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13 威力偵察作戦半ば
しおりを挟むタコツボの上に顔を出した。
今登って来た南側の反対、北側を望むと眼下に広大な針葉樹の森が広がり、その向こうに森に囲まれた平地があり、そこから夕食の準備だろう、幾条もの水煙がたなびいているのが見えた。部落が出来ていだ。しかも、規模が大きい。
「フフン。去年よりも多いな。部落全部で二千五百から三千といったところか」
横の少尉は事も無げにそう言った。
「我々が渡河して前哨陣地まで取りついたというのに、のんびりしていますね」
「わかるか。これが統一した指揮系統を持たないやつらの特色なのだ。すぐそばに敵が来ていても獣や人体のように痛いという感覚を持たない。痛覚、危機意識を持たないのだ。敵を眼前にしなければ危機感を抱けない。奴らが攻勢に強く守勢に弱いというのは、これがその理由なのだ」
「これが、野蛮人の民族の全て、ですか?」
アッハッハッハ。
少尉は第一段階の成功に気をよくして緊張から解放されたかのようにハラの底から笑った。
「それならば帝国もここまでの苦労はせん。これで万分の一か、二万分の一くらいだろうな」
「そんなに・・・」
数百万以上とは・・・。敵はそのような大民族なのか。
「だが、案ずるな、ヤヨイ。こいつらは部落ごと、バラバラに行動する。民族全体を纏める知恵も、纏めようとする英雄もいない。それが我が帝国にとってある意味で救いになっている。が、厄介でもあるがな。こいつらは昨年蠢動して来たのとは違う部族の奴らだ。去年のは散々引っぱたいてやったからあと数年から十年ぐらい経たないとやってこない。引っぱたかれた痛みを忘れたころにまた、やってくる。過去の教訓を反芻せず、反省もせず、記録も残さない。そもそも、文字を持たない。部族の間の情報交換もしないどころか、我々という敵がいないところではしばしば食や女を巡って部族間でいざこざを起こす。そういう奴らなのだ。だから、こいつらも同じようにケツを引っぱたいて北の奥地へ逃げ帰らせるのだ。わかったか、ヤヨイ」
「何故彼らはやってくるのですか」
「それは、お前、貧しいからだろう」
何をわかり切ったことを、とでも言うように少尉は吐き捨てた。
「奴らの土地は皆痩せている。そうした土地に合った作物を開発するとか、肥料を工夫するとか、そうした知恵がない。考えようともしない。飢えれば南に行く。行けば何とかなると思っている。やつらが帝国へ侵攻するモチベーションはただそれだけなのだ。部族ごとバラバラだから、交渉すらできん。交渉という概念もない奴らなのだ。我が帝国にとって、迷惑この上ないハナシなのだ。
奴らが信じているのは己のチカラだけだ。だからより強大なチカラが存在することをこれでもかと見せつけてやる必要があるのだ!」
二本目のロープを引いて登って来たハンスが、背負った木箱を下ろして中から鋼材を出し、同じく持参したハンマーでガンジーと二人がかり、タコツボのなかの岩に打ち込み始めた。
ジョーとジローは大型の擲弾筒を組み立てて穴の上に据え始めた。
「ヤヨイ。モールスはできるな」
「はい」
「『擲弾筒の弾着観測を行う。接地信管。打ち方はじめ』そう送れ」
穴の上に出て鏡を翳し太陽を捉え対岸の陣地に向けて手を振り鏡を煌めかせた。向こうで手を振り返してくる影を見つけた。ヒッピーだ。彼のカラフルな頭の布を目標に、鏡を揺らし、言葉を送り始めた。
すると、了解、の意味の信号が返って来た。
「信号、了解しました」
ヤヨイが報告すると間もなく、第一弾がシュルシュルと空気を切り裂いて飛んできた。少尉がその弾道を追い、弾着を確認する。弾は頭の上を越えて丘の北方、大分北に外れて炸裂した。
「遠すぎる。『100メートル南』そう送れ」
ヤヨイはモールスを送った。送りながら、この行動の意図を理解した。
夜に備えているのだ、と。
夜、敵が大挙してこの丘に這い上ってくるのを防ぐには対岸の陣地の大口径の擲弾筒の支援が必要だ。だが夜間は弾着が正確に観測できない。下手をすると味方の前哨陣地、つまり第二分隊の籠るこのタコツボを攻撃してしまう。だから明るいうちに擲弾筒の照準を合わせておいてそれを固定しておくのだ。あまりにも遠すぎたり、うっかり丘の上のヤヨイたちの上に弾を打ち込まぬように・・・。
