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第一話 ぼくの3人の姉たち(中編)
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グレーのシルクのスーツでばっちりキメた、頬に切り傷のあるイカツイ顔をしたその男は、任侠オーラをビシバシ放出しまくって玄関先に立っていた。
「ああっ。なんだ、ゲンゴロウさんじゃん!」
「若、おしさしぶりでござんす」
ゲンゴロウさんは階段を降りて来たぼくを見るなり、両脚を肩幅に開き深々と「ヤクザ風の」礼をした。
「会うたんび、若は亡くなったアニキに似て来られますねえ・・・」
そう呟くと彼は急に目をウルウルさせ、ボロっと大粒の雫をこぼした。
父は「最後の武闘派ヤクザ」として名をはせた男だったらしい。
この池野源五郎さんは亡くなったぼくの父の「シャテー」だったひとだ。父の一番の子分として父の死に水まで取ってくれた人だと姉たちから聞いた。背中にちゃんと洗っても消えない絵が描いてあり、自ら好んでプールやサウナに行けない身体にしてしまった人でもある。
法律の締め付けがキツくなり、ヤクザを取り巻く環境が悪化して組を抜ける構成員や廃業するヤクザが増えて行く中、父が所属していた「緋夜孤(ひよこ)」組も解散を余儀なくされたという。
「病弱なオヤジ(組長)を援けて奮闘していたアニキ。
『一人でも多くカタギで食えるようにしてやらんとな』
ってのが、死んだアニキの口癖でした・・・。
もっと、もっと!
そんなアニキを援けて差し上げたかった、うう・・・。オレはそれだけが心残りで・・・」
世の中には一人で喋って勝手に一人で盛り上がって感極まってしまう人がたまにいる。このゲンゴロウさんもその一人だろう。ぼくの父のことを思い出すたび、彼は涙腺が崩壊してしまうらしい。でも、朝っぱらから人の家の玄関先で崩壊されても困る。この調子で放っておくと半日でもしゃべり続けかねないので、
「あの、ゲンゴロウさん? ひと姉なら留守だよ。今日仕事だってさっき出かけて行っちゃったもん」
いつもの通り、ぼくは彼の「死んだアニキを想う子分の感動の独白」の腰を折った。
「あ、そ、すか。・・・じゃ、こ、これ」
彼は後ろに回した手に隠し持っていた、ちゃんとセロハンラップしてピンクのリボンまでしてある一輪の赤いバラの花を、恥ずかしそうに差し出した。
「こ、これ、ひ、ひ、一葉さんに・・・」
「いつもありがとね、ゲンゴロウさん。ひと姉喜ぶよ」
実はこのゲンゴロウさんはひと姉ラブ、なのである。そりゃもう、イチズなのである。
ひと姉の名前を呼ぶときは必ずドモる。本人を目の前にするとこのイカツイヤクザ顔が真っ赤になって俯いたまま黙ってしまう。
この人との一番古い記憶は、父が亡くなって数年経ち、彼がカタギになったと報告しに来た時だったとおもう。その時、彼のひと姉への想いを知った。
「こ、こ、今度、こ、こういう、か、か、会社、作りまして・・・」
「ゆにばーさる、えこくりーん、かんぱにー?
何する会社なの?」
「か、か、環境、関係の・・・」
「環境? すごーい! 今流行りじゃん! ゲンちゃん、やるうっ!」
そんな会話がひと姉との間に交わされたのを覚えている。
ちなみに、ゲンゴロウさんの会社は主にラブホテルにリネンサービスを提供する会社だ。「緋夜孤(ひよこ)」組健在時にみかじめ料を取っていたホテルを中心に堅実な商いをしているらしい。同業他社よりもリーズナブルな価格でサービスしているらしく口コミで取引先も広がっているという。
愛し合う恋人たちの愛の後始末を請け負うことで世の恋人たちの愛の環境の保全に役立っているのだから、「環境関係」もあながち「ウソ」ではないかもしれない。
だが、ひと姉はゲンゴロウさんに興味が無いのが、アリアリだった。
「そう。頑張ってね。陰ながら応援しとくからね。じゃあね」
一世一代の勇気を振り絞って愛する女に現状報告&ひと姉に愛の告白を捧げる気マンマンだった彼なのに、思い切り肩透かしを喰らわされていた。
だが、以来数年。めげずに時折訪ねて来てはこうして一輪のバラの花を置いてゆく。ふつー本人にアポしてから来ると思うのだが、そこまでの勇気はないらしい。ヤクザ映画にドハマリしててエッチなレディースコミックの愛読者で片付け下手で風呂嫌いの、ハッキリ言って生活能力ほぼゼロのズボラ女王であるひと姉でも彼にとっては高嶺の花なのだろう。
ガラガラッ・・・。
「ただいまあ・・・、あ、ゲンちゃんいらっしゃい。久しぶり~」
そこへひと姉を送って来たふた姉が帰って来たのだが、
「あ、ども・・・」と、素っ気ないことこの上ない。
客観的にはカー雑誌のグラビアも飾るほどの美人であるふた姉の方が絶対いいと思うのだが、彼にはひと姉しか眼中にないみたいだ。
「ゆっくりしてってねー」
ふた姉が階段をトントン上がって部屋に行ってしまうと、
「あの、アニキに線香あげさせてもらっていいスかね」
と、彼は言った。もちろん、どうぞどうぞと家に上げた。そしてこのまま帰すのもかわいそうなので、
「ゲンゴロウさん、朝ごはん済んだ? 今朝の当番ひと姉でさ、たくさん作って行ってくれたんだ。よかったら、食べてく?」
ぼくは優しいウソをついた。
「え、そうスか! じゃ、せっかくスから頂きます。助かります。お邪魔します!」
表向きには料理も含め家の家事全般は3人の姉たちがやってることになっている。
もしこの人が姉たちの、ひと姉の真実を知ったら、それでも「ひと姉ラブ」を貫くのだろうか。弟としてはそこにとても興味がある。もし彼が丸ごと真実のひと姉を知ってそれでもなおかつ「ひと姉ラブ」してくれるなら、彼女にとってはそれが一番の幸せかも知れないな、と。
仏壇に手を合わせるゲンゴロウさんの背中を見て、ふとそう思ったりした。
ゲンゴロウさんはおいしいおいしいと3杯もご飯をお代わりした。
「いつもながらひ、ひ、ひとはさんが作ってくれたごはんはうまいっすねー」
と言って美味しそうに食べていたと思ったら、彼はまた声を詰まらせてうるうるしはじめた。
「アニキが亡くなった時、ひ、ひ、ひとはさんはまだ中学生。若はまだ小学校に上がったばかり・・・。それが、このせちがらい世の中で姉弟が力を合わせてこんなにも健気に、必死に生きてらっしゃる・・・。
ああ!
