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秘書のおけいこ
46 ろくでもないおけいこ
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スミレが、かつてレイコさんが務めていた仕事を引き継いでからもう2年が経つ。
「頼む。お前しかいないんだ。もうどうにもならなくなっちまった」
スミレのマスターであり、愛するサキさんに頭を下げられては引き受けるよりほかなかった。未だに、「愛している」の一言さえ言ってくれていない男なのに。
スミレはそんなサキさんの「正妻」だと自負している。他のスレイヴたちはみな愛人だ。
どこの世界に夫と愛人たちの「愛の巣」を管理メンテナンスする正妻がいるだろうか。
だから正直言ってやりたくはない。だが、これも惚れた女の弱みだった。
勝手知ったる事務所に着く。衛兵に頼まなくてもガソリンはまだ十分にある。直接事務所の前に乗り入れた。
去年、ヤンは国へ帰ってしまった。
代わりに目を付けたのはユンという、やはり体格の大きなスミレと同い年のコだ。
彼はチャイニーズの多い衛兵の中では珍しく、コリアンだった。そのためか、衛兵たちの中ではいつも少し孤立気味だった。そこを声がけしてやると、すぐに食いついてきた。ただし、彼を事務所に入れたことは一度もない。
秘書になってからスミレにも自覚が芽生え、サキさんやチームのために有益か無益か有害かで物事を判断するクセがついたせいもある。それに、ヤンと違い、ユンは少し傲慢で、どこか女を下に見るところがある。それでもセックスはタフだから、そこは有効に利用している。なにしろ、「夫」であるサキさんは相変わらず超多忙で、しかも何人もの愛人がいるのだ。「正妻」にだってそのぐらいの余禄があってもいいと思う。
今日、ユンは非番のようだ。
仕事の後の彼とのちょっとハードなメイクラブを楽しみにしていたのに・・・。
スミレのストレスゲージがちょっと上がった。
キッチンからパソコンを出して、まず「スレイヴたちのお世話」をする。全てのルームをチェックして「使用後」であれば掃除屋を頼む。ここ2週間ほどサキさんに会えていない。それなのに「使用後」だったらストレスゲージは一気にレッドゾーンへ、むっちゃムカツキ必至だったが、幸いにもどのプレイルームも使用された形跡はない。
その事実に少し、安堵する。
それからが本当の秘書の仕事。サキさんのビジネスのバックアップだ。
別のパソコンを出してログインしネットバンキングにアクセスする。
サキさんとそのチームの全部の口座をチェックして支出金額をまとめ、あるサイトにログインする。そこで決められたフォームに金額を入れる。一両日中に、リストにあるドル預金の口座に分散して入金があるはずだ。その後その都度必要な分だけ円に替えて最初にチェックした口座に金を移す。これらの口座は全て法人のものだ。
入金される金はこれらの会社の売掛金の回収を装う。そのためにもう数台別のパソコンがある。それぞれが一つの法人のもので、そこで架空の請求や支払いを作り帳簿を入力する。それが終われば会計士に連絡してデータを送る。それぞれの会社は1年半か2年おきくらいに順番に解散する。解散したらまた新しい会社を設立して法務局に登記する。その後、先刻のサイトに会社名と口座番号を入力し同じことを繰り返す。
これがサキさんの活動資金になる。スミレは、赤い馬が優に100台は買えるほどの金額を常時動かしている。
パソコンには、登記用のデータファイルがあり、上から下まで様々な名前の会社のリストがある。上から日付順に設立と解散の文字が入った社名が続き、中ほどには設立のみのものが数社。これが現在稼働中の会社というわけだ。その下に、まだ日付がない社名がいくつかある。これからこの中の一つが新しく設立されるということになる。
