【新版】優しい狩人 【『軍神マルスの娘』と呼ばれた女 1】 ~第十三軍団第七旅団第三十八連隊独立偵察大隊第二中隊レオン小隊~

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06 潜入

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 三日三晩。

 汽車は荒野を走り続けた。

 途中、何度か汽車は止まった。単線だから対向列車を待ちあわせたり、石炭や水の補給をしたり、機関車を換えたりのためだ。

 汽車は何両かの客車を引いていたが、そのほとんどの座席は北の各軍団に向かう新兵たちで埋まっていた。さらに乗り切れなかった兵たちが、客車の後ろの無蓋の貨物車にまで溢れていた。だが季節はもう5月 Mai マイ、から、6月 Juni ユーニ へと移っていた。無蓋車の幌の下にいたヤヨイも、固い板の上に座り続けたせいで少々お尻が痛いのさえガマンすれば、なんとか夜露も凌げた。

 

 やがて汽車は終点に着いた。大きなため息のように盛大に蒸気を吐き出している機関車をすり抜け、第三十八連隊の駐屯地に向かう軍の馬車に乗りさらに丸一日、揺られた。

 だが、やっと連隊駐屯地に着いたと思ったら、

「第二中隊ニシダ小隊は偵察任務のためすでに今朝0700出発した。最初の野営地はここだ。急ぎ合流せよ」

 連隊本部の独立偵察大隊司令部で子供が描いたような粗末な地図を渡された時には、徒労感でぶっ倒れてしまいそうだった。

 なに、それ!

 聞いてないよ!

 ウリル少将も、案外いい加減だなあ・・・。

 もちろん、口には出さなかったけれど。

 で・・・。

 ヤヨイは山道を急いだ。ただひたすら、歩いた。

 なにしろ体重の半ば以上になる軍装携帯兵器フル装備。早朝から半日も歩き続ければ、体力気力共に尽きてしまうのは当たり前だった。それでも、なんとか日暮れまでには宿営地に着きたい。ほとんど駆け上るようにして山を登り、転がるようにして駆け下った。全身汗にまみれ、埃で汚れ、岩で傷つき、疲れ切っていた。

 石畳の舗装すらしていない山道は帝都で生まれ育った彼女にはいささか辛過ぎた。それでも最前線までの軍用道路らしく、目だった石ころは道の端に避けられてはいた。兵站を積んだ馬車か、蒸気トラックが通るからだろう。

 強い日差しが照り付ける道端に誰かの墓があった。その傍に手ごろな糸杉の木陰があるのを見つけると、涼し気な日陰に倒れ込むようにどっと腰を下ろした。

 はあ・・・。はあ・・・。

 息は上がりまくり、脚が棒のようだった。

 もう一歩も歩けない。

 腰の真鍮の水筒の水はたった一口分しか残っていなかった。

 仕方がない。また沢を見つけて補給せねば。耳を澄ませたが、風でざわめく木々と、天高く歌うヒバリの声しかなく、それらしき水のせせらぎは聞こえなかった。

 鉄の軍帽(ヘルメット)を脱ぎ重い背嚢を下ろし、バックルを開いて軍帯(ベルト)を外し軍短衣(テュニカ)を脱いだ。軍靴(ブーツ)を脱ぎ、汗で貼りついた長袖の軍用肌着(アンダーガーメント)と軍跨(レギンス)も脱いだ。元々が戦闘時に肌を切り傷や擦過傷から守るための厚手のものだから、こんな気温の高い日には着けたくない。だがそれが下級兵士の制服だから仕方なく着ていた。もし、不完全な軍装のままこれから所属すべき部隊にだしぬけに追いつきでもしたら、

「なんだ貴様のその軍装は。なっとらん!」

 きっと叱られる。できれば着任初日からそんなくだらない責めは受けたくない。

 それに叱られるだけならまだしも、こんな使い物にならない兵はいらん! なんてことになったら・・・。

 ヤヨイは普通の兵士ではなかった。

 これからその小隊に潜入し、隠密をせねばならないのだ。

 だから、極力ムダな注目は浴びたくない。

 どこの誰の墓かは知らないが、汗でビショビショの肌着を墓石の上に掛けて乾かした。そうして軍用下着(ショーツ)一枚の素肌を風に曝し、冷やした。

 荒い息を鎮めつつ、心地良い風に汗を引かせていると立ち上がる気力がどんどん失せて行くのを感じる。ショーツにテュニカだけを着てサンダルを履いて快適に過ごせた首都のバカロレアでの生活が、懐かしすぎる。

