道連れは可愛くて逞しい ~ミクとナツキの物語~

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第三部 つくす

40 Finally reach the goal

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 いてて・・・。

 手の甲に血が滲んでいた。あの汚物の頬を殴ったときにヤツの歯に当たったのだろう。だが、お陰でネタが取れた。


 

 木本はペラペラ喋った。これはヤバいと思ったのだろう。

「オレは直接は知らねえんだ。同業者でトシマのババアを扱ってるやつがいる。ソイツから聞いたんだ。お互いフィールド違うから時々情報交換してるんだ。ヤツがロリ系の客捕まえた時はオレに回してくれるし、オレがイケてるババア捕まえた時はヤツに回してやるん・・・、あだッ・・・」

 美玖は再びケリを入れた。

「いい加減、その、ババアての止めな。ムカツクわ!」

 オドオドする「モリオ先輩」を見下すのが、これほど気持ちいいとは思わなかった。

「・・・普通は現役の主婦とか人妻使うって聞いた。そのほうが後腐れねえし、自分もヤバいから秘密守れるって。その女は流れもんだから最初は断ったんだが、なかなかいい女で、どうしようかって・・・」

「説明はいいから、早くソイツに繋ぎなよ。今すぐ、ここで。電話一本で済むでしょうが!」

「モリオ先輩」はすっかり大人しくなっていた。ハッタリを信じ込んでしまったのだろうが、なんともそこが不可解ではあった。

 だがそんなことはどうでもいい。恐らくは、こんなところまで流れてくる間に、いろんなことがあったのだろう。その経験が、彼を子供には強く、美玖のような大人には弱い男にしてしまったのだろう。

 十年ぶりに美玖に会い、コイツなら肌も合わせているし、ダンナと上手くいっておらずにこんなところまで流れて来た「同類」だと勘違いしたのがあの男の不運だったのだ。

 十年という長い間に初恋を無惨にも壊し、それでも真面目に就職して結婚し、一児を設け、しかしそれもまた自らの色欲のために破綻させ命よりも大切な息子を奪われ、辛酸を舐めながらも生きて来て、人生の酸いも甘いも知った美玖に比べ、「モリオ先輩」はただ延々と女にたかり続けて生きて、そこから何も学ばず、何も得て来なかったのだ。

 あわれだなと思うだけだった。

 彼はすぐにその知り合いに電話した。それを途中で奪って直接話をした。

 意外にも、電話の相手は喜んでいた。

「誰だか知らんが、ちょうどよかった。あと面倒見てくれな。オレもう放すから。今後一切、あの女に関わりたくねえんだ。今住まわしてやってるとこも、早めに出ていってもらいてえんだよ・・・」

 彼女の住所を聞いた。彼女は今、部屋にいるだろうという。

「おい、頼むぞ。ネタ教えてやったんだから約束守れよな。バラさねえでくれよ」

「モリオ先輩」は情けない声をあげた。あまりにも、惨めすぎた。

「あのさ、」

 と美玖は腰に手を当て、胸を逸らした。

「人にモノ頼むのに、その態度はなんなの? あ? 

 もうあんたとは二度と関わりたくないんだから。そんなことするわけないでしょうが!」


 

 すぐにその部屋に向かった。

 どの大都市にも、かつて貧民地区と言われたようなところがある。そのアパートもそんな土地にあった。あの瀬戸内海の島のアパート。彼女の同級生の「母親の年金とナマポ」で暮らしていると言った女の家・・・。そんな土地だ。

 もう夜になっていたが、教えられたアパートは、これまでの旅で美玖が訪れたそんな風景を思い出させた。

 そのアパートを前にして、身体が震えた。思えば、あの峠のバス停で目覚めた朝、自分を不安げに覗き込む少年に出会ってから、多くの場所に行き、多くの人に会って来た。親切な人もいたが、古い汚物のような男にも会った。

 それは全て、このアパートを訪れるためだった。

 教えられたとおり、一階のその角部屋のドアの前に立った。窓には明かりがあった。

 と、室内から曲が、クラシックが微かに流れているのに気付いた。

 直感的に、間違いない、と思った。この部屋に、彼女はいる!