それぞれの会社の本店所在地は、サキさんのスレイヴたちのプレイルームだ。そのからくりを知っているのは、サキさんとミタライさん、そしてスレイヴの中ではスミレだけだ。
2年前、この仕事を引き受ける際に初めてサキさんの雇い主に会った。預かる金額が莫大なものだからだろうと思った。
首都の西にこの国に駐留する他国の軍隊の空軍基地がある。
差し回されたジープに乗ってサキさんと一緒に自動小銃を構えた警備兵のいるゲートを通り、そのままジェット戦闘機や迷彩を施した輸送機の駐機する滑走路の端で待った。
しばらくすると普通の大型旅客機が降りてきた。白一色で国旗もエンブレムも何もなく、機体には識別用の数字しか書いていない。
「あれが彼のプライベートジェットだ」
サキさんが説明してくれた。空軍基地に着陸すれば、この国の税関を通らなくて済むのだと。
「彼の力がわかったろ? 彼は大統領さえ動かすことができるんだ。地球の半分が彼の支配下にある。お前が僕の手伝いをするにあたって、どうしてもこれを見せたかったし、彼に会わせたかったんだ」
やがて機体が駐機スペースまでやってきてタラップがつけられ、その下で待った。機体のドアが開かれるや、前にTVで見た彼が真っ先に降りてきた。ごく普通の、どこにでもいるおじいちゃん。それが彼の印象だった。サキさんに気付くやウンとひとつ頷き、横にいるスミレの前にきて立ち止まった。
「キミがタチバナの娘か」
と彼は言った。そして、鼻をふんと鳴らした。
それだけだった。
そのまま迎えのリムジンに乗り込み、サキさんが彼と同乗することになった。
「お前は一人で帰れ。ゲートの外まであの軍曹に送ってもらえ」
そう言って傍らにいた黒人の軍曹に耳打ちして車に乗り込み、行ってしまった。
軍曹はジープにスミレを乗せて駅まで送ってくれた。終始ガムを噛んでいてニコニコしてくれてはいたが、スミレが、わざわざありがとうとか、カッコいい制服だねとか差し障りがなさそうな話題を振ってみても一言も返してくれなかった。駅についてスミレが降りると最後だけ、バイ、と手を振ってくれた。
わざわざ来て、結局、たったそれだけで「顔合わせ」は終わった。
マスターであるサキさんも忙しかったが、スミレも何かと忙しい。
事務所でサキさんの秘書としての仕事を片付けた後、ソノダの事務所に寄った。
事務所は以前のサーキットの近くのコンビニの跡地だった場所から移動していた。よりスミレの住む街の近くに、ハイウェイのインターチェンジからも近い、もとは町工場だった小さな工場を借りていた。
引っ越した理由は、もうサーキットの近くにいる必要がなくなり、むしろ地方や国際空港へ移動しやすい環境のほうが有利になったからだ。
スミレが国内B級のライセンスを取った直後、市販車ベースのオンロードのレースがすべてのカテゴリーで無くなってしまった。参戦中だったF3もなくなった。
原因はさまざまだが最も大きいのは車が売れなくなったことだとソノダは言った。
「それにな、この国ではモータースポーツが根付かない。もともとモーターの方にしか興味がない連中がモータースポーツを支えてきた。その連中が車を買わなくなれば廃れるのは当たり前だよな。
本来スポーツ、ってのはさ、『おい、俺とお前とどっちが強いか決着つけようぜ』これだろ? もともとは決闘だし、殺し合いなんだから。
それがフィジカルなものであれ、モーターであれ、オンラインゲームであれ、同じだと思うんだが、この国の国民は違うんだな。乳酸と汗と涙をどれだけ出すかの競争だと勘違いしてる・・・」
チームは国内年間13、4戦ほどあるラリーに活動をシフトした。スミレもダートトライアルでオフロードの魅力に目覚め、フル参戦に興味を示した。だが、その矢先にサキさんの秘書になってしまった。学業と秘書と専属ラリードライバーの三立はとても無理で、最も注目度の高いレースにスポットで出場することで我慢した。だから年間チャンピオンはもう狙えない。
