わたしの名前を呼ばないで

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「もう一回しよ」

 結局、その後二度ほど彼を頑張らせた。でもそれはその邪悪な考えのもとに彼を誘導した結果だ。記念すべき野島の初めてを貰っておきながら、わたしは既に別の男との淫らな行為の妄想で興奮していた。演技もした。満ち足りた顔をした彼から離れバッグを取った。

「どうしたんスか」

「ちょっとごめんね」

 バスルームで軽くシャワーを浴びた後、ナプキンを取り出して張り付ける。本来テープはパンツのクロッチに貼るものだから捩じらねばならない。タクシーで帰ればなんとか持つだろう。バスルームからクローゼットまでがベッドから死角になっていてよかった。裸のままシャツを着てパンツスーツを着、コートを羽織った。

「ごめんね。やっぱ一緒に朝まで居るのは今はマズいと思うんだ。何かとね。だから先に帰るね。清算はしておくからあんたはゆっくり寝てなね」

「そうですか」

「じゃ、行くね」

 すると野島は信じられないほどの力でわたしの腕を掴みベッドに引き戻した。抱きしめられ、彼の首筋に顔を埋め甘い体臭を嗅いで力が抜け、ウットリしかけるわたし。

「もう少し。こうしててください」

「野島。あんた、甘えんぼだね。・・・可愛い」

 フロントのオッサンもタクシーの運ちゃんも、冷たい目で私を見ている、ような気がする。取り越し苦労、被害妄想なのはわかっている。この人たちは深夜、もう何千人何万人のわたしと同じような「蓮っ葉」達を見送って来たのだ。今更特別な目など向けるはずがない。秘めているのがあまりにも邪悪なので罪悪感があるからか。

 そう言えば「蓮っ葉」という言葉も遼ちゃんから教わったんだっけ。

 女は蓮。遊女は蓮っ葉。高級な遊女は蓮の花。

 全て織田信長に滅ぼされた比叡山の破戒坊主たちが作り出した言葉だと。世の中の権威だとかいうもんの正体はそれだ。時代が変わっても中身はかわらんよ。遼ちゃんは言っていた。愛する人のためだけの「蓮の花」なら喜んでなりたい。そう思う女はいるだろう。でもわたしには無理だな、と思う。

 漏れないように、股間に意識を集中して座席に着く。そして、行き先を告げる。

 ドアが閉まる。

「好きとか愛してるってのはよくわからん」

 ヤリオは壊れている。

「お前が喜ぶから部屋を掃除する。お前が喜ぶから足舐めるし朝飯も作るしお前のまんこにちんちん入れる。お前が喜ぶと俺も嬉しい。気持ちがいいんだ。お前がここに居ろと言うならいつまでもいるし、出て行けと言うなら今すぐ出て行く。また公園のベンチで寝るさ。少々の金がありゃ食いもんには困らんし、金がなくなりゃ稼げばいい。病気になったり、稼げなくなりゃ、死ぬだけだ。誰も困らない」

 免許証も保険証もなく定職もない。住民票も取ろうとしない。選挙の案内もこない。病気になってもそのまま、なんて。完全に自分を捨てている。

 これはあくまでもわたしの想像だが、かつてヤリオには素敵な奥さんとあの写真の女の子との素晴らしい家庭があったのかもしれない。だがそれは失われた。お二人とも亡くなったのか、あるいは逃げられたかして。まさかとは思うが、女の子がヤリオに全く似ていないことからするともしかして・・・。三十路女のいかがわしい想像は果てもない。だが、そう考えると全ての辻褄が合う。タクランされて家族を失い自暴自棄になり・・・。

 それで人生に絶望して壊れた。

 将来を全く考えず、ただ自分を生かしてくれた存在にのみ奉仕する日々。まるで禅寺の修行僧だ。いや、ひょっとすると彼らよりも過酷な生を生きている。何故なら、ヤリオには未来がないから。

 彼はただひたすらに黄泉路を歩き続けている。彼の手を放さなければ、わたしもいずれ同じ道を歩くのだろう。きっとそうなる。今朝までのわたしはそれでは困ると思っていた。

 けど、今は違う。なんとなく、それでも、まあ、いいかと思い始めている。自分に驚くが、それがいちばんしっくりくる。

 例えば遼ちゃんについて東南アジアに行くとする。彼は人間的にも性のパートナーとしても優良可の優だ。だが、肝心のところでどっちつかず。あれもこれも皆手に入れようとしてついにはすべて失ってしまうのではないだろうか。彼について行き、今いるこの場所という足掛かりを安易に失ってしまえば、私は南の島で途方に暮れることになるに違いない。わたしの性欲が強すぎて彼を追い込んでしまいそうだったから別れたのだったが、それは正解だったと思う。

 例えば野島と添うにしても、いつも彼を引っ張って行かねばならないプレッシャーに押しつぶされてしまいそうな気がする。わたしはそれほど強い人間ではない。彼は若さでセックスの拙さを補い、いずれは熟練した男になってゆくと思う。でも三十路のわたしはそれを待てない。それに彼は聡明だ。いずれは性欲の強すぎるわたしに呆れ、去ってゆくような気がする。