 インターホンは鳴らなかった。ドアを、ノックした。

 はい・・・。と返事があった。消え入るような女の声だ。

「今晩は。夜分すみません。ショージマサコさんのお宅は、ここでよろしかったですか」

 音楽だけが聞こえる。ピアノと管弦楽。なんと悲し気な、重い響きだろうか。

 気配がドアの向こうに来た。

「・・・どなたですか」

「ショージナツキの、友人です。お母さんのマサコさんに、会いに来ました」

 その時が来たら、そう言おう。そう思って何度も反復していた言葉だったが、緊張しすぎて、噛んでしまった。

 ドアが、開いた。

 真っ白なナイトガウンを着た、真っ白な髪の女性が、粗末な玄関口の裸電球の灯りの下に立っていた。

 美玖はそれまでの三十年足らずの人生で、それほどまでに悲しい目をした人に会ったことがなかった。


 


 

 その夜はいつもの賑やかな食卓を囲んだ。

 奈美が少々トバし気味に大騒ぎするのを、ホンワカと見守っていた。

 コイツ・・・。また気を遣いやがって、と。

「・・・そいでさ、も、ヨンキューの最後の最後でさ、コッチ二点負けててさ、あと残り10秒ひえー、とか言ってるときさ・・・」

 奈美は彼女の先日の練習試合の様子を最大級に盛って彼女の母と夏樹に聞かせていた。

「ね、ヨンキューってなに?」

「あ、第四クウォーターのことですよ。最後の十分間」

「そ。そのときね、もういいやイチかバチかだあーってブン投げたのっ、自陣から。どっしぇーって! そしたらさ、それ、入っちゃ・・・」

 ぶーっ、ぶーっ、ぶーっ・・・、

 ポケットの中のバイブにした夏樹の携帯電話が鳴った。

「あ、すいません。・・・もしもし?・・・」

 電話のスピーカーからは、少し遠いけれど、恵理が弾いてくれたラフマニノフのピアノ協奏曲第二番第二楽章アダージョ・ソステヌートの、あまりにも美しい旋律が流れてきた。

「ナツキ? 聞こえる? ・・・あたし。・・・ミク」

 携帯電話を握ったまますぐさま猛ダッシュで自分の家へ走った。すぐに奈美が追いかけて来た。階段を駆け上がり、自室に飛び込んでピアノの電源を入れた。

「ナミっ! 悪い、コレ持ってて!」

 つながったままの電話をあとから飛び込んできた奈美に持たせ、鍵盤に向かって息を整えた。そして奈美が持つ携帯電話に向かって話した。

「ミクさん! 聞こえる? まだ全然練習してなくて最後まで弾けないけどって、伝えて。・・・じゃ、始めます」


 

 白髪の女性は美玖の手渡した携帯電話を耳に当てた。

 女性は美玖をジッと睨んでいたが、やがて眼を閉じた。

 あの曳馬もそうだったが、その白い女性もとても三十代後半とは思えなかった。どう見てももう六十に手の届く、初老。

 その目尻の皴と眼頭に光るものが現れ、そして皴に滲み、溢れた。

 あとからあとから。

 流れ落ちる涙も厭わずに、彼女はスピーカーから流れているだろう、ピアノの音に耳を澄ませていた。彼女は急に口元を抑えた。込み上げて来るものがあるのだろう。だが必死にそれを抑えていた。

 そして、電話を返して寄越した。

 スピーカーからナツキの叫び声が漏れていた。

「お母さんですか? お母さんなんだよね、お母さん、お母さん!・・・」

 話してください! 直接、息子さんと、ナツキと話してください!

