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第二話 ぼくの幼馴染(後編の下)
しおりを挟む「悪ィな、ヤマト。やっぱ予定より早まっちまった。これ以上追加点はやれん。あとは、お前だけが頼りだ。頼むぞ」
そう言ってカミヤ先輩はぼくにボールを託し、マウンドを降りた。
マスクを外したミズノ先輩が肩を叩いてくれた。
「リラックスしてな。相手はお前をマークしてない。だから気楽に行け。練習通りに投げれば大丈夫だ!」
いつもはヤなヤツであるコンドーも、他のメンバーもみんな来てくれた。
「ヤマト、家政部パワーでガンバレ」
なんじゃそれは!
相変わらずイヤミで全く笑えないジョークのピントズレまくりのヤツだが、おかげで肩に入っていた余分な力が抜けた。
ぼくは投球練習を始めた。
パシ~ンッ!
ぼくが出てきたときはニヤニヤしていた相手チームの3番のヤツの顔から、ニヤニヤ笑いが消えたのが面白かった。ストレートだけならさっきまで投げていたカミヤ先輩よりもぼくの方が速いのである。
ブアイにはこんな伏兵がいたのか!
きっとそう思っているのに違いない。もちろん、促成栽培のカーブとスライダーはまだ出さない。キャッチャーのミズノ先輩とは、
「ダメで元々だから、あれはぶっつけ本番、ギリギリまで見せないでおこう」
そう決めていたのだ。
「プレイ!」
いよいよ、本番。
3番が打席に立った。右打ちのデカいヤツだ。野球ではデカいからいいということはない。デカいということは、ストライクゾーンもそれだけ大きいのだ。
ミズノ先輩のサインはまずは「ど真ん中にストレート」だった。速球を見せてやるということだろう。打たれたら飛ぶだろうに。先輩もギャンブラーだな、と思った。
ぼくは、投げた。
すぱ~んッ!
「ストライ~ック」
3番はあんぐりと口を開けてぼくを見ていた。へへ。ザマミロ。めっちゃ、きんもちええ・・・。
帰って来たボールを受け取り、第二球のサインを見る。次は外角に抜けるカーブ、か。高速スライダーはまだとっとくのね。
3番は思い切り振って来た。だが、球は遅くても切れ味はいいのだ。
すぱ~んッ!
「ストライ~ック! 」
これでノーボールツーストライク。
次は内角高めのストレート。見逃し三振を狙うのだろう。スタミナの無いぼくのためになるべく投球数を少なくしてやろうという配慮だと思った。何て優しい先輩だろうか。
ぼくは投げた。
球は狙った通りのコースを飛び、ミズノ先輩のミットに飛び込んだ。
「ストライ~ック! バッター、アウト!」
うおおおおおおおおおおーっ!
一塁側武相高校の応援席が大きくどよめき、次いで応援団の太鼓がドンドン打ち鳴らされた。ベンチのみんなもオニヅカ監督もヨッシャー、とかいってパンパン手を叩いていた。ぼくがこれほどのポテンシャルを持っているということが信じられなかったのだろう。なんといっても、本人であるぼく自身が一番信じられなかったのだから、無理もなかった。
イキナリ胸元に飛び込んできたボールを3番は思わず避けていた。これはぼくの勝利というよりは今までの打席を観察して冷静に相手を見極めていたミズノ先輩のリードによるところが大きいと思う。
「よーし、あと一人! 締まって行くぞおーっ!」
ミズノ先輩の喝にグラウンドから、お~、という応えが上がった。
そして、4番が来た。
左打ちのヤツで体格は一番デカい。だが、繰り返すがデカいからいいというものではない。コイツは今日、アタリが一本もないのだ。
「ヤマト、食ってかかるな。慎重に行け!」
オニヅカ監督がベンチから吼えた。
ミズノ先輩のサインも「まずは内角高め」。強打者が一番嫌がる打ち辛いコースだ。
そこに直球を投げ込んだ。
予想通り、4番は避けた。
審判が右手を下に払った。ボール。ワンボールノーストライク。
そこでミズノ先輩のサインが「外角低めにスライダー」だった。
打たれれば長打の可能性が大きいが、テキは好物の外角低めに引っかかるはずだ。そう読んだのだろう。ぼくは、ぶっつけ本番の高速スライダーを放った。
球は勢いよくストライクゾーンど真ん中に飛んでゆき、バッターのすぐ手前でガクンと落ちた。いいコースが来たと思って大振りした4番はくるっと一回転してコケた。
「ストライ~ック! ワンボールワンストライク!」
ふっふっふ。見たか、デブ。ぼくの秘密兵器を。
そして、またも。
うおおおおおおおおおおおおおおおおーっ!
