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第1話 フキノトウ
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僕が通った高校は
広島県M市にあった
いや
今もまだ
あるんじゃないかな
新幹線の駅でいうと
広島と福山のあいだにある
Mという駅がそれだ
この街には
TJの大きな工場があったはずだ
駅から数キロのところに港があり
ずっと手前には
桟橋があって
因島とを結ぶ連絡船なんかが行き来していたように思う
とにかく
ずいぶん昔の話しなので
あまり自信はない
僕が高校に入学したその1年か2年前だったかに
M駅は
山陽新幹線の停車駅に昇格したばかりだった
新幹線の改札口は
在来線のそのまた奥にあって
僕は
この新幹線の改札の向こう側に
見たこともないような
夢の国に通じる道が
あるような気がした
ホームへと続くエスカレーターが人を乗せて
上がっていくのが
なんだかとても羨ましく見え
いつまでも眺めていたものだった
僕は
昔から
眺めるという行為が
好きだった
じっと見つめるという行為は
何かを思い出そうとしている時か
誰かに恋してる時か
にらめっこをしてる
時だけだ
M市の隣には
H町というF郡に属する小さな町があった
人口1万人程度のその町に僕は
父と妹の3人で暮らしていた
町には
H駅というドンコーしか停まらない
これまた小さな駅があり
僕は
だいだい色とグリーンの
ツートンカラーの電車に乗って
学校と自宅とを往復した
現在、東京駅と横浜駅間を走っている
東海道線と同じタイプの
あの車両だ
シートは向かい合った
4人がけのボックスシートで
窓の下にはパカッと開く
灰皿がついていた
だから
あの列車に乗る機会があると
とても
懐かしい想いがするのだ
僕と彼女の恋の話しは
決して
スムーズなものではなかったけれど
それは
僕自身が
やたらに単純で
痛々しいほど
うぶだったせいだからで
人騒がせな大事件や事故があったからではない
僕と彼女は
結局別れてしまったが
僕が
もう少し大人だったら
自分や彼女を
責めるばかりの日々を
送らずに済んだかも知れない
すべては
淡い記憶の彼方だ
ひとりの女の子を
気にし始めることが
これほど
苦しい想いに変わるとは
思わなかった
最初は
よくある片思いというやつだった
彼女は
いつも同じ電車の
同じ車両
同じドアのそばに立って
参考書や
文庫本を読んでいた
ごくまれに
1人か2人
女友達と一緒の時があって
そんな時は
とても良く笑っていた
というよりむしろ
他の乗客に迷惑なくらい笑い転げていた
僕は
独りきりでいる彼女を
見ているのが好きだった
話しかけるなんてこと
考えつきもしなかった
僕は僕で
朝は仲の良い男友達数人と
いつも決まった場所から電車に乗っていた
そして遠くから
(とは言え同じ列車なのだが)
1両前に乗っている彼女のことを
何ヶ月ものあいだ
静かに見守っていたのだった
あの子
なんでいっつも
独りなんじゃろう‥
よう本ばっかり読んどるのお
ワルなんじゃろか
あんな長いスカートはいて
なん組なんじゃろ
なんちゅう名前なんじゃろう‥
と
彼女を見かけない朝は
憂鬱さをどこかにまとい
胸の中に膨らむ不安は
ため息となって
僕の
くだらない1日を
なおいっそう
くだらないものにした
そうー
くだらない日々だった
僕や
僕の仲間たちにとって
学校は
世界一くだらない場所であり
それがわかっていて
毎日学校に通う僕たちは
救いようもなく
くだらない生徒だったのだ
だからこそ
僕たちは仲が良く
いつもくだらないことで議論し合い
そのたびに見解の相違が起き
絶交を宣言し合い
翌日には互いに謝って
握手をするというお決まりのパターンを繰り返した
まあ言ってみれば
退屈さとの
戦いだったのだ
誰かが
この退屈さを打破しなければならず
僕は常に
その期待を一心に
受けていた
それはわかっていたが
