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第四話 ぼくの姉、三葉(後編)
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ぼくの通う高校はブアイ高校。ブアイ市にあるからその名がある。
武士の「武」、相撲の「相」。昔で言う武蔵の国と相模の国の境目らへんにあるから「武相」なのだが、ぼくの家もそこにある。
ちなみに、ぼくの家からそう遠くないところに、昔の総理大臣の秘書で、財界のエラい人で、「日本国憲法」を作るのに関わったとか関わらなかったとか、だったらしい人が建てた別荘がある。
その名前が「ぶあい莊」なのだ。
これはシャレではない。マジである。建てた本人はギャグのつもりだったのかもしれないけれども。
亡くなったぼくのじいちゃんは、そのエラい人に会ったことがあるらしくて、「ぶあい莊」の話もじいちゃんから聞いた。「御前」と呼んでとても尊敬していた。「白●次郎」でググると出てくるから、キョーミがあったら調べてみてください。
そんなわけでそのへんの話は置いといて、そんなところから海までちゃっちゃと行くのにはやはり無理がある。いや、行くなら行くでもっと早く出なければ。
「ねえ、みつ姉。今から行ったらお昼になっちゃうよ」
「あ”? あたしに逆らうのかテメー」
「いや、そういうわけじゃ・・・。近場のプールのほうが・・・」
「男のクセにいちいちこまごまとうっせーんだよ! 海っつったら海なんだよ、カスッ!」
結局行く先は海ということになった。ものごとを深く考えないワリにプライドだけはエベレストより高い。一度言い出したらたとえそれがムリスジでも突っ走る。それがみつ姉という女なのである。
やれやれ・・・。
夏休み。平日の午前中。適度に混んだ電車のベンチシートに実の姉と並んで座る。
時間的にも、行く先的にも、車内は勤め人風は少なく比較的にぼくらみたいな若いヤツ、そしてお年寄りが半々くらい。若いヤツらも海に行くんだろう。ぼくらと同じように軽装でビーサンのヤツが多い。
ふと隣のみつ姉を見るとスマホでマンガらしきものをスクロールしている。
「あのさ、みつ姉。出来ればWi-Fiつながるトコでやってくれない? パケ代もったいないじゃん」
命は惜しくても、わがヤマト家の家計を預かる者としては言うべきことは言わねばならない。
当然家族割にしてるのだが、みつ姉の料金が姉弟の中でダントツで高いのである。が、当然エベレストより高いプライドを持つ姉には反駁される。
「チッ! いちいちうっせーっつってんだよ、男のクセに! 」
「男とか女とかカンケーないと思うけど。姉なんだから少しは家の経済に気を使えよな」
もちろん、そこまでは言わない。やっぱり命が惜しいのである。
「これは家でダウンロードしたヤツなの! それなら文句ねーだろ?」
ふとみつ姉の肩越しにそのマンガらしきものの画が見えてしまった。
男と男が、キスしてるぅ! しかも、濃厚な、べろちゅー・・・。
おえ・・・。
ああ、なるほど。これが「びーえる」というヤツか。みつ姉、密かに腐りまくってんだなあ・・・。
「何見てんだ、コラ」
「・・・べつに」
「お前今、心の中で『おえ』っつったろ」
ギク!
実の姉だけにムダにカンがスルドイ。だが、一応恥ずかしい趣味だという自覚が本人にあるのを知ってややホッとした。
「・・・い、言ってないよ」
「言った」
「言ってませんっ!」
どうして、ぼくはここに居るんだろう・・・。
実の姉とくだらないやり取りをしていると、思わずそんな一句が浮かぶのを禁じえない。
ああ、みつ姉じゃなくてふた姉と一緒だったらなあ・・・。もっと楽しいのになあ・・・。
ま、んなことを思ってても仕方ないので、何か忘れてるんじゃないかの問題をあれこれ考えてみた。忘れてることって、なんだろう・・・。
そのひとつは思い出した。
洗濯である。
これは致し方ない。不可抗力というヤツだ。逆らうと殺されそうだったのだ。帰ってから一回ぐらい回して夜干せばいい。
でも、他にもっと大事なことがあったような・・・。
と、向かい側のベンチシートに座ってるカップルに目がいった。
2人ともオソロの青いTシャツにカットオフしたジーンズにビーサン。女の子のほうはTシャツの広い襟元からオレンジ色のビキニのストラップが見えていた。ぼくらと同じように海に行くらしい。声は聞こえないけれど見るからにボクタチ仲いいんですよ的光線をバリバリに辺りに振りまいていた。
「まーくん♡」
「ちーちゃん♡」
・・・みたいな。
ホンワカ度満点の二人からとてもシアワセな空気を貰って傍らのみつ姉にそのことを言おうと思ったとたん、ぼくは阿修羅を見た。
ただでさえ恐ろしいみつ姉の顔が、「超ベリー」恐ろしいほどの憤怒に彩られていたのである。
こういうのを、「ルサンチマン」というらしい。
「ニーチェさん」という人が考え出した言葉で、「弱者の強者に対する憎悪を満たそうとする復讐心が、内攻的に鬱積した心理をいう」、らしい。
みつ姉はぼくに対しては「強者」だけど、こと恋愛に関しては「弱者」なのだ。みつ姉のような「恋愛弱者」は、リア充のような「恋愛強者」に「ルサンチマン」を抱くのである。学校ではまだ習っていないコトバだが、これでもひと姉から「コクリツ」に入ることを厳命されているので、なんとなく知っているのである。
あのさあ、幸せそうなカップル見るたびにんな顔すんなっつーの。だったら、部屋にヒキコモッてろっつーの!