 でも、これも研究のためだ。

 そうしてなんとか、滅入りそうな心を宥(なだ)め、賺(すか)し、パンパンとお尻を叩いて、鼓舞した。


 


 


 

「先月、首都で爆発事件が起こったのは知っているな」

 クィリナリスのオフィスでのブリーフィング。

 ウリル少将はファイルを繰りながら、ヤヨイを睨んだ。

「はい・・・。まあ・・・」

 あの時はオシロスコープの波形を読むのに熱中し過ぎていてそれどころではなかったのだが、ウソも方便。

「あれは憲兵隊が追跡していた反逆者の一味の仕業だ。追い詰められた末に、自爆したのだ」

「そう聞いています。・・・ウワサですけれど」

「実は、今回お前がターゲットにするニシダは、レオン少尉は、あの連中の頭目なのだ。精神的支柱と言ってもいい。彼らは帝国に反旗を翻し、反乱を企てているのだ」

「反乱・・・。本当ですか?」

「本当だ。間違いない」

 と、ウリル少将は大きくかぶりを振った。

「すでに逮捕している何人かの活動家どもの尋問でも名前が挙がっている。それに士官学校時代の言動の記録もある。レオンは、間違いなくそうした思想的傾向を持っている。その彼女が最も優秀な士官だということが、何にも増して実に危険なのだ」

 閣下はぱたんとファイルを閉じ、立ち上がってオフィスの中を歩き始めた。

「彼女と彼女の純粋な愛国心に感化された若い兵たちが軍の上層部の腐敗に不満を抱く他の部隊と呼応して反乱を起こす。我々が最も警戒し恐れているのは、それなのだ!」

 そんなことが、あるのだろうか。少なくとも、それまでの時間学問三昧で「象牙の塔」に籠り切りだったヤヨイには想像もつかない話だった。

「いったい、彼女たちは・・・、一体何のために、そんな・・・」

「帝国軍全体に決起を促すためだ」

 少将は立ち止まり、ヤヨイを見据えた。

「彼らの最終目的は、かつてあった軍人皇帝制度の復活。いにしえの時代の、軍人が国を統治する時代の復活を目論んでいるのだ。

 まったく、バカげたことだ。

 懐古趣味もいい所だ。いまさら軍人が統治したとて、どうにもならない。今はとにかく産業を興し、国民を富ませ、所帯を増やし、ひいては人口を増やすことが大事だというのがわからないのだ。『国母貴族制度』などというものに頼らずとも、健全で健康で富裕な国民が増えてこそ、国力は増す。強大な軍も維持できるのだ。

 軍人というのは軍事の専門家だ。専門馬鹿だ。だがもう、専門馬鹿の時代ではない。彼らの出る幕はないのだ。

 わかるか、ヤヨイ。

 まるきりの、時代遅れなのだ。

 今は全てを統合し、総合する能力。あらゆる事象を総合するプロデューサーの能力が求められている時代なのだ」

 少将は冷静に状況を分析してそういう推論をしたのだろう。が、しかし・・・。

「でも・・・、でも、そんなことが、少尉の理想は本当に実現可能なのでしょうか」

「可能不可能ではないのだ、彼らの考えは。決起して、軍の内外に心意気を示す。ただそれだけなのだ。その後のことを全く考えていない。帝国の辺境を脅かしているのは北の青い肌の野蛮人だけではないというのに・・・。

 レオンらが反乱を起こす。それを鎮圧するために13軍団が他の方面から兵力を引き抜き、それで間に合わなければ他の軍団からも引き抜かねばならなくなる。そうなったら、他の敵国や部族に対する防衛はどうなる。帝国軍はもう、いっぱいいっぱいなのだ。後備の戦力も足りない。いざとなれば予備役まで動員し部隊を編成、外敵に対応せねばならん。

 もしそうなれば、ただでさえ枯渇しがちな国庫に影響が及ぶ。そのために国民に増税を課さねばならなくなる。

 市井の人々を生活や産業から引き離し前線に送れば、税収が減る。それなのにそれを押して無理な増税をすれば国民の不満が高まり、内乱が起こるかもしれん。彼らはそれを全てわかってやっている。だからタチが悪いのだっ!」


 


 


 

 天高く歌い舞うヒバリを見上げながら、ウリル少将の悲痛な叫びを思い出した。そのせいで、ただでさえ疲労困憊にあるのに、余計に疲れてしまった。

 と・・・。

 背中の墓石になにやら文字が刻んであるのが目についた。

 なんだ、この言葉は。リセで習ったラテン語だろうか?

