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20 レオン少尉との別れ
しおりを挟む西の宿営地を辞し、レオン小隊の陣地への帰途。
ヤヨイは少尉と轡を並べた。
「リヒアルト・ウェーゲナー・フォン・リンデマンは名門ウェーゲナー一門中の名家、リンデマン家の長男。れっきとした貴族だ」
少尉は言った。
「表向き、貴族は生業を持つことを許されない。広大な領地を持っていても経営が許されるのは50を過ぎてからなのだ。貴族の家に生まれた男はみな軍務に就かねばならない。貴族として生まれた者の義務なのだ。
これは法が定めているからではない。慣習、習わしのようなものだがな。平民たちの手前、自分の家の利益にあくせくせず、帝国のために奉仕するという『貴族の矜持』のようなものだ。その代わり、10年兵役を勤め上げれば、貴族は元老院に議席を得る。貴族が士官になるのは国政参加の条件のようなものだ。
だから彼も他の貴族の子弟と同じようにリセを卒業すると士官学校に入った。
わたしはそこで彼と出会った。そして、彼の人となりを知り、彼こそは帝国軍全軍の頂点に立つべき人物と思うようになった。それは今も変わっていない。だがそれまでにはあと10年20年の月日がかかる。そこまでは、待てない。
それに貴族だからか誰かに担がれているうちはいいのだが、時としてあのように、決断する意志が弱いときがある」
「だからですか。だから・・・」
反乱という言葉は回避したかった。だがヤヨイが見聞きしたすべては、これからそれが起こることを、今横で話している人物がそれを起こすことを示していた。
「そうだ。だから、わたしは同志と共に彼を担ぎ、事を起こすことにしたのだ。それを反乱と言いたいなら、言えばいい。だが、これは帝国に反旗を翻すものでは決して、ない。
これは、帝国への反逆ではないのだ、ヤヨイ!」
少尉の熱い視線が、頬に突き刺さる。
「ヤヨイ。わたしは帝国と軍を愛している。
軍はわたしの家。帝国の人々はわたしの家族だ。家族が迷っていれば、これに正しい道を指し示してやるのが家族の一員としての務めだ。そうではないか。そう思わんか、ヤヨイ」
「しかし・・・、」
ヤヨイは反論した。
「しかし、こんな辺境の地で兵を挙げたとして、首都や帝国全土の人々に届きますか?
それが大尉を、高みへ押し上げますか?
いたずらに国境防衛を混乱させて、結局は、大尉の仰った『犬死に』させるだけなのではないのですか」
少尉は、馬を止めた。鳶色の瞳でじっとヤヨイを見つめ、ヤヨイの言葉を受け止めてくれているように見えた。
「少尉の理想はわかりました。でも・・・。
それに小隊や他の兵をつき合わせるのですか。
それで小隊のみんなが死ねば、少尉の理想が実現するのですか。
少尉は、それで満足なのですかっ!」
「そこで少し、休もう」
道端にまた一つ、誰かの墓があった。
その墓石にも何かの碑文があるだろう。
だが今、それを読んで死者を偲ぶ余裕はヤヨイにはなかった。
少尉は傍らの木に手綱を結び、人々が墓に出会うとそうするように彼女もまた墓の前に跪き首を垂れた。ヤヨイは少し離れたところに馬を繋ぎ、少尉と距離をとった。
「お参りぐらいはするものだぞ、ヤヨイ。誰の墓かは知らんが、死ねば皆同じだ。生きているものは死者に敬意を払うべきだ」
そう言って担っている銃を墓石に立てかけ、墓石の前にナイフを鞘ごと外して置いた。そして墓から離れ、背を向けた。丸腰だというジェスチャーなのだろう。これも彼女の人心掌握の術の一つなのだろうか。
「リンデマン大尉の、リックの中隊の小隊を入れ替えた力。その力と同じものが、お前の背後にも居るのはなんとなく、感じていた。それが何かは知らんがな。別段、興味もない」
少尉は言った。
「そのような些末なことはもう、どうでもいいのだ。
わたしはとうに命を捨てている。担がれているリックも同じだ。あの工兵隊の護衛についていたマークも。だが部下たちを巻き添えにするつもりはない。死ぬのは士官だけだ。下士官以下は一兵たりとも、死なせはしない」
「ですが、あなた方が行動を起こせば鎮圧部隊が編成され、同じ帝国軍同士が相打つことになります。銃を持った部隊同士の戦いです。そうなったら、必ず双方に犠牲が出ます。少尉の仰るのは、詭弁です!」
彼女は振り向いた。変わらない、闘志に満ち満ちた表情(かお)がそこにあった。
ヤヨイもまた銃を下ろし、墓石に立てかけた。
「ほう。武装を解いて、裸のこころでわたしに対してくれるというのだな。礼を言うぞ、ヤヨイ」
警戒を解いたわけではない。むしろ、銃が邪魔だったからに過ぎない。少尉もそれを知っているはず。それなのに「礼を言う」という。それも詭弁だと思う。ただ。格好をつけているだけでなないか。