そういう言葉が舌の上まで出かかるのだが、「言えたらいいだろな」レベルでやめとく。ホンネは口が裂けても言わないのだ。命が惜しいからである。
そんなこんなで・・・。
海に着いた。
そこは海というよりは、「人の海」だった。
どこもかしこも。人、人、人・・・。
駅からもうすでに人。駅前の商店街も人。浜に向かう人の列。もちろん、浜辺も人だらけ。
唯一の男子部員ではあるが家政部に入っているぐらいである。中学で野球を辞めてからというもの、ぼくはどっちかっつーとインドア派で、人混みは好きではないのだ。もう、ゲンナリである。来るんじゃなかったなあ・・・。
案の定、海の家の更衣室の前にも長い列ができていた。
「みつ姉、あんなに並んでるよ。どうする?」
あ、れ?
スタスタ。人の群れの中に入って行くみつ姉は、テキトーなところにドカっとバッグを下ろすと、
「おい! なにやってんだテメー。バスタオルぐらい敷けっつーの! 気が利かねえヤツだなっ! グズかテメーはっ!」
相変わらずヒドい言われようだが、命が惜しいぼくは、言われた通りに熱い砂の上にささっとバスタオルを敷いた。
すぐにそこにデンっと座り直したみつ姉は、おもむろにタンクトップをぬぎぬぎし始めた。
「え?」
でも、なあんだ、という展開。
黄色い大きく胸の開いたタンクトップの下にはストラップレスの水着装着済み、だったのだ。ちっぱいだからストラップレスなんかだとズリ落ちちゃうんじゃないかといらん心配をした。
しかし、ガラが、ド派手・・・。
まるでオーサカのおばちゃんみたいな、ヒョウ柄。
「イエーィ! カーノジョ、イケてるんじゃね?」
とたんに声がかかるのだが、声をかけて来た男の顔をじィーっと見るや、
「タケル、なにボサっと突っ立ってんだ、オラ! テメーも早く着替えろ、このカスッ!」
すぐに地が出てぼくを呼んだ。声をかけて来たヤツが好みのタイプではなかったのだろう。
みつ姉は、じつにわかりやすい人だ。
体育がプールの時に着替えで使うバスタオル仕様の目隠しを持ってきていたぼくはそこで着替えた。
青い空。江●島の上に沸き上がるモクモクの入道雲。そして、青い海。周りは小麦色かこれから小麦色になろうとしてる水着姿の男や女がいっぱい・・・。
ああ、夏だなあ・・・。
せっかくの夏休みなのに、家に居れば3人の姉たちのお世話に忙殺され、あとは勉強だけで終わってしまいそうだったのだ。ムリヤリではあったけれど、ウザイ姉付きではあるけれど、やっぱ来てよかっ・・・。
ふとすぐ傍から不穏な恨みのオーラがムラムラと立ち昇っているのを感じ、ぼくのリゾート気分は一瞬にして掻き消えた。恐る恐る隣の姉の視線を追った。
「ねえ、まーくうん、オイル塗ってェ・・・♡」
「いいよぉ♡ あれ、ちーちゃん、ちょっと太った? この脇腹とか、フトモモとか・・・」
「ええっ、ちょ、やだ~ん(笑)! ん、もうっ! まーくんたらあん・・・♡」
「ああ、ごめんごめん(笑)。でも、そんなちーちゃんがダイスキだよっ♡」
声までは聞こえてこなかったけれど、すぐそばでハートマーク付きのそんなカンジのイチャイチャシーンが展開されれば、やっぱり、お約束の恨みの焔(ほむら)が・・・。
こころなしか歯ぎしりまで聞こえて来た。
「おいっ!」
「え?」
「え、じゃねーわ。オイルぐらい塗れっつーの、ボケっ!」
対抗意識むきだしまくりのみつ姉は、プイと腹ばいになってぼくを睨んでいた。
ったく・・・。実の弟にそんなことまでやらせんのかよ!