一塁側応援席が盛り上がった。
「ヤマト、カッコイイ! 抱いてっ!」
ニイガタ先輩の艶めかしい声が目立った。感極まって思わず出てしまったのだと思うが、彼女のキャラを知っている家政部員たちはみんな下を向き、先生や生徒たちはギョッとしてたりヒューヒュー言ってたりした。モノには言っていいコトと言っていいトキと言っていい場所があると思う。今は全部ダメである。せっかくノッてきたのに。
と思ったら、ニイガタ先輩に対抗しようとしたのかワカバまでが、
「タケル、大好きっ!」
負けじと黄色い声を張り上げていた。またも、ヒューヒュー、である。
マウンドの上で赤面しつつ、だが、おかげでヘンな気負いが消えた。気がラクになった。ピッチャーというのは、悪くないと思った。
ミズノ先輩の采配は、「もう一球、ど真ん中にスライダー」だった。高めに投げて急に落としストライクゾーンギリギリへ、というわけだ。打たせて凡打で打ち取ろうというのだろう。ぼくはオーダー通りの球を投げた。
4番のデブはこちらの予想通りに面白いように振り回してくれた。バットは手前でガクンと落ちたスライダーのアタマを打ち、球はコロコロとセカンドに転がってデブは刺され、ランナーは虚しく残塁した。
こうしてぼくは救援投手の仕事をまずはこなした。相手のベンチからわらわらとグラウンドに出てくる奴らがみんなベンチに引き上げるぼくを見てゆく。
なんなんだコイツは・・・。
そんな目で。
それもまた、きんもちええ・・・。
しかし、テキのピッチャーは、タフだった。
8回の表も三者凡退こそ避けられたものの、せっかくフォアボールを選んで出たランナーも生還させられずに無得点に終わった。
そして8回裏。
ぼくは逆に5、6、7、と凡退に打ち取った。最高に気持ちええ・・・。
だが、ここで早くも息が上がり始めた。しかもスタミナ不足のせいか暑さが異常にコタえる。
しかも、マズいことに恐れていた肩まで痛んできた。当たり前だ。毎日走り込んだりしてキツい練習をこなしている奴らと差が出ないほうがおかしい。野球は、スポーツはそんなに甘いものではないのだ。凡退に終わらせなかったらヘタッていただろう。むしろこんな付け焼き刃で2イニングも投げられていることの方が奇跡なのだ。
「ヤマト、肩と肘冷やしておけ。なんとかもう1イニング持たせるんだ」
監督もなにくれとなく気を遣ってくれた。チームのみんなも。なんとかその期待に応えねば。ぼくにはもう、それしかなくなっていた。
そして、0—1 で迎えた9回表。
ここで逆転できなければ、もうぼくの出番はない。
一塁側応援席は否が応にも盛り上がらざるを得なくなっていた。応援団もブラスバンドも文化部の生徒たちも、みんな目が血走っていた。この夏のクソ暑い気温のせいだけではない、みんなが昂奮というヤツが出させる汗を額に浮かべ顎から滴らせ手に握って声を限りに叫んでいた。
万年一回戦コールド敗退のヘタレ野球部が目の前で奇跡を起こしかけているのだ。昂奮しなくてどうする。そんな気迫がベンチにまで伝わって来た。
そのせいか、バッターボックスに向かう先頭の6番ミズノ先輩の素振りにもそれまでにない気迫が感じられた。
そして・・・、初球だった。
あまく入って来た外角低めギリギリの球を先輩は掬い上げるようにしてセンターにはじき返した。
カキーーーーーーーーーンッ!
