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第三話 ぼくの姉、双葉(前編)
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「類まれな美貌と男を惑狂わせる魅惑的な肢体を併せ持つ第一級のレーサーか。
それとも、
数々のレースで勝ち、表彰台で勝利のシャンパンを浴び続け今なおトップを目指し日々精進し続ける闘魂を秘めたグラビアモデルか。
男の心を惹きつけて離さない。山戸双葉はそんな捉えどころのない魅力を放ち続ける女である」
その男性誌のふた姉のグラビアページには、そんなキャッチがつけられていた。
お尻ぷりんっ! ムネばいーんっ! しかもスレンダーで手足長っ! しかも、超美形。
黒いビキニを着たふた姉はいろんなポーズで、見る者を悩殺する。あんなのや、こーんなのや、うわ、うひゃあっ! こんなあられもないカッコー、アリなのかっ!
じいーっ・・・。
ガバッ!
突然、ぼくが読んでいた雑誌が、消えた。
「なに見てんのよっ、スケベ!」
またしても・・・、ワカバである。
ぼくは、怒り心頭に発するにやぶさかではなかった。
「なにすんだよっ!」
「せっかくの夏休みなのに、エロ本観るしかやることないのっ?! しかも、わざわざ実の姉のグラビアなんか買って来てさっ! キモッ!」
学校指定の体操着。上は「柴田」のネーム入りの半そでのシャツで下は紺のショートパンツ。髪型だけはいつもふた姉と同じ。ワカバは、ぼくから取り上げた男性誌をぱらぱらめくりつつ、そんなゴタクを述べやがった。
「返せよっ!」
当然、ぼくは雑誌を奪い返した。
「自分で買ったんじゃねえし! ふた姉がいつも新しいのが出ると持って帰ってくるんだよっ。たまたまそれを見てただけだっ! 」
それはホントウである。自分が出てる雑誌が発売になる前に、
「ほい! 今度のヤツ」
ふた姉が持って帰って来るのである。ただし、
「お願いだからソレ、オカズにしないでね」
必ず言われる。もちろん、ジョーダンなのだが。
「だいたい、なんでいっつも『こんちわ』の一言もなく上がり込んで来んだ。ここはぼくんちだっ! お前んちじゃねえっ!」
「なんでよ」
とワカバは言った。
「なんで野球部続けなかったのよ」
「はあ? お前にカンケーねえし。サッサとブカツ行け」
「野球部の方が、いいのに・・・」
なにを朝っぱらからわけのわからんことを。そう思っていると、
「あらあ、ワカちゃんいらっしゃい」
ふた姉が降りて来た。真っ白なTシャツにジーンズ。そして、ウェストポーチ。
「ほら、ぼくら今から出かけんだから、お前も早く学校行け」
「もしかして、ふたちゃんと? どこに?」
「ちょっとね。じゃ、タケル行くよ」
「うん。じゃあな、ワカバ。さ、行った行った」
剣道の袋を持ったワカバを追い出して玄関にカギを掛けふた姉を追いかけてガレージに行った。
青いスポーツカーかと思っていたら、
「え、マジ?」
ふた姉はその奥にあるオートバイを引っ張り出して来たではないか。大型の、ナナハンというヤツである。青いタンクには「KAWASAKI」というロゴがついてる。
「これで行くの?」
「うん」
ふた姉はすでにレザージャケットにライディングブーツまで履いている。
「飛ばすよね」
「飛ばさないよ。安全運転だよ」
「飛ばすんだ」
「飛ばさないって」
「絶対、飛ばす・・・」
「うっさいっ! ごちゃごちゃ言わない! サッサと乗んな!」
いつもはぼくに優しいふた姉なのだが、車やオートバイに乗るとガラッと人格が変わる。こういう人はタマにいる。ひと姉を乗せているときはそうでもないが、ぼくだけの時はめっちゃ、トバすのだ。あまりにもコワくて一度だけだがちびったことがあり、ふた姉にしこたま、怒られた。
「やっぱ、ぼく、行くのやめる」
「はあっ? 何をいまさら。男だろっ! 黙って乗れ!」
そう言ってすでにヘルメットを被ってバイクに跨り、キュルキュルとセルを回し、ブンブンいってるふた姉のイキオイに呑まれ、ぼくも諦めてヘルメットを被った。そして、ふた姉の後ろに跨った。もしかすると、今日が人生最後の日になるかもと思いつつ。
「タケル! 掴まれっ」
ぼくは思わずふた姉の腰を抱いた。
勢いよく、バイクは走り出した。
もちろん、ふた姉は、飛ばした。
「あ”ーっ!」
ぼくは目を瞑り必死にしがみついた。
「タケルっ! 目ェ瞑んなっ! テメーそれでも男かっ! マウンドの上で女の子にキャーキャー言われてカッコつけてたクセにっ! なっさけねーヤツだなオメーはっ!」
それとこれとは全くもってカンケーないですが、何か?
