ハウスDr.園子

38.満月の夜

翔太が逝ったのは満月の夜だった。
ここ何日か眠っている時間の方が長くなって、二人きりになっても翔太はぼんやりしている事が多かった。

「負けたらダメっす。生き抜くっす」
「え？」園子はハッと目覚めた。うとうとしていたらしい。
「…らしくないっす」

寝言だろうか。
「何？翔太？」
「係長らしくないっす…」
夢の中までも私の事を気にかけているのか…

「翔太君？」
「ああ…係長」
「何も心配しないで」
「うん…」

園子は翔太の手をとった。痩せて棒切れのようになってしまった手。
医師の言葉を思い出した。「よく頑張っておられる。褒めてあげて下さい」

「すごいわ翔太君。頑張ってるね」
「係長」
「電気つけて」
え…？ 部屋の照明は点いている。

「わかったわ。点けたよ」
園子は優しく言った。
「ありがとっす…」
目尻から塩っぱいものが込み上げる。

「係長」
「なに？」園子は翔太の顔に耳を近づけた。
「俺…」
「どうしたの？」

「何にも出来なかったす。ゴメンす…」
「何言ってるの。そんな事ないわ」
「ダメす。係長…」
「翔太君。ちっともダメなんかじゃないよ」

「ね、翔太」
「何すか」
「私、お願いがあるんだな」
「お願い？いっすよ」

「名前を呼んで欲しいの。私の。係長じゃなくってさ」
「まじすか」
翔太がフッと笑った。よかった…

「まじよ」
「わかったす」
翔太は震える手で園子の顔に触れた。
その手は確かに園子の涙を拭いていた。

「園子さん…」
「翔太君」
「真っ暗っす… 何も見えない…」
「大丈夫よ。私はここにいる。ここにいるわ」

「園子さん…」
「なあに。翔太？」
「喉、渇いたっす」
「待って。ちょっと待ってね…」

園子は水差しの水を口に含んでそっと翔太の唇に運んだ。
翔太はそれをコクリと飲んだ。
そしてつぶやいた。

「ありがとう。園子さん…」

手がふわりと園子とシーツの間に落ちた。

「翔太…くん… ？ 」

「イヤだ！死なないで！死んじゃダメッ！！」
園子はナースコールを狂ったように押し続けた。早く！早くっ！

「翔太君！翔太っ！！行かないで！！行っちゃダメッ！！翔太！こらっ！！翔太！！冗談でしょう？ 目を覚ましてっ！！行かないで！置いて行かないでょ… お願い。一人にしないで… 一人にしないで…よ。翔太… 一人にしないで…」

翔太が最期に見たのはハシゴを登ってゆくポニーテールの園子だった。
『さあ、行くわよ！』
『あざっす！』


生命維持装置の波形が徐々に小さくなり、一本のフラットな線になった。

駆けつけた医師と看護師がドアを開けた。

ドアの向こうには、藤間俊一郎の胸ですすり泣く花緒莉夫人の姿があった。