道連れは可愛くて逞しい ~ミクとナツキの物語~

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第三部 つくす

35 circumstances of HANAMACHI

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「困るんだよ。店先であんなことされちゃあ!」

 と、ハゲの店長は言った。

「申し訳ありません」

 美玖は下手に出た。目的はあくまで夏樹の母を探すことで、こうした風俗店の店先での行為の是非を論じることではない。

「ある男の子の母親を探しています」

 そしてすぐに腹を割る、胸襟を開いたほうが相手も受け入れやすいだろうと思った。フォトフレームのスリーショット、その雅子の上半身だけを拡大コピーしたのを何枚か用意していた。七年前のものだがその写真が最も鮮明で最新だった。

「ショージマサコと言います。少なくとも二か月前まで、この街のどこかにいたことまでは掴んでいます」

 美玖が差し出した写真のコピーを取り上げ、ハゲは顎を撫でた。

「少なくてもウチの店にはいないね。今も、過去にもね」

 彼はコピーを返して寄越した。

「・・・そうですか。心当たりは、ないですか」

「ないねえ・・・。このあたりの店にも、いないと思うよ」

「他のお店の方もご存じなんですか」

「この辺りのどの店の店長や経営者もね、自分の店だけじゃなくて他の店の子の顔も大体知ってる。経営者だけじゃない、あんたを連れて来たボーイレベルでもね。顔を知ってるってのが当たり前なんだ。この商売やるうえではね。だから、仮にウチに勤めてて他の店に入ったり掛け持ちしたりするとすぐわかる。そういうの、御法度だからさ」

「・・・そういうもんなんですね」

 これで一軒は消された。一軒どころか、この界隈はどうもダメらしい。道のりは遠いなと思った。

「わかりました。お騒がせして、申し訳ありませんでした」

「待ちなよ」

 とハゲは言った。

「過去に面接に来たことがあるかもしらん。もういっぺん見せて」

 もう一度顔写真のコピーを渡した。

「これ何年前って言った?」

「七年前です」

「子供いるって言ったね。うーん・・・。もしかして、旦那と別れてないっていうんじゃない?」

「そうです」

「・・・思い出したぞ」

 とハゲの店長はハゲあがった額を光らせて言った。

「今年の春先に来たよ、彼女。断ったけどな」

「面接の女性まで覚えてるんですか」

「さっきも言ったろう。横のつながりが濃いんだ。他の店で問題起こしたような子を雇うわけには行かんだろ。だから面接だけの子も覚える。不景気になると日に十人ぐらい来たこともある。でもみんな覚えてるんだ。それがこの商売の、言ってみりゃ生命線なんだな」

 そう言って彼はハゲ頭を指でコツコツ叩いた。

「彼女が不採用になった理由はなんだったんですか。結婚してるからですか」

「いいや。違うね」

 ハゲは禁煙しているらしく、応接のテーブルの上のカップから飴玉を取り出して美玖にも勧め、封を切って口に放り込んだ。

「ウチの店にも旦那持ちいるんだよ。二十代と三十代の子が。どっちも旦那公認でね」

「旦那さん公認・・・、ですか」

「驚いたかい。でも、珍しくないよ」

 ハゲを撫でながら、店長は言った。

「むしろ、公認なら旦那持ちの子の方がいいぐらいだ。そういう子は真面目でしっかりしてるからな。ちゃんと出勤するし、無断でバックレることもない。勤務態度重視なのは一般の会社と同じっちゅうことやね。

 ・・・お探しの彼女、マサコさんっていったか。彼女はね、そう、旦那と上手くいってないってことだった。・・・そうじゃない?」

「はい・・・。別居して七年になります」

「そうだろう。住民票どこにあるって聞いたら、どこだっけ、ヒロシマ? かどっかの親戚の家っていったっけ。本籍は、ったら、旦那のとこだって。それじゃ後から絶対に揉める。この商売やる以上ね、揉め事は絶対に困るんだ。従業員の名簿だってあんた、ちゃんと住所と名前記載して小まめに更新して保管してるんだよ。おカミにガサ入られた時に不備があるとソコ突っつかれて業務停止になっちゃう。だから身元のハッキリした子じゃないと雇えないんだ。ウチは高級店なんだ」

