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21 汽車の中で、泣く
しおりを挟む軍用道路を南に向かった。
いつの間にか横合いから馬が走り出てきてヤヨイを追走し、やがて並走してきた。鼻先を並べるほどになり横を見るとリヨン中尉だった。ウリル少将の言葉通り、彼は待機してくれていたのだ。まるで、ヤヨイの陰のように。
2騎は、共に南を目指して走り続けた。
1時間ほどで森を抜け、連隊駐屯地に着いた。野戦陣地と違い、石造りの不愛想な建物は遠くから目立った。周りは全て農園。見渡す限りのまだ青い小麦やまだ穂が出ていないトウモロコシ畑が続く中にそこはあった。10日ほど前にここを出た時にはほとんど走るように歩いたことを思えば、瞬く間のように感じた。
正門正面にすぐ連隊司令部がある。司令部前のポール中央には高々と深紅に鷲の紋章のある帝国軍旗が翻り、向かって左にローマ数字で13をあしらった第十三軍団旗、右には第38連隊旗がそれぞれ夏の強い南風にはためいていた。
ヤヨイとリヨン中尉は両側に衛兵の立つ正門を通り、その正面石段を登った。
「連隊長殿にお目にかかりたいのですが」
普通の場合なら最下層の二等兵が大佐である連隊長に直接会いたいなどは通らない。だが横にはリヨン中尉がいて、さらに指示が伝わっていたらしい。
入り口の衛兵からすぐに幕僚室へ。幕僚室に詰めていた司令部付の少尉は、
「わかった。こっちへ」
すぐ連隊長室に案内してくれた。
「連隊長殿、ヴァインライヒ二等兵が参りました」
「・・・通せ」
「失礼します」
ドアが開かれた。
驚いた。
そこにウリル少将がいたからだ。
「ヴァインライヒ二等兵、ご苦労だった。そこへ掛けなさい」
事情聴取が始まった。
長いテーブルを挟んで正面にウリル少将。その隣にヤヨイより背の低い小男の連隊長ビューロー大佐が顔面蒼白で座っていた。
その理由はイヤでも想像がつく。ヤヨイが来るまでの間、自分の連隊から反乱者を出した責任をその隣に座っている連隊の参謀長と共に追及されていたのだろう。
ウリル少将の反対隣には第13軍団の参謀である少将が、同じく茶のマント無しの、金の縁取りをした茶の肩止めを着けた略装で座っていた。少壮だが尊大な風貌。軍団参謀長の存在はその場を威圧していた。
「反乱計画の概要は知ることが出来ました」
まず結論を言い、前線から戻って来た訳を話した。
反乱計画は事実であり、すでに決行日も決まったこと。
首謀者はニシダ少尉、リンデマン大尉、そして25連隊のマーク・カンター中尉。さらにそれぞれの小隊の軍曹などの下士官数名。
決行前に野戦部隊の兵たちを陣地から落ち延びさせ、総勢一個中隊の兵力で主にリンデマン大尉の籠る西の宿営地と工兵隊の陣地を結んだ複合陣地を拠点にすること。
ニシダ少尉の部隊が現在の東の宿営地から発進し、さらに東の、別の軍団の管轄の宿営地にいる部隊を攻撃して戦端を開き、軍用道路を直進せず大きく南に繞回しながら西を目指し、合流を阻止しようとする部隊があればこれを撃破しつつ西の宿営地に入場する予定であること。
旗印は青地に金のクロスでライオンの紋章があること。
そして、以上を連隊や軍団に通報し、なるべく多くの部隊を連れて来いと少尉が言ったことも付け加えた。
ヤヨイは見聞きしたすべてを話した。
「小官は・・・、少尉を排除できませんでした」
そして、ヤヨイの横には偵察大隊の大隊長である中佐が着いた。もちろんだが、ヤヨイは初めて顔を見る。
ウリル少将が尋ねた。
「それは、ニシダ少尉の思想に賛同したからかね」
「いいえ、違います。それは・・・、人間的な理由です。あまりに優秀な指揮官を失うことへの畏れと、後は・・・」
「要するに、貴官はニシダの殺害に失敗しておめおめ逃げて来たというわけか。
彼女は貴官に自ら手の内を全て曝し、さらに貴官を拘束もせず、殺害しようともせず、貴官が原隊に帰還するのを容認したというのかね。・・・あり得ないではないか」
13軍団の参謀が口を挟んだ。いかにも士官学校の上位卒業の秀才然とした、いけ好かない将官だった。
ヤヨイはそれ以上答えることができなかった。俯いて黙っていた。