姐さんさえ逃げずにいてくれたら、アニキだって今しばらくは若たちのご成長を見守れたんじゃないかと思うと・・・。見守れたんじゃないかなと思うとっ! ・・・ううっ!」
と、また始まってしまったので、
「ちょっとぼくソージの途中だったんで、やってきます。ゲンゴロウさんはごゆっくり」
「あ、いや。もう十分いただきました。ついお言葉に甘えて長居しすぎちゃってすいませんです」
帰り際、ゲンゴロウさんはこんなことを言い残して行った。
「若。若はこの山戸家の長男としてお姉さん方を守ってやらにゃならねえ責任てもんがあると思います。ですんで若にだけは言っときますが、あのコアラ組の奴らがまたぞろおかしなシノギをおっぱじめやがったみたいなんでさ」
コアラ組とは、父の「緋夜孤(ひよこ)組」と勢力を競っていた暴力団、「孤悪羅(こあら)組」のことである。なんでも、ひよこ組解散後、その縄張りだったこの周辺を勝手に自分たちのシマにしてアコギなコトをしているというもっぱらの噂が流れていた。
「アニキは亡きおやっさんの遺言をキッチリ守って決してカタギの衆をナンギさせるようなことはしなかった。それが俺らの誇りでもありやしたからねえ・・・。
それに引き換えコアラの奴ら、相変わらずキタねえマネしやがってるらしいんで・・・」
「どういうこと?」
ゲンゴロウさんを見送って、途中になっていた二階のソージに戻った。
ふた姉は部屋でこの間彼女が参戦したレースのビデオを観ていた。
「ゲンちゃん、帰った?」
画面を観ながら、彼女が訊いて来た。
「うん」
「あの女の話してたね」
「ああ。いつもの昔話だよ」
「今も月一で入ってるの? あの女のカネ」
「・・・うん」
ぼくはダイ●ンのヤツのスイッチを入れソージを始めた。
ふた姉が言う「あの女」とは、ぼくたちの母のことだ。
大変な美人だったらしいのだが、残念ながら彼女の写真は一枚も残っていない。
ゲンゴロウさんの言葉の通り、病に倒れ床に伏せがちだった父とぼくたちを置いてどこかへ家出したらしい。らしい、というのは、まだ幼稚園児だったぼくのその時の記憶が曖昧で模糊としているからだ。当時すでに中学生と小学校の6年生ぐらいだったひと姉とふた姉はその時の出来事を今もハッキリ覚えているらしい。だが、何度聞いてもぼくやみつ姉には教えてくれないのである。
「タケル。あの女のことは忘れな。あんたはあたしたちが守ってあげる。だから心配しないで勉強頑張りな!」
ぼくが覚えているのはその時のひと姉とふた姉の言葉だけだ。
それから何年かが経ち、ひと姉は僕に2冊の通帳をくれた。
「これから家の家計はあんたが管理して。姉ちゃんよりあんたの方がしっかりしてるから。スーパーのお買い物とかもあるしね。
ただし、あの女からのカネはビタ一文使っちゃダメだよ。全部貯金しときな。
いつかあの女が帰ってきたら、耳そろえて叩き返してやるんだから!」
聞けば母が居なくなって3年ほどしてから、毎月決まった額が振り込まれているのだという。
我が家の現在の収入は、ひと姉の国から支給される司法修習生の給費と、父が残してくれた幾ばくかの財産をいくつかの堅実な投資に回している配当金。そして時たまあるふた姉のレース関係の臨時収入である。正直、4人が生活してゆくにはギリギリの額だ。母から送金されてくるお金が使えればかなりの余裕ができる。家計を預かる身としてはだいぶ助かるのだ。
でも、それはダメたという。
いつもはズボラで大雑把すぎるひと姉も、こと母のことになると人格が変わる。
過去によほど大変なことがあったのだろうと思うが、ひと姉もふた姉もそれについては絶対に教えてくれないので仕方がないのだ。
「今にあんたがわかる年頃になったら教えてあげる」
そう言われ続けて何年も経ち、今日に至っている。
「カネ送って来るってことは、まだあの女生きてるんだね」
「ねえ、・・・」
と、言いかけて口をつぐむ。
「ん?」
「ううん、何でもない」
そう言ってぼくはみつ姉の部屋のソージをするため、ふた姉の部屋を出た。
その日の夕方。
ひと姉とみつ姉はほぼ同時に帰って来た。
ひと姉は、怖かった。
「・・・タケル。今夜、やるよ」
疲れきった顔にギラギラの目つき。ハッキリいって、ちょっとビビった。
「・・・いいけど、それなら先にお風呂入ってね。もう、沸いてるから」
「・・・マンドくせ。でも、しゃあないな」
フツーに聞いたら姉と弟の会話としてはちょっと意味深すぎるかもしれない。だが、我が家ではこれは週に1度か2度ある半ば恒例の「苦行」なのだ。もちろん、ぼくにとってだけ、だけど。
そのひと姉の横をすり抜けるようにして、みつ姉が、これもプンプン怒り気味に帰ってきてただいまも言わずに無言で二階に駆けあがって行った。
やれやれ。
これはどうもいつもよりヘビーな夜になりそうだな、とぼくは思った。
キッチンで今夜のために仕込みをしていると風呂場からあまり気持ちのよさそうとは言えない、まるでゴキブリを石うすですりつぶすようなダミ声が響いて来た
「なにかあらあなにいまあでェ、まあっくらあやみよおォ・・・。すうじいのとおらあぬうことばあかありいィー・・・っててかあ、このクソがっ!」
聞けばぼくらが生まれる前どころか、父が生まれたころぐらいに公開されたヤクザ映画の主題歌だというではないか。ひと姉はどうしてそんな古いヤクザ映画が好きなんだろう。
ひと姉は、猛烈に、アレていた。
今日の仕事で何かよほどイヤなことがあったんだろうなと想像した。仕事って、タイヘンなんだなあ、と。
「なんか、今日、二人ともアレまくってるね」
二階から降りて来たふた姉も顔をしかめた。
「みつもなんだよ。アイツ『ムカツクッ!』とかいってカベドンとか蹴ってんの。やめれっ! って怒鳴ると止むんだけどさ、またすぐやるんだよ。なんなんだろうね、アレ。
