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42 緊急事態

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「あなたは、自由だもの」

 スミレさんの舌が脇から這い上がり、乳首を転がし、反対側の脇に回る。

「あっ、そこ、ダメっ・・・」

「それに、これからも、サキさんと・・・。だから、余計に、虐めたくなっちゃうの」

 妖しい光を湛えたスミレさんの瞳。抜き差しされるスティック。

「ああーっ! お尻、お尻ぃーっ・・・」

「前戯もなんにもなし。たった三分。出すだけ出して、自分の部屋に籠っちゃう。そのくせ、今日だって・・・。どこへ行くの、何時に帰るの、夕ご飯どうすればいいの・・・。全部、知ってるくせに。探偵雇って、尾行までさせてるくせに・・・。

 あんな奴と、あんなネチネチしたナメクジみたいな奴と、これから一生一緒だなんて、絶対無理! 無理なの。無理なのよ、レナ・・・」

「スミレさん・・・、っは、ああっ!」

 スミレさんの指が再びヴァギナに、親指がクリトリスに。あまりにも激しい責めに悶絶するレナ。鬼だ。この人は般若になってる・・・。

「壊れちゃうよ、スミレさん!」

「壊れちゃいな! ・・・もう一度高校生に戻して! もう一度、サキさんと出会った頃にわたしを戻して! そうしてくれたら、許してあげる」

「そ、そんなあ・・・。あ、ダメっ! ダメですゥっ! そこ、ダメェ!・・・あああー出る、出ちゃう、出ちゃいますぅーっ・・・あああー・・・」

 大量の潮が、噴水のように吹き上がり、レナの全身を濡らし、顔にまでかかってしまう。

「お漏らしまでして・・・。もう、絶対、許さないから!」

「そんなあ・・・。ああっ! 酷いですよ、スミレさーん!・・・」


 

 スマートフォンが鳴っている。サキさんの専用呼び出し音だ。

 鬼に変貌して狂っていたスミレさんが、一瞬でビジネスモードに戻る。彼女はキッチンに置いたままのそれを取りに行った。

「サキさん♡・・・」

 ハート付きで喋るスミレさんの声。かわいい。その次は、自分にも・・・。連絡、くれるんだろうか。もうひと月も声を聞いていなかった。両脚を大きく広げて拘束されたまま。尻の穴におもちゃを突っ込まれたままの自分が恨めしい。

 しかし、その声音が、次第に冷たくなってゆく。電話したまま、寝室にやってくる。レナを見下ろして真顔に戻っている。

「ハイ。・・・事務所です。一緒です。ハイ。・・・え?」

 長い、沈黙。その間、スミレさんはじっとレナを見つめていた。

「・・・本当ですか。・・・ハイ。・・・ハイ・・・わかりました」

 通話の切れたスマートフォンを見つめ、呆然と佇む。

「・・・どうしたんですか」

「・・・全て閉めるよ。出来るだけ早く」

 スミレさんはやっと口を開いた。さっきまで昂奮してレナを責めて紅潮していた顔が蒼白になっている。

「いつまでそんなみっともない格好してるの。バカじゃないの」

「え?・・・だって・・・、え?」

 手足を縛られ、アナルにスティックを差し込まれたままのレナは、困惑した。


 

 身体を流し、服を着終わったレナは、全裸のままでパソコンを操作するスミレさんの元に戻った。

「さっきの会社一覧のファイルと取引行のファイル、どっちも一枚だけプリントして。それから、そっちの端末に『79』ってフォルダーがある。Dドライブ」

「・・・ありました」

「それ開いて、ホントはマズいけど一枚だけプリントして」

「・・・79って、なんですか」

「原子番号79。わからない? あなた、理数系壊滅的にダメね」

 黒縁の眼鏡の奥でスミレさんの瞳が冷たく光った。

「いい? 二手に分かれるよ。レナは若いんだから足を使って。わたしは頭使うから。

 あなたは今からそのプリントしたリストにある全ての取引行の貸金庫とプレイルームを回る。全部回ってスマホ、PC、USB、SDカード、CD-ROM、それから内蔵のハードディスクのあるものはセットごと全部。そういう類はすべて回収して再生不可能に破壊して捨てる。そのまま海とかに捨てちゃダメ。必ず、粉々にして。