「わたしは兵を挙げるつもりだ。しかし、友軍と相打つつもりはない」
「理解できません! 反乱を起こして、相打つを回避できるとは到底思えません!」
「説明が難しいが、出来るだけ多くの兵に、知ってもらいたいのだ。わたしたちの義挙を、知って欲しいのだ。
それが達成できれば、わたしはどうなってもいい。投降もする。リックやマーク達と共に。そして軍法会議でもなんでも、かけてもらえばいい」
「なら、今、お一人で連隊まで帰営し、連隊長に上申すべきです。そうすれば、ムダに血を流すことは無くなります!」
「それでは、ダメだ」
「なぜですか」
「もし、わたしが今事を起こすことを断念してもまた誰かがやるかもしれない。帝国の他の戦線で同じようなことが起こるかもしれない。ならば、今、出来るだけ派手に暴れ、軍の目を覚まさせ、なぜ我らが立ったのか、その原因を追究させ、対策を立てるきっかけにする方が、軍や帝国のためになる。わたしはそう考えたのだ」
「帝国と軍の将来のために、少尉みずから捨て石になるというのですか」
「そうだ」
「そんな・・・。バカげています!」
ヤヨイは少尉に対して、軍に入って、初めて声を荒げた。
「あなたほど優秀な指揮官はいません! それなのに何故・・・。
わたしには、少尉のお考えはまったく、わかりません! 理解できません!」
「ならば、答えは一つだヤヨイ。
今、わたしを殺せば、おそらくはリックも事は起こさない。我々の義挙を未然に防ぐことができるぞ。お前はそう、命令を受けているのだろう。最終的にわたしを殺せ、と。
今が絶好の、唯一のチャンスではないか。お前の言が正しいなら、わたし一人の命で、多くの兵の命を救うことができる」
そう言って、少尉は両手を広げヤヨイに近づいた。
反射的にヘルメットを捨て構えの姿勢をとった。どんな相手でも、どんな武器を持っていても、相手が何人でも即応できる。そういう構えだ。
「今でもお前は、わたしの愛する部下だ、ヤヨイ。
部下を害するような指揮官は指揮官ではない。お前に対するのと同じように、わたしの小隊や西の宿営地や工兵隊の護衛に付いている25連隊の兵にも対するつもりだ。
しかも、見ろ。わたしは丸腰だ。銃を持っていたとしてもお前には敵わないのに、素手なら相手にすら、ならんだろう」
そう言ってゆっくりとではあるが少しづつ間合いを詰め、ヤヨイに近づいていった。
「それ以上、近寄らないでください。わたしは、わたしはっ・・・、あなたを殺さなければならなくなるっ!」
「では、お前はお前の任務を果たすがいい、ヤヨイ。
言っただろう。わたしは、とうに命を軍に預けている。どこでどうなっても、本望なのだ。ただ、どうせ命を捨てるなら、自分の理想に死にたい。帝国に殉じたい。ただそれだけなのだ」
少尉の胸がヤヨイの震える手に、構えた手刀に触れた。
その手刀に彼女の手が触れ、ヤヨイの手は武器であることを、やめた。
そして、彼女は、渾身の力でヤヨイを抱きしめた。
「わかってくれないか、ヤヨイ。わたしは義のために死にたい。理想のために死にたいのだ。わたしを育んでくれた帝国のために殉じたいのだ」
「どうして・・・」
少尉の逞しい腕に抱きすくめられ、ヤヨイの身体から力が抜けた。もともと殺意を抱けていなかった。母のような、大きな慈愛の前に、力を失った。ヤヨイは、アサシンではなくなった。
「どうして・・・。どうしてそこまで・・・。なぜ『死』なのですか!」
少尉は墓石の前の木陰に腰を下ろした。それを見てヤヨイもまた彼女の隣に並んだ。
「ヤヨイ。
わたしは、乳児院で育ったのだ。わたしの姓は『ニシダ』だが、本当の父親が西の国の捕虜だったのをだいぶ後になってから知った」
太陽が真上だった。大きな杉の木の陰に入らなかった部分の切り石が熱く焼かれていた。そこに羽を休めようと飛んできた鶯があまりの石の熱さに驚いて再び囀りながら飛んで行った。
「母も本当の母親ではない。わたしは、徴兵された新兵だった母と捕虜との間に生まれた私生児だったのだ。
そのわたしを養育してくれたのは軍であり、帝国だった。
わたしは軍以外の世界を知らない。
小学校を卒業して幼年学校に入り、そのまま士官学校に入学した。軍がわたしの家であり、兵たちがわたしの家族だ」
遠く南をゆったりと流れる雲を目で追いながら、少尉は語り続けた。
「お前のように素晴らしい母に養育されていれば、まだ違う道を辿ることもあったかもしれない。お前のように夢を持ち、夢のために生きようとしたかもしれない。
だが、わたしは違った。軍がわたしの血肉であり、わたしの心の拠り所なのだ。その軍を害する者は、だから、わたしの敵なのだ!