あ、コレ美味そうじゃん。ちょっと味見。あ、めっちゃ美味しい・・・」
そして、それは始まった。
一升瓶をドンッ!っとひざ元に引き据え、おちょこじゃなくてご飯茶碗になみなみと注いで、ゴクゴクゴク、プッハーッ、うぃーっ・・・。してるし。すでに目が座っている。しかもなんと、下着姿・・・。
どーして酒飲むのに脱ぐんだ、と思う。しかも、そこへみつ姉もが加わった。しかも彼女に至ってはちっぱいのクセにトップレス! しかも、彼女もすでにデキあがっている。場所も最初からテーブルじゃなくてリビング。しかもカーペットの上に胡坐かいてるし・・・。
これじゃまるで「水滸伝」に出てくる梁山泊の夜盗だ。
「・・・何見てんだよ、コラ。見んな、スケベ!」
「だったら、せめてTシャツぐらい着なよォ。タケルだっていちお年頃のオトコなんだしさあ。お前が気を遣えよ」
そう言うふた姉だけは辛うじてTシャツ被ってるが、彼女にしてもノーブラだし下はぱんつ。日本酒じゃなくてチューハイをチビチビやっていた。
この飲み会を称して「山戸家下着飲み女子会」、あるいは「ぱんつ飲み会」、あるいはメンドいので簡単に「ぱんつ会」と称している。あくまでも、ぼくだけが、であるが。
「なんでお前らは飲むのに脱ぐんだ!」
それだけは声を大にして言いたい。だがもちろん、思うだけで言わない。ただでさえ荒れ模様なのにこれ以上荒れさせるのはジサツ行為だからである。
不定期に開催されるこの「ぱんつ会」で、姉たちは日々溜まったストレスを発散し、傷ついた心を癒したいらしい。ハッキリ言ってぼくにとってはいい迷惑なのだけれど。
だが、迷惑を掛けられるのが苦痛ってだけでもない。その迷惑が、ちょっとウレシかったりもするのだ。
せめてまず夕ご飯を食べてそれからと思っていたぼくの段取りは初っ端から崩れた。偏食の多い姉たちに出来るだけ炭水化物を摂らせたかったのに・・・。ぼくはせっせと酒のツマミを運んだ。
必然的にメニューは、のんべえの好みそうなものばかりになる。
オイルサーディンの醤油風味チーズ焼き。イカの甘しょうゆ漬け焼きマヨネーズ添え。ゴーヤとツナと赤唐辛子絡め焼き、チリコンカヌーのクラッカー添え。アンチョビのカルパッチョ。牛タンの塩包み焼きマスタード添え。で、唯一の炭水化物のスパゲッティにトッピングしたカリカリに炒めたペーコンと小松菜とニンニクのごま油和え・・・。
我が家の女子は皆辛党でカラ党なのだ。
「おいタケル! お前も座って呑め。家長のあたしが許す。酒が足りん。持って来い!」
どっちだよ・・・。
全ての皿を並べ終わるとぼくもグレープフルーツジュースのグラスを片手に姉たちの車座の中に加わった。
「タケル、美味しいよ。特にこの牛タン! 惚れちゃいそう!」
例によって褒めてくれるのはふた姉だけである。あとの二人はただムッツリしてグビグビやっている。これはこのまま飲み潰れて寝ちゃうパターンだな。そう読んだのでひとまず風呂に入れたのだが、それは正解だったと思う。
「でさ、ひとちゃんはなんでそんなにアレてるわけ?」
例によってふた姉が場の仕切りに入る。このアレてる二人の姉のガス抜きが今夜の「ぱんつ会」のメインだからだ。彼女は場の雰囲気や空気を確実に掴み、いいように誘導するのが得意だ。たしかにアタマがいいのはひと姉だと思うが、この家で一番賢いのは、このふた姉だと思う。実質的にこの家を陰で切り回しているのはこのふた姉だと、ぼくは思っている。
「んも、聞いてくれるぅ? 公判前整理手続きってのがあってさあ、罪状認否とか、いろいろ裁判になる前に提出する書類があるからさあ、それでセンセと一緒に接見しに行ったんだけどさあ、今日の依頼人たらさあ・・・」
と、ひと姉のグダグダが始まった。
要は、下着ドロを働いた男が捕まって余罪もあってこれから裁判になるのだが、その男は完全にふざけていて、
「お姉さん、いくつ?」
「オッパイ大きいねえ、何カップ?」
「今日のぱんつ何色?」
「ねえ、今夜のオカズにしたいからぱんつ見せて」
などと強烈なセクハラ発言ばかりしていてまるで打ち合わせにならず、ひと姉の忍耐力限界ギリギリでなんとか耐え忍んだという、そういう話だった。
「もうさ、あんなやつ死刑にすりゃいいのよっ!」
「でもさ、ひとちゃんベンゴシでしょ? ベンゴシってのはそんなゴミみたいなやつの人権を守るのが仕事なんじゃないの?」
「だから! 」
ひと姉は再び一升瓶をドン! と突いた。
「だから、ハラ立つのよっ!
あ~あ。余罪何十件もあんのよ。これからそれ全部まとめなきゃなの。まったく、どんだけぱんつが好きなんだか・・・。も、死ねって言いたい!」
で、ゴクゴクゴク、プッハーッ、うぃーっ・・・。
ひと姉のブラのストラップが片方外れていた。それにわきの下の肉に布が食い込んでいる。明らかにアンダーのサイズが小さいのだ。もう少しアンダーの大きいのに変えればいいのに。そうすれば自然にストラップに荷重がかかるからこういうふうに外れることがない。よくこんなキツイの着けていられるなあ・・・。
「何見てんのよ」
ひと姉の座った目にさらに重みが増した。
「あ、いや、その・・・」
まさか姉のブラのサイズを云々するわけにも行くまい。「男が女の下着に関わるんじゃない!」と、怒りにさらに油を注ぐことになるのは目に見えている。そんなら弟に下着なんか洗わせるんじゃないよ! これも声を大にして叫びたかったが、もちろん、言わなかった。
「あ、そのお皿空いたね」
なんとかその場を取り繕おうと車座の中の皿を取って腰を浮かした時、
「ぶっ殺しゃいいんだよ、そんなヤツ!」
完全に酔ったみつ姉が振り上げた腕の肘が偶然にも気持ちよくぼくの股間にクリーンヒットした。
「ぐはおおっ!」
あまりの痛さにぼくは股間を抑えて悶絶した。
「みつ、おま、昂奮し過ぎだって!