もちろん、そんなことは言わないし、言えないし、言ってる場合じゃないっ!
そう思ってる間に、無謀にもタンデムでコーナーを攻めまくりだすふた姉。手が届きそうなほど近くに高速で流れる路面がある。
ああ、死ぬ。もう、死ぬ。
神様! まもなくぼくは。御許に参ります・・・。
思わず、そう、祈った。
だが、ぼくは知っていた。
いつもこのゴーモンのような仕打ちの果てには、なんというか、「至福」が訪れるのだ。
超高速で突っ走るバイクのリアシートで思わずふた姉の細い腰に抱きつく。振り落とされまいと回した腕に力が入る。タンデムの後ろは特等席だ。そこに乗っかっていればぼくは誰はばかることなく思い切り血を分けた実の姉であるふた姉に抱きつくことができる。誰も何も言わない。
ライディングジャケット越しの、ふた姉の柔らかなカラダの感触と優しい匂いに酔ってしまう自分がいる。3人の姉の中で一番好きなふた姉なのだが、なぜそうなるのか時々わからなくなることがある。
そして、いつしかバイクの振動と騒音が消える。至福と恍惚がやってくる。まるでキビい修行の果てに悟りを開き、お釈迦様の慈愛に触れる修行僧みたいに。ぼくはその中に甘んじて身をゆだねる。すると、グラブをしたふた姉の手がぼくの腕をポンポンと優しく叩いたり撫でたりする。それはまるで、お母さんに抱っこされた赤ん坊が背中をトントンされたり撫でたりされるのに似ていた。そこには、顔もよく知らない、母の温もりがあるのだ。
ぼくがふた姉に感じるのは、そういうことなのだ。
やがてバイクは止まった。
「着いたよ、タケル」
株式会社ソノダレーシング。
通りに面したカンバンにはそう書いてあった。
「やあタケルくん、しばらくだね」
40代後半か50代前半か。社長のソノダさんは、ちょっとハゲ目で太り目だけど穏やかな人だ。
その昔は500ccのロードレースで勇名を馳せ、その後4輪に転向してからはF3で何度か優勝し、スポットだけどF1にも参戦したこともあると聞いた。ソノダさんの事務所にはそうした数々のレースで獲得したトロフィーや賞状や表彰台でシャンパンシャワーを浴びるソノダさんや代々のドライバーの写真もある。もちろん、ふた姉のもある。表彰台の上で大きなボトルから降り注ぐシャンパンを惜しげもなく顔に受け歓喜の表情でラッパ飲みするふた姉。飛び散る美酒の飛沫がまるで王冠のように見える。
「いつも姉がお世話になってます」
型どおりの挨拶をする弟を尻目に、ふた姉はディレクターズチェアにふんぞり返ってコーラのボトルをグビグビしてた。みるからにふてぶてしいタイド。
いつも優しい家でのふた姉はそこに居なかった。不良少女? いくつもの顔を持つ彼女の、また別の顔がそこにあった。明らかに、ふた姉は、怒っていた。
「ちょうどよかった。なあ? フタバ。タケル君にも聞いてもらおうか。お前の行状をさ」
そう言ってソノダさんはテーブルの上のパソコンをちゃっちゃとイジリ、音声ソフトを起動させた。
トン。
彼がマウスを滑らせてクリックすると、その会話が聞こえて来た。
「・・・フタバ! ピットに戻れ! 予定のタイヤチェンジだ」