今、軍は、薄汚れた者どもに害されようとしている。軍に巣くい、軍を使って私利を貪る下劣な者どもに。
そのような者たちの命で兵たちを死地に赴かせることは、わたしには絶対に容認出来ない。あのような者たちの命で、わたしの大切な兵たちに命の危険を冒させることは、わたしには到底、出来ないのだ、ヤヨイ!」
少尉のこの切実たる瞳に、誰か打ち勝てる者がいるのだろうか。ヤヨイは思った。
ウリル少将は、どうだろうか。彼女に勝てるだろうか。
負けそうな心を、懸命に鼓舞し、奮い立たせようとするしか、ヤヨイにはもう、手がなかった。しかし、それもどうも、疑わしくなってしまっていた。心が、未来のあるウリル少将の言葉よりも、未来の無いレオン少尉に傾きつつあるのを感じないわけにはいかなくなっていた。
「どうも・・・、わかっては、くれない、ようだな・・・」
彼女は立ち上がった。
「もう、・・・行かねばならん」
そう言ってヤヨイに背を向け、馬の手綱を解き、ヒラリ、馬に跨った。
「少尉!」
馬の首を巡らせて、少尉はヤヨイを見下ろした。その姿があまりにも凛々しく、神々し過ぎて、声を掛けるのが憚(はばか)られるほどだった。
「銃を・・・」
お忘れです。と言おうとした。が、その後が、声にならなかった。
「銃か・・・」
少尉は、フッと吐息を吐いた。
「わたしにはもう、それは必要ない。
わたしと共に立ち、わたしの意を果たしてくれる兵が、すなわちわたしの銃だ。
良ければ、お前にやる。去ってゆくお前への手向けにできるものと言えば、わたしにはそれぐらいしかないからな」
そう言って少尉は、ニッコリと笑った。母の慈愛が、その顔に浮かんでいた。
もう少尉を翻意させることは誰にも出来ないだろう。一抹の寂しさを、覚えた。
「なぜ・・・。何故なのですか、少尉。どうして、あなたのような人が・・・」
なぜ彼女のような優秀な軍人が死に急ぐのだろう。
不条理としか言いようがなかった。
「ヤヨイ。お前はお前の任務を果たすべきだ。それが、軍人だ。
今、わたしを殺さないなら、お前に命(めい)を授けたものにお前の見聞きしたすべてを報告することだ。そしてその者に伝えよ。なるべく多くの部隊を連れて来いと。
お前が共に立ってくれなかったことだけは、心残りだった。また会えるかどうかはわからん。だが、命を大切にしろ、ヤヨイ。
では、さらばだ!」
鳶色の瞳の奥に光るものを残し、気合をかけてピシリと手綱を入れ、少尉は東に向かって去って行った。
清々しいほどの、全てが漂白されるような意志の高潔さ。
ヤヨイには出来なかった。
自分には少尉を殺すことはできない。あまりにも神々し過ぎて、立派過ぎて・・・。
あの鮮やかな戦術指揮。人心掌握術、高潔な理想。少尉は母のように、姉のように、自分を包み愛でてくれた。
こんな人を殺すことは、間違っている。
なにか、どこか、世の中の法則みたいなものに反している。そう思った。
蹄の音が遠く消え去ってから、傍らの墓石の碑文に目を留めた。
「人生は短い。それに一回きりだ。誰だか知らんが、思いのままに生きなさいな。ここに入る時に後悔しないようにね」
少尉の残した銃。木の銃床には「L」の文字が刻印されていた。
2丁の銃を肩に担い、ヤヨイもまた馬に乗り、南を目指した。
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