タケル、大丈夫? 擦ってあげようか」
優しいふた姉の手が伸びるが、それだけは必死に拒んだ。
それは、ダメ!
そんなんされたら、ぼくは、ぼくは・・・。
・・・昇天しちゃう。
ふた姉が冷蔵庫からアイス●ンを出してきてくれたのでとりあえずそれを股間に当て、しばしソファーに身体を横たえた。不思議なことに、そうしていると痛さが徐々に快感に変わっていった。
でも、「もう一回やって」なんて口が裂けても言えない。
「そう言えばさ、みつもなんかあったんじゃないの? あんたもひとちゃん以上にアレてたじゃん」
「うん・・・」
「どしたの?」
「うん・・・」
みつ姉の話はひと姉のよりもはるかに下らない話だった。
その、なんだかよくわからない専門学校の用が終わってから、みつ姉は街に繰り出した。クラスで「仲のいい友達」と一緒に。
みつ姉とその「仲のいい友達」は、何人かにナンパされたらしい。男の子たちはみんなみつ姉の方に声をかけて来た。
「ねえねえ、何してるのー」
「歩いてるの」
タイプじゃない男の子の場合はそのように素っ気なく躱していたらしい。
そうしてゆくうちに、そのホンイチの、本日一番のイケメンで、モロみつ姉のタイプど真ん中が声をかけて来た。背の高い日焼けしたプチマッチョな男の子が白い歯をキラリンコしながら、である。
「良かったじゃない。カラ振りにならなくて済んで」
当然のようにふた姉は言った。
「なにが! いいわけないでしょ!」
「・・・なんで?」
「だって、その男の子が最初に声かけたのは友達の方だったんだもん!」
ああ、なるほど。
それを聞いてぼくはすぐに納得した。
なぜ「仲のいい友達」とカッコつきなのか。
ハッキリ言うけれど、みつ姉はいささか性格が悪い。
2コ上なので小中としばしば同じ学校に通ったわけだが、みつ姉がつるむ「友達」は決まって同じタイプだった。
すなわち、みつ姉よりも不細工でスタイルもよくなくダサいヤツである。断っておくが、これはぼくの見方ではない。みつ姉自身がそう言ったのだ。
「だって、あたしよりカワイイ子と一緒だったら、損じゃん」
「・・・」
この、
「誰にでもマウント取りたがる超自己チュー性格悪子」
の見本のような女が我が姉みつ姉なのである。
ぼくが小さいころからこの姉としょっちゅうケンカしていたというのもこのエピソードで理解してもらえるんじゃないかと思う。
みつ姉が怒っていたのは、その「好みのタイプど真ん中」の男の子が話しかけてきたのがみつ姉にではなくて彼女の「引き立て役」のはずだった「仲のいい友達」のほうだったからである。その時みつ姉は密かに殺気立ったらしい。実にハンパない「性格の悪さ」である。
「男の子にモテたいならまずその歪んだ性格を直せっつーの!」
それもまた声を大にして言いたいのだがもちろん言わないし、言えない。
「も、ちょームカツクー」
自分のコップがカラになってふた姉のチューハイを横取りし、それもカラだと知るやひと姉の傍らの一升瓶から直にコップに注いで盛大にこぼしつつ、グビグビ煽っていた。未成年でひんぬーのクセに。
「悪いけど、あんたのその話、ぜんっぜん同情できないんだけど」
ふた姉は新しいカンをプシュしながらそう言った。実に同感である。
「けっ! 言うんじゃなかった。ホンッとに姉妹甲斐の無い人たちだわ!」
しーん・・・。
ひと姉とふた姉の、不肖の妹を見つめる視線はめっちゃ冷たいものだった。
「で、その後どうなったの?」
気を取りなしたふた姉は話の続きを促した。
「また会う約束してたよ。なんかチラシみたいの貰ってたから」
「チラシ?」
急に立ち上がって二階に駆けあがって行ったと思ったら、みつ姉はその「チラシ」を持って降りて来た。再びドカッと胡坐をかいた彼女は、
「これ」
とその「チラシ」をぼくに突き出した。
真ん中に手を取り合って見つめ合うイケてる男と女の写真がコラージュしてあって、♡マークがそよ風に吹かれて二人の周りを流れてゆく。そんな「いかにも」な図柄の上にキャッチコピーが書いてある。
「なになに? 『モテモテのリア充になるための100の方法』?
なにこれ?」
「知らない!」
「なに? ちょっと見せてみ」
ひと姉はぼくからそのチラシを取り上げるとそのチラシに書かれた文言に食い入るように酔眼を凝らしはじめた。
「・・・素晴らしい人生を送るためのきらめく100のメソッドを手に入れたい方はセミナーにお申し込みくださいィ? 詳しくはスタッフまでお問合せ下さいだあ?
だいたいにして連絡先もこのセミナーを主催する団体の名前も所在地もない。
なあんか、アヤし過ぎない? これ・・・。みつ、あんたの友達もコレ貰ったの?」
「うん。つか、むしろあたしがもう一枚ちょうだいってゴーインにもらったの。癪に障るから」
「・・・へえ。あんたにしては上出来だったね」
とひと姉はいった。
「上出来?」
「で、その友達はそのイケメンといつ会うんだって?」
「知らない。ライン交換してたからそれで連絡とり合うんじゃないのォ? も、いいよ。メンドイし!」
ひと姉の酔った目がさらに妖しく光った。
「みつ。あんたこれ、もしかすると今流行りの『霊感商法』ってやつかもよ」
「レイカン?」
「除霊とか災いを取り除くとか運勢をよくするとか幸福を招くとか、あたかもそういう『合理的に実証することが困難な特別な能力』があるように思わせてそのためのノウハウとかグッズとかを買わせる商法のことだよ。
新聞とかテレビでやってるでしょうが。読んでないの? 亀頭ベンゴシとかさあ」
みつ姉の顔からなぜか憤懣が消え、代わりに満面の笑みが浮かび始めた。
「・・・何笑ってんの?」
「だってそれ、マイコ騙されたってわけじゃん? やったー! ザマミロ」
悦に入るぱんつ一丁の妹を、ひと姉は呆れたように睨んだ。
「・・・みつ!」
「なあに?」
「あんた、性格悪すぎ。その性格直さないとそのうちあんたに不幸が降りかかるよ」
みつ姉は頬をプーッと膨らませて不貞腐れた。
「いますぐそのマイコって友達に連絡しなさい。そのイケメンといつどこで会うのか聞き出しな」
「なんで?」
ひと姉は再び一升瓶をドンッ、と突いた。
「尾行してそいつらのヤサ突き止めてやる!」
「ヤサ?」
「ああっ。なんだ、ゲンゴロウさんじゃん!」
「若、おしさしぶりでござんす」
ゲンゴロウさんは階段を降りて来たぼくを見るなり、両脚を肩幅に開き深々と「ヤクザ風の」礼をした。
「会うたんび、若は亡くなったアニキに似て来られますねえ・・・」
そう呟くと彼は急に目をウルウルさせ、ボロっと大粒の雫をこぼした。
父は「最後の武闘派ヤクザ」として名をはせた男だったらしい。
この池野源五郎さんは亡くなったぼくの父の「シャテー」だったひとだ。父の一番の子分として父の死に水まで取ってくれた人だと姉たちから聞いた。背中にちゃんと洗っても消えない絵が描いてあり、自ら好んでプールやサウナに行けない身体にしてしまった人でもある。
法律の締め付けがキツくなり、ヤクザを取り巻く環境が悪化して組を抜ける構成員や廃業するヤクザが増えて行く中、父が所属していた「緋夜孤(ひよこ)」組も解散を余儀なくされたという。
「病弱なオヤジ(組長)を援けて奮闘していたアニキ。
『一人でも多くカタギで食えるようにしてやらんとな』
ってのが、死んだアニキの口癖でした・・・。
もっと、もっと!