「そこのお若いの、そんなに急ぎなさんな。どうせこの先人生はまだまだ長いんだから。ここいらで一休みしていきなよ。

 そこの旦那、人生はいろいろだねえ。こんな山奥まで来たのも何かの縁だ。一休みしていきなよ。

 そこのご同輩。なにもそんなに急ぐことはない。どうせあんたももうすぐここに入る身の上。焦らず一休みでもしていきなよ」


 

 帝国の人々は、その習俗や生き方の範の多くを古代ローマ帝国のありように求めた。

 墓の集まった墓地というものを作らなかったのもその一つ。

 帝国人は人々が日々を送る地の傍や広場の片隅やこうした街道の辻々に墓を建て、葬られることを好んだ。死者だけで集まるのを好まず、生きている者のなかで眠りにつきたがった。

 帝国に生きる人々は、だから毎日の生活の中に必ず一度は死者と触れ合う時を持った。生まれてきた命はいつかは必ず虚しくなる。だからそれまでの間を精一杯力いっぱい生き抜き、愉しもうではないか。そうした死生観を持っていた。死は生の対極にあるものではなく、生に含まれるものだと。縁起が悪いと遠ざけるものではなく、むしろ日々死者を思い対話することで死者を偲び死者と共に生き、死者の力を自らのものにするのを善しとする。そうした考えとともに生きていた。


 

 墓の主が誰かは知らないけれど、なんとも帝国人らしい人だわ・・・。

 ふとくすぐったさを覚えて目を落とすと乳首の上にトンボが止まっていた。

「ふふっ・・・」

 ふっ、と息を吹きかける。すると彼はびっくりしたのかあわててどこかに飛んで行ってしまった。

 まあ、いい。

 この任務が終わればまた快適な首都に戻り、思いきり好きな研究ができる。

 そう思うと、また歩く気力が生まれて来た。軍用下着は着けず、ショーツにテュニカだけを付けてベルトを締め、再び重い背嚢を背負った。



 

 陽が落ちかかるころ、木陰の先の開けた台地の上に煙が上がっているのが見えた。

「ああ、あれが第四宿営地、か・・・」

  ヤヨイは急いで木陰に隠れ背嚢からガーメントを取り出し軍装を整えた。

 台地の上に登る前に胸のポケットから呼び子を出し、味方の合図を示す吹き方で吹いた。

 すると歩哨が二人、顔を出した。

「ヤヨイ・ヴァインライヒ二等兵であります。本日独立偵察大隊第二中隊へ入隊しました!」

 ヤヨイは右手をやや斜め上にまっすぐに伸ばす敬礼をして大声で叫びあげた。

 すぐに小隊の要である小隊長補佐らしき下士官の前に連れて行かれた。色の浅黒い、東洋系の顔立ちの大男。茶色のアザミ。軍曹の階級章を付けていた。ヤヨイは右手を上げて敬礼した。

「最初に言っておく。偵察部隊では敬礼をしてはならん。それだけは肝に銘じろ。野蛮人どもに上官が誰かわからなくするためだ。わかったな」

「わかりました、軍曹殿!」

 彼はヤヨイをじっと見つめた。

「ふむ。先月来た新兵よりは良さそうだな」

「・・・」

「生きて徴兵を終えたければ新兵訓練所で学んだことは全て忘れろ。生き残りたかったら、俺か周りの上官たちを見習え」

 そこまで言うと、軍曹は無精ひげの顎をフッと撫でた。

「・・・小隊長どのに会わせる。来い」

「はい、軍曹どの。よろしくお願いいたします」

 いよいよ、本丸の主、反乱者の大首領さまとのご対面か・・・。

 思わず体に力が入った。

 軍曹の案内で野営地の中央で焚火をしている短い金髪に迷彩を施した大柄の女性に引き合わされた。木彫りのカップを手にして立ち上がった彼女はヤヨイよりゆうに10センチは背が高かった。