 店先の看板を思い出した。

「あの、ちなみになんですが、お勤めしてる方はどのくらいもらってるんですか?」

「興味あるの?」

「いえ、後学のために・・・」

 美玖は顔を伏せた。

「ウチだけじゃない。この辺りの店はみんな明瞭だよ。ウチの場合は基本一コマ120分6万。そのうち女の子の取り分は4万。店に1万5千。あとは諸経費でもらう。電気水道、個室で使うシャンプーやらタオルやら。WEBで宣伝もしてるしね。それを一日2コマから3コマ。人気の子だと4コマ行くときもある。一か月20日勤務。もちろん、長期休暇もある。年十か月として計算してごらん」

 ハゲはにこやかに脚を組んだ。

「トップで稼いでる子の中には年収2千万を超えるのもいる。客層もそれなりにハイクラスになる。ほとんどの客はお忍びで来るんだ。奥さんや会社に知られたくないんだ。だからガタガタ揉めてるような店には敬遠してこなくなる。それだけは困るんだよ・・・」


 

 ハゲの店長は別れ際にあるリストをくれた。

「これな、許可受けてない派遣やってる業者のリストだ。あんたの探してるような子の場合だとこういうところでアブナイ商売やってる可能性が高い。ハッキリ言うけど、こいつらはヤバイぜ。中にはヤクザのシノギになってる店もある。

 悪いことは言わん。自分で動くのはやめな。オレだったら、探偵使うね。

 あと、ウチから聞いたって言うなよな。じゃあな」

 ハゲの店長は意外にもいいやつだった。彼は終始ビジネスライクで美玖が想像したような怪しげなところは一切なかった。きっと、この後もズルズルウロウロされるのが困るから、遠ざけるためにリストをくれたのだろう。本当のところはわからないが、それは美玖にとってはどうでもいいことだ。普通の会社にだってブラックな部分はある。

 振り出しには戻らなかったが、道半ばで戦略の見直しを迫られた格好だった。

 ホテルのパソコンでこの辺りの探偵の相場を調べた。人探しの場合、着手金十万、成功報酬十万。プラス諸経費交通費。なんだかんだで三十万くらいは飛びそうだ。

 今日一日でいささか疲れてしまった。知らない土地。往来での他人への声掛け。そしてソープランドの実情・・・。

 元々一人でイラストを描いたりパソコンで広告を作ったりしていた自分が、夏樹と知り合ってからというもの、赤の他人との接触が飛躍的に増えていた。その反動が今になって襲ってきているのかもしれない。

 あの店長のアドバイスに従って、このあとは電話で探偵事務所をあたり、それ次第で出直すか調査続行を決めよう・・・。

 美玖はめげそうになる心を懸命に励ました。

 夏樹に電話したくなった。

 でも、やめておいた。何の進展もないのに電話すれば、たださえ我慢している少年を無用に焦らせてしまうだろう。あるいは無用にガッカリさせてしまうか。連絡するのはせめて母親の、雅子の居所の目途だけでもつけてからにしよう・・・。

 元気? あたしは元気だよ。必ず見つけるから待っててね。◝(⑅•ᴗ•⑅)◜..°♡

 そんなメールを送った。

 いったい、夏樹の母親はどこにいるんだろうか。

 美玖は襲い来る徒労感の中でもどかしさを持て余した。


 


 

 週二回、バイトが終わったあと恵美の家に寄るようになった。恵美の母からレッスンを受けることにしたのだ。どうしてもあのラフマニノフの曲が弾きたくなってしまった。

「いい加減エミのお母さん、はやめてよォ。あたし、エリっていうんだから」

 彼女の名前は恵理と書く。

 ちなみに恵美は剣道部でまだ帰宅していない。彼女がいると面倒なのでいない時間だけにしたのだ。三十代前半の巨乳妻と二人きりだが、下半身をカタくしているヒマはなかった。