シュルルル・・・。
「いかん、みんな、伏せろッ!」
二発目がタコツボのすぐ隣の穴に落ち、炸裂した。爆風で舞い上がった土埃がパラパラと落ちて来た。しばらくの間、耳がマヒした。ハラの中が爆発の衝撃波と振動で踊った。危うく昼食のパンを戻すところだった。
「この、下手くそがっ! 」
少尉はヘルメットを叩いて被った土を落としながら溜息を吐いた。
「・・・今のは送らんでいい。『やや北に戻せ』。そう送れ」
弾着観測をしている間にハンスとガンジーが鋼材にロープを繋ぎ終え、担いできた箱をゴンドラ代わりにしてロープに吊り、牽引用の細紐をつけて南岸側に滑り落とした。ヤヨイにも、食料や弾薬の補給用の工夫だとわかる。箱は小さな滑車と自重でロープを滑り降り、河の上を渡って向こう岸に着いた。その間、東と西の斜面をそれぞれジョーとジローが監視、警戒している。東側は相当程度丘の陰に入って暗くなっていた。
「だがまあ、何とか日没に間に合ったな」
北側の弾着観測を終え、東側に切り替えてその弾着を見つめながら、少尉は呟いた。
「あとは、擲弾筒弾の薬莢の中の火薬の量が均質であることを神々にでも祈るとするか」
多すぎれば登ってくる敵を叩けないし、少なければタコツボを直撃する。擲弾筒弾の薬莢の中の火薬の多寡が人の命を左右する。その不条理がすなわち、戦争の不条理だと思った。
日没前に北と東西の観測を終え、あとは逆襲しようとして這い上ってくる敵を監視するだけが仕事になった。
「メシがきたぞ」
小箱を手繰りあげたハンスが箱の中身をタコツボの底の地の上に伏せた背嚢に並べた。麦わらに包まれたそれからは香ばしい匂いが漂った。
「やあ、丸焼きか! これは有難い・・・」
麦わらを開いたジローが感嘆の声を上げた。カリカリに焼いたヒュンシェン(チキン)がナイフで切られ、皆に配られた。
「よし、メシにするか。ハンス、ジロー、ヤヨイ。先に食え」
夕陽を顔に浴びて、少尉は照明弾のランチャーを翳した。
バンッ! シュルルルル。
丘の真上にマグネシウムの小さな太陽が輝き、それは落下傘でゆっくりと北の森の上に舞い降りて行った。
陽が落ちた。まだ、森は静かに横たわっていた。
チキンと背嚢のパンで食事を済ませると、ヤヨイはジョーやガンジーたちと交代し、北側斜面を警戒しつつ、敵の前哨部落を遠望した。小さな灯りが無数に灯っていた。あの灯り一つひとつがひとつの家族で、その灯りの下に母や子供たちがいる。そしてそれぞれの灯りの長である父たちや大きな息子たちは今、この丘を目指して麓に集結し、這い上る時を待っているのだろう。
家族の団欒の灯りとこれから起こるであろう、激しい血みどろの戦闘の予兆とを同時に一望する奇妙さに、ヤヨイは不思議な感慨を持った。
この間にも、対岸からは次々と弾薬が届いた。小口径擲弾筒弾や照明弾用の弾、小銃の5連の実包。手りゅう弾。それらをゴンドラ箱から取り出しては敵の火矢から守るために地に伏せたみんなの背嚢の下に入れて行く。
全てが実に合理的、機能的で、無駄がない。全てが、まるで舞台の演劇のように、台本でも存在するかのように整然と運ばれてゆく。
ほのぼのとした家庭の灯りの下に集う人間たち。
そして、彼らを殺すための武器を整えている、我々・・・。
「ヤヨイ、何も考えるなよ。ただ、敵を殺すことだけを考えろ。敵を殺し、任務を果たす。そのことに集中するのだ。いいな?」
振り向くと少尉が笑っている。やはりお見通しか。ヘルメットを銃床で小突いて気合を入れ直した。
「準備は終わったな。では、半数ずつ、休むとするか」
信号弾のランチャーを片手にパンの塊を齧りつつ、少尉は言った。
こんな敵の海の真っ只中の小さな島のような丘の上で休める神経が凄い。
「部隊一の臆病者」と少尉は自称したけれど、彼女こそは独立偵察大隊一の、つまりは連隊一の強心臓だというのは疑う余地がないように思えた。
一定間隔で照明弾をあげる。ほぼ満月だから照明弾が無くても下から這い上ってくる敵は視認できる。照明弾は威嚇も兼ねていた。ヤヨイはランチャーを構え、打ち上げた。
バンッ! シュルルルル。
敵影は、まだない。
遅れて食事をしたジョーとガンジーがヘルメットを顔に被せてまず、休んだ。イビキはかいていない。だが、身体を休めろという命令に従っているのだ。もし大勢の敵兵が這い上ってくるような事態になれば、朝まで不眠不休で小銃を撃ち続けねばならない。休める時に休む。それが戦場での鉄則。