うわおおおおおおおおおおっ!
鋭い金属バットの快音を残し、球は前進守備をしていたセンターの頭上を飛び越えて落ち、気持ちいいように転がってフェンスに当たった。
「回れ回れっ!」
コーチャーズボックスの3年生が大きく腕を振り回す中、ミズノ先輩は駆けに駆け、なんと3塁打にしてしまったのである。先輩は相手のピッチャーのクセ、配球のパターンを読んでいたのだ。最初は甘い球を投げて誘い、4球目か5球目にキメ球の変化球で三振か凡打を打たせる作戦を見事逆手に取ったのだと思う。3塁ベースの先輩の、ヘルメットの下の焼けした不敵な笑みの白い歯がいかにもカッコよかった。
テーレッテッテレッテテッテレー!
応援団とブラスバンドが俄然勢いよく叫び、盛大に音を出しはじめた。
ふれー、ふれー、ブ、ア、イッ!
その大歓声の中、7番のコンドーが打席に立った。
カットバセー、コ・ン・ド! なんちゃらタ・オ・セー、おー!
3塁からミズノ先輩が何か叫んでいた。コンドーが頷く。そして、バットを構えた。
一球目、完全に外角外のボール球。相手のキャッチャーが慌てていた。狙ったのではないことがまるわかり。すっぽ抜けたのだ。テキのピッチャーも息が上がっていた。疲れもあると思うが、ぼくらに配球を読まれ動揺もしているのだろう。
そして、2球目だった。
1球目をハズした動揺からなのか、次は速球だがど真ん中が、キタ。コンドーは、それを待っていたらしい。
カキーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!
うわおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!
誰もがはじき出された球の行方を追った。それは伸びて伸びて伸びて・・・。懸命にボールを追いかけるテキのライトのグローブとボールとが一瞬スローモーションに、接触したかに見えた。
「タッチアップ!」
ミズノ先輩が3塁からホームへダッシュの態勢に入った。生還すれば同点!
が、テキのライトのグローブは飛んで来たコンドーのライナー性の飛球を、弾いた!
ミズノ先輩が、走った!
「回れ、回れっ!」
「行け—っ!」
しかも、
「うわっ、バックホームだっ!」
セオリーならライトから1塁に送球して確実にコンドーを刺す。どのみち3塁からのホームインは避けられないからだ。それなのに、テキのライトは何を思ったのか力任せにホームへダイレクトに投げて来た。しかも、送球ミス。送られてきたボールは大きくホームを外れバックネットへ転がって行った。
その間に3塁のミズノ先輩はヨユーでホームイン。
うおおおおおおおおおおおおおおおっ!
同点だあああっ!
ボールを追ったテキのキャッチャーがホームに入ったテキのピッチャーに投げ返して来た時には、なんとコンドーは3塁にまで達していた。明らかにテキのミス。テキは確実に動揺していた。
1塁スタンドが爆発的に盛り上がったのは言うまでもない。大歓声と打ち鳴らされる太鼓。そしてブラスバンドが大音量で同点に歓喜した。長い間一回戦で敗退し続けて来たわがブアイ高校野球部に、ようやく一回戦突破の可能性が生まれたのである。記録はエラーだが、3塁のベースを踏んだコンドーは得意満面で破顔していた。
チックショー、コンドーのクソ野郎っ! 性格悪いわりに、やってくれたじゃねーか!