「リンツ参謀長。彼女を派遣したのはわたしだ。すべての責任はわたしにある。今はこの者の責任を追及するよりも本件の対策を講じることが先だ」
ウリル少将は、言った。
「・・・わかった。ヴァインライヒ二等兵。宿舎に帰って別命あるまで待機したまえ。ご苦労だった」
重苦しい空気の連隊長室を出ると廊下にリヨン中尉が立っていた。
彼は黙ったまま頷いた。
司令部を出て偵察部隊の宿舎になっている棟に向かった。
連隊の総兵力は約1000名。そのうち最大の、約4割が偵察大隊になる。400の偵察大隊は基本小隊ごとに行動し、一週間から二週間の偵察行動を行うと一週間ほどの休養をする。24ある小隊の半数から6割ほどが常時前線をパトロールし、残りは連隊に留まる。連隊にいる間は朝夕のロードワークなどの基礎体力維持の運動の他はすることがない。他の野戦部隊の兵たちと同様、余暇を球技や読書などをして過ごす。過ごし方に特に規範はなかった。
司令部前の広大な練兵場で午後の球技を楽しむ兵たちを横目で見ながら歩いた。
グウ、と腹が鳴った。昼を食べていないのに気付いた。こんな時でも腹は減るんだな、と思った。だが、仕方がない。報告が済んでホッとしたせいだ。
10日前に入隊して自分の宿舎にも入らずそのまま小隊に加わったから、どこが自分の宿舎なのかわからない。とりあえず練兵場の東にいくつか立ち並んでいる不愛想な石造りの建物の一番手前の入り口を入り、宿舎ごとにある食堂へ行った。食堂には兵たちの食事を作る奴隷がいるはずだ。新兵訓練所ではそうだった。彼らに訊けば自分の宿舎がどこかわかるだろうし、昼食の余りを分けてくれるかもしれない。
あ、いや、その前にまず、銃を預けねば・・・。
中隊の宿舎の隣に携帯兵器の保管所がある。そこに詰めている伍長に申請して銃と実包を預けた。
「なぜ銃を2丁持っているのか」
年かさの伍長は袖に四本の筋が入っている。連隊付きなのだろう。まさか本当のことも言えず、
「連隊長殿の指示です。小官には存じかねます」
と答えておいた。伍長はめんどくさげに、だが律儀に紐のついた札を取り出して鉛筆を持ち、
「姓名。階級。所属」
と、言った。
食堂の配置や炊事場の位置も訓練所と同じだった。軍隊というのは全てがマニュアル通りなのだなと思った。
「ここは偵察第二中隊の食堂ですか」
自分の宿舎もわからないなんて、いささか間抜けな質問だが仕方がない。昼食はオートミールだったのだろう。大鍋を洗っている奴隷に声を掛けた。肌は浅黒い。西の国から来た奴隷だろうか。
「はい、そうです」
「昼食の残りがあれば、分けてもらえますか」
「わたしたちもこれからなんです。わたしたちと同じものでよければ」
もちろん、それでかまわない。食べられるものなら、何でもよかった。それほどに、空腹だった。
偵察部隊の編成は野戦部隊の半分なのに食堂だけは100人以上が一度に食事できる広さがあった。食事や清掃を担当する奴隷たちがその片隅で遅い昼食を摂っているその隣で同じオートミールとパンとチーズとスープの昼食を摂ることにした。
自分のベッドが何処かさえもわからなかったので、ヘルメットをテーブルに置き、胸にクロスした革帯を外してその隣に置いた。
ふう・・・。ため息が出た。
と。
広い食堂の反対側に金髪の女性兵が一人いるのに気付いた。袖に筋がない。偵察隊に自分以外に女性兵がいることにも驚いたが、彼女が本を読んでいることにも軽い興味を惹かれた。急いでオートミールとスープを平らげ、パンとチーズ、そしてヤギのミルクの木のカップを持ち彼女のテーブルに移ろうとしたとき、
「ヴァインライヒ!」
食堂の戸口にリヨン中尉が立っていた。
急いで再び革帯を着け、ヘルメットを抱えて中尉と共に司令部の建物に向かった。ちょうどウリル少将が玄関から出て石段を下りてくるところだった。
「おお。ヤヨイ。食事は済んだか」
ヤヨイには任務を果たせなかった後ろめたさがあった。まともに少将の顔を見ることが出来なかった。
「短期間だったが、お前にはあらゆる技を教え込んだつもりだった。だが、お前の心を鍛えるのを忘れていた。明らかに、わたしの落ち度だ」
彼は落ち着いた表情で、そう言った。
「ご苦労だったな。一度帝都に戻って休め」
「・・・はい」