そんなアニキを援けて差し上げたかった、うう・・・。オレはそれだけが心残りで・・・」
世の中には一人で喋って勝手に一人で盛り上がって感極まってしまう人がたまにいる。このゲンゴロウさんもその一人だろう。ぼくの父のことを思い出すたび、彼は涙腺が崩壊してしまうらしい。でも、朝っぱらから人の家の玄関先で崩壊されても困る。この調子で放っておくと半日でもしゃべり続けかねないので、
「あの、ゲンゴロウさん? ひと姉なら留守だよ。今日仕事だってさっき出かけて行っちゃったもん」
いつもの通り、ぼくは彼の「死んだアニキを想う子分の感動の独白」の腰を折った。
「あ、そ、すか。・・・じゃ、こ、これ」
彼は後ろに回した手に隠し持っていた、ちゃんとセロハンラップしてピンクのリボンまでしてある一輪の赤いバラの花を、恥ずかしそうに差し出した。
「こ、これ、ひ、ひ、一葉さんに・・・」
「いつもありがとね、ゲンゴロウさん。ひと姉喜ぶよ」
実はこのゲンゴロウさんはひと姉ラブ、なのである。そりゃもう、イチズなのである。
ひと姉の名前を呼ぶときは必ずドモる。本人を目の前にするとこのイカツイヤクザ顔が真っ赤になって俯いたまま黙ってしまう。
この人との一番古い記憶は、父が亡くなって数年経ち、彼がカタギになったと報告しに来た時だったとおもう。その時、彼のひと姉への想いを知った。
「こ、こ、今度、こ、こういう、か、か、会社、作りまして・・・」
「ゆにばーさる、えこくりーん、かんぱにー?
何する会社なの?」
「か、か、環境、関係の・・・」
「環境? すごーい! 今流行りじゃん! ゲンちゃん、やるうっ!」
そんな会話がひと姉との間に交わされたのを覚えている。
ちなみに、ゲンゴロウさんの会社は主にラブホテルにリネンサービスを提供する会社だ。「緋夜孤(ひよこ)」組健在時にみかじめ料を取っていたホテルを中心に堅実な商いをしているらしい。同業他社よりもリーズナブルな価格でサービスしているらしく口コミで取引先も広がっているという。
愛し合う恋人たちの愛の後始末を請け負うことで世の恋人たちの愛の環境の保全に役立っているのだから、「環境関係」もあながち「ウソ」ではないかもしれない。
だが、ひと姉はゲンゴロウさんに興味が無いのが、アリアリだった。
「そう。頑張ってね。陰ながら応援しとくからね。じゃあね」
一世一代の勇気を振り絞って愛する女に現状報告&ひと姉に愛の告白を捧げる気マンマンだった彼なのに、思い切り肩透かしを喰らわされていた。
だが、以来数年。めげずに時折訪ねて来てはこうして一輪のバラの花を置いてゆく。ふつー本人にアポしてから来ると思うのだが、そこまでの勇気はないらしい。ヤクザ映画にドハマリしててエッチなレディースコミックの愛読者で片付け下手で風呂嫌いの、ハッキリ言って生活能力ほぼゼロのズボラ女王であるひと姉でも彼にとっては高嶺の花なのだろう。
ガラガラッ・・・。
「ただいまあ・・・、あ、ゲンちゃんいらっしゃい。久しぶり~」
そこへひと姉を送って来たふた姉が帰って来たのだが、
「あ、ども・・・」と、素っ気ないことこの上ない。
客観的にはカー雑誌のグラビアも飾るほどの美人であるふた姉の方が絶対いいと思うのだが、彼にはひと姉しか眼中にないみたいだ。
「ゆっくりしてってねー」
ふた姉が階段をトントン上がって部屋に行ってしまうと、
「あの、アニキに線香あげさせてもらっていいスかね」
と、彼は言った。もちろん、どうぞどうぞと家に上げた。そしてこのまま帰すのもかわいそうなので、
「ゲンゴロウさん、朝ごはん済んだ? 今朝の当番ひと姉でさ、たくさん作って行ってくれたんだ。よかったら、食べてく?」
ぼくは優しいウソをついた。
「え、そうスか! じゃ、せっかくスから頂きます。助かります。お邪魔します!」
表向きには料理も含め家の家事全般は3人の姉たちがやってることになっている。
もしこの人が姉たちの、ひと姉の真実を知ったら、それでも「ひと姉ラブ」を貫くのだろうか。弟としてはそこにとても興味がある。もし彼が丸ごと真実のひと姉を知ってそれでもなおかつ「ひと姉ラブ」してくれるなら、彼女にとってはそれが一番の幸せかも知れないな、と。
仏壇に手を合わせるゲンゴロウさんの背中を見て、ふとそう思ったりした。
ゲンゴロウさんはおいしいおいしいと3杯もご飯をお代わりした。
「いつもながらひ、ひ、ひとはさんが作ってくれたごはんはうまいっすねー」
と言って美味しそうに食べていたと思ったら、彼はまた声を詰まらせてうるうるしはじめた。
「アニキが亡くなった時、ひ、ひ、ひとはさんはまだ中学生。若はまだ小学校に上がったばかり・・・。それが、このせちがらい世の中で姉弟が力を合わせてこんなにも健気に、必死に生きてらっしゃる・・・。
ああ!