そう言いたいのをグッと堪え、バッグからサンオイルのボトルをとり、溜息だけは聞こえないようにして両手に馴染ませた。ぼくって、いい弟だなあ・・・。
そうして、スレンダーなみつ姉の水着姿に向かった。
ちなみに。
3人の姉の中で一番ケツがデカいのは文句なしにひと姉である。ふた姉はその次ぐらい。試みに3人の姉のケツをオノマトペで表現してみると、
ふた姉は、「バイ~ン!」
ひと姉は、「ドデ~ン!」
んで、みつ姉は「・・・ぷりん」
というカンジになる。
我が姉ながら可愛らしいケツをして・・・、
「・・・何見てんだ、テメー。サッサと塗れっつーの! このエロガキッ!」
アホな妄想をしないとやってられないからなのだが、真夏の海岸で般若になられても困る。
「でも、見なきゃ塗れないじゃんかあ」
「見ないでやれ!」
んな、無茶苦茶な・・・。
仕方がないので、なるべく見ないようにして、肩の辺りらへんから、塗り始めた。
一応こういうコトをやらされるのは初めてではないし、肩ならいつも揉まされてる。だからぼくにはなんとなく慣れがある。
スレンダーでもやっぱり女の子だからかみつ姉のカラダは柔らかい。だが、皮下脂肪の下の筋肉はめっちゃカタいのだ。特に二の腕とか背筋がハンパない。こーゆーコトをやらされるたびに、やっぱカラテの猛者だけはあるなあと思うのだ。
そんなことを思いながらオイルを塗っていると、またまた無茶を言ってくる。
「おい! もっと楽しそうに塗れ」
はあっ?
「なにか話しかけたりしろっつてんだ、わかんだろ、そんぐらい!」
・・・わかんねーよ。
でも、怖いのでとりあえず震え声で言ってみる。
「・・・き、きもちい? みつ姉」
とか。
「みっちゃん! みっちゃんて呼べ、コラ! ムカシはそーゆってだだろっつーの!」
なんだそれ・・・。
「き、きもちい? み、みっちゃん!」
「ビビッてゆーなっつーの! フツーに喋れカスッ!」
自分がフツーじゃねえクセに・・・。無理だよ。
「あ”? なんか言ったか」
「なんも言ってないよ!」
「あー、なんかノド乾いた。おい、ジュース買ってこい」
も、無茶苦茶だ!
帰りたくなってきた。
でも、逆らわずに海の家に向かうぼく。
で、長い行列に耐えてなんとかジュースをゲットして戻ってみれば・・・。
茶髪だけど日焼けした筋肉ムキムキ。白い歯キラリンコしてるイケメンさんと楽し気にお語りあそばしているみつ姉の姿が・・・。
ジュースを持ったぼくに気付いたムキムキさんが言った。
「・・・誰?」
「え、知らない人」
薄情にも我が姉は冷たくそう宣うた。
「う~みは、ひろい~な、お~き~な~・・・」
どうして、ぼくはここに居るんだろう・・・。
両手にジュースのカップを持ったまま、一人波打ち際に座り、キャッキャアハハしてる海水浴客たちの遥か沖の水平線を見つめてたそがれる、ぼく。まだ陽はギンギンに高いというのに・・・。
「おにいちゃん、どーしたの?」
ふと振り返ると、そこに10数年前のみつ姉によく似た可愛い女の子が立っていた。子ども用のかわいいフリルの付いたビキニを着て、小さなバケツとプラスチックの熊手を持って。
「ねえ、あいちゃんとあそぼ? お城作ってえ」
「・・・うん、いいよ」
ぼくに近寄って来る女っていうと、ワカバとか家政部の部長のニイガタ先輩とか、ちょっとヘンな女ばかりなのだが、ぼくはなぜか小さな子供には無条件に好かれるのだ。それはきっと、日々3人の凶悪な姉たちに揉まれ、虐げられ、鍛えられたなんかの味みたいなものがにじみでてるからなのかもしれない、と勝手に思ったりする。
ほんの束の間。ぼくはその小さな女の子と砂の城を作って遊んだ。ほんのちょっとだけど、和んだ。
「あいちゃん! どこ行ってたの! 探したのよもぉ・・・」
その子のお母さんと思しきおとなしめの黒いワンピースの水着を着た女の人が来て、女の子を連れて行った。
「じゃあね、おにいちゃん! またね、ばいばい・・・」
お母さんも何度もぼくを振り返ってペコペコアタマを下げつつ、
「勝手にいなくなったり知らない人とお話ししちゃダメ! いつも言ってるじゃないの。メッ!」
女の子を𠮟りつつ、人の波の中に消えていった。
「さてと、戻るとしますか・・・。ムキムキさんがいなければ、だけど」
はたして。
さっきまでと同じところにみつ姉はいた。ちっぱいのヒョウ柄ストラップレスのビキニは見間違いようがない。仰向けになって、顔の上にタオルを被ってはいたけれど。不謹慎だけれど、「ご臨終です」というシーンを想像してしまった。
気配を察したのか、ぼくが傍に来るとみつ姉はチラとタオルを上げた。
「おっせーわ! ジュース買って来んのに何時間かかってんだ、カスッ!」
ぼくは氷が解けてすっかりぬるくなってふにゃふにゃになりつつあったジュースの紙コップを差し出した。
「なにこれ。うっわ、クソマズ! てめージュースもまともに買ってこれねーのかよ、このクズッ!」
「・・・あのムキムキさんは?」
「ケッ!」
みつ姉は吐き捨てるように言った。
「あんな話の詰まんねーヤツ、こっちからお断りだっつーの!」
・・・フラれたんだな。カワイそーに。
「・・・まだいる?」
ぼくは尋ねた。みつ姉は黙ったまま再びタオルを被ってごろんと寝っ転がった。こういう時のみつ姉は、帰りたいんだけど帰りたいって素直に言えないときであるのを経験で知っていた。
「帰ろ、みつ姉」
海に行ったのに海水に浸かることもなく、そうしてぼくらは家路についた。
帰りの電車の中でも、フテ腐れてるみつ姉の横で、ぼくは忘れてることは何かを考え続けた。でも、どーしても思い出せなかった。ブアイ駅に着いてからも考えていたので、よそ見して歩いていたことは認める。
ドンッ!
