【新版】優しい狩人 【『軍神マルスの娘』と呼ばれた女 1】 ~第十三軍団第七旅団第三十八連隊独立偵察大隊第二中隊レオン小隊~

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16 東の宿営地と「優しい狩人」

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 翌朝。

 二日酔いの頭を軍曹に引っぱたかれながら、兵たちは起床した。

 少尉は兵たちのテントのひとつから出て来たが、同じテントからすっ裸で出て来た4人の兵を顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。

「お前たちっ! 軍服も着けずに出てくるヤツがあるか、この、バカ者どもが!」

 すると全裸の一人が股間を隠しつつモジモジしながら釈明した。

「お言葉ですが、少尉。服はテントに入る前に全部少尉に剥ぎ取られてしまって、見当たらなかったのです・・・。どのへんに放り投げたか、ご存じありませんか」

 それを聞いて軍曹たち他の兵は皆ハラを抱えて大笑いした。

 朝食後、テントを畳み、擲弾筒を分解して貨車に積み込み、陣営地を清掃して小隊は出立した。来るときと同じ、先頭がレオン少尉。そしてヤヨイ。第一分隊に続いて貨車と第二分隊。最後尾の第三のさらに最後尾にチャン軍曹が付いた。

 来る時と違ったのは、貨車の後ろに捕虜にした女たちがロープで数珠繋ぎになっていたことと、貨車に積んだテントの上や第二分隊の兵にまだ幼い小さな野蛮人の子供が乗ったり抱かれたりして歩いていたこと。そして女たちの歩速に合わせたために、行軍速度が通常より緩くなったことだった。

 平生ならば昼前には到着するはずが途中三度も小休止と昼食をはさんだので、小隊が東の宿営地に着いたときにはもうその日の夕食を作らねばならない時刻になっていた。

 急いでテントを下ろして設営し、捕虜の女たちの檻を作り、宿営地としての体裁を整え終わって早、2000にならんとしていた。慌ただしく夕食を摂り、第一歩哨時を迎えてやっと、常の偵察部隊の日常が戻って来た。

 その晩、少尉は遅くまで軍曹とアレックスを交え捕虜にした女たちを尋問した。捕虜から敵の事情を訊きだすのは必要で大切で当然の仕事だ。その内容を上級司令部に報告し、今後の戦略に役立てるのは将校の義務だったし、それがもし少尉が軍法会議に訴追された場合の証拠ともなるからだ。

 


 

 明くる哨戒行動10日目。

 少尉は小隊全員に携帯兵器と擲弾筒などの武器の手入れや宿営地の補修を命じた。つまり、休息を与えたのだ。

 威力偵察の成功によって、敵情が相当程度明らかになったことと、ここ一か月ほどこの一帯では急な敵襲に備える必要が無くなったことがその主たる理由だった。そして緊張をほぐすためのバカ騒ぎから冷静を取り戻すためにも、この一日の休息が必要と判断したのだった。

 それにもう一つ。この一日の休息には理由があったことが、後にヤヨイにもわかった。


 


 

 昼食を終えて、ある分隊は擲弾筒の砲身に布を突っ込んで煤を取り駐退機に油を注し、ある分隊は宿営地の周囲の、もし敵に包囲された場合に敵兵の拠り所となりそうな見通しを悪くする木を切り倒し、防護柵に使えるように切り分ける作業をしている最中、その一行は到着した。

 数台の荷馬車が宿営地の前に着いた。伐採作業をしていた兵が誰何し、軍曹を呼んだ。チャンは、

「かまわん。馬車を入れろ」

 と兵に命じ、正門のゲートを開けさせた。

「Ave CAESAR!」

 その、第38連隊補給中隊所属の老いた准尉は、右手を挙げてブーツの踵を鳴らした。

 レオン少尉は慇懃に敬礼する准尉をいつものテュニカだけの略装にトンカチを片手にして出迎えた。

「だから! ここでは敬礼をするなと言ってあるだろうが!」

「はあ・・・。ですが軍規は軍規ですので」

 そのいかにも融通の利かなそうな下士官は、奴隷を指揮して荷馬車の幌を上げさせ荷物を下ろさせた。ヤヨイたち防護柵を補修していた兵も皆手を止めて荷物を下ろすのを手伝った。荷のほとんどは木箱で、中身は大体が食料と弾薬だった。それに新たに三頭の馬が配備された。馬を世話するための奴隷が新たに加わった。三頭の馬は奴隷に曳かれこの宿営地に設けられていた厩に入れられ、さっそく飼い葉桶の中の水を世話され飲み始めた。

「何故こんなに補給が多いのか。我が小隊はあと二日で大隊に帰還するのだが」

「そこでですが、大隊長殿からの命令書を持参しました。端的に申しますと、貴小隊におかれましては哨戒任務の延長が下命されました。その命令に伴いまして補給任務という関係上、本命令を少尉より先に閲覧したことを申し添えておきます。」