「やだっ! あんの野郎! ぜってー刺す! あったまきた!」
「熱くなるな! 今変えた方がいい。どうせヤツも変える」
「アイツ刺してから変える!」
「言うこと聞け、フタバ、フタバっ!」
そこでソノダさんはまたマウスを動かす。
「煙出てる! バーストするぞっ! 戻れっ!」
「ちっくしょーっ、むかつくっ! 死ねっ、この野郎っ! ぶっ殺してやるっ!」
そこで、ソノダさんは音声を止めた。
し~ん・・・。
なんという、修羅。
さっきぼくを乗せてトバしまくってたふた姉の比じゃない。まるで、鬼だ。
「これ、この前のレースの。ドライバーのフタバとピットのやりとりだね。結果は散々。ヨユーで表彰台のハズだったのにね」
「いいじゃん! 入賞はしたんだし」
そっぽを向きながら、ふた姉は言った。そんな彼女をよそに、ソノダさんは穏やかにぼくにわかるように話し続けた。
「おかげで、オレらは得られるはずだったコンストラクターズポイントを5点失った。もし次のレースで優勝できたとしても、今期のトップは残念ながらなくなってしまった。それだけ媒体露出も減る。スポンサーもお怒りだ」
「また水着着ればいいんでしょ? あんな、ひょっとこのダサダサのロゴマーク着けた車の横でさ」
事務所の窓の下はレースに出る車をチューンするガレージになっていた。そこに数台のカラーリングされた車が並んでいたが、そのうちの一台のボンネットにはTVCMでたまに見るひょっとこマークのソース会社のロゴが描いてあった。たしかに、だっさい・・・。
「オマエな・・・。そういうタイドをとり続けるなら、来季の契約はナシにさせてもらうぞ。それでもいいのか」
ソノダさんは静かに怒っていた。
「レースというのはドライバーだけが戦ってるんじゃない。ピットだって戦ってる。レースはドライバーとピット、それにフロントも一体になった、チームの勝負なんだ。何度も言っている。それなのに・・・。
いったい何様のつもりなんだ、ん? フタバ」
要するに、ふた姉は叱られているのだった。
それで、ぼくが連れてこられた理由が、なんとなくわかった。
このシチュエーションでのぼくのポジションは、アンカー。錨だ。ふた姉が暴走して暴れ出さないようにするための。
「どうも、申し訳ございませんでした。姉には、よく言って聞かせますので・・・」
ぼくは立ち上がって深くアタマを下げた。
「なあ、フタバ。オマエ、弟にこんなことを言わせて、アタマ下げさせてさ。恥ずかしくないのかよ、姉として」
ふた姉は絶対に謝らない。ソノダさんもそういう彼女を許さない。このままではケンカ別れになる。だから、ぼくが代わってアタマを下げる。すると、ふた姉もアタマは下げないけど神妙になる。ソノダさんも不承不承ながら、ぼくに免じて許してくれる。というわけなのだ。
ふた姉は目を落として爪の甘皮をチマチマとチェックしていた。これでも反省している方だと思う。
先に事務所を出てバイクの横で待った。しばらくすると、ふた姉も出て来た。さっきまでド叱られていたにも拘わらず、なぜかニコニコしていた。
「ごめんね、タケル。お詫びにマッ●おごってあげる」
ビッグマッ●のドレッシングをこぼさないように頬張りながら、ぼんやりと窓の外を眺めているふた姉の横顔を見つめた。