ぼくは知らない誰かとぶつかりそうになり、とっさに避けようとしたんだけど肩が少し当たってしまった。
痛たたたっ!
「あ、すいません」
肩が当たったのは、いかにもそれ風の、アロハシャツにサングラスの兄ちゃんだった。
「おうおうおうおうっ! テメこら、どこに目ん玉付けて歩いてやがんでィ、こら!」
「す、すいませんっ!」
とっさに謝ったんだけど、その「『コラ』のRが巻き舌になる」兄ちゃんはしつこくカラんできた。しかも二人連れ。だけど、ツレのちょっと歳がいってるほうの顔。どこか見覚えがあるんだよな・・・。
「へへ、女連れかよ。おう、よく見りゃなかなかの上玉じゃ・・・」
「おい、やめとけ」
その見覚えのある方が、サングラスの兄ちゃんをたしなめた。
「へ?」
「あ~ら、また会ったね、アンタ。性懲りもなくエラそうに、デカいツラ下げてお天道様の下歩いてんだね」
なんとみつ姉はいかにもな兄ちゃんたちに大胆な挑発をするではないか。ぼくはさらにビビったんだけど、みつ姉も顔を知ってるらしい。そこでぼくはハタ、と思い出した。
コイツ、コアラ組のヤツだ。
ぼくたちヤマト家4人姉弟で、その悪だくみをテッテ的に粉砕してやった、あのヤクザたちの一人だ。たしか、無謀にもみつ姉に向かって行ってアバラを折られたヤツだと思う。
「なんだと、おらっ! このアマ! おうおうおうっ! 黙ってればいい気になりやがって、コラ。ウチのアニキになんて口の利き方しやがるんでィ、コラ」
「おいっ、やめとけっつったろ」
「そうだね。このアニキの言う通り、やめといたほうがいいと思うよ。今度はアバラだけじゃ済まないよ。こっちはね、今すこ~し、ムシの居所が悪いんだ。半殺しにされたくなけりゃ、やめときな」
そう言いながら、みつ姉はグイグイとヤツらに向かってく。
ちょー、カッコイイ。
ヤツらは逃げはしなかったけどみつ姉の挑発にも乗ってこなかった。
一昔前、ぼくの父が若かったころなどとは比べ物にならないくらい、今のヤクザはヨワくなってると聞いた。法律が変わって、それまでカタギの衆をビビらせてきたヤクザの手口がことごとくツミになるようになったからである。
でも、それはあくまで表面に見える部分だけだ、とも。
今ではすっかり足を洗ってカタギになった、かつての父のシャテーであり、ひと姉に片思いしてるゲンゴロウさんは言っていた。
「地下に潜ったヤツらは何をしてくるかわからないですからね。ヘタにかかわらねえほうがよござんすよ」と。
しばらくヤツらとみつ姉の睨めっこが続いていたが、
「おい、行くぞ」
やがてヤツらのほうが先にその場を離れようとした。ぼくらの睨めっこに気付いてギャラリーが増えてしまったからだと思う。
「ちょっと待ちな!」
去ってゆく彼らにおっ被せるようにして、みつ姉は言った。
「おい、お前ら。あたしの家族に手ェ出したら、タダじゃ済まさないからな。そこんとこ、よ~く覚えとけよ。わかったか、コラ!」
それでも若い方はムカついていたみたいだったけど、結局ヤツらは何も言わずに立ち去った。
そうして、ぼくたちは改めて家に向かった。
「ありがとね、みつ姉」
「ボーっと歩いてっからだ、カスッ! グズかよ、テメーはよ!」
みつ姉の汚くて乱暴な言葉遣いの陰には、実はとてもあったかいものがあるのだ。それをあらためて感じた。
「ほら、モタモタしてんじゃねーよ。帰るぞっ」
踵を返したみつ姉の、プリンとしたかわいいお尻を追いかけて、ぼくも歩き出した。
家に着いた時はもう、夕暮れだった。
「ただいまー」
ガラッと開けた玄関に、なぜかひと姉がいた。
辛うじてスーツは着ているものの、髪はぐちゃぐちゃ。そして、顔もスッピンで、泣きはらした跡があった。
「・・・ひと姉。どーしたの?」
ひと姉はゆっくりと顔をあげて、ぼくを見た。
「タケル・・・。どこ行ってたのよ。なんで起こしてくれなかったのよおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!」
何か大事なことを忘れてるような気がずっとしていたけれど、やっとそれを思い出した。
ひと姉を起すのを忘れていたのだ。
でも、起こされなければ平気で夕方までぐーすかぴーな人にベンゴシが務まるのだろうか、と思わないでもなかった。
第四話 ぼくの姉、三葉 終り
武士の「武」、相撲の「相」。昔で言う武蔵の国と相模の国の境目らへんにあるから「武相」なのだが、ぼくの家もそこにある。
ちなみに、ぼくの家からそう遠くないところに、昔の総理大臣の秘書で、財界のエラい人で、「日本国憲法」を作るのに関わったとか関わらなかったとか、だったらしい人が建てた別荘がある。
その名前が「ぶあい莊」なのだ。