だが、少尉だけは休まなかった。ヒュンシェンを齧り、貪りながらタコツボの上に仁王立ちになって三方に、多くは西に視線を向けていた。満月の陰の、一番暗い側だ。骨までしゃぶりつくして小骨を遠く下まで投げ捨てると胸のポケットから葉を取り出して巻き、マッチを擦った。香ばしい葉巻の香りが漂う。
「敵は来るでしょうか」
何かを喋っていないと落ち着かなかった。ハンスは東の斜面を見下ろす穴の淵に腰かけて銃を抱いていた。ジローは北を。
「必ず来る。そう思っていた方がいい」
煙を吐きつつ、少尉はそう、呟いた。
「ただし、まだ月が低い。奴らは各々家族と夕食を終えた後に三々五々で集まってくる。だから丘の下に集まりだすのは、あの月が真上に来る頃だろうな」
少尉はそう言って背後の丸い月を顧みた。月の光を浴びた彼女の逞しい姿が青白く浮かび上がり神々しくさえ見える。眼下の暗い森の中でさっき上げた照明弾の燃えかすが燻ぶり、消えつつあった。ヤヨイはやや西の空に向け、再びランチャーを撃った。
バンッ! シュルルルル。
暗闇だった森がパァっと照らされた。
「・・・いたぞォー・・・」
意外にのんびりした少尉の囁きが聞こえた。
「西北西。800から900ぐらい、か」
「真東にも敵影らしきもの発見!」
ハンスも囁いた。皆、驚くほどに落ち着き払っていた。
「ほほう、挟撃作戦か。ふふん。やつら、少しは学習したと見えるな」
「陣営地に知らせますか」
唾を呑み込みながら、ヤヨイは尋ねた。
「いや、まだ早い。やつらが丘に取りつくまで待て。そうすれば後続が来る。なるべく多くの敵兵をこの丘に引き付けるのだ。ハンス、ジロー。ガンジーとジョーを起こしてお前たちも少し仮眠しておけ。ヤヨイも少し身体を休めろ」
敵が来たと聞いてはおちおち眠れるものではないが、こういうことは新兵訓練所の初日で学んだ。隣で小銃や野砲を撃ち続けていても、眠れと命令されたら眠るのだ、と。
片脚を穴の淵に掛けて西北の地を見下ろしていたヤヨイのもとに少尉が来て手を差し出した。
「眠っておけ、ヤヨイ。それが兵の務めだ」
月の光を浴びて迷彩された少尉の短い金髪が光り、鳶色の瞳が優しく瞬いた。ジョーとガンジーがモゾモゾと目を覚まし、北と東に張り付いた。ハンスはもう穴の底に降りて顔の上にヘルメットを被っていた。
ヤヨイもまたランチャーと照明弾の弾帯とを少尉に手渡し、穴の底に降り身を横たえた。タコツボの縁で丸く切り取られた満天の星空。その丸の縁には少尉とジョーとガンジーの姿がある。穴の底から彼らを見上げていると、彼らに守られているような、大いなる安らぎを感じるから不思議だった。ふいにジョーが振り向き、ポケットから何かを出してヤヨイのテュニカの胸の上にそれを放って寄越した。取り上げて月明りが射し入るところまで差し上げて見ると、獣の干し肉だった。
「アレックスがくれたんだ。お前にやる」
「・・・ありがとう」
これも蛮族の食べ物か。その固い干し肉を少し齧った。微かな塩気を感じて旨味がある。齧りつつ、夜空を見上げていると少し雲が出て来て月明りで少なくなっている星空を隠した。
「おや。マルスが休息したら途端にアルテミス(月の神)が興味を失ったぞ」
「そりゃー違いますぜ、少尉。ニンバス(雲の神)がマルスに嫉妬して、ここぞとばかりにアルテミスを独占してベッドに誘おうとしてるんでさあ」
ガンジーの冗談に、少尉は、ふはははと乾いた笑い声をあげた。
「だが、マルスにも休息が必要だし、アルテミスが出て来てくれると敵が見やすい。ニンバスには早く思いを遂げてもらって、満足してもらわねばなあ・・・。まったく、アルテミスも多情な、スケベな女だな。同じ女の風上にも置けんな」
「少尉。アルテミスは『あんたにだけは言われたくない』って言ってると思いますぜ」
「はっはっは。まったくだ、ガンジー。あっはっはっはっは・・・」
少尉の大笑いにジョーも、ガンジーも、休めと言われたハンスもジローもつられて笑った。
目前に迫る敵の強襲を前にして、ヤヨイと同じ徴兵された兵が、しかも上官である将校に対しこんな軽口を叩き、しかもそれで精神を和らげている・・・。