レーサーでライダー。しかも、グラビアモデル。3人の美形の姉たちのなかでもピカイチの、超美形。その整った上品な横顔が夏のペイヴメントの照り返しを浴びて輝いていた。スーツやドレスなんかじゃない、ごく普通のジーンズに白いTシャツ姿も、何故かふた姉が着ると撮影のためのトクベツな衣装のように見えてくるから不思議だ。
「あ、スイマセン! ヤマトフタバさん、ですよね? オレ、ファンなんス」
人が食事中にもかかわらず無遠慮に声をかけてきてサインをねだってくるヤカラにも笑顔で応えるふた姉。手帳とペンをソイツに返すとぼくの視線に気づく。
「あ、もしかしてあたしのポテト狙ってた? あげるよ」
そう言ってトレーをぼくの方に押しやり、ふたたび窓の外に目を移した。
そういうことじゃないんだけどな。
そう思いつつも、ぼくはシェイクをずずずと吸いながら、ふた姉のポテトをつまんだ。
無言で、食べた。
窓の外を見つめ続ける彼女が何を考えているのかはまったくわからない。
だけど、ぼくは、時にふた姉と過ごすこんな会話のない時間が、たとえようもないくらいに、好きなのだ。
次の日。
「じゃ、行ってくらあ!」
「ぎゃーっ! チコクだチコクだ!」
バイトに行くみつ姉とベンゴシ事務所に出勤するひと姉を慌ただしく送り出し、朝の家事、つまり洗濯とソージと干し物を終えたぼくはリビングで宿題を片付けていた。と。
「ちょっと出かけてくるね」
階段をトントン降りて来たふた姉がそのまま玄関にいってしまうではないか。
「あれ、朝ごはんは? 」
「いらない。あ、帰り遅くなるかも。じゃあねえ・・・」
ガラガラ。
と、出ていった。
やれやれ・・・。
と、
どこかでバイブのぶー、ぶー、が鳴ってるのが聞こえた。
ダイニングのテーブルの上に、スマホがあった。ひと姉やみつ姉みたいに余分な飾りが付いてない、男の持つような黒いヤツ。ふた姉のだ。彼女はいつもこんなカンジなのだ。フツーの人が執着するようにはスマホにキョーミない、っていうか頓着がない。
たぶん、車か、バイクだ。だとすれば追いかけてもムダだな。
そう思いつつ、ふた姉のスマホを引っ掴んで玄関に走った。
だが、いつもは聞こえるエンジンの音がしない。
見れば、ジーンズに黄色いキャミにキャップというラフすぎる格好のふた姉の魅力的な後姿がてくてく歩いてゆく。
電車か。
思うところあったぼくは、後を尾行けることにした。
第三話 後編に続く
それとも、
数々のレースで勝ち、表彰台で勝利のシャンパンを浴び続け今なおトップを目指し日々精進し続ける闘魂を秘めたグラビアモデルか。
男の心を惹きつけて離さない。山戸双葉はそんな捉えどころのない魅力を放ち続ける女である」
その男性誌のふた姉のグラビアページには、そんなキャッチがつけられていた。
お尻ぷりんっ! ムネばいーんっ! しかもスレンダーで手足長っ! しかも、超美形。
黒いビキニを着たふた姉はいろんなポーズで、見る者を悩殺する。あんなのや、こーんなのや、うわ、うひゃあっ! こんなあられもないカッコー、アリなのかっ!
じいーっ・・・。
ガバッ!
