ドMのボクと史上最凶の姉たち

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第二話 ぼくの幼馴染(後編の上)

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「今日からしばらくの間、タケルはウチで預かります。あんたたちは3人で自活しなさい。いいわねっ? 」

「ええっ?!」

「へ?」

「あ”?」

 これが、幼馴染のワカバの母チヒロさんが、ぼくの家で高らかに宣言した直後の姉たちの反応である。

「しばらくの間、って?」

「野球部の大会が終わるまで。当然、勝ち進んだら延長」

「じゃ、負ければいいんじゃん! タケル、テキトーにやって負けて来い!」

 例によってこういう卑劣な物言いをするのはみつ姉しかいない。チヒロさんは、辛うじてTシャツを被ったぱんつ姿の彼女の前につかつか進み出るとサッと右手を上げた。

「ひィッ・・・」

 またもやビンタされるかとビビるみつ姉。カラテをはじめとする格闘技の猛者もチヒロさんに対してだけは形無しのようなのである。それが密かにオモシロかった。こういうチヒロさんのような大人は絶対に社会に、そして我が家に必要であると痛感した。

「ねえ、応援してあげようよお。元はといえばあたしたちがタケルの夢を奪っちゃったようなもんなんだからさあ」

「そうだね。ふたちゃんの言う通りだ。よって、みつ! しばらくの間はあんたが家事やんな」

「えーっ、なんで? なんであたしばっか!」

「当たり前でしょ! あたしとふたちゃんは働いてんの。家にゼニ入れてんの。あんたはただの穀潰し。議論の余地なしでしょうが!」

「なにそれ、ズルいよォ! ゼッタイ、ヤダからッ!」

 低レベルな姉妹ケンカが始まったのをシオに、こうしてぼくはチヒロさんの家にお持ち帰りされた。

 ふた姉だけは玄関まで来て見送ってくれた。

「タケル、友達のためにガンバルなんて、立派なことだよ。ウチらのことは心配しなくていいから、頑張っておいで」

「エライ! さすがフタバね。じゃ、タケル連れてくから。姉妹3人、仲良くヤルのよ!」


 

 

 

 他人の家で他人の作った夕ご飯をごちそうになる。なんて美味いんだ! と、思う。しかも、

「タケル、お代わりは?」

 落ち着いた、まさにあったかい家庭の雰囲気・・・。

 しかも、他人の家の風呂に思う存分漬かって時間を気にしなくていいなんて!

 しかも姉たちのぱんつの下洗いもナシであるっ!

 こんなリラックスした気分は何年ぶりだろうか・・・。

「あ~・・・。きもつええ・・・」

 ぼくは身体の芯から弛緩した。

 たった2軒隣なだけなのに、何年振りかでワカバの家の風呂に浸かっていると懐かしささえ湧いて来た。

 小さい頃はワカバとよくこの風呂に入って遊んだものだ。

「あんたたち! 遊んでばっかいないでちゃんとカラダ洗いなさい!」

 なあんて・・・、チヒロさんによく怒られたっけなあ・・・。

 だが、次の瞬間。

 ぼくは本能的に身構えた。

 ワカバの襲来を、である。アイツはひとが油断したところを襲ってくるのが得意だからである。

 しかし、待てど暮らせど、アイツの気配は感じられなかった。

 はあ~っ・・・。

 安心したぼくはもう一度温かい湯の中にアタマまでどっぷり浸かり、全身弛緩の続きをした。

 いつもならウザイほどにベタベタしてくるはずのアイツは部屋に籠ったきり出てこなかった。

 夕食の時もそうだった。登下校や授業の合間には必ずと言っていいほど来襲してワイワイ騒がしく、挙句の果てに剣道着のままぼくの家政部にまで現れて非常識な言動を為していたヤツが、俯き加減で無言でメシを食っていた。

「どうしたの、ワカバ。具合でも悪いの?」

 チヒロさんが声をかけても、

「ううん。べつに」

 そして素っ気なく席を立ち、とっとこ部屋に籠ってしまった。

 へんなヤツ。

 まあ、いい。

 ドSの姉たちと家事労働から解放され、うるさい幼馴染の襲来もないとくれば、もう天国だ。思う存分、この極楽を堪能するぞォッ!

 あれ? でも、ぼくは何のためにチヒロさんちに連れてこられたんだっけ?


 

 風呂から上がってリビングに行くとチヒロさんがいた。夕食の後片付けを終えて一息ついてるって感じ。

「お風呂もらいましたー・・・」

「ゆっくりできた?」

「はい。久々に。・・・って、何見てるんですか?」

 見るとローテーブルの上にアルバムらしきものが広げてあった。

「うふふ。あんたとね、ワカバのおーるぬーど」

 イタズラそうに笑うチヒロさんにドキッとしたが、見れば、なあんだ! というヤツ。

 たしかに、小さな麦藁帽子だけ被ったおーるぬーどのぼくとワカバが、太陽サンサンの芝生の上に出したビニールプールの中で楽しそうにお戯れになっている。ただし、2人ともまだ幼稚園に上がる前のお年頃、ではあるのだが。