 銀行は今日の十五時までと明日の九時から。プレイルームは夜回ればいいでしょ。かなり遠方のとこもあるから、最適なルートを考えて」

 そう言ってスミレさんは黒革の鞘に納まった大型のサバイバルナイフをくれた。

「そのファイルにあるプレイルームには全てベッドがある。その中にあるものは必ず回収する」

「マットレスの中に、ですか」

「それで切り開けばわかる。回収したものは全部法律事務所の金庫に収める。これ、組み合わせ番号」

 そう言って一枚のメモをくれた。

「秘書用のスマホ出して。ここの固定電話の番号と法律事務所の番号、そのメモに写しなさい。どうせ、まだ覚えてないんでしょ」

 図星を刺されて困惑しながら言われた通りにした。

「写したら、このバケツに入れて。あなたの私用のも」

「え?」

「あなたの動きをGPSで追跡されると困るの。それに、サキさんとLINEしてるでしょ。その証拠を残すわけにはいかない。通信会社のサーバーに残るからムダかも知れないけど、少なくとも端末は処分すれば時間が稼げる」

 スミレさんは自分の二台のスマートフォンをバケツに入れた。

「自分のも、ですか・・・」

 ヨウジの番号も、それほど仲が良かったわけじゃないバイバイ仲間や顔も見たくないけど母のも、そして父のも。それに、今まで数えきれないほど交わしたサキさんとのメールやLINEのやり取りが、全てこのスマートフォンにある。

 レナはポーチから取り出したそれを胸に抱きしめた。

「悪いけど。高校を中退したばかりの、まだ十代のあなたがあれだけの高給を受け取っているのは、ある程度の危険と、こういうことも代償に含まれてるからなのよ。受け入れるしかないの、私たちは」

 スミレさんはレナの震える手からスマートフォンを取り、バケツに入れた。

 それから彼女はキッチンの下から白い容器を取り出し、キャップを開けた。

「まさか、わたしが在任中にこれを使うことになるとはね・・・」

 その容器を傾け、透明な液体をバケツに注いだ。シュワー・・・。細かい泡が発砲する音とともに白い煙が上がる。ポリカーボネイトのボディーとサーフェイスがひしゃげ、中の電子基板が露出し、揺らぎながら崩れて行く。

「スズキさんのスマホも預かって来て。それから、そのリスト、スズキさんに渡してルートを相談しなさい。大丈夫。あの人は信用できる。わたしも全ての処分が終わったら最後にここを撤収する。明日の十五時に、法律事務所で落ち合おう。いいね?」

「ちょっと待ってください」

 レナは不安に押しつぶされそうになりながら、スミレさんに問うた。

「教えてください。私たち、何から狙われてるんですか。危険て、もしかしてサキさんの雇い主ですか」

「もう、違う」

 空になった容器をシンクに放り込み、腕組みをしたスミレさんはため息を一つ、吐いた。

「狙われてるとすれば、それはこの国の情報機関か公安警察、それと、国税庁、かな・・・」


 

 車は夜通し大都会を走り、サキさんの奴隷たちの城を巡って行った。

「もともとこの携帯には何も登録されておりません。サキ様とあなたの番号は記憶しております。どうぞお納めください」

 スズキさんはあっさりとスマートフォンを差し出してくれた。

 それをスミレさんに手渡した。

「きついけど、頑張るのよ。サキさんのためだから。わたしたち、彼の本当のスレイヴにとって、本望じゃない?」

 全裸のスミレさんにキスされて送り出された。彼女のキスはジャスミンの香りがした。

「首都圏の二件の銀行がキーポイントですね。渋滞を考えますと、開店時間前に都内に入っていた方がいいでしょう。とすると、今日の閉店までに出来る限りここの周辺の銀行を回り、その後時間の拘束の無い場所を回り、今夜のうちに首都圏を目指しましょう。運が良ければ、明日の十三時過ぎには全て完了できるでしょう」