突然、ぼくが読んでいた雑誌が、消えた。
「なに見てんのよっ、スケベ!」
またしても・・・、ワカバである。
ぼくは、怒り心頭に発するにやぶさかではなかった。
「なにすんだよっ!」
「せっかくの夏休みなのに、エロ本観るしかやることないのっ?! しかも、わざわざ実の姉のグラビアなんか買って来てさっ! キモッ!」
学校指定の体操着。上は「柴田」のネーム入りの半そでのシャツで下は紺のショートパンツ。髪型だけはいつもふた姉と同じ。ワカバは、ぼくから取り上げた男性誌をぱらぱらめくりつつ、そんなゴタクを述べやがった。
「返せよっ!」
当然、ぼくは雑誌を奪い返した。
「自分で買ったんじゃねえし! ふた姉がいつも新しいのが出ると持って帰ってくるんだよっ。たまたまそれを見てただけだっ! 」
それはホントウである。自分が出てる雑誌が発売になる前に、
「ほい! 今度のヤツ」
ふた姉が持って帰って来るのである。ただし、
「お願いだからソレ、オカズにしないでね」
必ず言われる。もちろん、ジョーダンなのだが。
「だいたい、なんでいっつも『こんちわ』の一言もなく上がり込んで来んだ。ここはぼくんちだっ! お前んちじゃねえっ!」
「なんでよ」
とワカバは言った。
「なんで野球部続けなかったのよ」
「はあ? お前にカンケーねえし。サッサとブカツ行け」
「野球部の方が、いいのに・・・」
なにを朝っぱらからわけのわからんことを。そう思っていると、
「あらあ、ワカちゃんいらっしゃい」
ふた姉が降りて来た。真っ白なTシャツにジーンズ。そして、ウェストポーチ。
「ほら、ぼくら今から出かけんだから、お前も早く学校行け」
「もしかして、ふたちゃんと? どこに?」
「ちょっとね。じゃ、タケル行くよ」
「うん。じゃあな、ワカバ。さ、行った行った」
剣道の袋を持ったワカバを追い出して玄関にカギを掛けふた姉を追いかけてガレージに行った。
青いスポーツカーかと思っていたら、
「え、マジ?」
ふた姉はその奥にあるオートバイを引っ張り出して来たではないか。大型の、ナナハンというヤツである。青いタンクには「KAWASAKI」というロゴがついてる。
「これで行くの?」
「うん」
ふた姉はすでにレザージャケットにライディングブーツまで履いている。
「飛ばすよね」
「飛ばさないよ。安全運転だよ」
「飛ばすんだ」
「飛ばさないって」
「絶対、飛ばす・・・」
「うっさいっ! ごちゃごちゃ言わない! サッサと乗んな!」
いつもはぼくに優しいふた姉なのだが、車やオートバイに乗るとガラッと人格が変わる。こういう人はタマにいる。ひと姉を乗せているときはそうでもないが、ぼくだけの時はめっちゃ、トバすのだ。あまりにもコワくて一度だけだがちびったことがあり、ふた姉にしこたま、怒られた。
「やっぱ、ぼく、行くのやめる」
「はあっ? 何をいまさら。男だろっ! 黙って乗れ!」
そう言ってすでにヘルメットを被ってバイクに跨り、キュルキュルとセルを回し、ブンブンいってるふた姉のイキオイに呑まれ、ぼくも諦めてヘルメットを被った。そして、ふた姉の後ろに跨った。もしかすると、今日が人生最後の日になるかもと思いつつ。
「タケル! 掴まれっ」
ぼくは思わずふた姉の腰を抱いた。
勢いよく、バイクは走り出した。
もちろん、ふた姉は、飛ばした。
「あ”ーっ!」
ぼくは目を瞑り必死にしがみついた。
「タケルっ! 目ェ瞑んなっ! テメーそれでも男かっ! マウンドの上で女の子にキャーキャー言われてカッコつけてたクセにっ! なっさけねーヤツだなオメーはっ!」
それとこれとは全くもってカンケーないですが、何か?
もちろん、そんなことは言わないし、言えないし、言ってる場合じゃないっ!