その代わりに媒体露出を増やした。
具体的には、自動車専門誌だけでなく、グラビア誌にも、ネットにも、写真集もイメージビデオにも出た。もちろん、水着ありで。ただのきれいな女の子ではない。旧帝国大学3年在学中、過酷なラリー競技に出場し、一度だけだが優勝もした。そのあたりのミスマッチな魅力が盛衰の激しいグラビア業界で確固たるファン層を獲得した理由ではないかと、仕掛人のあのタイヤメーカーの広報であるモリサキは分析していた。スミレやキャンギャルの尻ばかり触って喜んでいた男も、比較的まともに仕事をするようになった。
「おかげでタイヤも売れています。スミレさん、これからもがんばって下さいね」
モリサキの会社のCMにも出ている。
ソノダはそれが面白くない。
直談判して媒体の権利をもぎ取った。もちろん、スミレも承知した。ソノダレーシングはスポンサーフィーだけでなく、グラビア販売やネットの広告料収入で黒字を出す、珍しいレーシングチームになった。
スミレは出演料の多くを辞退した。ここまで育ててもらったのに、まだ十分にレースで活躍して貢献できてない。それが負い目だったのだ。
「それは困るよ。ちゃんと貰うモンは貰ってくれなきゃ」
とソノダは言った。
「じゃあ、ソノダレーシングを株式会社にして。その株をわたしが買うなら、文句ないでしょ?」
そのようにして、スミレは「株式会社ソノダレーシング」の筆頭株主になった。
ソノダは車両工場の二階にある事務所のテーブルで一人パソコンに向かっていた。
「よう。今、帰りか?」
と彼は言った。
事務所の、工場内をを見下ろす窓の下には、数台のラリー車が並んでいるのが非常灯の明かりに浮かび上がっている。メカニックたちも今日は全員帰ったようだ。
「うん」とスミレは応えた。
「昨日会計士が来た。ドライバーフィーと配当金、振り込んどいだからな」
「ありがと。・・・順調?」
会社の経営のことだ。株主というステークホルダーとしては当然の関心を示したわけだ。
「まあな。・・・それよりな、」
ソノダはパソコンをぐるりと回して画面をスミレに示した。
「検索してたらヘンなのにヒットしてな。気になって掲示板ってやつを見ていたんだが、ここに書いてあるの、本当か? まだURLは踏んでない」
来るべきものが来たか。
スミレはニヤ、と笑った。
「開いてみれば?」
その掲示板で書かれている記事についているURLをクリックした。ブラウザのウィンドーが開き、あるSM愛好者のブログの画面が出た。そうしておいて、スミレはパソコンを再びぐるっと回し、ソノダに示した。
「どうぞ」
とスミレは言った。
ソノダは、例の「18歳未満云々」の画面のYESをクリックした。トップ画面に、全裸で緊縛された女の、首から下の写真がドーンと出てきた。
「うォ・・・」
スミレはニヤニヤを維持したまま、ソノダの反応を楽しんでいる。
『被虐の館にようこそ。貴女も、被虐の悦びに浸ってみませんか?』
コンテンツは調教記録、スレイヴのプレイギャラリー、誰でも自由に利用できるSMチャットルーム、そして館の主であるマスターへのメールフォームなどだった。
スレイヴのプレイギャラリーをクリックすると、3人のスレイヴたちのボタンがある。ナンバー1、ナンバー2、そこから飛んで、ナンバー5・・・。
「掲示板にはこの『ナンバー5』がお前じゃないか。ソノダレーシング所属のタチバナスミレじゃないかって、書いてあるんだが・・・」
「開いてみれば? 自分の目で見たものがすべてじゃないの」
涼し気に、スミレは言った。
小さなサムネイルがいくつか並んでいる。その1つをクリックする。
顔にモザイクが掛けられて表情はうかがえなかったが、縛られて羞恥と苦痛と快感に悶える女子大生風の女性の写真が拡大された。下に簡単なプロフィールがある。名前はスミレ。21才。大学生。
全裸。髪の長いスレンダーだが魅惑的な風情。で、首には黒い首輪。