これはシャレではない。マジである。建てた本人はギャグのつもりだったのかもしれないけれども。
亡くなったぼくのじいちゃんは、そのエラい人に会ったことがあるらしくて、「ぶあい莊」の話もじいちゃんから聞いた。「御前」と呼んでとても尊敬していた。「白●次郎」でググると出てくるから、キョーミがあったら調べてみてください。
そんなわけでそのへんの話は置いといて、そんなところから海までちゃっちゃと行くのにはやはり無理がある。いや、行くなら行くでもっと早く出なければ。
「ねえ、みつ姉。今から行ったらお昼になっちゃうよ」
「あ”? あたしに逆らうのかテメー」
「いや、そういうわけじゃ・・・。近場のプールのほうが・・・」
「男のクセにいちいちこまごまとうっせーんだよ! 海っつったら海なんだよ、カスッ!」
結局行く先は海ということになった。ものごとを深く考えないワリにプライドだけはエベレストより高い。一度言い出したらたとえそれがムリスジでも突っ走る。それがみつ姉という女なのである。
やれやれ・・・。
夏休み。平日の午前中。適度に混んだ電車のベンチシートに実の姉と並んで座る。
時間的にも、行く先的にも、車内は勤め人風は少なく比較的にぼくらみたいな若いヤツ、そしてお年寄りが半々くらい。若いヤツらも海に行くんだろう。ぼくらと同じように軽装でビーサンのヤツが多い。
ふと隣のみつ姉を見るとスマホでマンガらしきものをスクロールしている。
「あのさ、みつ姉。出来ればWi-Fiつながるトコでやってくれない? パケ代もったいないじゃん」
命は惜しくても、わがヤマト家の家計を預かる者としては言うべきことは言わねばならない。
当然家族割にしてるのだが、みつ姉の料金が姉弟の中でダントツで高いのである。が、当然エベレストより高いプライドを持つ姉には反駁される。
「チッ! いちいちうっせーっつってんだよ、男のクセに! 」
「男とか女とかカンケーないと思うけど。姉なんだから少しは家の経済に気を使えよな」
もちろん、そこまでは言わない。やっぱり命が惜しいのである。
「これは家でダウンロードしたヤツなの! それなら文句ねーだろ?」
ふとみつ姉の肩越しにそのマンガらしきものの画が見えてしまった。
男と男が、キスしてるぅ! しかも、濃厚な、べろちゅー・・・。
おえ・・・。
ああ、なるほど。これが「びーえる」というヤツか。みつ姉、密かに腐りまくってんだなあ・・・。
「何見てんだ、コラ」
「・・・べつに」
「お前今、心の中で『おえ』っつったろ」
ギク!
実の姉だけにムダにカンがスルドイ。だが、一応恥ずかしい趣味だという自覚が本人にあるのを知ってややホッとした。
「・・・い、言ってないよ」
「言った」
「言ってませんっ!」
どうして、ぼくはここに居るんだろう・・・。
実の姉とくだらないやり取りをしていると、思わずそんな一句が浮かぶのを禁じえない。
ああ、みつ姉じゃなくてふた姉と一緒だったらなあ・・・。もっと楽しいのになあ・・・。
ま、んなことを思ってても仕方ないので、何か忘れてるんじゃないかの問題をあれこれ考えてみた。忘れてることって、なんだろう・・・。
そのひとつは思い出した。
洗濯である。
これは致し方ない。不可抗力というヤツだ。逆らうと殺されそうだったのだ。帰ってから一回ぐらい回して夜干せばいい。
でも、他にもっと大事なことがあったような・・・。
と、向かい側のベンチシートに座ってるカップルに目がいった。
2人ともオソロの青いTシャツにカットオフしたジーンズにビーサン。女の子のほうはTシャツの広い襟元からオレンジ色のビキニのストラップが見えていた。ぼくらと同じように海に行くらしい。声は聞こえないけれど見るからにボクタチ仲いいんですよ的光線をバリバリに辺りに振りまいていた。
「まーくん♡」
「ちーちゃん♡」
・・・みたいな。
ホンワカ度満点の二人からとてもシアワセな空気を貰って傍らのみつ姉にそのことを言おうと思ったとたん、ぼくは阿修羅を見た。
ただでさえ恐ろしいみつ姉の顔が、「超ベリー」恐ろしいほどの憤怒に彩られていたのである。
こういうのを、「ルサンチマン」というらしい。
「ニーチェさん」という人が考え出した言葉で、「弱者の強者に対する憎悪を満たそうとする復讐心が、内攻的に鬱積した心理をいう」、らしい。
みつ姉はぼくに対しては「強者」だけど、こと恋愛に関しては「弱者」なのだ。みつ姉のような「恋愛弱者」は、リア充のような「恋愛強者」に「ルサンチマン」を抱くのである。学校ではまだ習っていないコトバだが、これでもひと姉から「コクリツ」に入ることを厳命されているので、なんとなく知っているのである。
あのさあ、幸せそうなカップル見るたびにんな顔すんなっつーの。だったら、部屋にヒキコモッてろっつーの!