久々に覚えた昂奮が、ぼくの中のアドレナリンを煮えたぎらせたのは言うまでもない。
そして打順は8番。ライトの1年生だ。ぼくもウェイティングサークルに出た。
そして、ヒットエンドランのサインが出た。
「スギタ! 落ち着いてけ!」
1塁側スタンドの、腕を釣ったユニフォーム姿のスズキが叫ぶのが聞こえた。
だが。
彼はこのチャンスに気負ってしまったのだろう。
甘い球だと思って思い切り振った初球を高く打ち上げてしまったのだった。当然にコンドーは走れない。これで、ワンナウト。
「ドンマイ、ドンマイ! まだワンナウトだ。落ち着いてけ、ヤマト!」
ユニフォームの前を真っ黒に汚したミズノ先輩が1塁側コーチャーズボックスに入った。
そうだった。次はぼくだった。
「ヤマトおーんっ!」
ふと1塁側スタンドに目をやると立ち上がって切なくなるような叫び声をあげているニイガタ先輩がいた。予想外のあまりな展開に感極まってしまったのだと思うが、大丈夫か、あの人。そしてワカバは・・・。
なんとベンチの屋根の上に上がり、ぼくが繕った応援団旗を振っていたヤツから旗を奪い取り、
「タケルっ! ガンバレーっ」
夢中になって振り回し、旗を取られた応援団とモメていた。
あのな、頼むからカンベンしてくれ。そう思った。
余談だが、高校野球にDH制、指名打者制度を導入しろという人がいる。
アメリカの大リーグで生まれたピッチャーの代わりに打撃だけ出場する選手を置く制度のことだが、ぼくはそれには賛成しない。
確かに一般的にピッチャーは打撃が弱く、それを補い、よりゲームを面白くするにはいい事なのだろうと思う。だが、そういう人は「高校野球」というものの本質を分かっていない。
もし、日本の高校野球にDH制が導入されれば、その瞬間にこの世界から「高校野球」は消滅してしまうだろうと思う。「高校野球」というものは、勝てばいい、面白ければいい、というものではないと思うからだ。
まだ日本の高校野球にDH制は導入されてはいない。故に、にわかとはいえピッチャーのぼくにも打順は回って来る。
「9番、ピッチャー、ヤマトクン」
バットを振りつつ、ぼくは意を決してバッターボックスに向かった。
だいたい、打撃練習なんか一切してない。打てるわけがない。自分が投げててそう思うのだ。基本的にピッチャーというのは、バッターが打ちにくいように投げるものだからだ。
だからこの場合、まずバントで1塁線に転がせれば御の字だろうと思っていた。弾いてアゲてしまわぬように。3塁に転がすとせっかく出塁したコンドーが挟み撃ちになるかもしれないからだ。
だが・・・。
監督のサインは、
「思いっきり振っていけ!」
というものだった。
げっ! マジか・・・。
ぼくは目を疑った。が、ミズノ先輩もが、
「行け、ヤマト!」