後ろ手に縛られ、乳首に宝石を施したピアスのある乳房が縄で縊られて潰れ、リクライニングに仰向けにされ、両足は大きく開かされて両膝はひじ掛けに固定され、股間にもモザイクが掛けられていた。溢れ出た愛液が光り、シートから滴り落ちているのがはっきりと写っていた。
スミレはサキさんとのプレイでそれまで拒否していた拘束、緊縛プレイを受け入れた。
そして、初めてそのプレイをした後に悟った。
自分は全くの「食わず嫌い」だった、と。
全裸に剥かれ素肌を麻縄が這いまわる刺激から来る快感。それが両手を拘束し、豊かな胸を括れさせ、ピアスした乳首がツン、と勃起し、そこに息を吹きかけられただけで身体中に電流が走った。
心境が変化したのは、きっとレイコさんとイワイの事件があったからではないか。いまではそう思っている。
そして、そこからの「深化」と「進化」は目覚ましいものだった。
グラビアの仕事があるのでそう頻繁には出来ない。肌に縄目が残るからだ。今ではむしろ、それが苦痛になっていた。水着の仕事が無ければもっとサキさんにたくさん責めてもらえるのに、と。
「これ、お前か?」
ソノダはもう一度パソコンを回してよこした。
スミレはニヤニヤしたまま。眉一つ動かさず、
「だとしたら、どうする?」
と言った。
「・・・どうするって・・・、言われてもなあ・・・」
「否定も肯定もしない。今ソノダさんが見たものがすべて。それで、いいじゃない」
「これ、例のお前の男か?」
「だから、ノーコメント。全部ご想像にお任せするし、マスコミとかスポンサーに訊かれても知りません関係ありません、て言った方がいいよ。それにね・・・、」
スミレはまた別のウィンドーを開き、ラリードライバーのタチバナスミレのページを開いた。それからもう一度パソコンを回し、訪問者数のゲージを赤い爪で示した。
「ヒット数、増えてるでしょ? ソノダレーシングのサイト、広告料収入も増えてるでしょ?。
こういう疑いは、とことん、利用するにしくはないんじゃないの?
そのほうが、儲かるんだから」
「頼む。お前しかいないんだ。もうどうにもならなくなっちまった」
スミレのマスターであり、愛するサキさんに頭を下げられては引き受けるよりほかなかった。未だに、「愛している」の一言さえ言ってくれていない男なのに。
スミレはそんなサキさんの「正妻」だと自負している。他のスレイヴたちはみな愛人だ。
どこの世界に夫と愛人たちの「愛の巣」を管理メンテナンスする正妻がいるだろうか。
だから正直言ってやりたくはない。だが、これも惚れた女の弱みだった。
勝手知ったる事務所に着く。衛兵に頼まなくてもガソリンはまだ十分にある。直接事務所の前に乗り入れた。
去年、ヤンは国へ帰ってしまった。
代わりに目を付けたのはユンという、やはり体格の大きなスミレと同い年のコだ。
彼はチャイニーズの多い衛兵の中では珍しく、コリアンだった。そのためか、衛兵たちの中ではいつも少し孤立気味だった。そこを声がけしてやると、すぐに食いついてきた。ただし、彼を事務所に入れたことは一度もない。
秘書になってからスミレにも自覚が芽生え、サキさんやチームのために有益か無益か有害かで物事を判断するクセがついたせいもある。それに、ヤンと違い、ユンは少し傲慢で、どこか女を下に見るところがある。それでもセックスはタフだから、そこは有効に利用している。なにしろ、「夫」であるサキさんは相変わらず超多忙で、しかも何人もの愛人がいるのだ。「正妻」にだってそのぐらいの余禄があってもいいと思う。
今日、ユンは非番のようだ。
仕事の後の彼とのちょっとハードなメイクラブを楽しみにしていたのに・・・。
スミレのストレスゲージがちょっと上がった。
キッチンからパソコンを出して、まず「スレイヴたちのお世話」をする。全てのルームをチェックして「使用後」であれば掃除屋を頼む。ここ2週間ほどサキさんに会えていない。それなのに「使用後」だったらストレスゲージは一気にレッドゾーンへ、むっちゃムカツキ必至だったが、幸いにもどのプレイルームも使用された形跡はない。