「CとFのアルペジオはいいね。

 今度は手を目いっぱい開いて親指と小指でスケールしなさい。ナツキは手が大きいからすぐできるよ。ドレミが出来たら半音ずつ上がる。それを淀みなく出来るように。片手で出来るようになったら両手で。一オクターブ開けて下から上まで、上から下まで。88鍵。全部使う。それに慣れれば目を瞑ってもどこがなんの音かわかるようになる。それが出来たら、CとFでアルペジオしたのを今のオクターブでやってみる」

 コードとアルペジオ。難しそうに見えて、ピアノというものはそれさえ抑えればそれなりに弾けるものだ。それに単音じゃなくて片手のオクターブで弾くだけで音の重さが変わり、力強さが出てきたりするのを知った。あとはひたすら、練習。

「もちろん、プロのピアニストになるとか、音楽を教える仕事に就くとかなら話は別だよ。

 だけど、この曲だけは弾けるようになりたいとか、みんなの前でカッコよく弾いて目立ちたい、例えば音楽室や体育館のピアノを女の子の前でちょこっと弾いて目立つ、みたいな? そうゆうコトしたいんだったら、この方法が一番手っ取り早い」

 ラ・カンパネッラ。

 リストの難曲を軽々と弾きながら、いとも気安く、恵美の母は宣うた。

 恵理のその教え方は破れかぶれのようでいて実に合理的で実際的だった。なるほど。これでは子供相手のピアノ教室は開けないが、ちょっと大人向けの、なかなか忙しくて時間が取れない人が、例えば職場や学校で目立ちたいという目的だけでピアノを学ぶなら、彼女ほどいい教師はいないだろうと思えた。夏樹の場合は、ピアノを弾いて目立ちたいのではなく、弾くことで母の面影に寄り添いたいからなのだが。

 スゴイサバケたお母さんだと思う。だから「バージンなんてさっさと捨てちゃいな」などと娘に言えるのだろう。そしてこんなスゴいのを弾ける人が「ピアニストの夢を絶たれた」というぐらいだから、ピアノというのは夏樹が想像も出来ないほど奥が深いんだろうな、と思った。

 母を探していることは奈美と彼女の家族、そして父と美玖しか知らない。恵美には一切何も言っていない。

 最終的にはあのラフマニノフを弾くのが目標だが、そのために必要だからと宿題を出された。

「これ家に帰ったら何度も聴いて」

 エリはベートーベンの「エリーゼのために」を弾いてUSBに入れてくれた。

「これ弾けるようになったら、ラフマニノフ行ってみよう!」

「・・・まじすか?」

「まじよ」

「・・・無理っす」

「できるできる。こんなのチョロイって。弾けないと思うから弾けないの。

 トリル、分散和音、オクターブ、トレモロ、連打音、三度の和音、六度の和音、三連符、半音階・・・。わかる? ピアノの基本の技法がめっちゃ盛り込んである。だから練習曲って言われるんだよ。練習曲だから、できるよ」

「そんなリクツ・・・。これが練習曲すか?」

 無茶苦茶だ。

「そりゃ、おか・・・、エリさんだからでしょ」

「できるって。あたしを信じな」

 と恵理は言った。

「あんた、全然教えてくれないよね。どうしてそんなにピアノ弾けるようになりたいのか。

 でも、一生懸命なのはわかった。だから協力してるんだよ。エミの好きな男の子でもあるしね。

 それに、あたしのお気に入りでもある」

 そういってまたも夏樹の頭を抱えて抱きしめた。

「だっこぐらいさせなさい。可愛い・・・。あたしもナツキって呼んでいい?」

 巨乳の谷間に顔を埋め、夏樹はやむなく恵理の細い腰を抱いた。


 