そういう言葉が舌の上まで出かかるのだが、「言えたらいいだろな」レベルでやめとく。ホンネは口が裂けても言わないのだ。命が惜しいからである。
そんなこんなで・・・。
海に着いた。
そこは海というよりは、「人の海」だった。
どこもかしこも。人、人、人・・・。
駅からもうすでに人。駅前の商店街も人。浜に向かう人の列。もちろん、浜辺も人だらけ。
唯一の男子部員ではあるが家政部に入っているぐらいである。中学で野球を辞めてからというもの、ぼくはどっちかっつーとインドア派で、人混みは好きではないのだ。もう、ゲンナリである。来るんじゃなかったなあ・・・。
案の定、海の家の更衣室の前にも長い列ができていた。
「みつ姉、あんなに並んでるよ。どうする?」
あ、れ?
スタスタ。人の群れの中に入って行くみつ姉は、テキトーなところにドカっとバッグを下ろすと、
「おい! なにやってんだテメー。バスタオルぐらい敷けっつーの! 気が利かねえヤツだなっ! グズかテメーはっ!」
相変わらずヒドい言われようだが、命が惜しいぼくは、言われた通りに熱い砂の上にささっとバスタオルを敷いた。
すぐにそこにデンっと座り直したみつ姉は、おもむろにタンクトップをぬぎぬぎし始めた。
「え?」
でも、なあんだ、という展開。
黄色い大きく胸の開いたタンクトップの下にはストラップレスの水着装着済み、だったのだ。ちっぱいだからストラップレスなんかだとズリ落ちちゃうんじゃないかといらん心配をした。
しかし、ガラが、ド派手・・・。
まるでオーサカのおばちゃんみたいな、ヒョウ柄。
「イエーィ! カーノジョ、イケてるんじゃね?」
とたんに声がかかるのだが、声をかけて来た男の顔をじィーっと見るや、
「タケル、なにボサっと突っ立ってんだ、オラ! テメーも早く着替えろ、このカスッ!」
すぐに地が出てぼくを呼んだ。声をかけて来たヤツが好みのタイプではなかったのだろう。
みつ姉は、じつにわかりやすい人だ。
体育がプールの時に着替えで使うバスタオル仕様の目隠しを持ってきていたぼくはそこで着替えた。
青い空。江●島の上に沸き上がるモクモクの入道雲。そして、青い海。周りは小麦色かこれから小麦色になろうとしてる水着姿の男や女がいっぱい・・・。
ああ、夏だなあ・・・。
せっかくの夏休みなのに、家に居れば3人の姉たちのお世話に忙殺され、あとは勉強だけで終わってしまいそうだったのだ。ムリヤリではあったけれど、ウザイ姉付きではあるけれど、やっぱ来てよかっ・・・。
ふとすぐ傍から不穏な恨みのオーラがムラムラと立ち昇っているのを感じ、ぼくのリゾート気分は一瞬にして掻き消えた。恐る恐る隣の姉の視線を追った。
「ねえ、まーくうん、オイル塗ってェ・・・♡」
「いいよぉ♡ あれ、ちーちゃん、ちょっと太った? この脇腹とか、フトモモとか・・・」
「ええっ、ちょ、やだ~ん(笑)! ん、もうっ! まーくんたらあん・・・♡」
「ああ、ごめんごめん(笑)。でも、そんなちーちゃんがダイスキだよっ♡」
声までは聞こえてこなかったけれど、すぐそばでハートマーク付きのそんなカンジのイチャイチャシーンが展開されれば、やっぱり、お約束の恨みの焔(ほむら)が・・・。
こころなしか歯ぎしりまで聞こえて来た。
「おいっ!」
「え?」
「え、じゃねーわ。オイルぐらい塗れっつーの、ボケっ!」
対抗意識むきだしまくりのみつ姉は、プイと腹ばいになってぼくを睨んでいた。
ったく・・・。実の弟にそんなことまでやらせんのかよ!