「任務は達成できなかったから、研究費用の助成はできない。だが、ここまでの労苦とニシダ達の情報を収集した成果に対し、褒賞を与える。
ヤヨイ、お前の母に、レディー・マリコに会いたくはないか」
「・・・閣下」
ウリル少将の黒い瞳が優しく和んでいた。突然に目の前に差し出された僥倖に、胸が高鳴った。
「連隊ーい、直ちに司令部前に整列ーっつ! 駆け足!」
司令部付の曹長が連隊の駐屯地全てに響き渡るような大音声を上げた。緊急招集を告げるドラがガンガン、ガンガンと鳴り響き、それに呼応して球技に興じていた者たちは急いで宿舎に戻って軍装を整え、中隊の兵器保管所には兵たちが殺到した。
「38連隊は、これから全隊出動し、ニシダたちの討伐に向かう。同じ旅団の25連隊にも、旅団司令部にも早馬を飛ばした。以前からこのことあるに備えてはいたから、2、3日で一個旅団は集結できよう」
少将は、司令部前に駆け集まり始めた兵たちを見やりながら、言った。尉官や佐官の将校たちもまた、彼の背後を慌ただしく司令部に出入りをしはじめた。
「・・・そんなときに、・・・よいのですか」
ヤヨイは尋ねた。
「お前にはまだ徴兵期間があるが、現時点をもって38連隊の所属を解く。お前に与えた特別任務からもだ。母に会った後はクィリナリスに帰営し、別命あるまで待機せよ」
「・・・わかりました」
「リヨン中尉が列車で首都に向かう。皇帝陛下と元老院に事の次第を上奏し、13軍団以外の兵を動員する裁可を受けるためだ。彼に帯同するといい」
中尉はいつもと変わらず落ち着いた微笑を湛えて侍立していた。そこで、無口な彼が初めて言葉らしきものを口にした。
「では、ヴァインライヒ。軍装を解いてサンダルに履き替えたまえ」
アンダーガーメントとレギンスを脱ぎブーツとナイフと共に背嚢に押し込み、リヨン中尉に続いて馬で駐屯地を後にした。出る直前、食堂で話しかけようと思っていた女性兵もまた、完全武装して偵察隊の列に駆け足で加わっているのを見た。
彼女を含む、この司令部前に集まる兵たちの向かう先をヤヨイは知っていた。
相手は帝国最強の部隊を率いるあのレオン少尉だ。このうちの何割かは傷つき、少なくない兵が、死ぬかもしれない。蛮族や敵国相手の戦闘ではなく、同じ帝国軍同士の相撃によって。それを思うと、任を解かれたとはいえわだかまりが、後ろめたい気持ちが胸を去らなかった。
軍用と民需用を兼ねて、各軍団の司令部付近には鉄道駅が作られ、首都と鉄路で結ばれていた。そうした拠点には自然に人が集まり、街が出来ていた。
シュヴァルツヴァルト・シュタットの駅舎に入るとまず電信室に向かった。
鉄道にだけは電信線が併設されていた。その伝導体には銅が使われているが、あまりにも高価なため、まだ各軍団と首都を結ぶ通信にしか使われていなかった。線の被覆もない。裸線のためにリールを巻いての携帯使用が出来ず、雑音も酷い。だがモールスは辛うじて送ることが出来た。
駅の通信士を退席させた中尉は自分で通信文を送った。彼の叩くキーを聞き、ウリル少将から皇帝陛下並びに内閣府と元老院への密書を送達すること。明日の夜までには到着することという内容であるのを知った。
もし電波で通信が出来ればわざわざ首都に舞い戻ることもない。軍団から直接暗号化した電文を送れる。こんな手間などかけず、瞬時に意志が伝わるのに・・・。だが今、ヤヨイは自分が携わっていたその研究から最も遠い場所にいた。
まだ帝国軍歩兵の主力兵器が諸刃の剣だった時代に、すでに蒸気機関が発明? 再発見? されていた。もちろん、定期ダイヤも組まれているが、ヤヨイと中尉、そして2、3の佐官が乗る客車を一両だけ引っ張る機関車は臨時列車として駅を離れ、南へ向かって全速力で単線をひた走った。
機関車の燃料は貴重な石炭だった。木炭に比べカロリーが段違いに高く、それゆえスピードが出る。ただし、現在わかっている炭鉱はその8割が海の底になっていて、数少ない地表に出た炭鉱を掘るにはコストがかかりすぎ、それ故に他の金属や有用鉱石と同様高価なものになっていた。もちろん、民需の暖房用などには高価すぎて使えず、専ら軍用の鉄道の運行に、それも緊急時のみの特別な場合にしか使われていなかった。