 そこへ行くとヤリオには欲がない。わたしがいなくても勝手に生きてゆくだろうし、その時が来れば、自然にいなくなるだろう。その間はここにいてわたしに尽くしてくれるだろう。わたしの途方もない性欲を満たすこともできる。わたしには今、ヤリオが必要なのだ。自暴自棄でも投げやりでもなんでもない。わたしという存在が生きるためにはヤリオが必要なのだ。

 結局、わたし自身が壊れている。どうして壊れたんだろうな。そう思うこともあった。ここ最近は思わなくなった。その代り、駿君の事を思い出す。

 駿君はヤリオに似ていた。つか、ヤリオが駿君に似ている。体型もあんな太鼓腹だし、サッカーなんか絶対無理だし、全然ハンサムじゃないけど、何故か何処か似ている。

 ヤリオはわたしの心を読む。わたしが欲しいと思うとき、欲しいところに絶妙のパスをしてくれる。わたしのしたいことをわかってくれて、わたしのヘンタイな性癖まで共有しようとしてくれた駿君と同じなのだ。トドのように寝ていてもまったく気にならない。居てくれないととても寂しい。

 もし駿君と今も自然に生きて行けていたら。わたしはこんな性欲の塊になることはなかったかもしれない。普通に恋愛し、普通に結婚し、普通に子供を産み育てて、ヤリオと出会うこともなかったろう。そして平凡な家庭を作っていたに違いない。お互いの足の指を舐めながら。

 しかし、現実は違う。

 わたしは壊れている。壊れているから並の男以上に仕事ができる。壊れているからヤリオが必要なのだ。壊れている人間は子供を作ってはいけない。となれば、最終的に子供を作って普通の家庭を築きたい男との未来は、ない。人生を消去法で決めるのはどこか物悲しいけれど。

「お客さん。どのへんになりますかね」

 マンションを見上げる。灯りが点いている。急にお腹が空いてくる。

 考えてみれば、朝は抜いてしまったし、お昼は何だかわからなくて食べた実感がなかったし、居酒屋ではほとんど飲んでばかりでロクに食べてなかった。ヤリオに素うどんでも作らせるかな。

「ただいま。ヤリオ?」

 ドアを開けた。しんと静まった部屋。寝てるのかな。廊下を真っすぐ、リビングダイニングの扉を開ける。ソックスを穿いた足が二つ、キッチンの向こう側に転がってた。

「ヤリオ!」

 驚いて何もかも投げ出し向こう側に回り込んだ。

 唖然。

 上半身スーツ姿で下半身だけ丸出しのヤリオが伸びている。

 急いで胸に耳を当てる。すると過去最大級の鼾が鳴った。

 ・・・なんだよ。

 気が抜けて尻もちをつく。ちょっと漏れたかもしれない。ふん。せっかく楽しもうと思ったのに・・・。

 仕方がないので布団まで運ぼうとは思うが、疲れて帰って来てこの巨体を引きずるのは嫌だ。ブランケットをかけようとしてムスコさんを見た。だらんと力なくお辞儀している。癪に障るので少しイタズラしようと思う。

 ダイニングの椅子を引いてくる。ヤリオの傍に椅子を据え腰かける。右足でヤリオの鼻をイタズラする。んごんご言っている。親指で口をつつく。顔を背けようとするが許さない。足の裏で口をふさぐ。苦し気に唸っている。それでもイタズラを止めない。

 おもしろ過ぎる。ゾクゾクしてくる。

 足を左足に替え、右足をムスコさんに伸ばす。だらんとしたのを甲で掬い上げて腹の上に寝かせる。足の裏で転がしたり先っぽを短い指でにぎにぎしているうちにムスコさんは元気になる。そうこなくちゃ。

「あ」

 左足の指の間をぬめぬめした熱いものが這っている。引こうとしたら両手で捕らえられた。舌が唾液を擦り付けるように足の裏全体をくまなく蠢く。たまらなくなって捩って逃げようとするけれどヤリオは許してくれない。

「お帰り」

「ごめん。もう無理」

「おい、止めるな。元気にならんぞ」

 右足に意識を集中したいのにこのシチュエーションが昂らせて上手くいかない。そんなわたしをヤリオは敏感に感じているはずだ。

「一日中働いてたくせに臭くない。石鹸の匂いがする。お前、一発やったろ」

 答えないわたし。

「別の匂いもする。脱げよ。下だけでいいから」

 立ち上がり言うとおりにパンツを脱ぐ。股の所に少しシミが付いている。

「なんだ。始まったのか」

 無言で首を振る。ニヤリ。イヤらしい笑みを浮かべるヤリオ。

「跨れ」

 言われなくてもそれがムスコさんの上でなくヤリオの顔の上であるのがお互いにわかっている。ヤリオの顔を跨いで膝をつく。その後に起こることを想像する。それだけで、逝ってしまいそうになる。黒い草むらの下でわたしを見上げるヤリオ。ナプキンのテープを剥がす。そっと。優しく。あらわになったわたしの洞窟の入り口をじっと見つめられているのがわかる。

 あれ?