「はあ?」

 その白髪混じりの准尉は、奴隷に持たせた小箱を開けて封蝋した巻紙を恭しく取り出し慇懃無礼に差し出して来た。

 ヤヨイは、少尉が差し出されたそれをひったくり、もどかしそうに封蝋を引きちぎって開くのを見た。少尉の顔がみるみる紅潮してゆくのが遠目にもわかった。

「ヨーゼフ! 順序が逆だろう。まず命令書を手交してから荷下ろしだろうが!」

 彼女は、歯ぎしりして命令書を握りつぶしながら吼えた。平素の少尉ならそんな些末なことには拘らないはずなのだが。

「あれが、あの准尉のいつもの風なんだ」

  と、ジョーが教えてくれた。

  心中相手を、自分より若い士官を小馬鹿にしつつ、その外面だけは体裁を整える、いかにもイヤミの塊のような男なんだ、と。

  彼はチャンやヒッピーと同じ職業軍人で一兵卒からの叩き上げなのだが、士官学校を出た正規の将校たちを毛嫌いしていた。戦績が悪くて軍歴を飾れなかったのか、上司の覚えが悪かったのか、五十歳の退役を目前にしてこれ以上の昇進も望めず、若い、自分より上位の士官を蛇蝎のごとく嫌い、可能な限りの嫌がらせをするので有名だった。かといって軍法に触れる行為は絶対にしないので、こうしたイヤミな態度を上申も出来ないらしい。

「まあいい・・・」

 少尉は溜息交じりに吐き捨てた。

「・・・で、今回は道化師帯同だろうな」

「それが、運悪く皆別の戦線に出払っておりまして・・・」

「はあああ?・・・またか。詩人もいないのか」

 指揮官は皆、その統率に当たって兵の士気を気に掛ける。徴兵された兵は皆若く、娯楽に飢えている。それだけに最前線の兵たちは補給に伴って宿営地を訪れる慰問を心待ちにしていた。それがあるのと無いのとでは士気に大きく関わるのだ。だから下級部隊の指揮官は皆慰問に拘る。レオン少尉もまた、例外ではなかったというわけだ。

「ですが、その代わりに楽師を伴ってまいりました」

「ガクシ?」

 准尉は、三台目の馬車の幌の中からこの暑いのに黒く長い丈のローブを引き摺るように着た老人が降りてくるのを指して慇懃無礼に頭を下げた。老人は大きなケースを持参していた。その荷物が老人の手に余るほど大きなものだったので、見かねたヤヨイが駆け寄って手伝おうとすると、

「ありがとうございます。ですが、見かけよりも軽いものですので・・・」

 そう言って笑った老人の顔を見て、ヤヨイは固まった。

 その場に硬直したヤヨイをよそに、老人は馬車の前に荷物を置き、その上に腰かけた。そして何か面白いことが始まるのを察した兵たちがぞろぞろと馬車の周りに集まってくるのを扇子で仰ぎながら眺めていた。

「お前たち。今回、道化師は来れないそうだ。その代わりに音楽を聴く。補給物資を整理次第、馬車の前に集まれ」

 老人がその「楽師」だった。彼は兵たちが集まって来るや持参したケースを開きギターを取り出した。楽器を構え、おもむろに調弦を始めると、何を前説するでもなく、曲を奏で始めた。その厳かにも明るく、心に染み入るような、神々しささえ帯びた調べは、多数の敵を殺し、乱痴気騒ぎに明けた兵たちの心を、慰めた。

 曲が終わると、少尉が、次いで皆が拍手した。

「いい曲だった。なんという名前の曲なのだ」

「バッハという人が作曲した、『Joy of Man's Desiring 主よ、人の望みの喜びよ』という神に捧げる曲です。数年前に奇跡的に楽譜が見つかりまして・・・」

 老人は愛想よくそう答えた。黒い瞳の、東洋人。髪も真っ黒だが、その顔には何本もの深い皴が刻まれていた。しかし、表情が柔和で、ひとをむやみに警戒させない、穏やかさがあった。

「もう少し聴きたい。他に何か演奏できるか」

「では、カヴァティーナをもう一曲。『優しい狩人』という曲です」

 それは、その名の通り、優しい、心に染み入るような曲だった。琴線に触れるような甘く切ない旋律を緩やかなアルペジオが包む。高音とそれを抱くような低音が見事に融け合った美しい曲だった。

 と、ヤヨイは少尉の姿がないのに気付いた。彼女は馬車の陰で補給部隊と一緒にやってきた奴隷の一人と話をしていた。その奴隷と共に女たちを入れた檻の前に行き、再び話し込んでいるのが見て取れた。