 スズキさんの助言に従ってまずは貸金庫を片端から回った。

 中身は何処の銀行のそれも大差なかった。既に株券や社債などの有価証券や国債は電子化されて久しい。あったのはいくつかの土地の権利書と一キロか五百グラムの金の延べ板数枚だった。

「トランクではなく、床に置いて下さい。このリストの数だけ回るとなれば相当な重量になりますから」

 数千万円を土足で踏みつける感覚に、異様な昂奮を覚えた。


 

 十五時を過ぎて銀行の窓口が閉まると対象をプレイルームに切り替えた。

 見ず知らずの女の性欲が発散された後の匂いがこもる部屋。壁や天井の禍々しい道具類はレナのとさして変わらないが、その匂いに特別な感情を抱かざるを得ない。どこかにサキさんの残り香があるのではないだろうか。サキさんが、他のM女たちと繰り広げたであろうプレイを思う。

 AVセットや周辺を丁寧に探した。が、あまり時間をかけるわけにはいかない。預かったサバイバルナイフを取り出した。刃渡りがニ十センチ以上もあるゴツい凶器を、シーツを取り去った裸のマットレスに突き刺し、切り裂いた。表面のクロスとカンヴァス地のような厚い生地の下にある針金で作ったボックス上のスプリングに刃先が当たった。これでは異物が入る余地はないし、あれば身体を横たえたときに異物の存在がわかってしまう。マットレスは二重になっている。上のを脇へどかした。

 下のは鉄のフレームにすっぽり囲われている。何かを仕込むとすれば、縁。それもあまり重量のかからないヘッドボードの辺りか。その個所を集中して切り裂く。

 黒いビニールに包まれた、平たい、細長い巻物がヘッドの縁沿いに仕込まれていた。

 非常に、重い。数キロぐらいはありそうだ。取り出して巻物を解いてゆくと、やはり金の延べ板だった。八枚。一枚が五百万として、四千万。それをもう一度巻き込んで肩にかけ、車に戻った。大汗をかいていた。

「前方のボックスの中におしぼりがございます。車をお出ししてよろしいですか」

「は、・・・はひ、お願いします」

 息が切れそうになりながら、ドリンクを含んだ。

 この一件で一時間近くかかった。移動を含め、一件平均二時間から三時間。回り切れるだろうか。体力が、持つだろうか。

「よろしければ、次はお手伝いさせていただきます」

 スズキさんはそう言ってくれたが、探すものはいいとして、それを探す場所が・・・。まともな世界の住人であろう、祖父のような年齢のスズキさんに見せるのは忍びない。

「え、・・・でも・・・」

「サキ様から申し付けられております。ご遠慮なさるには及びません。なにぶん老体ですが、その程度のことはお任せください。少し、寄り道をしてもよろしいでしょうか。急がば回れとも申します」

 ホームセンターで台車を購入し、ついでに高級外車をファストフードのドライブスルーに乗り入れた。昼から何も食べておらず、腹が減って仕方なかった。それらは全て現金で払った。カードは使うなとスミレさんに厳命されていた。

「スズキさんは本当にいいんですか」

 ハンバーガーにかぶりつきながら、レナは尋ねた。

「わたくしは、これがありますので。通常は勤務中にお客様をお乗せしながら食事などしないのですが、今回に限り、お許しください」

 運転しながら海苔を巻いたおにぎりを頬張り、水筒のお茶を飲むスズキさんにやっと親近感が湧いた。

 スズキさんのお陰で次のルームは三十分ほどで片付いた。彼にマットレスをお願いしている間に他の機器を捜索できた。運転中と同じく、彼は壁や天井のSM用品を見ても眉一つ動かさず、一切無駄口を叩くことはなかった。

 おかげで予定していた分は全て終了し、一番離れたレナのルームを残すのみとなった。それは明日にまわし、東へと向かう高速道路に乗った。

「お体、大丈夫ですか。眠くなりませんか」

 息つく暇もない強行軍に、レナはスズキさんの体調を案じた。

「お気遣いありがとうございます。わたくしなら大丈夫でございます。もしお疲れでしたらご遠慮なくお休みください。途中何度かサービスエリアに立ち寄ることをお許しください。生理現象などございますので・・・」

