フェンス

MIKAN🍊

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7.ベイサイド・コート

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二人の結婚式は無事に終わった。近親者と友人達だけの小さな結婚式だったが、みんな満足そうだった。
シュウは始終陽気だった。
結美はあの調子でことさら騒ぐわけでもなく、処女の花嫁の様に静かに微笑んでいた。
時折、シュウと見つめ合いその時ばかりは格別に瞳をキラキラ輝かせて。

教会の外で梨香子を待っていると真っ赤なポルシェが近付いて来て窓から梨香子が手を振った。
「光彦!ごめ~ん!中華街今度ね~!」
ドライバーを覗き込むと長髪の見知らぬ中年の男だった。


シュウと結美の結婚生活はどんなものだったのか。
光彦には想像がつかなかった。それからわずか一年後、二人の結婚はある日突然、悲劇的な結末を迎えた。
シュウと梨香子という意外な二人の死によって。
信州の山の奥深くで二人が乗った車が崖の下から見つかったのは、結美が捜索願を出してから半年後の春だった。
光彦がその事を知ったのはさらにその半年後だった。


本牧埠頭で時間を潰してから結美の住む高層マンションを訪ねた。
気持ちがザワザワしていたので少し落ち着こうと思い車を停め、しばらく海を眺めていた。
タバコを何本か吸い、三渓園を過ぎ根岸に向かう。外国人達はその昔、この辺りの海岸を"ミシシッピー・ベイ"と呼んだそうだ。
間門から遠くに富士山が見えた。
異国の地で遥か彼方の故郷を思い偲んだのだろう。
"ベイサイド・コート"米軍住宅。
かつてその一帯はフェンスに囲まれていた。正式名称は米軍横浜海浜住宅地区。
アメリカ文化発祥の地も今では公団住宅群や巨大ショッピングセンター、公園が広がっていた。

「仏壇はないのよ」
髪を明るい茶に染めた結美が光彦の視線を避けるようにして言った。
洗いざらしの綿のシャツに派手なチェックのサブリナパンツ。光彦は危うく昔の梨香子と見間違えるところだった。
何故そう感じたのかよくわからない。
「良い所に住んでるんだね」
靴を脱いで光彦は明るい部屋に通された。
「高さだけはね。私達、新婚だったから優先的に当選したのよ。公団だから何かとうるさいの。壁に穴は開けるな、布団は干すな、床は静かに歩けって」
そんな所帯染みた事をサラッと言ってのける結美に光彦はちょっと驚いた。
物静かで占いが好きで、真っ黒い服ばかり着ていた何を考えてるかわからない子。
結美は自分の事を話すという事がなかった。

白い洋服ダンスの上にシュウと結美と梨香子、三人が写ったフォトスタンドがあった。
すぐ横にスティックタイプのアロマディフューザーが置いてあった。ユーカリの香りが仄かにした。
「手を合わせて良いかい?」
「どうぞ」
光彦は軽く目を瞑った。
「お線香も一応あるんだけど、いる?」
「いや、いいよ」
「それね、その写真。結婚式の時あなたが撮ってくれたやつよ」
「うん。覚えてるよ」

いったい何があったんだろう、この三人に。

「久しぶりね。ありがとう」
結美がアイスティーを二人分運んできた。
「タバコ吸いたいならベランダで吸ってね」
「我慢する」
「そうね、その方が健康に良いわ。人間死んだら終わりよ」

レモンスライスをグラスに浮かべて結美は頬杖をついた。
「それで?」
「あ、いや、元気そうで良かったよ。もっと…」
「落ち込んでるって?」
「うん、心配したよ」
「私って男運がないのよ。初めて好きになった男子は年上の女に夢中だったし」
「そうなの?」
「ヤダ。私だって普通の女の子だったのよ?大失恋だったわ。シュウやあなたに出会った頃は自分のやりたい事が何だかわからなかったけどね」
「今ではわかった?」
「そうね。何はさておいても生きてかなきゃなんないって事がね」

光彦はアイスティーを一口飲んだ。
「二人は、シュウと梨香子は付き合っていたの?」
「言いにくい事を平気で訊くのね、昔からそんなとこあったわ」
「嘘を吐いても仕方ないよ」
「そうね。目の前が真っ暗だったわ。いえ、真っ白ね。何が起こったのか全然わからなくて。行ってみたら凄い田舎でね。警察から連絡があって…」
ストローの先でレモンを突ついて、しばらく黙って、それからまた話し出す。

「事故の状況なんですがってお巡りさんが言うの。刑事さんなのかな、よくわかんないけど。誠に言いにくい事ですがって。お二人は車の中でふざけていたようです、それで運転をあやまって崖下に転落しましたって。まるでその場に居たみたいにね」
光彦は何となく身体が汗ばむのを感じた。
「ふざけてたっていうのは?」

「つまり、そのォ~」
結美はその警官だか刑事の声色を真似たつもりなのだろう。

「…ご主人はズボンを足首まで脱いだ状態で発見されました。女性の方も…下半身は、その…何も着けていませんでした。 誠に申し上げ難いのですが、…女性の口内から、その…ご主人の男性器がですね…、見つかりまして…その、何と申して良いか、お察しします、だって。何を察したって言うの? 呆れちゃうでしょう?よく立っていられたと思うわ。しばらく意味がわからなかったわよ。たまにそういう馬鹿げた事故があるらしいわ。すぐ帰ろうと思ったけどそうもいかないじゃない?そのうち向こうの親御さんやら何やら大勢やって来て。どういう事故だったのか私に説明を求めるの。嫌になっちゃったわよ。悲劇の未亡人どころかいい笑い者よ」

結美はハンカチで目を拭いながら投げ遣りに笑った。

「誰も、誰も笑ってなんかいないよ」
そう言うのが精一杯だった。

彼らがどんな風に死んだにせよ、僕たちの大切な仲間だった事に変わりはない。
世界の何処かでいつも悲しい事は起きている。
残された僕たちに出来るのは励まし合って生き続けるという事だけだ。

光彦はソファーを移動して結美の隣に座った。
そうして彼女が泣き止むまで、肩をくっつけて並んで座っていた。
ベイサイド・コートに日が沈むまで、ただ黙って。
じっと皆んなで、座っていた。シュウと結美と梨香子と光彦で。
寂しいフェンスに囲まれて。
 


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