姐さんさえ逃げずにいてくれたら、アニキだって今しばらくは若たちのご成長を見守れたんじゃないかと思うと・・・。見守れたんじゃないかなと思うとっ! ・・・ううっ!」
と、また始まってしまったので、
「ちょっとぼくソージの途中だったんで、やってきます。ゲンゴロウさんはごゆっくり」
「あ、いや。もう十分いただきました。ついお言葉に甘えて長居しすぎちゃってすいませんです」
帰り際、ゲンゴロウさんはこんなことを言い残して行った。
「若。若はこの山戸家の長男としてお姉さん方を守ってやらにゃならねえ責任てもんがあると思います。ですんで若にだけは言っときますが、あのコアラ組の奴らがまたぞろおかしなシノギをおっぱじめやがったみたいなんでさ」
コアラ組とは、父の「緋夜孤(ひよこ)組」と勢力を競っていた暴力団、「孤悪羅(こあら)組」のことである。なんでも、ひよこ組解散後、その縄張りだったこの周辺を勝手に自分たちのシマにしてアコギなコトをしているというもっぱらの噂が流れていた。
「アニキは亡きおやっさんの遺言をキッチリ守って決してカタギの衆をナンギさせるようなことはしなかった。それが俺らの誇りでもありやしたからねえ・・・。
それに引き換えコアラの奴ら、相変わらずキタねえマネしやがってるらしいんで・・・」
「どういうこと?」
ゲンゴロウさんを見送って、途中になっていた二階のソージに戻った。
ふた姉は部屋でこの間彼女が参戦したレースのビデオを観ていた。
「ゲンちゃん、帰った?」
画面を観ながら、彼女が訊いて来た。
「うん」
「あの女の話してたね」
「ああ。いつもの昔話だよ」
「今も月一で入ってるの? あの女のカネ」
「・・・うん」
ぼくはダイ●ンのヤツのスイッチを入れソージを始めた。
ふた姉が言う「あの女」とは、ぼくたちの母のことだ。
大変な美人だったらしいのだが、残念ながら彼女の写真は一枚も残っていない。
ゲンゴロウさんの言葉の通り、病に倒れ床に伏せがちだった父とぼくたちを置いてどこかへ家出したらしい。らしい、というのは、まだ幼稚園児だったぼくのその時の記憶が曖昧で模糊としているからだ。当時すでに中学生と小学校の6年生ぐらいだったひと姉とふた姉はその時の出来事を今もハッキリ覚えているらしい。だが、何度聞いてもぼくやみつ姉には教えてくれないのである。
「タケル。あの女のことは忘れな。あんたはあたしたちが守ってあげる。だから心配しないで勉強頑張りな!」
ぼくが覚えているのはその時のひと姉とふた姉の言葉だけだ。
それから何年かが経ち、ひと姉は僕に2冊の通帳をくれた。
「これから家の家計はあんたが管理して。姉ちゃんよりあんたの方がしっかりしてるから。スーパーのお買い物とかもあるしね。
ただし、あの女からのカネはビタ一文使っちゃダメだよ。全部貯金しときな。
いつかあの女が帰ってきたら、耳そろえて叩き返してやるんだから!」
聞けば母が居なくなって3年ほどしてから、毎月決まった額が振り込まれているのだという。
我が家の現在の収入は、ひと姉の国から支給される司法修習生の給費と、父が残してくれた幾ばくかの財産をいくつかの堅実な投資に回している配当金。そして時たまあるふた姉のレース関係の臨時収入である。正直、4人が生活してゆくにはギリギリの額だ。母から送金されてくるお金が使えればかなりの余裕ができる。家計を預かる身としてはだいぶ助かるのだ。
でも、それはダメたという。
いつもはズボラで大雑把すぎるひと姉も、こと母のことになると人格が変わる。
過去によほど大変なことがあったのだろうと思うが、ひと姉もふた姉もそれについては絶対に教えてくれないので仕方がないのだ。
「今にあんたがわかる年頃になったら教えてあげる」
そう言われ続けて何年も経ち、今日に至っている。
「カネ送って来るってことは、まだあの女生きてるんだね」
「ねえ、・・・」
と、言いかけて口をつぐむ。
「ん?」
「ううん、何でもない」
そう言ってぼくはみつ姉の部屋のソージをするため、ふた姉の部屋を出た。
その日の夕方。
ひと姉とみつ姉はほぼ同時に帰って来た。
ひと姉は、怖かった。
「・・・タケル。今夜、やるよ」
疲れきった顔にギラギラの目つき。ハッキリいって、ちょっとビビった。
「・・・いいけど、それなら先にお風呂入ってね。もう、沸いてるから」
「・・・マンドくせ。でも、しゃあないな」
フツーに聞いたら姉と弟の会話としてはちょっと意味深すぎるかもしれない。だが、我が家ではこれは週に1度か2度ある半ば恒例の「苦行」なのだ。もちろん、ぼくにとってだけ、だけど。
そのひと姉の横をすり抜けるようにして、みつ姉が、これもプンプン怒り気味に帰ってきてただいまも言わずに無言で二階に駆けあがって行った。
やれやれ。
これはどうもいつもよりヘビーな夜になりそうだな、とぼくは思った。
キッチンで今夜のために仕込みをしていると風呂場からあまり気持ちのよさそうとは言えない、まるでゴキブリを石うすですりつぶすようなダミ声が響いて来た
「なにかあらあなにいまあでェ、まあっくらあやみよおォ・・・。すうじいのとおらあぬうことばあかありいィー・・・っててかあ、このクソがっ!」
聞けばぼくらが生まれる前どころか、父が生まれたころぐらいに公開されたヤクザ映画の主題歌だというではないか。ひと姉はどうしてそんな古いヤクザ映画が好きなんだろう。
ひと姉は、猛烈に、アレていた。
今日の仕事で何かよほどイヤなことがあったんだろうなと想像した。仕事って、タイヘンなんだなあ、と。
「なんか、今日、二人ともアレまくってるね」
二階から降りて来たふた姉も顔をしかめた。
「みつもなんだよ。アイツ『ムカツクッ!』とかいってカベドンとか蹴ってんの。やめれっ! って怒鳴ると止むんだけどさ、またすぐやるんだよ。なんなんだろうね、アレ。
あ、コレ美味そうじゃん。ちょっと味見。あ、めっちゃ美味しい・・・」