ヤヨイはもう、このレオン小隊の兵たちの技量と胆力と絆の強さにいささかも疑いを持たなかった。これほどの隊を、帝国は他に持っているだろうか。そんな思いさえ湧いてきた。二年間という短い徴兵期間。その短期間に部下をこれほどの強兵に育てることができる手腕。レオン少尉の下級指揮官としてのポテンシャルは、おそらく帝国随一ではないか。
「少尉。冗談言ってたら、どうも、おいでなすったようですぜ」
東のガンジーが呟いた。
「どれ」
穴の縁を回って少尉が歩み寄る。
「おお。来たな。そろそろお出迎えの用意と洒落るか。分隊、戦闘配置!」
少尉はそう叫んで照明弾を上げた。
バンッ! シュルルルル。
ヤヨイは急いでヘルメットを着けて穴を這いあがった。少尉の隣に立って下を見下ろした。斜面を這い上ってくる無数の人間の影が、まるでアリの大軍のように蠢いて見えた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ここで、作中の「威力偵察」という軍事行動について少々。
ウィキペディアによれば、
「(作戦行動を為す場合)基本的に「作戦地域についての情報」と「敵についての情報」の2つが必要となり、特に後者の情報は流動的であるために逐次更新することが必要となる。偵察は、これら情報を収集することを目的とした活動である。主に小隊、中隊に置かれている偵察部隊がこの任務につく。偵察には、隠密偵察と威力偵察(強行偵察)がある。隠密偵察とは敵に察知されることなく行う偵察行動であり、威力偵察とは部隊を展開して小規模な攻撃を行うことによって敵情を知る偵察行動である。」
とあります。
戦闘において敵情を知るというのはとても大切なことであるというのは、古今東西変わらない真理のようです。
威力偵察で有名なのは、日露戦争時の黒溝台会戦の直前に行われたロシア軍のミシチェンコ騎兵団によるものでしょう。
ウクライナ出身のパーヴェル(パウロ)・イヴァノヴィチ・ミシチェンコ中将(当時)は、奉天会戦の前哨戦と言われる黒溝台会戦の直前、総司令官クロパトキン大将の命により、約一万騎のコサック騎兵を率いて日本軍の後備兵力を探索するべく、対峙していた日本軍の前線を大きく迂回して総司令部のあった営口まで肉薄するという離れ業をやってのけました。当然、まさかの後方深くに大騎兵団の来襲を受けた日本軍の総司令部は度肝を抜かれました。
ですが、歴史とはまことに不可解なものです。
ミシチェンコ中将は、日本軍の総司令部を目前にしながら、これを黙殺して去って行ってしまったのだそうです。
ロシア軍の司令部に帰還した中将は、クロパトキンに「日本軍の後備兵力は発見できなかった」と報告しました。
これで、心配性のクロパトキンは疑心暗鬼になりました。「後備兵力の所在が分からぬでは本格攻勢などできない。オーヤマの予備兵力がどこに現れるかわからないからだ」。結果、ロシア軍は圧倒的な兵力の優位を持ちながら、終始後手後手に回り、最後は奉天会戦にも破れ、満州から撤退してゆきました。
種明かしをすれば、実にあっけないものです。
実は、満州の日本軍はほとんど後備兵力を持っていなかったのです。総司令部にしてからが粗末な寄せ集めの小部隊に過ぎず、ミシチェンコ中将は、それがまさか日本軍の総司令官大山大将(当時)の本丸だとは思わなかったのでしょう。
今、某んhkで放映中の「どうする、家康」で三方ヶ原のいくさが描かれていますが、これも、約3万の武田軍に対し、たった1万余りの徳川軍が無謀にも「鶴翼の陣」で包囲しようとした結果だったということですが、日露戦争での日本軍も同じだったのです。
あれでどうして勝てたのか。
それなのに、その奇跡のような先例に固執し、同じやり方を大東亜戦争まで引用した日本は、当然のように、負けました。
歴史は繰り返す、といいますが、何の反省もせずただ奇跡を期待して繰り返していけないという良い見本です。
運命の女神は、そう度々同じ方向には微笑まないようですね。
作中の帝国軍では、部族同士結束せずバラバラで行動する「北の野蛮人」への対処として、連隊の半ばに達する兵を偵察として前面に配置し、主にパトロールを中心にした防衛行動を行っている、という設定です。
その、最前線の一偵察小隊が、「威力偵察」を行うため、越境して軍事行動を起こします。
いよいよ、本格的な戦闘が始まります。
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