 その言葉が咽元まで出かかった。が、なんとか抑えた。

 ナツキ? ナツキなの? お母さんよ。お母さんよ!・・・。彼女がそう応えるのを期待した。だが、それが出来るほどならこんなことにはなっていない。このひと月余りの追跡行で、美玖はそれを知り尽くしたように思えた。ここで焦っては、全てが水の泡だと思った。

 彼女は無言で部屋の奥に入った。

「ナツキ、聞こえる? 」

「うん! 今の、お母さんなんでしょ? お母さん、聴いてくれたんだよね!・・・」

「また電話する。ナツキ・・・。どんなことがあっても、あたしを信じて。いいね?」

「・・・わかった。大好きだよ、ミクさん!」

 断腸の思いで、電話を切った。

「・・・これで、信じていただけましたよね」

 と、美玖は玄関先で言った。

「・・・どうぞ。お入りください」

 と庄司雅子は言った。


 

 奈美に手をギュッと握られるまで、突然切れた携帯電話を見つめていた。

「とうとう・・・。やっと・・・」

 ぐふっ・・・。

 嗚咽と涙と鼻水とが一斉に噴き出した。

 奈美が甲斐甲斐しくティッシュで鼻水をかんでくれ、涙を拭いてくれた。

「ったく・・・。世話の焼けるヤツだなあ、お前は」

「・・・おめーに、言われたくねーよ」

 フッと、奈美は笑った。

「やっぱり、ナツキはそうでなくちゃ・・・」

「ナミ・・・」

 二人の幼馴染はそっと抱き合い、やがて激しくお互いを抱きしめ合い、口づけを交わした。

「オレ、行きたい。今すぐ行きたいよ」

「・・・いいの?」

「わかってる。・・・ミクさんから連絡があるまで、待つ。ミクさんを、信じる。そう、約束したんだ・・・」

「うん・・・」

「だけど・・・」

「うん・・・」

「オレさ、怖いんだ」

「うん・・・」

「・・・前より、母さんに、会いたい気持ちが、薄れちゃったんだ」

「うん・・・」

「ミクさんなんだよ・・・。

 今のオレ、母さんよりも、ミクさんに、会いたいんだ。ヒドいだろ。ヒドい息子だよな、オレ・・・」

「ううん」

「ホントはオレが・・・、オレがしなきゃいけないことなのに、全部、ミクさんが・・・、こんな、オレのために、ミクさん、たった一人で・・・」

 奈美のゴツイ両手が夏樹の頬を挟んだ。

「ヒドくない。あんたは、悪くない。それはツミじゃない」

 奈美は舌を出して夏樹の涙を舐めた。

「もし、それがツミだってんなら、あたしも一緒に償うよ、ツミ。

 だってあたし、あんたの奥さんになるんだもん。オットのツミはツマも一緒に償うんだよ。むしろ、もしあんたがミクさんを粗末にしたら、あたし、キライになるかも。あんたのこと、キライになるかも!」

「そんなの、・・・やだよ」

「でしょ? あんたはそういうオトコじゃないでしょ。だから、安心して」

 奈美は夏樹を椅子に座らせると、その上に跨った。つくづく跨るのが好きなヤツだな、と夏樹は思った。

「あたし、困ってるんだけど」

 と、奈美は言った。

「あんた盗られたくないの、誰にも。・・・でもね、」

 奈美はちゅっ、とキスをくれた。

「ミクさんって人になら。・・・ミクさんなら、あたし、許せちゃうと思う。最近そう思えちゃって困ってるんだ。どうして、なんでそんなこと思うかなって。

 でも、カンちがいしないでよ。貸すだけだからね。ちょっと貸すだけ。それだけは、忘れないでね」

 そう言って、いつものように強烈に唇を押し付け、貪ってきて、強引に舌を差し込んできて絡ませ合うディープなヤツをされた。そんなことをされると当然ながら下半身が反応してしまう。奈美は自分の股間を反応している夏樹のそれにグリグリ押しつけてくる。

「イテテ・・・」

「・・・ああん、好き、大好き・・・。ナツキ、ナツキぃ・・・」

 次第に重くなる奈美の体重が夏樹を困惑させ、そして、彼を心底から安心させた。さしずめ奈美は文鎮みたいだ。いろんな思いに翻弄され過ぎてフラフラ漂う夏樹にとっては。

「あんたには、痕がない」

 あれは美玖に言われたのだった。

 美玖は奈美のおかげだと言ったが、この奈美の体重を感じているとそれを実感する。ここが、この奈美の小さな胸の中が、自分の終生の棲処(すみか)だと。奈美なら、このどうしようもないぐらいに切ない思いを抱えながら彼女の中に這入っても許してくれるという確信を持つことができた。奈美なら、全部包み込んでくれる、と。
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