そう言いたいのをグッと堪え、バッグからサンオイルのボトルをとり、溜息だけは聞こえないようにして両手に馴染ませた。ぼくって、いい弟だなあ・・・。
そうして、スレンダーなみつ姉の水着姿に向かった。
ちなみに。
3人の姉の中で一番ケツがデカいのは文句なしにひと姉である。ふた姉はその次ぐらい。試みに3人の姉のケツをオノマトペで表現してみると、
ふた姉は、「バイ~ン!」
ひと姉は、「ドデ~ン!」
んで、みつ姉は「・・・ぷりん」
というカンジになる。
我が姉ながら可愛らしいケツをして・・・、
「・・・何見てんだ、テメー。サッサと塗れっつーの! このエロガキッ!」
アホな妄想をしないとやってられないからなのだが、真夏の海岸で般若になられても困る。
「でも、見なきゃ塗れないじゃんかあ」
「見ないでやれ!」
んな、無茶苦茶な・・・。
仕方がないので、なるべく見ないようにして、肩の辺りらへんから、塗り始めた。
一応こういうコトをやらされるのは初めてではないし、肩ならいつも揉まされてる。だからぼくにはなんとなく慣れがある。
スレンダーでもやっぱり女の子だからかみつ姉のカラダは柔らかい。だが、皮下脂肪の下の筋肉はめっちゃカタいのだ。特に二の腕とか背筋がハンパない。こーゆーコトをやらされるたびに、やっぱカラテの猛者だけはあるなあと思うのだ。
そんなことを思いながらオイルを塗っていると、またまた無茶を言ってくる。
「おい! もっと楽しそうに塗れ」
はあっ?
「なにか話しかけたりしろっつてんだ、わかんだろ、そんぐらい!」
・・・わかんねーよ。
でも、怖いのでとりあえず震え声で言ってみる。
「・・・き、きもちい? みつ姉」
とか。
「みっちゃん! みっちゃんて呼べ、コラ! ムカシはそーゆってだだろっつーの!」
なんだそれ・・・。
「き、きもちい? み、みっちゃん!」
「ビビッてゆーなっつーの! フツーに喋れカスッ!」
自分がフツーじゃねえクセに・・・。無理だよ。
「あ”? なんか言ったか」
「なんも言ってないよ!」
「あー、なんかノド乾いた。おい、ジュース買ってこい」
も、無茶苦茶だ!
帰りたくなってきた。
でも、逆らわずに海の家に向かうぼく。
で、長い行列に耐えてなんとかジュースをゲットして戻ってみれば・・・。
茶髪だけど日焼けした筋肉ムキムキ。白い歯キラリンコしてるイケメンさんと楽し気にお語りあそばしているみつ姉の姿が・・・。
ジュースを持ったぼくに気付いたムキムキさんが言った。
「・・・誰?」
「え、知らない人」
薄情にも我が姉は冷たくそう宣うた。
「う~みは、ひろい~な、お~き~な~・・・」
どうして、ぼくはここに居るんだろう・・・。
両手にジュースのカップを持ったまま、一人波打ち際に座り、キャッキャアハハしてる海水浴客たちの遥か沖の水平線を見つめてたそがれる、ぼく。まだ陽はギンギンに高いというのに・・・。
「おにいちゃん、どーしたの?」
ふと振り返ると、そこに10数年前のみつ姉によく似た可愛い女の子が立っていた。子ども用のかわいいフリルの付いたビキニを着て、小さなバケツとプラスチックの熊手を持って。
「ねえ、あいちゃんとあそぼ? お城作ってえ」
「・・・うん、いいよ」
ぼくに近寄って来る女っていうと、ワカバとか家政部の部長のニイガタ先輩とか、ちょっとヘンな女ばかりなのだが、ぼくはなぜか小さな子供には無条件に好かれるのだ。それはきっと、日々3人の凶悪な姉たちに揉まれ、虐げられ、鍛えられたなんかの味みたいなものがにじみでてるからなのかもしれない、と勝手に思ったりする。
ほんの束の間。ぼくはその小さな女の子と砂の城を作って遊んだ。ほんのちょっとだけど、和んだ。
「あいちゃん! どこ行ってたの! 探したのよもぉ・・・」
その子のお母さんと思しきおとなしめの黒いワンピースの水着を着た女の人が来て、女の子を連れて行った。
「じゃあね、おにいちゃん! またね、ばいばい・・・」
お母さんも何度もぼくを振り返ってペコペコアタマを下げつつ、
「勝手にいなくなったり知らない人とお話ししちゃダメ! いつも言ってるじゃないの。メッ!」
女の子を𠮟りつつ、人の波の中に消えていった。
「さてと、戻るとしますか・・・。ムキムキさんがいなければ、だけど」
はたして。
さっきまでと同じところにみつ姉はいた。ちっぱいのヒョウ柄ストラップレスのビキニは見間違いようがない。仰向けになって、顔の上にタオルを被ってはいたけれど。不謹慎だけれど、「ご臨終です」というシーンを想像してしまった。
気配を察したのか、ぼくが傍に来るとみつ姉はチラとタオルを上げた。
「おっせーわ! ジュース買って来んのに何時間かかってんだ、カスッ!」
ぼくは氷が解けてすっかりぬるくなってふにゃふにゃになりつつあったジュースの紙コップを差し出した。
「なにこれ。うっわ、クソマズ! てめージュースもまともに買ってこれねーのかよ、このクズッ!」
「・・・あのムキムキさんは?」
「ケッ!」
みつ姉は吐き捨てるように言った。
「あんな話の詰まんねーヤツ、こっちからお断りだっつーの!」
・・・フラれたんだな。カワイそーに。
「・・・まだいる?」
ぼくは尋ねた。みつ姉は黙ったまま再びタオルを被ってごろんと寝っ転がった。こういう時のみつ姉は、帰りたいんだけど帰りたいって素直に言えないときであるのを経験で知っていた。
「帰ろ、みつ姉」
海に行ったのに海水に浸かることもなく、そうしてぼくらは家路についた。
帰りの電車の中でも、フテ腐れてるみつ姉の横で、ぼくは忘れてることは何かを考え続けた。でも、どーしても思い出せなかった。ブアイ駅に着いてからも考えていたので、よそ見して歩いていたことは認める。
ドンッ!