機関車は、全速でギャロップする馬の2倍のスピードで走り続けていた。
来るときは13軍団の他の連隊に赴く新兵達と一緒に屋根の無い無蓋車にすし詰めになってやってきたが、この特別列車の車両には屋根があり、座席も剥き出しの木ではなくクッションがありカンヴァスが張られていた。ガラス窓などはない。そんな高価なものが取り付けられているのは皇帝専用の列車ぐらいだ。首都にいる時に一度だけ見た。雨の少ない地域だから、それで不都合はなかった。今ヤヨイたちの乗る客車の窓は木の薄い板を何枚も重ねた連子窓で、採光や外の景色を眺めるには木の板の羽を傾けてやる。
コンパートメントの向かいに座るリヨン中尉は相変わらず微笑みを絶やさなかったが、恐ろしく無口だった。
せめてレオン少尉の排除に成功していれば、彼女を殺してさえいれば防げたはずの犠牲が生じようとしていた。それなのに、自分だけがノンキに母親に会いに行く。
彼の無口と後ろめたい思いとが、軽々しく彼に声を掛けるのを躊躇わせていた。同じ車両に乗り合わせた、数列離れた席からの見知らぬ中佐の不愛想な視線も、その後ろめたさを増幅させるのに一役買っていた。
向かいに座ったリヨン中尉は、窓から入る風に髪を弄らせながら窓外を流れる景色に目を細めていた。沈黙が、苦しかった。
「あの、中尉・・・」
彼はヤヨイの言葉が耳に入らなかったもののように、気持ちよさげな表情を崩さなかった。最高速で走る機関車の騒音が酷すぎて同乗の佐官たちに会話を聞かれる恐れはない。
「不甲斐ないと思っていらっしゃるのでしょうね.、わたしのことを。絶好の機会を得ながら、任務を果たせなかったわたしを・・・」
すると、彼は傍らに置いた背嚢に手を突っ込んでオレンジを取り出してヤヨイにくれた。
「食べたまえ」
ヤヨイが躊躇していると、それをとりあげてナイフを取り出し、器用に放射状に切ってそのピースをくれた。
「食べろよ。甘くて、美味いぞ」
そう言って、一切れを自分の口に入れた。
仕方なくヤヨイも食べた。
彼は指に着いた果汁を手の甲や腕に擦り込むと再び窓外に目を向けた。
「閣下は、全てわかっていらっしゃるよ」
と、中尉は言った。
「ギターを抱えて宿営地を訪れ、きみに会ってからすぐ、この事あるを想定して出来る限りの手を打たれた。きみはたぶん、ニシダ少尉を排除できないだろう、と。
そしてきみの話を聞いて、むしろ暴発させるべきだと。抑え込むよりも、出来るだけ被害を軽度にして暴発させる方が、一番良い結果を生むと。そう、お考えになられたのだ。
きみはベストを尽くした。
彼らの戦力と計画、その実行日まで調べて報告した。だからもう気にすることはないんだよ。全て閣下にお任せし、きみはもう、任務のことは忘れた方がいいと思う」
リンデマン大尉の部隊を差し替えさせたのも、ウリル少将の手配だろうとは思っていたが、彼がそこまで考えていたとは、知らなかった。
なぜ、自分は少尉を殺せなかったか。
少尉の思想に共鳴したからか。彼女に抱かれたからか。彼女の人間的な素晴らしさに圧倒されてしまったからか。
いずれもそうだとも違うとも言えないような気がする。
元々、金のために引き受けた任務だったから。それが一番近いような気がする。
金のために人を殺すなんて。
そんな考えからどうしても抜けきれなかった。それが一番近い。初めて会った尊敬に値するあの立派な軍人を殺す動機を、持てなかった。
少尉とアレックスを助けたのは無意識だった。
少尉であれ、誰であれ、無警戒な人間が害されようとしているのを傍観できなかったからだ。それが少尉であれ、無名の街の人であれ、皇帝その人であれ、ヤヨイは助けたに違いない。無我夢中で銃を撃ちまくり、殺しまくったくせに、自分たちの手によって命を落とした敵兵の無数の無惨な死体を見て、お気楽な普通の大学生の感覚を取り戻していたのだ。
自分はなんと、恐ろしいことをしてしまったのか、と。
そして、これ以上人が死ぬのを見たくない、と。
そんな気持ちが働いたせいだろう。
ヤヨイは、中尉が切ってくれたオレンジを食べながら、入隊して初めて、泣いた。
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