 レナはくすっと笑みを漏らした。

「あの、スズキさんは、ご家族は」

 散々世話になっておきながら、今まで彼の事を何も知らなかった。初めての長距離で退屈だし、眠気覚ましにそんな質問をした。

「わたくしは天涯孤独でございます。妻も子もおりませんし、この歳ですので親はとうに鬼籍に入っております。兄弟も、ございません」

「じゃあ、ずっと、おひとりで・・・」

「おかげさまで運転一筋で四十年以上、無事故無違反で平穏に勤めを果たすことができております。それだけで十分に幸せを感じております」

 運転席の計器盤の灯りに浮かぶスズキさんの表情は全く変わらず、その相貌は前方の闇を見つめ続けた。

 午前中の都心へ向かう渋滞を横目で見ながら、車は西へ引き返す車線を爆走した。二つの銀行の大型の貸金庫から取り出した金塊を乗せると、さすがに車体が少し下がったが、それでも大排気量のエンジンは何の支障もなく、車は制限速度を少しオーバーするほどのスピードで走り続けた。

「まず、心配はございません。この車は特別製です。一トン程度なら何の問題もございません。ササキ様こそ、お体は大丈夫ですか? 今少し時間がございますので お休みになられては」

 足元はだいぶ堆くなった。マットの下には、恐らく数億円ほどになる金塊。トランクの中の土地やビルの書類を合わせれば、その百倍以上の金額になるだろう。この装甲車のような高級外車はとんでもなく巨大な富を乗せて疾走している。

 スズキさんはそれを全く意に介すことなく、ただ淡々とハンドルを握り続けている。

 と、一台の低速の軽自動車がふらつきながら走行車線を走っているのが見えてきた。スズキさんは当然のように追い越し車線に出て追い越そうとする。車が軽自動車を追い、抜く。その刹那、運転席の若い男が居眠りをしているのがレナにははっきりと見えた。軽い衝撃を感じた。

 スズキさんはゆっくりとスピードを落とし、左側の路側帯に車を停めた。

「大変申し訳ございません」と、彼は落ち着いて、言った。

 装甲車はかすり傷程度だったが、相手の軽自動車は辛うじて走行はできそうなものの、右前のフェンダーがべっこりと凹み、タイヤにつきそうだった。レナ達の車の後ろに停まった軽自動車を振り返り、レナは頭をフル回転させ、対応を考えた。

 今、警察沙汰は、マズい。もし、シートの下やトランクの中を見られれば、遅刻どころではなく、大騒ぎになる。全てが明るみになり、ひいては、サキさんが、窮地に陥るかもしれない。狙っているのがこの国の機関だということは、もう、たとえ無免許で捕まっても平気という、サキさんの神通力のようなものは失われているということだ。何とかしなければ・・・。