と、両手の拳をそろえてブンブン振り回し振っていけ、というジェスチャーをしていた。もうブロックサインもクソもないなと思った。
で、テキのピッチャーを見た。ソイツは、
「フンっ! 振れるもんなら振ってみな」
とでもいうように、さっきまでの動揺を克服したのかぼくを睨んでほくそ笑んでいた。
あ、この野郎。バカにしやがって。
ここで俄然、アドレナリンの充満したぼくの闘争心に、火が付いた。
なら、振ってやる! と。
ただし、一計は案じた。
打撃練習も満足にしてないシロート同然のぼくが力任せに振り回してヒットを打てるほど、高校野球は甘くない。テキのピッチャーも疲れているとはいえここまで無得点で抑えて来たツワモノだ。
だが、テはある、と思った。
要は、3塁のコンドーを生かして帰せばいいのだ。
直球に当てるのはムリかもしれないが、球速の遅いカーブかフォークなら当てられると思った。それをなんとか掬い上げてフライにする。できれば、比較的アホなんじゃないかと思われるライト前ぐらいに流せればいい。そうすれば、逆点させまいと躍起になって今度もライトのアホはバックホームしてくるはず。飛距離によっては送球ミスの可能性は大きくなる。もし打ちそこなって凡打に終わってもファーストとセカンドの間に転がってくれれば・・・。
ぼくはそう読んだ。そして、バットを構えた。
投球フォームに入ったピッチャーが、投げて来た。
チビリそうになるほどの剛速球。しかも直球内角高め。同じピッチャーのぼくに見せつけるようなやつ。入っても入らなくてもいい。もちろん、初球から、振った。見事に空振り。振り遅れだし、だいたい、速すぎて球が見えない。
「ストライーック!」
だけど、この大振りの空振りが、ミソなのだ。ヘボなバッターと思わせ次も振って来るだろうと思わせたかったのだ。だとすれば、まかり間違って当てられるよりは凡打を打たせるほうがいい、できれば内野に転がさせる方が、と。
そして、2球目。
初球に比べめっちゃ遅い。狙い通り、変化球が来て、落ちた。が、切れ味が良すぎてそれも空振り。外角外のフォーク。完全にゾーンから外れていた。それでも、思い切り振った。タイミングは掴んだ。
相手のピッチャーは勝ち誇った様子だった。どうだ、オレの球は。そんな感じ。
わかってないヤツらは、
「ボール球に手を出すな!」
とか、
「よく見てけ!」
とか言ってる。が、監督やミズノ先輩はウンウン頷いてた。この人たちはわかってくれてる、と思った。
カウントはノーボールツーストライク。もう、後がない。それでもバットは短く持たなかった。しかも、バッターボックスのラインぎりぎりに、前に出た。
まだワンナウト。ぼくがダメでも打順は1番に回る。だが、ここでやらなきゃ「漢(おとこ)」じゃないと思った。
「男にはね、ダメとわかってても、やらなきゃいけない時があるんだよ、タケル」
ひと姉の言葉を、思い出した。
さあ、来いっ!