「少尉、本日入隊した新兵であります」

 軍曹に紹介されたヤヨイは、敬礼をせずに申告した。

「ヤヨイ・ヴァインライヒ二等兵であります、ニシダ小隊長どの。本日入隊を命じられました」

「ご苦労」と、彼女は言った。

 アンダーガーメントも、レギンスも着けず、逞しい二の腕と太ももは剥き出し。貫禄は十分。いかにも、夜盗の女首領というカンジ。

「女か。・・・目が青いな。名前からするとドイツ系か?」

 鳶色をした瞳がヤヨイの目を覗き込んだ。なんてきれいな、澄んだ瞳だろう。

「父親のことは存じません、小隊長どの」

「平民だな」

「はい! 小隊長どの」

「あのな、この小隊ではいちいちその、『どの』は付けなくていい。気にするな。わたしも平民の出だ。お前と同じで、母だけで父親はいない」

 そういって彼女は手を差し出した。ヤヨイは恐る恐るその手を握った。女ながらがっしりとした逞しい、温かい手だった。

 軍曹にウンと頷いて彼を下がらせると、そこへ座れと言うように手で促した。ヤヨイも火のそばに座った。昼間と違い、夜に入ると少し冷えた。火は有難かった。火災予防のため裸火厳禁の首都と違い、ここは遠く離れた辺境だ。だからその点は緩いのだろう。

 自生のだろう、彼女は乾燥させたタバコの葉をくるくる丸めて口に咥え焚火の中の木っ端から火を点けて煙を吐き出した。ヤヨイの差し出した命令書兼経歴書をしばらくフンフンと読んでいたがやがて顔を上げた。

「ふ~ん。バカロレアに在学中か・・・。平民出がなぜ士官学校に入らなかった。少なくともあそこよりは簡単に入学できるし、授業料も生活費も全額国費だからタダなのに」

「研究がしたかったのです」

「何の」

「電波です、少尉」

「でんぱ?」

「電磁波の一種で空間を伝わる電気エネルギーのことであります」

「・・・さっぱりわからない。そんなものの勉強よりも帝国を守ることの方が何倍も有意義だと思わんか」

「その帝国をもっと効率よく守るために、有用な研究なのです、少尉」

「ほう、例えば?」

 興味を惹かれたらしい少尉は身体を向けて居住まいを正した。

「司令部と前線、離れた二つの部隊間の連絡などで伝令を使う必要が無くなるのであります、少尉」

 少尉は途端に目を剥いた。

「・・・それは、本当か?」

「電波を使った通信機というものが出来れば、それを用いて離れた複数の部隊の通信ができるのです。狼煙を上げたりハトを使う必要がありません。海軍の艦艇も発光信号や手旗信号を使わなくても旗艦からの命令を容易に伝達でき自在にフォーメーションを組めるのです。完全に同時に多方向からの一斉攻撃を隠密に夜間でも昼間でも実施可能なのです。また司令部への戦況報告も容易になり、適宜最適な兵力の投入や兵站補給を可能にするものであります」

「ほおー・・・。初めて聞いた」

「軍でも、今この研究に力を入れ始めていると聞いております」

「お前はそれに関わっているというんだな。やれやれ。それではお前を死なせるわけにはいかんな」

 そう言って小隊長は笑い、カップの中の液体を煽った。彼女が飲んでいたのは酒だった。それも極めて強そうな。ぷはっと吐き出した息が強烈に酒臭かった。

「そんな秀才がなんでまたこんな辺境の危険な任務に志願したのやら・・・。

 すでに聞いていると思うが、偵察は危険な任務だ。いつどこで襲撃されるかわからない。だから女はあまり参加したがらない。この小隊でも女はお前とわたしの二人だけだ。大丈夫か? 」

「それは、覚悟の上であります、少尉」

「・・・金か」

「はい」

 ヤヨイは即答した。

「もう一度大学に戻って研究を続けるために、金が要るのであります」

 彼女はフッ、と笑い、残っていたカップの中の酒を火にくべた。火は一瞬だけ大きく燃え盛った。やはり酒精度の高い酒なのだろう。こんな酒を、どこで手に入れるのだろう。

「それもいい。だが、任務中は金のことは忘れろ。互いの命に気を配れ。お前が誰かを見ていれば、必ず誰かがお前の背中を見ていてくれる。意味が、解るか」

「わかりました、少尉。肝に銘じます」

 彼女は、よし、と立ち上がり、

「チャン!」と呼んだ。さっきの軍曹の名前だろう。

「任務の詳細は軍曹から聞いておくように。今夜は初日だから夜間の歩哨は免除してやる。入浴してゆっくり休息を取れ。それから、」

 彼女は手を伸ばしヤヨイの髪を撫でた。

「森の中ではそのブルネットは目立つ。軍曹から塗料を支給してもらえ。明日のパトロールからそれを使え。では、行ってよし」

「はい! ありがとうございます・・・」

 ヤヨイは緊張したまま黙礼だけしてその場を去った。


 

 よし!

 とりあえず、第一の関門は突破したぞ! 

 ヤヨイは一つ、小さな吐息をついた。

 潜入に、成功した。
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