そう思ってる間に、無謀にもタンデムでコーナーを攻めまくりだすふた姉。手が届きそうなほど近くに高速で流れる路面がある。
ああ、死ぬ。もう、死ぬ。
神様! まもなくぼくは。御許に参ります・・・。
思わず、そう、祈った。
だが、ぼくは知っていた。
いつもこのゴーモンのような仕打ちの果てには、なんというか、「至福」が訪れるのだ。
超高速で突っ走るバイクのリアシートで思わずふた姉の細い腰に抱きつく。振り落とされまいと回した腕に力が入る。タンデムの後ろは特等席だ。そこに乗っかっていればぼくは誰はばかることなく思い切り血を分けた実の姉であるふた姉に抱きつくことができる。誰も何も言わない。
ライディングジャケット越しの、ふた姉の柔らかなカラダの感触と優しい匂いに酔ってしまう自分がいる。3人の姉の中で一番好きなふた姉なのだが、なぜそうなるのか時々わからなくなることがある。
そして、いつしかバイクの振動と騒音が消える。至福と恍惚がやってくる。まるでキビい修行の果てに悟りを開き、お釈迦様の慈愛に触れる修行僧みたいに。ぼくはその中に甘んじて身をゆだねる。すると、グラブをしたふた姉の手がぼくの腕をポンポンと優しく叩いたり撫でたりする。それはまるで、お母さんに抱っこされた赤ん坊が背中をトントンされたり撫でたりされるのに似ていた。そこには、顔もよく知らない、母の温もりがあるのだ。
ぼくがふた姉に感じるのは、そういうことなのだ。
やがてバイクは止まった。
「着いたよ、タケル」
株式会社ソノダレーシング。
通りに面したカンバンにはそう書いてあった。
「やあタケルくん、しばらくだね」
40代後半か50代前半か。社長のソノダさんは、ちょっとハゲ目で太り目だけど穏やかな人だ。
その昔は500ccのロードレースで勇名を馳せ、その後4輪に転向してからはF3で何度か優勝し、スポットだけどF1にも参戦したこともあると聞いた。ソノダさんの事務所にはそうした数々のレースで獲得したトロフィーや賞状や表彰台でシャンパンシャワーを浴びるソノダさんや代々のドライバーの写真もある。もちろん、ふた姉のもある。表彰台の上で大きなボトルから降り注ぐシャンパンを惜しげもなく顔に受け歓喜の表情でラッパ飲みするふた姉。飛び散る美酒の飛沫がまるで王冠のように見える。
「いつも姉がお世話になってます」
型どおりの挨拶をする弟を尻目に、ふた姉はディレクターズチェアにふんぞり返ってコーラのボトルをグビグビしてた。みるからにふてぶてしいタイド。
いつも優しい家でのふた姉はそこに居なかった。不良少女? いくつもの顔を持つ彼女の、また別の顔がそこにあった。明らかに、ふた姉は、怒っていた。
「ちょうどよかった。なあ? フタバ。タケル君にも聞いてもらおうか。お前の行状をさ」
そう言ってソノダさんはテーブルの上のパソコンをちゃっちゃとイジリ、音声ソフトを起動させた。
トン。
彼がマウスを滑らせてクリックすると、その会話が聞こえて来た。
「・・・フタバ! ピットに戻れ! 予定のタイヤチェンジだ」
「やだっ! あんの野郎! ぜってー刺す! あったまきた!」
「熱くなるな! 今変えた方がいい。どうせヤツも変える」
「アイツ刺してから変える!」
「言うこと聞け、フタバ、フタバっ!」
そこでソノダさんはまたマウスを動かす。
「煙出てる! バーストするぞっ! 戻れっ!」
「ちっくしょーっ、むかつくっ! 死ねっ、この野郎っ! ぶっ殺してやるっ!」
そこで、ソノダさんは音声を止めた。
し~ん・・・。
なんという、修羅。
さっきぼくを乗せてトバしまくってたふた姉の比じゃない。まるで、鬼だ。
「これ、この前のレースの。ドライバーのフタバとピットのやりとりだね。結果は散々。ヨユーで表彰台のハズだったのにね」
「いいじゃん! 入賞はしたんだし」
そっぽを向きながら、ふた姉は言った。そんな彼女をよそに、ソノダさんは穏やかにぼくにわかるように話し続けた。
「おかげで、オレらは得られるはずだったコンストラクターズポイントを5点失った。もし次のレースで優勝できたとしても、今期のトップは残念ながらなくなってしまった。それだけ媒体露出も減る。スポンサーもお怒りだ」
「また水着着ればいいんでしょ? あんな、ひょっとこのダサダサのロゴマーク着けた車の横でさ」