ぼくはバットを構えた。
これでも中学まではピッチャーで4番だったのだ。ナメ腐ってもらっては困る。ふふ。
空振りかピッチャー前のゴロに打ち取るつもりで投げたらしい、切れ味のいい、だけど思いっきり遅いフォークを、ぼくは掬い上げるようにして、打った。
ボールは狙い通りに高く上がった。
「コンドー!」
1塁に走りつつ、ぼくは叫んだ。
アイツはボールの行方を目で追いつつ、手を挙げて応えた。
狙ったようにはボールは伸びず、セカンドとライトとセンターの中間あたりに落ちて行くようだった。3人の野手のうちセンターが声を、手を挙げた。
ボールが、キャッチされた。
コンドーが3塁を蹴って走り出した。
センターのヤツが思いっきり振りかぶって投げた。
どっちが早いか。ボールか、コンドーか。グラウンドと応援席の全員が、固唾をのんで成り行きを見守った。
キャッチャーが身体を一杯に伸ばした。コンドーがホームに滑り込んだ。
乾いた土が、舞い上がった。
どっちだ。
判定は?
と。
土埃の外側にボールがコロコロと転がり出て来た。
「セーフッ!」
球審の声が高らかに挙がった。
うわおおおおおおおおおおおおおおっ!
逆点だあああああああああああああっ!
一塁側ベンチとスタンドがまるで火が付いたように燃え盛り、震えた。
「ヤマトおおおおおおっ!」
「タケルううううううっ!」
見上げると、ふた姉とみつ姉がコーフンしたのか立ち上がってワケワカメなことを叫んでいたし、ニイガタ先輩は感極まりすぎてしまったのか、座り込んで家政部の後輩たちにうちわやタオルで扇がれていた。
そして、ベンチの上で応援団旗を振っていたワカバは旗をおっ立てたまま、泣いていた。応援団のヤツがワカバから優しく旗を取り上げ、応援席に連れ戻していた。
「ヤマト、よくやった!」
オニヅカ監督も3年生たちもみんなポンポンと背中を叩いてくれた。
「ヤマト、名前負けしてるって言ったことは、謝っとく」
ユニフォームを真っ黒にしたコンドーも、そう言ってアタマを下げた。
ぼくの記録は犠牲フライ。エラーのコンドーと同じく打点1がついた。
続く1番が三球に打ち取られ、ゲームカウントを2—1としたぼくたちは、こうしていよいよ9回の裏を迎えた。
テキの打順は8番。8、9、1と続くがきょうは一本もヒットがない。カミヤ先輩に抑え込まれていたからだが最終回はどうだろうか。
「ナメてかかるなよ。最後まで気を抜かずに行け!」
監督はぼくを含めた全員にこうハッパを掛けてグラウンドに送り出した。
だが、そこでぼくは最大の試練を迎えることになった。
だましだまし。短時間だけ持てばいい。そう思って臨んできた大会初戦だったのだが、この回の第1球目を投げてなんとなく違和感を覚えた。どうも、肩がしくしく痛むのだ。おそらく、さっきの打撃でヘンな肩の使い方をしたせいだ。つくづく、慣れないことはするものじゃない。
ぼくの異変に気付いたのか、球審にタイムを申請したミズノ先輩が駆け寄って来た。
「どうした、肩か」
ミットを口に持って行った先輩が、こう言った。
「そうみたいです」
ぼくは正直なところを言った。
「行けるか」
「直球とスライダーじゃなければ、なんとか」
「そうか。止むを得んな。直球とスライダーはやめとこう。ここ一番というときだけだ。いいな?」
「はい」
そうしてミズノ先輩はグラウンドのメンバーたちに、
「よ~し、きあいいれていくぞおおおおおっ!」
と声をかけ、ホームに戻って行った。
「プレイッ!」
ぼくは、投げた。
だが、それまでいい感じだった直球とスライダーの組み合わせを突然やめてカーブと慣れないフォークで構成する投球はたちまち相手に読まれてしまった。しかもコントロールもままならない。
結果、8番を歩かせてしまい、ぼくは自分と同じ9番のテキのピッチャーを迎えた。
お手並み拝見といこうじゃないか。
一点差で負けてるくせに、なぜかテキのピッチャーは、そんなヨユーの笑みを浮かべていた。それでかち~んときてしまったのは、ぼくの未熟の致すところだ。
「あったまきた・・・」
初球、ぼくはここ一番で使うはずの得意の直球でイキナリ勝負に出てしまった。
投げた瞬間、肩に痛みが入ったが、球は真っすぐにストライクゾーンど真ん中に吸い込まれるようにして飛んでいった。だが、明らかに球威が落ちていたのを認めざるを得なかった。とっさに肩を庇って力が入らなかったのだ。
ど真ん中に来る甘い直球を見逃すバカはいない。それがたとえ、強打者じゃない、ピッチャーであったとしても。
カキーーーーーーーーーン・・・。
金属バットの鋭い音はそれがボールの真芯を捉えた快音であることを示していた。
ぼくは、ぐんぐん伸びてセンターの頭の上を飛び越えた球が、芝生の外野席の上にトントンと落ちたところまでをしっかりと見届け、目に焼き付けた。
だから、日本の高校野球にDH制は必要ないのである。
こうして、ぼくの短い夏は、終わった。
一週間ぶりに帰った我が家は、すでに玄関まで異臭が漂っていた。
その惨状たるや・・・。
わざわざ表現することすら憚られるような、地上最低の地獄絵図だった。
散乱したゴミで、ぼくが不在中の姉たちの主食がカップ麺と災害用非常食のゴハンとレトルト食品だったのを知った。それにTシャツやらお約束のぱんつまでもがリビングにこれでもかと脱ぎ捨てられていた。
もしもし?
ここにお住まいなのは3姉妹と一人の弟さんですよね。弟さんがいなくなると、こんなにまでなっちゃうんですか?