そして、それは始まった。
一升瓶をドンッ!っとひざ元に引き据え、おちょこじゃなくてご飯茶碗になみなみと注いで、ゴクゴクゴク、プッハーッ、うぃーっ・・・。してるし。すでに目が座っている。しかもなんと、下着姿・・・。
どーして酒飲むのに脱ぐんだ、と思う。しかも、そこへみつ姉もが加わった。しかも彼女に至ってはちっぱいのクセにトップレス! しかも、彼女もすでにデキあがっている。場所も最初からテーブルじゃなくてリビング。しかもカーペットの上に胡坐かいてるし・・・。
これじゃまるで「水滸伝」に出てくる梁山泊の夜盗だ。
「・・・何見てんだよ、コラ。見んな、スケベ!」
「だったら、せめてTシャツぐらい着なよォ。タケルだっていちお年頃のオトコなんだしさあ。お前が気を遣えよ」
そう言うふた姉だけは辛うじてTシャツ被ってるが、彼女にしてもノーブラだし下はぱんつ。日本酒じゃなくてチューハイをチビチビやっていた。
この飲み会を称して「山戸家下着飲み女子会」、あるいは「ぱんつ飲み会」、あるいはメンドいので簡単に「ぱんつ会」と称している。あくまでも、ぼくだけが、であるが。
「なんでお前らは飲むのに脱ぐんだ!」
それだけは声を大にして言いたい。だがもちろん、思うだけで言わない。ただでさえ荒れ模様なのにこれ以上荒れさせるのはジサツ行為だからである。
不定期に開催されるこの「ぱんつ会」で、姉たちは日々溜まったストレスを発散し、傷ついた心を癒したいらしい。ハッキリ言ってぼくにとってはいい迷惑なのだけれど。
だが、迷惑を掛けられるのが苦痛ってだけでもない。その迷惑が、ちょっとウレシかったりもするのだ。
せめてまず夕ご飯を食べてそれからと思っていたぼくの段取りは初っ端から崩れた。偏食の多い姉たちに出来るだけ炭水化物を摂らせたかったのに・・・。ぼくはせっせと酒のツマミを運んだ。
必然的にメニューは、のんべえの好みそうなものばかりになる。
オイルサーディンの醤油風味チーズ焼き。イカの甘しょうゆ漬け焼きマヨネーズ添え。ゴーヤとツナと赤唐辛子絡め焼き、チリコンカヌーのクラッカー添え。アンチョビのカルパッチョ。牛タンの塩包み焼きマスタード添え。で、唯一の炭水化物のスパゲッティにトッピングしたカリカリに炒めたペーコンと小松菜とニンニクのごま油和え・・・。
我が家の女子は皆辛党でカラ党なのだ。
「おいタケル! お前も座って呑め。家長のあたしが許す。酒が足りん。持って来い!」
どっちだよ・・・。
全ての皿を並べ終わるとぼくもグレープフルーツジュースのグラスを片手に姉たちの車座の中に加わった。
「タケル、美味しいよ。特にこの牛タン! 惚れちゃいそう!」
例によって褒めてくれるのはふた姉だけである。あとの二人はただムッツリしてグビグビやっている。これはこのまま飲み潰れて寝ちゃうパターンだな。そう読んだのでひとまず風呂に入れたのだが、それは正解だったと思う。
「でさ、ひとちゃんはなんでそんなにアレてるわけ?」
例によってふた姉が場の仕切りに入る。このアレてる二人の姉のガス抜きが今夜の「ぱんつ会」のメインだからだ。彼女は場の雰囲気や空気を確実に掴み、いいように誘導するのが得意だ。たしかにアタマがいいのはひと姉だと思うが、この家で一番賢いのは、このふた姉だと思う。実質的にこの家を陰で切り回しているのはこのふた姉だと、ぼくは思っている。
「んも、聞いてくれるぅ? 公判前整理手続きってのがあってさあ、罪状認否とか、いろいろ裁判になる前に提出する書類があるからさあ、それでセンセと一緒に接見しに行ったんだけどさあ、今日の依頼人たらさあ・・・」
と、ひと姉のグダグダが始まった。
要は、下着ドロを働いた男が捕まって余罪もあってこれから裁判になるのだが、その男は完全にふざけていて、
「お姉さん、いくつ?」
「オッパイ大きいねえ、何カップ?」
「今日のぱんつ何色?」
「ねえ、今夜のオカズにしたいからぱんつ見せて」
などと強烈なセクハラ発言ばかりしていてまるで打ち合わせにならず、ひと姉の忍耐力限界ギリギリでなんとか耐え忍んだという、そういう話だった。
「もうさ、あんなやつ死刑にすりゃいいのよっ!」
「でもさ、ひとちゃんベンゴシでしょ? ベンゴシってのはそんなゴミみたいなやつの人権を守るのが仕事なんじゃないの?」
「だから! 」
ひと姉は再び一升瓶をドン! と突いた。
「だから、ハラ立つのよっ!
あ~あ。余罪何十件もあんのよ。これからそれ全部まとめなきゃなの。まったく、どんだけぱんつが好きなんだか・・・。も、死ねって言いたい!」
で、ゴクゴクゴク、プッハーッ、うぃーっ・・・。
ひと姉のブラのストラップが片方外れていた。それにわきの下の肉に布が食い込んでいる。明らかにアンダーのサイズが小さいのだ。もう少しアンダーの大きいのに変えればいいのに。そうすれば自然にストラップに荷重がかかるからこういうふうに外れることがない。よくこんなキツイの着けていられるなあ・・・。
「何見てんのよ」
ひと姉の座った目にさらに重みが増した。
「あ、いや、その・・・」
まさか姉のブラのサイズを云々するわけにも行くまい。「男が女の下着に関わるんじゃない!」と、怒りにさらに油を注ぐことになるのは目に見えている。そんなら弟に下着なんか洗わせるんじゃないよ! これも声を大にして叫びたかったが、もちろん、言わなかった。
「あ、そのお皿空いたね」
なんとかその場を取り繕おうと車座の中の皿を取って腰を浮かした時、
「ぶっ殺しゃいいんだよ、そんなヤツ!」
完全に酔ったみつ姉が振り上げた腕の肘が偶然にも気持ちよくぼくの股間にクリーンヒットした。
「ぐはおおっ!」
あまりの痛さにぼくは股間を抑えて悶絶した。
「みつ、おま、昂奮し過ぎだって!
タケル、大丈夫? 擦ってあげようか」
優しいふた姉の手が伸びるが、それだけは必死に拒んだ。
それは、ダメ!
