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おけいこの終わり
69 おけいこは終わった
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「ゆうべ、ふらっと店に来たんだ。それで、この車をやるからその代わり頼まれてくれってさ・・・」
ムラカミの運転する銀のネコ。かすかにサキさんの枯草の残り香を感じさせるグランツーリスモで南に向かった。
彼の顎には微かに無精ひげが出ていた。寝ずに対応してくれたのだろう。
「さっきLINEしたからじき返事が来ると思うよ」
「なんだか、巻き込んじゃったみたいね。済まなかったわ」
「たったこれだけでこんないい車くれるってんだから。お安い御用だよ。あ、きた・・・」
彼は胸のポケットから震えるスマートフォンを取りスミレに渡した。
「バカ野郎!」
電話に出た途端に、スミレは怒鳴られた。
「なんだってレナと合流するなんてアホなこと考えたんだ! アイツを殺す気か?」
「え?」
「お前と一緒じゃなければレナは安全だ。お前の方がお尋ね者なんだ。長い間僕の秘書を務めたくせに、そんなこともわからないのか!」
「だって、説明もしてくれないのにわたしにわかるわけないでしょ? 誰が(わたしを狙うっていうの)よ。どうせここのでしょ?」
隣で運転しているムラカミを慮って不穏当な動詞と主語は省略した。
「雇い主の後継者争いに巻き込まれたんだ・・・」
心底ウンザリしたようにサキさんはボヤいた。
「奴らは僕のカネを狙ってるんだ。金庫番だったお前が狙われるのは当然だろうが。
まったく。あれっぽっちのカネ、どうして狙うかね。みみっちい奴らだよ、ホントに。
そういうわけだから、まだ雑魚のレナは心配ない。お前はほとぼりが冷めるまでどっかで遊んでろ」
「サキさんは?」
それが一番心配だ。狙われるとしたらむしろスミレよりもサキさんの方が・・・。
「僕なら心配ない。もうじき、死ぬから」
「ええっ?!」
何、それ。
「じゃあな。お前はしっかり生きろ、僕の分まで。レイコのとこに行って叱られてくるよ。ガンバレ、スミレ・・・お前はサイコーに、おもしろい女だった」
ぶつっ。
・・・。
なんだこれは。一体何が起こったの?
なに、ぶつっ、て。しかも、あの、言い方。
どうしてこの電話が切れるの?
だいたい、死ぬ人間が何故カネの心配をするの?
全く訳が分からない・・・。
「ムラカミさん、戻って!」
彼は運転しながらスミレの腕を取りあっという間に手錠をしてヘッドレストに繋いだ。
「ねえ! 何のマネ? ふざけないで。早く戻って。コレ外して! 早くっ!」
「あんたは必ずそう言う。それもその、サキさんて人から聞いてた。悪いな。これも料金の内なんだ。黙って乗っててくれ。あんまり暴れられると事故る。あいにくあんたほど車の運転が上手くないんでね」
朝が来て車はやがて海の上の空港に着いた。そこでスミレは車を下ろされ、待ち受けていた二人の見知らぬ男に引き渡された。
「いつかまた店に来てください。待ってますよ」
そう言ってムラカミは消えた。
それから例の中東某国のステッカーの張ってあるコンテナに押し込まれ、真っ暗闇のぎゅうぎゅう詰めになって、飛行機が日本の領空を出てからキャビンに出してもらった。
なんだ・・・。
ついこの前乗った、タチバナのプライベートジェットじゃないか。ということは、マキノも承知のことか。
リクライニングに座らされ、眼下の秋雨の雲に覆われたあの街を思った。
「ドム・ペリニョンのロゼでございます」
さっきスミレをコンテナに押し込んだ男が、恭しくグラスを持ってきて、それを注いでくれた。愛する男と味わった、思い出の味がするシャンパンを、こんなシチュエーションで飲む気にはなれない。
「無礼をお許し下さい、タチバナ様」
「そう思うなら、いますぐ引き返してくれないかしら」
上品に言ってもダメらしい。
「・・・今すぐ引き返してっ! 暴れてやるぞ! なんでもいいから、引き返せっ!」
その男はボトルを持っていない方の腕でスミレの身体をシートに押し付けた。訓練されている男なのだろう。スミレがどんなにもがいても、びくとも動かなかった。
「マキノ社長のご命令です。お察しください、タチバナ様っ!」
そうか・・・。
それではもう、どうすることも出来ないのだな・・・。
力が抜けた。
「・・・わかりました。・・・取り乱して、ごめんなさい」
彼はスミレの眼をしばらく見つめていたが、どこの航空会社のCAも模範としたがるようなマナーでもう一度シャンパンを注ぎ直し、一礼して後方に下がった。
そういうことか・・・。
サキさんはそこまでして手をまわし、自分の命を助けようとしてくれたのだ。
でも、できることなら、一緒に連れて行ってもらいたかったな・・・。
それが、あのささくれ荘でも、中東の砂漠でも、海の底でも構わない。ずっと彼と、サキさんと一緒にいたかった・・・。
一億十億の小金持ちならいざ知らず、本当の金持ちは不自由だ。
灰色の人生に嫌気がさして彼の銀のネコの車に飛び乗ったのに、同じ車に飛び乗って、また灰色の人生を生きなくてはならないとは。
皮肉なもんだな、人生ってやつは・・・。
この先、たとえ彼が生きていたとしても、ほとぼりが冷めたとしても、もう彼に会うことは出来ないだろうという気がした。
悔恨はなかった。けれど、幼いころからの諦めぐせが骨身に沁みていた。それをもう一度思い出し、なるべく慣れるように念じながら、再びその重いヨロイを身に着けた。