 赤面・・・。

「うわ、こんな写真、あったんだー・・・。めっちゃハズカシ・・・」

「あったのよ。あんたが来たから急に懐かしくなって見てたの。あんたのお父さんが、イサムさんが亡くなるちょっと前、だったかなあ・・・」

 だが。

 ぼくはその恥ずかしい自分のおーるぬーどの写真の端っこに写っていた、夏の白いサマードレスの裾から下の素足にサンダル履きの足に気付いた。

 写真を撮ったのはチヒロさんだろう。だからそれはチヒロさんの足ではない。となると・・・。

「この、足だけ写ってる人、誰ですか?」

「・・・ああ。あんたのお母さんよ」

「・・・あの、顔が写ってるのって、ありますか?」

「・・・ないわ。あったけど、ヒトハとフタバに全部取り上げられちゃったの」

「ええっ!? そんなひとのお宅の・・・」

「あんたが見るかもしれないから、って。・・・ね」

 なんという徹底ぶり。自分の家のはともかく、他人様の家の写真まで・・・。

 チヒロさんはふっ、とため息をついた。

「でもね、あの子たちの気持ちを想うとムリないかもって思うわ」

「チヒロさん。あの、あのですね、ぼくの母はどうして出て行っちゃったんでしょうか。知ってるんですよね? ぼくの母になにがあったんで・・・」

「タケルッ!」

 振り向けばパジャマ姿のワカバがいた。

「もう寝な。明日から野球部でしょ!」

「へ?」

「そうね。もう寝なさい。お父さんの書斎にお布団敷いといたから」

 ああ、そうだった。ぼくは野球をするために連れてこられたんだっけ・・・。


 

 結局、母のことは訊かずじまいになってしまい、言われた通りにおじさんの、ワカバのお父さんの書斎に行って布団に入った。

 天井まで届くほどの本棚にハードカヴァーの本がズラリ。そんなのに囲まれて寝ればアタマもよくなれそうだな、なんて思えてくる。

 そう言えば、チヒロさんの旦那さん、ワカバのお父さんはどうしたのだろう。

 ワカバの家に来るのは久しぶりだったわけだが、おじさんはいなかった。まだ帰っていないのか、出張中なのか、それとも何かの理由で離れて暮らしているのか。

 町内会の清掃活動かなんかで1、2度「やあ、タケルくん」と話しかけられた記憶はあるのだが。イマイチ存在感が薄すぎて、もういないのが当たり前になってしまっている。それでも専業主婦のチヒロさんと高校生のワカバがこうして普通に暮らしているのだから、おじさんは今でもチヒロさんの夫でワカバの父親なのだろう。いつも家に居なくてもヘイキなのかもしれない。

 ふと、ぼくも大人になって家庭を持つとそうなっちゃうのかな、などと思ったりする。ひと姉が言うような、「漢(おとこ)」になれば、違うのだろうか。

 そんなことを考えているうちに自然に眠くなり、ぼくは寝入った。


 

「あ、洗濯しなきゃ」

 朝、目が覚めるとついいつもの習慣でガバッと飛び起きた。

 で、ハードカヴァーの本がギッシリ並んだおじさんの部屋で寝ていたことに気付く。

「ああ、そうだった。ここはワカバんちだったっけ」と。

 幼馴染とはいえ他人の家で起き、ぼくでもなく姉達でもない人が作った朝ごはんを食べる。なんだか、変な気分だ。

 そして幼馴染の母親であるチヒロさんに見送られワカバの家を出た。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい、頑張ってね」

 これも変な気分だ。

 ちなみにワカバはすでに一足先に朝ごはんを食べて学校へ行ってしまったという。

「どうしてタケルと行かないの? って訊いたらね、部活の朝練があるんだって」

 剣道部は朝練をしていないはずだ。そう思ったが口には出さないでおいた。

 いつもはウザイくらいにベタベタしてきていたのに。なんか変な気分だ。つくづくアイツはヘンなやつだと思う。

 たった2軒隣なだけの我が家の様子を見に行こうかとも思ったが、やめた。ヘタに見に行くと、ちょっと立ち寄るだけでは済まなくなりそうな予感がしたからだ。

 それも、なんか、変な気分だ。

 どうも、いつものぼくとは違う自分になっているような気さえしてきた。

 で、学校に行く道を歩きながら、ぼくはイヤでもあることに気付かざるを得なくなっていた。オニヅカ先生の依頼を断る理由がなくなっていることを、である。

 案の定。教室に着くとさっそく後ろの席のコンドーがカラんで来た。

「おい、ヤマト。どーすんだよ」

「先生に直接言う。お前は黙っとけ」

 授業が終わり、職員室に行った。

「失礼します」

 そして、すでに野球部のユニフォームのズボンとTシャツ姿に着替えていたオニヅカ先生の机の傍に立った。

「おう、ヤマト。どうだ、決心はついたか」

 ヤクザ風味の顔でスゴまれたが、ぼくは何故かビビってはいなかった。

「それですけど、いろいろ考えましたが、3年もやってないですから、申し上げたように、1イニングも持たないかもしれませんし、どこまでできるかわかんないですけど・・・」

 うがああっ!

 オニヅカ先生はアタマを掻き毟って吼えた。先生は、短気だった。

「結論はなんなんだ、結論は! やってくれるのかくれないのか、どっちなんだ!」

「・・・やります」

 その途端、オニヅカ先生の両目にぶわっ、と涙があふれた。

「そうか・・・。ありがとう、ヤマト。無理を言って、済まなかった・・・」

 先生は昨日グラウンドでしたように、深々と頭を下げていた。

 鬼の目にも涙、というヤツを、初めて見たような気がした。


 


 

             後編の中に続く
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