 垂れない。おかしいな。どうやったらいいんだ?

 戸惑うわたしに関係なく、ヤリオは洞窟を御開帳する。

「出て来たぞ」

 嬉しそうなヤリオ。でも、なんで下半身すっぽんぽんだったんだろう。

 あっ。出る。

 ぽたぽた。白い液がつーっと糸を引いてヤリオの顔の上に落ちて行く。と思ったらぼたぼたに変わり、ドロッとした感触がわかる。ヤリオが嬉しそうに口を開けて舌なめずりまでしている。それだけで逝ってしまう。膝がガクガクになってヤリオの上にへたりこむ。野島のお孫さんたちはみんなわたしとヤリオのセックスの小道具になりました。ごめんね孫たち。

 ごめんね、野島。わたしやっぱりあんたのセックスじゃ物足りない。あんたの未来にはわたしはいないほうがいい。あんたの初めてもらったのは素敵な思い出にしまっておくからね。可愛い彼女を見つけて幸せになりなね。

 小さな絶望と小さな悲しみが快感に変わる。わたしはヤリオの舌が洞窟と核心を弄ぶのを待つ。

「どうしてパンツ脱いでたの」

「お前の言うとおりにハロワ行った。つまらなくて途中で帰って来た。お前がいなくてさらにつまらんかったんで、お前のまんこを思いながらシゴいた。それもつまらんかったんで寝ちまった」

 やっぱり、壊れてる。

「ハロワ、もう行かなくていいよ。実家が東京湾のお城じゃ、無理だよね。夢の世界だもん」

 返事の代りにわたしの核心を唇でつまむ。あまりの刺激に腰が引けるのを抱えられてさらに責められる。

「免許がなくてもいい。無理して働かなくていい。わたしが養ってあげる」

 背中からゾクゾクと電気が昇って来て頭がくらくらする。壮絶な快感にヤリオの薄い頭を掻きむしってしまう。また、逝く。

「ヘンタイもしていい。あんたのちんこも可愛がってあげる」

 回れ右してヤリオの腹の上に乗る。バランスボールの上に載ってるみたいで面白過ぎる。八分通り元気なムスコさんが目の前にある。手でしごく。急に威張ってくるムスコさんが愛しい。

「生でしてもいい。それから・・・」

「それから、なんだ」

 初めてヤリオのムスコさんを口にする。ちょっと臭うけど、可愛い。

「わたしの名前、呼んでもいい。・・・呼んで」

「どうして欲しい。言ってみろ、佳苗」

「早く突っ込んで。ヤリオが欲しいよ」

「じゃあ立て」

 立ったままテーブルに頭を伏せさせられる。

「佳苗はこういうの好きか」

 わたしの両腕を後ろに回させ、ベルトで巻かれる。緩いからすぐ解ける。でもわたしは自分の手首同士を握ったまま、放さない。縛られてる。そう思うだけで、また逝く。

「佳苗。このスケベ女。他の男とやっただけならまだしも、俺に他人の精子まで飲ませやがってちくしょお。滅茶苦茶にしてやる」

 ヤリオが怒りながら、だけどどこか楽しそうにわたしのお尻を叩く。その度に洞窟の奥の秘密の部屋に響き、また逝く。逝きながら、ムスコさんが這入って来て暴れるのを心待ちにしている。

 遼ちゃん、ごめんね。わたしやっぱりヘンタイだったみたい。遼ちゃんは普通の人。きっと遼ちゃんに満足できなくなる。多分浮気しちゃう。遼ちゃんを裏切っちゃう。それよりは、奥さんと娘さんを東南アジアに一緒に連れてってあげて。わたしのことは忘れて。暖かい南の島でいつまでも幸せにね。家庭を大事にしてね。

 お母さん、ごめんね。

 わたし孫の顔は見せられないよ。親不孝な娘でほんとうにごめんね・・・。老後はちゃんと面倒見るからね。

 お父さん、ごめんね。

 お父さんはこれを心配してたんだよね。でも、結局、こうなっちゃった。わたしが悪いんだろうけど、どうか許してね。そして天国でいつまでも幸せに暮らしてね。地獄の底で毎日お祈りしとくからね。

 ヤリオがわたしの足を払って広げさせる。足が短いからムスコさんが届かなかったんだね。ごめんね気付かなくて。こんな女だけどこれからもよろしくね、ヤリオ。

 もうすぐだ。もうすぐムスコさんが這入って来る。わたしはめちゃくちゃに突かれて憑かれて疲れ果てるまでやられるに違いない。

 その予感だけで、わたしはまた、逝った。


 


 

 翌朝。

 もぞもぞしてきたから転がってるヤリオの顔を跨いでトイレに行った。月に一度の女の子の日が来た。その正確さにいささか驚く。そしてちょっと安心して、ちょっと寂しい気もした。

 しばらくは、ムスコさんとも、お別れだ。でもヤリオなら、「オレはべつに構わんぞ」とかいうような気もするけれども。


 


 


 
 

                      了
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