その事実に少し、安堵する。
それからが本当の秘書の仕事。サキさんのビジネスのバックアップだ。
別のパソコンを出してログインしネットバンキングにアクセスする。
サキさんとそのチームの全部の口座をチェックして支出金額をまとめ、あるサイトにログインする。そこで決められたフォームに金額を入れる。一両日中に、リストにあるドル預金の口座に分散して入金があるはずだ。その後その都度必要な分だけ円に替えて最初にチェックした口座に金を移す。これらの口座は全て法人のものだ。
入金される金はこれらの会社の売掛金の回収を装う。そのためにもう数台別のパソコンがある。それぞれが一つの法人のもので、そこで架空の請求や支払いを作り帳簿を入力する。それが終われば会計士に連絡してデータを送る。それぞれの会社は1年半か2年おきくらいに順番に解散する。解散したらまた新しい会社を設立して法務局に登記する。その後、先刻のサイトに会社名と口座番号を入力し同じことを繰り返す。
これがサキさんの活動資金になる。スミレは、赤い馬が優に100台は買えるほどの金額を常時動かしている。
パソコンには、登記用のデータファイルがあり、上から下まで様々な名前の会社のリストがある。上から日付順に設立と解散の文字が入った社名が続き、中ほどには設立のみのものが数社。これが現在稼働中の会社というわけだ。その下に、まだ日付がない社名がいくつかある。これからこの中の一つが新しく設立されるということになる。
それぞれの会社の本店所在地は、サキさんのスレイヴたちのプレイルームだ。そのからくりを知っているのは、サキさんとミタライさん、そしてスレイヴの中ではスミレだけだ。
2年前、この仕事を引き受ける際に初めてサキさんの雇い主に会った。預かる金額が莫大なものだからだろうと思った。
首都の西にこの国に駐留する他国の軍隊の空軍基地がある。
差し回されたジープに乗ってサキさんと一緒に自動小銃を構えた警備兵のいるゲートを通り、そのままジェット戦闘機や迷彩を施した輸送機の駐機する滑走路の端で待った。
しばらくすると普通の大型旅客機が降りてきた。白一色で国旗もエンブレムも何もなく、機体には識別用の数字しか書いていない。
「あれが彼のプライベートジェットだ」
サキさんが説明してくれた。空軍基地に着陸すれば、この国の税関を通らなくて済むのだと。
「彼の力がわかったろ? 彼は大統領さえ動かすことができるんだ。地球の半分が彼の支配下にある。お前が僕の手伝いをするにあたって、どうしてもこれを見せたかったし、彼に会わせたかったんだ」
やがて機体が駐機スペースまでやってきてタラップがつけられ、その下で待った。機体のドアが開かれるや、前にTVで見た彼が真っ先に降りてきた。ごく普通の、どこにでもいるおじいちゃん。それが彼の印象だった。サキさんに気付くやウンとひとつ頷き、横にいるスミレの前にきて立ち止まった。
「キミがタチバナの娘か」
と彼は言った。そして、鼻をふんと鳴らした。
それだけだった。
そのまま迎えのリムジンに乗り込み、サキさんが彼と同乗することになった。
「お前は一人で帰れ。ゲートの外まであの軍曹に送ってもらえ」
そう言って傍らにいた黒人の軍曹に耳打ちして車に乗り込み、行ってしまった。
軍曹はジープにスミレを乗せて駅まで送ってくれた。終始ガムを噛んでいてニコニコしてくれてはいたが、スミレが、わざわざありがとうとか、カッコいい制服だねとか差し障りがなさそうな話題を振ってみても一言も返してくれなかった。駅についてスミレが降りると最後だけ、バイ、と手を振ってくれた。
わざわざ来て、結局、たったそれだけで「顔合わせ」は終わった。
マスターであるサキさんも忙しかったが、スミレも何かと忙しい。