事務所の窓の下はレースに出る車をチューンするガレージになっていた。そこに数台のカラーリングされた車が並んでいたが、そのうちの一台のボンネットにはTVCMでたまに見るひょっとこマークのソース会社のロゴが描いてあった。たしかに、だっさい・・・。
「オマエな・・・。そういうタイドをとり続けるなら、来季の契約はナシにさせてもらうぞ。それでもいいのか」
ソノダさんは静かに怒っていた。
「レースというのはドライバーだけが戦ってるんじゃない。ピットだって戦ってる。レースはドライバーとピット、それにフロントも一体になった、チームの勝負なんだ。何度も言っている。それなのに・・・。
いったい何様のつもりなんだ、ん? フタバ」
要するに、ふた姉は叱られているのだった。
それで、ぼくが連れてこられた理由が、なんとなくわかった。
このシチュエーションでのぼくのポジションは、アンカー。錨だ。ふた姉が暴走して暴れ出さないようにするための。
「どうも、申し訳ございませんでした。姉には、よく言って聞かせますので・・・」
ぼくは立ち上がって深くアタマを下げた。
「なあ、フタバ。オマエ、弟にこんなことを言わせて、アタマ下げさせてさ。恥ずかしくないのかよ、姉として」
ふた姉は絶対に謝らない。ソノダさんもそういう彼女を許さない。このままではケンカ別れになる。だから、ぼくが代わってアタマを下げる。すると、ふた姉もアタマは下げないけど神妙になる。ソノダさんも不承不承ながら、ぼくに免じて許してくれる。というわけなのだ。
ふた姉は目を落として爪の甘皮をチマチマとチェックしていた。これでも反省している方だと思う。
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ビッグマッ●のドレッシングをこぼさないように頬張りながら、ぼんやりと窓の外を眺めているふた姉の横顔を見つめた。
レーサーでライダー。しかも、グラビアモデル。3人の美形の姉たちのなかでもピカイチの、超美形。その整った上品な横顔が夏のペイヴメントの照り返しを浴びて輝いていた。スーツやドレスなんかじゃない、ごく普通のジーンズに白いTシャツ姿も、何故かふた姉が着ると撮影のためのトクベツな衣装のように見えてくるから不思議だ。
「あ、スイマセン! ヤマトフタバさん、ですよね? オレ、ファンなんス」
人が食事中にもかかわらず無遠慮に声をかけてきてサインをねだってくるヤカラにも笑顔で応えるふた姉。手帳とペンをソイツに返すとぼくの視線に気づく。
「あ、もしかしてあたしのポテト狙ってた? あげるよ」
そう言ってトレーをぼくの方に押しやり、ふたたび窓の外に目を移した。
そういうことじゃないんだけどな。
そう思いつつも、ぼくはシェイクをずずずと吸いながら、ふた姉のポテトをつまんだ。
無言で、食べた。
窓の外を見つめ続ける彼女が何を考えているのかはまったくわからない。
だけど、ぼくは、時にふた姉と過ごすこんな会話のない時間が、たとえようもないくらいに、好きなのだ。
次の日。
「じゃ、行ってくらあ!」
「ぎゃーっ! チコクだチコクだ!」
バイトに行くみつ姉とベンゴシ事務所に出勤するひと姉を慌ただしく送り出し、朝の家事、つまり洗濯とソージと干し物を終えたぼくはリビングで宿題を片付けていた。と。
「ちょっと出かけてくるね」
階段をトントン降りて来たふた姉がそのまま玄関にいってしまうではないか。
「あれ、朝ごはんは? 」
「いらない。あ、帰り遅くなるかも。じゃあねえ・・・」
ガラガラ。
と、出ていった。
やれやれ・・・。
と、
どこかでバイブのぶー、ぶー、が鳴ってるのが聞こえた。
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たぶん、車か、バイクだ。だとすれば追いかけてもムダだな。
そう思いつつ、ふた姉のスマホを引っ掴んで玄関に走った。
だが、いつもは聞こえるエンジンの音がしない。
見れば、ジーンズに黄色いキャミにキャップというラフすぎる格好のふた姉の魅力的な後姿がてくてく歩いてゆく。
電車か。
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