 相手の若い男が降りてきた。スマートフォンを耳に当てている。警察に連絡される前に、何とか・・・。

 手が自然に、マットの下に、伸びていた。冷たくて重い、それを掴んだ。

 男は頭をツンツンさせた、いかにもな風体で運転席の窓をノックした。レナはドアを開けて、外に出た。

「なに、ネエチャンが雇ってる車ってこと? 金持ちなんだね、へえ。どっかのお嬢様? オレの車、どうしてくれんの。あんなにされちゃってさあ・・・」

 そっちからぶつかって来たくせに。警察を呼んで正式な手続きさえ踏めれば、こんな奴は恐れるに足りないはずだ。身の程知らずの見本のような男だった。

「あんたの車、いくらぐらいするの」と、レナは言った。

「そうね、百五十万ぐらいかな」

「ウソでしょ。こんなボロいのに? せいぜいニ三十万てとこじゃない」

「あん? なんだと、この小娘が! 」

「あのね、取引しない?」

「はあ?」

「これ、なーんだ」

 レナは手にした一キロの延べ板を男に示した。

「持ってごらん。重いよ。それでいくらになると思う?」

 男は思ってもみなかったものを見せられ、無言になった。

「グラム五千円だって。計算できる頭があるならしてごらん。

 あたし、急いでるの。でも、どうしてもあんたがごねるなら、警察呼ぶ。せいぜい保険でニ三十万で修理するかまた新しいボロ車でも買えばいい。

 でも、それで納得するなら、そのままあげるよ。どっちがいい? あたしは、どっちでもいいよ。どうする? 警察、呼ぼうか?」

 男はそのまま黙って車に戻った。レナも座席に着いた。

「スズキさん。お願いします」

「かしこまりました」

 振り向いたスズキさんの目が、チョットだけ笑ったような気がした。彼はグローブボックスから折り畳みの携帯電話を取り出し、何処かに電話を始めた。


 

 二三の銀行を回り、最後にレナのプレイルームに行った。

 もう、接着剤の匂いはしなかった。室内は清潔に掃除され、あの激しかったレナとのプレイも、スミレさんとの何かの痕跡も、ましてやサキさんの残り香すら、微塵も残ってはいなかった。スズキさんがベッドを壊すのを、黙って見つめた。

 半年もない、回数も数回しかなかったが、ここで濃厚な、素晴らしい時間を過ごしたことは一生忘れない。たとえこの先、どんなことになるとしても。レナはここでサキさんに本当の自分を見つけてもらった。自分の本性を、暴き出してくれ、本当の女に、してもらったのだから・・・。

「これで全部おわりました」とレナは言った。

「では、最後に、この車も処分しましょう」


 

 車を単なる鉄くずにしてしまう工場へ行った。

「高速道路で車をぶつけてきた、あのような連中はいつ気が変わって警察へ通報するか、わかりません。ナンバーと車種を知られましたので、念には念を入れて、車も処分します」

「え、でも、これスズキさんの車じゃあ・・・」

「いいえ。これはサキ様がご用意されたものです。わたくしの所有物ではありません」

 シャッターの降りるガレージに車を入れ、小さな、キャスター付きのコンテナ三台に荷物を移し替えた。コンテナはリフト付きの二トントラックに移し替え、ドアを閉めて施錠した。

 回収したストレージは全てハードディスクや貸金庫の鍵やカードと共に粉砕機で粉々にした。車は引きだして、シャシーをつけたままプレス機にかける。

「待って!」

 と、レナは言った。

「スズキさん、お願い。あの女神様が欲しい」

「かしこまりました」

 ボンネットを開けたスズキさんは、バールで盗難防止装置を壊し、工具を使ってエンブレムを取り外し、レナの手に載せてくれた。

「ありがとう・・・」

 どうか、この女神さまのご利益で、サキさんに幸運が訪れますように・・・。

「どういたしまして。では、よろしいでしょうか」

 彼がサッと手を上げると、マグネットのブームが伸びて来て車の屋根に張り付き、車は高々と宙に浮き、プレス機の中に落とされた。バキバキ、ガリガリ。この数か月間レナに夢を見させてくれた高級外車は、あっという間に鉄くずになった。

 レナを本当の自分以上に引き立ててくれていた舞台装置の一つが、こうして、消えた。

「いささか乗り心地に問題がございますが、どうぞ、お乗りください」

 レナは二トントラックの助手席に乗り、車はスズキさんの運転で弁護士事務所のある中心街を目指した。

 総革張りのふかふかのサスペンションの利いた高級外車の後部座席とはまったく違う、カーゴ部分のボディーに宅配業者のロゴが消え残っている、乗り心地の悪いビニールシートの助手席に揺られながら、レナはずっと抱いて生きた疑問を口にした。

「スズキさんて、何者なんです? 普通の運転手じゃないでしょう」

「ご質問の趣旨がよくわかりかねますが、わたくしはこの道四十年、運転一筋の、ただの運転手です。わたくしがサキ様より仰せつかった仕事は、あなたとあなたのお手荷物をあなたのご希望の場所へお送りすることです。それ以外にございません」
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