 楽師の演奏はもう数曲続き、最後はハンスがギターの伴奏で歌い兵たちが合唱して終わった。

 補給隊は使用した小銃の5連の空薬莢を箱に満載したのを積み込み、さらに捕虜にした女と子供全員を馬車に乗せた。金属が貴重なので使用した薬莢は可能な限り回収して再利用することになっていた。

「ありがとう。これで兵たちの心も和んだ。礼を言うぞ。名はなんという?」

 少尉は黒衣の楽師に話しかけた。

「名乗るようなものではありません、少尉」

 と老人は微笑んだ。

「少尉」

 とイヤミな准尉が言った。

「荷物も捕虜の積み込みも終わったようですのでこれで連隊に戻ります」

「わかった。サッサと行け」

 顔も見たくない。少尉は口にはさすがに出さなかったがそう言いたげな顔をして露骨に眉を顰めた。

「途中まで護衛していただきたいのですが、その二等兵に同道願えますか」

 何を僭越な。そんな勢いでイヤミ准尉に詰め寄った。

「来るときは護衛なしだったではないか。しかもこいつは大事なわたしの部下だ。お前の指図は受けん!」

「大人しく従って頂いた方が少尉の御ためですよ」

「なにをっ!」

 不敵な笑みさえ浮かべたのでさらに少尉が激高しようとすると、

「やめたまえ、准尉。年若いとはいえ仮にも彼女はキミの上官ではないか。少し、言い方を慎みたまえ!」

 その老人が意外なことを言い出し、それまで尊大だった准尉が急に畏まったので少尉は驚き、口を噤んだ。

「仕方ないな」

 老人は黒衣の前を開いて肩に背負った。黒衣の下はテュニカにズボンに黒革のベルトの軍装。左の胸には黒い縁取りのある銅色の月桂樹の階級章があった。

「憲兵隊?」

 少尉はすぐに直立しブーツの踵を鳴らして敬礼した。

 楽師は憲兵隊の少佐だった。彼は軽く答礼すると、言った。

「近頃新兵の取り扱いに際し、あまり好ましくない噂が横行している」

「・・・初耳ですが」

「事実だ」

 と少佐は言った。

「そこで我々憲兵隊としてもこうして補給などの機会を捉え、隠密に調査に乗り出すことになったのだ。徴兵制度はわが軍の根幹だ。徴兵した兵抜きで帝国の防衛は成り立たない。その新兵を虐待し、過度に不法に酷使するような輩はドシドシ取り締まらねばならん。わかるな、少尉」

「お言葉ですがしかし、この小隊にあってはそんなことは絶対にありません!」

「それをこの二等兵から聴取するのではないか。・・・いいな?」

 少尉は渋々といった体で頷いた。

「では、これで出立する。キミのこの大事な部下の二等兵が心配なら一時間後に迎えの兵を寄越したまえ。だがまあ、またぞろキミは派手にやったようだから、しばらくは野蛮人の襲来の心配もないだろうがね」

 あの威力偵察がもう、憲兵隊の耳に入ったのかと思ったが、これだけ大量のカラ薬莢を見ればただの演習ではないことぐらいは知れる。

「では、行ってまいります、少尉」

 ヤヨイは敬礼抜きで少尉に挨拶をした。

「うん。しばらくしたらジョーを迎えにやるからな」

 ヤヨイは馬車に乗り込んだ。続いて少佐が乗り込み、

「准尉。やってくれ」

 馬車は宿営地の正門を抜け、スロープをゆっくりと降りて行った。


 


 

 馬車は捕虜にした野蛮人の女と子供が一緒だった。男は青く肌を染めるが女は染めない。ヤヨイよりもはるかに白い肌を粗末な布で覆っただけの服でほとんどの女が金髪で、美しかった。捕虜たちは無口だった。一人の若い女が幼子に乳を含ませるのをヤヨイは懐かしく眺めていた。

 向かいに座った少佐も一言も喋らず、後方の景色を眺めてながら揺られていた。だが、陣営地が見えなくなると、

「止めてくれ」

 と、御者の奴隷に言った。

 馬車は止まった。

「ヤヨイ。降りるぞ」

 ヤヨイはこの憲兵隊の少佐にまだ名を名乗っていない。それなのに、当然のように黙って従った。

「准尉!」

 彼は先頭の馬車の准尉を呼んだ。

 馬車を止めた准尉の許まで歩み寄ると、

「わたしとこの二等兵は歩く。離れてついてきてくれ」

 と、言った。

 憲兵隊の少佐に付き従い、ヤヨイは歩いた。100メートルほど離れると、彼は口を開いた。

「彼女に感づかれてはいなかろうな、ヤヨイ」

「はい。それは大丈夫です、閣下」

 ヤヨイはウンザリしたように答えた。
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