ぼくは知らない誰かとぶつかりそうになり、とっさに避けようとしたんだけど肩が少し当たってしまった。
痛たたたっ!
「あ、すいません」
肩が当たったのは、いかにもそれ風の、アロハシャツにサングラスの兄ちゃんだった。
「おうおうおうおうっ! テメこら、どこに目ん玉付けて歩いてやがんでィ、こら!」
「す、すいませんっ!」
とっさに謝ったんだけど、その「『コラ』のRが巻き舌になる」兄ちゃんはしつこくカラんできた。しかも二人連れ。だけど、ツレのちょっと歳がいってるほうの顔。どこか見覚えがあるんだよな・・・。
「へへ、女連れかよ。おう、よく見りゃなかなかの上玉じゃ・・・」
「おい、やめとけ」
その見覚えのある方が、サングラスの兄ちゃんをたしなめた。
「へ?」
「あ~ら、また会ったね、アンタ。性懲りもなくエラそうに、デカいツラ下げてお天道様の下歩いてんだね」
なんとみつ姉はいかにもな兄ちゃんたちに大胆な挑発をするではないか。ぼくはさらにビビったんだけど、みつ姉も顔を知ってるらしい。そこでぼくはハタ、と思い出した。
コイツ、コアラ組のヤツだ。
ぼくたちヤマト家4人姉弟で、その悪だくみをテッテ的に粉砕してやった、あのヤクザたちの一人だ。たしか、無謀にもみつ姉に向かって行ってアバラを折られたヤツだと思う。
「なんだと、おらっ! このアマ! おうおうおうっ! 黙ってればいい気になりやがって、コラ。ウチのアニキになんて口の利き方しやがるんでィ、コラ」
「おいっ、やめとけっつったろ」
「そうだね。このアニキの言う通り、やめといたほうがいいと思うよ。今度はアバラだけじゃ済まないよ。こっちはね、今すこ~し、ムシの居所が悪いんだ。半殺しにされたくなけりゃ、やめときな」
そう言いながら、みつ姉はグイグイとヤツらに向かってく。
ちょー、カッコイイ。
ヤツらは逃げはしなかったけどみつ姉の挑発にも乗ってこなかった。
一昔前、ぼくの父が若かったころなどとは比べ物にならないくらい、今のヤクザはヨワくなってると聞いた。法律が変わって、それまでカタギの衆をビビらせてきたヤクザの手口がことごとくツミになるようになったからである。
でも、それはあくまで表面に見える部分だけだ、とも。
今ではすっかり足を洗ってカタギになった、かつての父のシャテーであり、ひと姉に片思いしてるゲンゴロウさんは言っていた。
「地下に潜ったヤツらは何をしてくるかわからないですからね。ヘタにかかわらねえほうがよござんすよ」と。
しばらくヤツらとみつ姉の睨めっこが続いていたが、
「おい、行くぞ」
やがてヤツらのほうが先にその場を離れようとした。ぼくらの睨めっこに気付いてギャラリーが増えてしまったからだと思う。
「ちょっと待ちな!」
去ってゆく彼らにおっ被せるようにして、みつ姉は言った。
「おい、お前ら。あたしの家族に手ェ出したら、タダじゃ済まさないからな。そこんとこ、よ~く覚えとけよ。わかったか、コラ!」
それでも若い方はムカついていたみたいだったけど、結局ヤツらは何も言わずに立ち去った。
そうして、ぼくたちは改めて家に向かった。
「ありがとね、みつ姉」
「ボーっと歩いてっからだ、カスッ! グズかよ、テメーはよ!」
みつ姉の汚くて乱暴な言葉遣いの陰には、実はとてもあったかいものがあるのだ。それをあらためて感じた。
「ほら、モタモタしてんじゃねーよ。帰るぞっ」
踵を返したみつ姉の、プリンとしたかわいいお尻を追いかけて、ぼくも歩き出した。
家に着いた時はもう、夕暮れだった。
「ただいまー」
ガラッと開けた玄関に、なぜかひと姉がいた。
辛うじてスーツは着ているものの、髪はぐちゃぐちゃ。そして、顔もスッピンで、泣きはらした跡があった。
「・・・ひと姉。どーしたの?」
ひと姉はゆっくりと顔をあげて、ぼくを見た。
「タケル・・・。どこ行ってたのよ。なんで起こしてくれなかったのよおおおおおおおおおおおおおおおおおんっ!」
何か大事なことを忘れてるような気がずっとしていたけれど、やっとそれを思い出した。
ひと姉を起すのを忘れていたのだ。
でも、起こされなければ平気で夕方までぐーすかぴーな人にベンゴシが務まるのだろうか、と思わないでもなかった。
第四話 ぼくの姉、三葉 終り
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