事務所でサキさんの秘書としての仕事を片付けた後、ソノダの事務所に寄った。
事務所は以前のサーキットの近くのコンビニの跡地だった場所から移動していた。よりスミレの住む街の近くに、ハイウェイのインターチェンジからも近い、もとは町工場だった小さな工場を借りていた。
引っ越した理由は、もうサーキットの近くにいる必要がなくなり、むしろ地方や国際空港へ移動しやすい環境のほうが有利になったからだ。
スミレが国内B級のライセンスを取った直後、市販車ベースのオンロードのレースがすべてのカテゴリーで無くなってしまった。参戦中だったF3もなくなった。
原因はさまざまだが最も大きいのは車が売れなくなったことだとソノダは言った。
「それにな、この国ではモータースポーツが根付かない。もともとモーターの方にしか興味がない連中がモータースポーツを支えてきた。その連中が車を買わなくなれば廃れるのは当たり前だよな。
本来スポーツ、ってのはさ、『おい、俺とお前とどっちが強いか決着つけようぜ』これだろ? もともとは決闘だし、殺し合いなんだから。
それがフィジカルなものであれ、モーターであれ、オンラインゲームであれ、同じだと思うんだが、この国の国民は違うんだな。乳酸と汗と涙をどれだけ出すかの競争だと勘違いしてる・・・」
チームは国内年間13、4戦ほどあるラリーに活動をシフトした。スミレもダートトライアルでオフロードの魅力に目覚め、フル参戦に興味を示した。だが、その矢先にサキさんの秘書になってしまった。学業と秘書と専属ラリードライバーの三立はとても無理で、最も注目度の高いレースにスポットで出場することで我慢した。だから年間チャンピオンはもう狙えない。
その代わりに媒体露出を増やした。
具体的には、自動車専門誌だけでなく、グラビア誌にも、ネットにも、写真集もイメージビデオにも出た。もちろん、水着ありで。ただのきれいな女の子ではない。旧帝国大学3年在学中、過酷なラリー競技に出場し、一度だけだが優勝もした。そのあたりのミスマッチな魅力が盛衰の激しいグラビア業界で確固たるファン層を獲得した理由ではないかと、仕掛人のあのタイヤメーカーの広報であるモリサキは分析していた。スミレやキャンギャルの尻ばかり触って喜んでいた男も、比較的まともに仕事をするようになった。
「おかげでタイヤも売れています。スミレさん、これからもがんばって下さいね」
モリサキの会社のCMにも出ている。
ソノダはそれが面白くない。
直談判して媒体の権利をもぎ取った。もちろん、スミレも承知した。ソノダレーシングはスポンサーフィーだけでなく、グラビア販売やネットの広告料収入で黒字を出す、珍しいレーシングチームになった。
スミレは出演料の多くを辞退した。ここまで育ててもらったのに、まだ十分にレースで活躍して貢献できてない。それが負い目だったのだ。
「それは困るよ。ちゃんと貰うモンは貰ってくれなきゃ」
とソノダは言った。
「じゃあ、ソノダレーシングを株式会社にして。その株をわたしが買うなら、文句ないでしょ?」
そのようにして、スミレは「株式会社ソノダレーシング」の筆頭株主になった。
ソノダは車両工場の二階にある事務所のテーブルで一人パソコンに向かっていた。
「よう。今、帰りか?」
と彼は言った。
事務所の、工場内をを見下ろす窓の下には、数台のラリー車が並んでいるのが非常灯の明かりに浮かび上がっている。メカニックたちも今日は全員帰ったようだ。
「うん」とスミレは応えた。
「昨日会計士が来た。ドライバーフィーと配当金、振り込んどいだからな」
「ありがと。・・・順調?」
会社の経営のことだ。株主というステークホルダーとしては当然の関心を示したわけだ。
「まあな。・・・それよりな、」
ソノダはパソコンをぐるりと回して画面をスミレに示した。
「検索してたらヘンなのにヒットしてな。気になって掲示板ってやつを見ていたんだが、ここに書いてあるの、本当か? まだURLは踏んでない」