そんな自問をしつつ、ぼくはハエの乱舞する台所に行き、まずは山盛りの汚れた容器を洗剤で洗うことから始めた。
まあ、人生、こんなもんだ。
市民球場から学校に帰るバスの中で、1年生と2年生はみんな泣いていた。悔しかったのだと思う。
もちろん、高校生活最後の大会がまたもや初回敗退で終わってしまった3年生も泣いてはいた。
が、だがそれは1、2年生の泣き顔とはだいぶ、違っていた。
みんな、泣きながら笑っていたのである。
「おいヤマト! そんなシケたツラすんじゃねーよ」
カミヤ先輩がそう言って涙でベロベロになった顔でぼくの首根っこを抱え、ぺしぺしアタマを叩くと、
「そうだぞ! ヤマト。オマエのおかげで、おれら、高校野球生活最後にスッゲーいい経験さしてもらった。ありがとうな。付き合ってくれて、恩に着るぜ」
そしてなんとオニヅカ監督、いやもう先生だが、彼までもがこう言って礼をしてくれた。
「その通りだ、ヤマト。俺はな、この野球部に、みんなのこの涙が、負けて悔しいという思いがもどってきたことが無性にうれしいんだ」
と。
「あのグラウンドと応援席の一体感は、かつて我がブアイ高校にあったものだったんだ。それがいつしかなくなって久しかった。オレはそのとこにずっと寂しい想いをしてきたんだ。
だが今日、ふたたびそれを、一体感と悔し涙を見ることができた。
野球部の監督として、ブアイ高校の教師として、そして、ブアイ高校野球部のOBとして、今日ほど嬉しいことはない・・・。
これは全てお前たち一人一人の努力の賜物だ! よく頑張ったな、お前たち!」
え?・・・。
「先生、ここの卒業生だったんですか?」
バスが学校に到着し、部員たちと一緒に道具を部室に運ぼうと思っていたら、ぼくだけ先生に呼ばれた。
「ところでヤマト。まさかとは思うが、また家政部に戻るとは言わんよな。引き続き野球部員として来年の大会に向けて、いや、秋季大会に向けて共に汗流すんだよな?」
当然にそう言われるんじゃないかと思っていた。
だが、ぼくは今回の助っ人で鬼のオニヅカ先生を克服していた。先生の人となりを知ったからだ。それが、ぼくにとっての最も大きな収穫だったように思う。
「申し訳ございませんが、ご期待には添いかねます」
と、ぼくは言った。
「何故だ!」
先生はホンキで怒っていた。だがもう、ぼくは怖くはなかった。
「スポ根マンガだと『先生、これからも野球部で頑張らせて下さい!』
そういう空気だろうが。空気がわからんのか、お前は!」
たしかに、久々に「野球」を思い出しそれなりの感動は味わった。だけど、今のぼくにはそれよりも大切なものがあるのだ。長い間のブランクにも拘わらず、久しぶりのピッチャーマウンドに上がれたのも、その大切なものたちの力添えがあったからこそなのだ、と。
「申し訳ございませんが」
と、ぼくは言った。
「それこそ、スポ根マンガの観すぎだと思います、先生。いろいろと、やることがあるもんですから」
「許せん・・・」
「スゴんでもダメです、先生」
「オレは諦めんからな! 必ずお前を野球部に入らせる。絶対に、だ!」
まいったな・・・。
またもや、大変なヒトをテキに回してしまいそうだ。
そう、ぼくは思った。
そして・・・。
またいつもの山戸家の朝が来た。
「ぎゃあああああああー! チコクだああっ! タケル、なんで起こしてくんなかったのよおおおおおおおおっ!」
「起こしたよ。起こしたのにウッサイとかいって起きなかったの誰ですか」
ドタバタと下着姿で家じゅうを走り回るひと姉を尻目に、またしてもワカバが美味そうに味噌汁を啜っていた。
「なあ。もう夏休みなんだけど。なんでまたお前がいるわけ? 納豆要る?」
「いいじゃん、近所なんだし。お姉ちゃんたちのついででしょ。それに、ママのよりタケルの作ったほうのがおいしんだもん! 納豆はいらん。タマゴある?」
そして、今回の助っ人でのもう一つの収穫というか、気付きが、このワカバだ。
それまではただただウザイだけの幼馴染だと思っていたのだが。敢えて言うと「ウザさにより磨きがかかった」とでも。
あまりにもウザ過ぎて、だけど、居ないと不自然な、まるでぼくの「史上最凶の姉たち」の仲間入りをしたような、そんな感じなのである。表現するのが難しいのだが、距離が縮まったのは確かだと思う。
「みっちゃんは?」
「みつ姉はもう出かけた」
「で、ふたちゃんは?」
「そういや、ふた姉、昨夜帰ってこなかったな」
「そう・・・。忙しいんだね」
そんなウワサ話をしていると、ただいまあ・・・。
玄関の引き戸がガラガラと開いた。
ふた姉は、何やら疲れてるっぽかった。
「タケル。今日、時間ある? あるなら、付き合って。それと、コーヒーちょうだい」
そう言って目を伏せるふた姉の様子に、ぼくは何やら不穏なものを感じていた。
第二話 了
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久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
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数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
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