スミレはグラスを傾けた。それまで味わった中で一番不味いウェルカムドリンクに、悪酔いした。
ムラカミの運転する銀のネコ。かすかにサキさんの枯草の残り香を感じさせるグランツーリスモで南に向かった。
彼の顎には微かに無精ひげが出ていた。寝ずに対応してくれたのだろう。
「さっきLINEしたからじき返事が来ると思うよ」
「なんだか、巻き込んじゃったみたいね。済まなかったわ」
「たったこれだけでこんないい車くれるってんだから。お安い御用だよ。あ、きた・・・」
彼は胸のポケットから震えるスマートフォンを取りスミレに渡した。
「バカ野郎!」
電話に出た途端に、スミレは怒鳴られた。
「なんだってレナと合流するなんてアホなこと考えたんだ! アイツを殺す気か?」
「え?」
「お前と一緒じゃなければレナは安全だ。お前の方がお尋ね者なんだ。長い間僕の秘書を務めたくせに、そんなこともわからないのか!」
「だって、説明もしてくれないのにわたしにわかるわけないでしょ? 誰が(わたしを狙うっていうの)よ。どうせここのでしょ?」
隣で運転しているムラカミを慮って不穏当な動詞と主語は省略した。
「雇い主の後継者争いに巻き込まれたんだ・・・」
心底ウンザリしたようにサキさんはボヤいた。
「奴らは僕のカネを狙ってるんだ。金庫番だったお前が狙われるのは当然だろうが。
まったく。あれっぽっちのカネ、どうして狙うかね。みみっちい奴らだよ、ホントに。
そういうわけだから、まだ雑魚のレナは心配ない。お前はほとぼりが冷めるまでどっかで遊んでろ」
「サキさんは?」
それが一番心配だ。狙われるとしたらむしろスミレよりもサキさんの方が・・・。
「僕なら心配ない。もうじき、死ぬから」
「ええっ?!」
何、それ。
「じゃあな。お前はしっかり生きろ、僕の分まで。レイコのとこに行って叱られてくるよ。ガンバレ、スミレ・・・お前はサイコーに、おもしろい女だった」
ぶつっ。
・・・。
なんだこれは。一体何が起こったの?
なに、ぶつっ、て。しかも、あの、言い方。
どうしてこの電話が切れるの?
だいたい、死ぬ人間が何故カネの心配をするの?
全く訳が分からない・・・。
「ムラカミさん、戻って!」
彼は運転しながらスミレの腕を取りあっという間に手錠をしてヘッドレストに繋いだ。
「ねえ! 何のマネ? ふざけないで。早く戻って。コレ外して! 早くっ!」
「あんたは必ずそう言う。それもその、サキさんて人から聞いてた。悪いな。これも料金の内なんだ。黙って乗っててくれ。あんまり暴れられると事故る。あいにくあんたほど車の運転が上手くないんでね」
朝が来て車はやがて海の上の空港に着いた。そこでスミレは車を下ろされ、待ち受けていた二人の見知らぬ男に引き渡された。
「いつかまた店に来てください。待ってますよ」
そう言ってムラカミは消えた。
それから例の中東某国のステッカーの張ってあるコンテナに押し込まれ、真っ暗闇のぎゅうぎゅう詰めになって、飛行機が日本の領空を出てからキャビンに出してもらった。
なんだ・・・。
ついこの前乗った、タチバナのプライベートジェットじゃないか。ということは、マキノも承知のことか。
リクライニングに座らされ、眼下の秋雨の雲に覆われたあの街を思った。
「ドム・ペリニョンのロゼでございます」
さっきスミレをコンテナに押し込んだ男が、恭しくグラスを持ってきて、それを注いでくれた。愛する男と味わった、思い出の味がするシャンパンを、こんなシチュエーションで飲む気にはなれない。
「無礼をお許し下さい、タチバナ様」
「そう思うなら、いますぐ引き返してくれないかしら」
上品に言ってもダメらしい。
「・・・今すぐ引き返してっ! 暴れてやるぞ! なんでもいいから、引き返せっ!」
その男はボトルを持っていない方の腕でスミレの身体をシートに押し付けた。訓練されている男なのだろう。スミレがどんなにもがいても、びくとも動かなかった。
「マキノ社長のご命令です。お察しください、タチバナ様っ!」
そうか・・・。
それではもう、どうすることも出来ないのだな・・・。
力が抜けた。
「・・・わかりました。・・・取り乱して、ごめんなさい」
彼はスミレの眼をしばらく見つめていたが、どこの航空会社のCAも模範としたがるようなマナーでもう一度シャンパンを注ぎ直し、一礼して後方に下がった。
そういうことか・・・。
サキさんはそこまでして手をまわし、自分の命を助けようとしてくれたのだ。
でも、できることなら、一緒に連れて行ってもらいたかったな・・・。
それが、あのささくれ荘でも、中東の砂漠でも、海の底でも構わない。ずっと彼と、サキさんと一緒にいたかった・・・。
一億十億の小金持ちならいざ知らず、本当の金持ちは不自由だ。
灰色の人生に嫌気がさして彼の銀のネコの車に飛び乗ったのに、同じ車に飛び乗って、また灰色の人生を生きなくてはならないとは。
皮肉なもんだな、人生ってやつは・・・。
この先、たとえ彼が生きていたとしても、ほとぼりが冷めたとしても、もう彼に会うことは出来ないだろうという気がした。
悔恨はなかった。けれど、幼いころからの諦めぐせが骨身に沁みていた。それをもう一度思い出し、なるべく慣れるように念じながら、再びその重いヨロイを身に着けた。
スミレはグラスを傾けた。それまで味わった中で一番不味いウェルカムドリンクに、悪酔いした。
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