そんなんされたら、ぼくは、ぼくは・・・。
・・・昇天しちゃう。
ふた姉が冷蔵庫からアイス●ンを出してきてくれたのでとりあえずそれを股間に当て、しばしソファーに身体を横たえた。不思議なことに、そうしていると痛さが徐々に快感に変わっていった。
でも、「もう一回やって」なんて口が裂けても言えない。
「そう言えばさ、みつもなんかあったんじゃないの? あんたもひとちゃん以上にアレてたじゃん」
「うん・・・」
「どしたの?」
「うん・・・」
みつ姉の話はひと姉のよりもはるかに下らない話だった。
その、なんだかよくわからない専門学校の用が終わってから、みつ姉は街に繰り出した。クラスで「仲のいい友達」と一緒に。
みつ姉とその「仲のいい友達」は、何人かにナンパされたらしい。男の子たちはみんなみつ姉の方に声をかけて来た。
「ねえねえ、何してるのー」
「歩いてるの」
タイプじゃない男の子の場合はそのように素っ気なく躱していたらしい。
そうしてゆくうちに、そのホンイチの、本日一番のイケメンで、モロみつ姉のタイプど真ん中が声をかけて来た。背の高い日焼けしたプチマッチョな男の子が白い歯をキラリンコしながら、である。
「良かったじゃない。カラ振りにならなくて済んで」
当然のようにふた姉は言った。
「なにが! いいわけないでしょ!」
「・・・なんで?」
「だって、その男の子が最初に声かけたのは友達の方だったんだもん!」
ああ、なるほど。
それを聞いてぼくはすぐに納得した。
なぜ「仲のいい友達」とカッコつきなのか。
ハッキリ言うけれど、みつ姉はいささか性格が悪い。
2コ上なので小中としばしば同じ学校に通ったわけだが、みつ姉がつるむ「友達」は決まって同じタイプだった。
すなわち、みつ姉よりも不細工でスタイルもよくなくダサいヤツである。断っておくが、これはぼくの見方ではない。みつ姉自身がそう言ったのだ。
「だって、あたしよりカワイイ子と一緒だったら、損じゃん」
「・・・」
この、
「誰にでもマウント取りたがる超自己チュー性格悪子」
の見本のような女が我が姉みつ姉なのである。
ぼくが小さいころからこの姉としょっちゅうケンカしていたというのもこのエピソードで理解してもらえるんじゃないかと思う。
みつ姉が怒っていたのは、その「好みのタイプど真ん中」の男の子が話しかけてきたのがみつ姉にではなくて彼女の「引き立て役」のはずだった「仲のいい友達」のほうだったからである。その時みつ姉は密かに殺気立ったらしい。実にハンパない「性格の悪さ」である。
「男の子にモテたいならまずその歪んだ性格を直せっつーの!」
それもまた声を大にして言いたいのだがもちろん言わないし、言えない。
「も、ちょームカツクー」
自分のコップがカラになってふた姉のチューハイを横取りし、それもカラだと知るやひと姉の傍らの一升瓶から直にコップに注いで盛大にこぼしつつ、グビグビ煽っていた。未成年でひんぬーのクセに。
「悪いけど、あんたのその話、ぜんっぜん同情できないんだけど」
ふた姉は新しいカンをプシュしながらそう言った。実に同感である。
「けっ! 言うんじゃなかった。ホンッとに姉妹甲斐の無い人たちだわ!」
しーん・・・。
ひと姉とふた姉の、不肖の妹を見つめる視線はめっちゃ冷たいものだった。
「で、その後どうなったの?」
気を取りなしたふた姉は話の続きを促した。
「また会う約束してたよ。なんかチラシみたいの貰ってたから」
「チラシ?」
急に立ち上がって二階に駆けあがって行ったと思ったら、みつ姉はその「チラシ」を持って降りて来た。再びドカッと胡坐をかいた彼女は、
「これ」
とその「チラシ」をぼくに突き出した。
真ん中に手を取り合って見つめ合うイケてる男と女の写真がコラージュしてあって、♡マークがそよ風に吹かれて二人の周りを流れてゆく。そんな「いかにも」な図柄の上にキャッチコピーが書いてある。
「なになに? 『モテモテのリア充になるための100の方法』?
なにこれ?」
「知らない!」
「なに? ちょっと見せてみ」
ひと姉はぼくからそのチラシを取り上げるとそのチラシに書かれた文言に食い入るように酔眼を凝らしはじめた。
「・・・素晴らしい人生を送るためのきらめく100のメソッドを手に入れたい方はセミナーにお申し込みくださいィ? 詳しくはスタッフまでお問合せ下さいだあ?
だいたいにして連絡先もこのセミナーを主催する団体の名前も所在地もない。
なあんか、アヤし過ぎない? これ・・・。みつ、あんたの友達もコレ貰ったの?」
「うん。つか、むしろあたしがもう一枚ちょうだいってゴーインにもらったの。癪に障るから」
「・・・へえ。あんたにしては上出来だったね」
とひと姉はいった。
「上出来?」
「で、その友達はそのイケメンといつ会うんだって?」
「知らない。ライン交換してたからそれで連絡とり合うんじゃないのォ? も、いいよ。メンドイし!」
ひと姉の酔った目がさらに妖しく光った。
「みつ。あんたこれ、もしかすると今流行りの『霊感商法』ってやつかもよ」
「レイカン?」
「除霊とか災いを取り除くとか運勢をよくするとか幸福を招くとか、あたかもそういう『合理的に実証することが困難な特別な能力』があるように思わせてそのためのノウハウとかグッズとかを買わせる商法のことだよ。
新聞とかテレビでやってるでしょうが。読んでないの? 亀頭ベンゴシとかさあ」
みつ姉の顔からなぜか憤懣が消え、代わりに満面の笑みが浮かび始めた。
「・・・何笑ってんの?」
「だってそれ、マイコ騙されたってわけじゃん? やったー! ザマミロ」
悦に入るぱんつ一丁の妹を、ひと姉は呆れたように睨んだ。
「・・・みつ!」
「なあに?」
「あんた、性格悪すぎ。その性格直さないとそのうちあんたに不幸が降りかかるよ」
みつ姉は頬をプーッと膨らませて不貞腐れた。
「いますぐそのマイコって友達に連絡しなさい。そのイケメンといつどこで会うのか聞き出しな」
「なんで?」
ひと姉は再び一升瓶をドンッ、と突いた。
「尾行してそいつらのヤサ突き止めてやる!」
「ヤサ?」
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