来るべきものが来たか。
スミレはニヤ、と笑った。
「開いてみれば?」
その掲示板で書かれている記事についているURLをクリックした。ブラウザのウィンドーが開き、あるSM愛好者のブログの画面が出た。そうしておいて、スミレはパソコンを再びぐるっと回し、ソノダに示した。
「どうぞ」
とスミレは言った。
ソノダは、例の「18歳未満云々」の画面のYESをクリックした。トップ画面に、全裸で緊縛された女の、首から下の写真がドーンと出てきた。
「うォ・・・」
スミレはニヤニヤを維持したまま、ソノダの反応を楽しんでいる。
『被虐の館にようこそ。貴女も、被虐の悦びに浸ってみませんか?』
コンテンツは調教記録、スレイヴのプレイギャラリー、誰でも自由に利用できるSMチャットルーム、そして館の主であるマスターへのメールフォームなどだった。
スレイヴのプレイギャラリーをクリックすると、3人のスレイヴたちのボタンがある。ナンバー1、ナンバー2、そこから飛んで、ナンバー5・・・。
「掲示板にはこの『ナンバー5』がお前じゃないか。ソノダレーシング所属のタチバナスミレじゃないかって、書いてあるんだが・・・」
「開いてみれば? 自分の目で見たものがすべてじゃないの」
涼し気に、スミレは言った。
小さなサムネイルがいくつか並んでいる。その1つをクリックする。
顔にモザイクが掛けられて表情はうかがえなかったが、縛られて羞恥と苦痛と快感に悶える女子大生風の女性の写真が拡大された。下に簡単なプロフィールがある。名前はスミレ。21才。大学生。
全裸。髪の長いスレンダーだが魅惑的な風情。で、首には黒い首輪。
後ろ手に縛られ、乳首に宝石を施したピアスのある乳房が縄で縊られて潰れ、リクライニングに仰向けにされ、両足は大きく開かされて両膝はひじ掛けに固定され、股間にもモザイクが掛けられていた。溢れ出た愛液が光り、シートから滴り落ちているのがはっきりと写っていた。
スミレはサキさんとのプレイでそれまで拒否していた拘束、緊縛プレイを受け入れた。
そして、初めてそのプレイをした後に悟った。
自分は全くの「食わず嫌い」だった、と。
全裸に剥かれ素肌を麻縄が這いまわる刺激から来る快感。それが両手を拘束し、豊かな胸を括れさせ、ピアスした乳首がツン、と勃起し、そこに息を吹きかけられただけで身体中に電流が走った。
心境が変化したのは、きっとレイコさんとイワイの事件があったからではないか。いまではそう思っている。
そして、そこからの「深化」と「進化」は目覚ましいものだった。
グラビアの仕事があるのでそう頻繁には出来ない。肌に縄目が残るからだ。今ではむしろ、それが苦痛になっていた。水着の仕事が無ければもっとサキさんにたくさん責めてもらえるのに、と。
「これ、お前か?」
ソノダはもう一度パソコンを回してよこした。
スミレはニヤニヤしたまま。眉一つ動かさず、
「だとしたら、どうする?」
と言った。
「・・・どうするって・・・、言われてもなあ・・・」
「否定も肯定もしない。今ソノダさんが見たものがすべて。それで、いいじゃない」
「これ、例のお前の男か?」
「だから、ノーコメント。全部ご想像にお任せするし、マスコミとかスポンサーに訊かれても知りません関係ありません、て言った方がいいよ。それにね・・・、」
スミレはまた別のウィンドーを開き、ラリードライバーのタチバナスミレのページを開いた。それからもう一度パソコンを回し、訪問者数のゲージを赤い爪で示した。
「ヒット数、増えてるでしょ? ソノダレーシングのサイト、広告料収入も増えてるでしょ?。
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そのほうが、儲かるんだから」
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