 巨乳で大人の美人に抱き締められてフラフラ、クラクラしながら自転車を漕いで家に帰った。

 まず宿題。それから予習復習。それをチャッチャッと片付け、プログラミングの独習をしながらヘッドフォンで「エリーゼのために」を何度も聴いた。

 ただ、やはり「ながら」はダメだなと思ったので、C++を適当に切り上げて、バイト先で調達した中古のキーボードを机の上に出し、もう一度「エリーゼのために」をREPLAYした。イメージトレーニングというやつだ。

 全集中。母の呼吸。

 目を瞑り、右手の指先に意識を集中する。

 すると、またあの木造の室内の映像が脳裏に浮かんでくる。

「エリーゼのために」を止めてエリが弾いた第二番第三楽章アダージョに切り替えた。

 母のプロフィールが、母の指先が白と黒の鍵盤を舞う。

 たまらなく、あの山荘に行きたくなる。

 それは美玖と訪ねた、雑草が生え、朽ちかけた鉄格子のゲートの、ではない。

 青々とした芝生。もくもくとわく入道雲。うるさいほどの蝉の声。流れてくるピアノの調べ。北アルプスから流れてくる涼やかな風。虫取り網。氷の涼やかな音がする冷たい麦茶。麦わら帽子。スイカ。山荘の窓辺の中には、ピアノに向かう母。そして、車いすの、おじさんが、楽しそうに笑い合いながら・・・。ナツキ、そろそろお昼にしよう。おうちに入りなさい・・・。

 虫取り網を放り投げて濡れ縁から室内に入り・・・。

 あれは、母の兄だ。それ以外にない。このイメージも、あの山荘だ。

 不思議なことに、伯父の顔のイメージだけがどうしても、ぼやける。

 なぜだろう・・・。


 

 ぐわっ!

 急にヘッドフォンが奪われ、ジャージ姿の奈美がそばに仁王立ちになっていた。彼女は奪ったヘッドフォンの音を聴いた。

「またコレ聴いてんのォ・・・。飽きないね」

「うっせーよ! 邪魔すんなよ」

 奈美からヘッドフォンを奪還、曲を止めた。

「そのあらわれかたさあ、心臓に悪ぃよ」

 奈美は夏樹を見下ろし、黙っていた。今までで一番、ブスだと思った。

「何してんの。あたしに黙って、コソコソ・・・。キーボードまで買うし」

「いろいろ、あるんだって・・・」

 すると奈美は椅子に座った夏樹に跨り、ガバッと抱きしめて来た。そして夏樹のシャツをクンクンしてきた。

「重いって・・・。めっちゃ・・・」

「なんか、また新しい匂いしてる」

「犬かお前は・・・」

「くんくん。大人の女の匂いだわん。すっげ、気になるわん!」

 夏樹はため息をついた。

「エミのカアチャンだよ。今ピアノ教わってんの。不思議なんだけどピアノ弾くと母さんのこと、思い出してさ。もうちょっとで全部思い出せそうなんだよ。だから、なんだよ」

「・・・わかんないわん・・・。くぅーん。かまってほしいわん。ナミは寂しいわん」

 奈美は雨に打たれた子犬のような、寂しげな顔で夏樹を見下ろしていた。

 黙って彼女の胸に顔を埋めた。

「もうちょっと。もう少しで、終わるから。それまでガマンしてくれよ。母さんのことが全部わかったら、そしたら・・・」

「違うよ!」

 と、奈美は吼えた。

「悔しいんだよ。

 あんたが苦しんでるのに、あたし・・・。なんの力にもなれない。それが、苦しくて、悔しいの」

 夏樹は大きくため息をついて、笑った。

「ごめんな、ナミ。ありがと。やっぱ、お前だけだよ・・・」

 奈美はジャージのジッパーを下げ体操着をまくり上げた。そして、スポーツブラに包まれた小ぶりな乳房を夏樹に押し付け、

「これでもガマンしてんだよ。・・・ちょっとぐらいは、愛して」

 と言った
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