彼女のことだけは
この連中に知られてはマズイとも思っていた
そんなの当然だろ
ややこしいことになるのは
目に見えていたんだから
西郷秀樹
巨漢の彼は
中学ですでに
柔道2段の腕前を誇っていた
「さいごのオデキ」
と呼ぶと
本気で怒った
園部光彦は
中二の時
大阪から引っ越して来た
広島弁と
大阪弁が混じった
胡散臭いやつだ
親父さんは
会社の社長をしていた
なんの会社だかは忘れたが
趣味は
親子喧嘩らしかった
僕は
この2人が偶然
同じバイクに乗っていたことが
今でも不思議だ
彼らは
水と油のように
意見が合わなかったからだ
それなのに
いつも一緒にいた
そして
H駅まで5分とかからない
僕のうちの庭を
駐輪場代わりにしていたのだ
中古のエルシノア(125cc)
のエキゾーストノーストは
発情期の牝ライオン
みたいに騒々しく
(と言っても聞いたことはない)
それが毎朝毎夕
出入りするのだから
たまったものではない
タクシーの運転手をしていた
僕の父親は
2人から金を取れ、と半ば真剣にぼやいていた
夜勤明けの親父ほど
機嫌の悪いものはない
菅原文太を
二日酔いにしたような目で
睨まれたら
冬眠中の蛙も
ひっくり返る
ケロンパ!
いつしか
西郷も園部も
通りからエンジンを止めて
バイクを押して来るようになった
賢明な選択である
どこかの
歌の文句じゃないけれど
みんな
君のことが
好きだったのさ
僕は
彼女のことを
僕の
こころの中だけで
ひとり占めにしておけば
良かったのだけど
僕はもう何ヶ月も
堪えに堪えていて
我慢も
限界に達していたし
とにかく
名前くらいは知りたくて
仕様がなくて
ついに
ある朝
電車の中で
2人の悪友を前に
こう口走ってしまったのだ
なあ
あそこにおるやつ
知っとるか、
と
これが一世一代の
ミステークだった
いや
言い直そう
たくさんある失敗のうちの
ほんのひとつだった
そして
この瞬間から
僕たちの
退屈でくだらない毎日は
吹き飛び
愛と冒険の物語が
はじまったのである
ジャジャーン!
ネットの世界では
みんながノーネームでレスをすると
誰が誰やら
わからなくなることがある
これを没個性的
または無個性による主義なき主張の言いたい放題症候群という
あの頃もちょうど
そんな感じで
誰も彼もが
挨拶がわりに
進路の話しをし
学力模試の答え合わせに
夢中になった
どれだけ勉強したかは
個人情報であり
成績は秘匿された
それでも
上位と最下位の情報は
どこからともなくリークされ
皆の知るところとなった
僕は当時
全国に何10万人もいたただの受験生の1人にだけは
絶対になりたくなかった
どこどこの大学に入るためには
そんな偏差値じゃ駄目だとか
英語さえ伸ばせば
あの私立に入れるとか
なん組の誰それは
首位から転落して
家庭教師を雇ったらしい
とかいう、まことしやかな噂話に至るまで
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ
正直うんざりだった
気味が悪いほど
一律に学年中が
本格的受験ムード一色に
染まった春
僕たち小数派は
敢えて自己改革に挑んだ
平たく言えば
青春を謳歌する道を
選んだのだ
本当だと思う?
一部を除いて概ね真実だ
実を言うと
選んだわけではない
それしか道はなかったのだ
一流大学は
どうせ無理なんだから
三流私大で
構わんじゃろ、とタカをくくったわけである
言うに事かいて三流とは身の程知らずなのだが
このあたりの
諦めの早さは見事ではあった
けれど彼女のことになると
なかなか簡単には
諦めることはできなかった
あの踏ん張りが
受験に反映されていればなあ
と、今になって思う
斉藤広美
それが彼女の名前だ
たとえ地球が
真っ二つに割れて砕け散ろうとも
この名前が持つ
神々しさだけは
永久に失われないだろう
え?
よくある名前だって?
失礼な!
背は150.5センチ
体重は…
…教えてもらえなかった
髪はショートヘアで
ゆるめのパーマをかけていた
顔は小さく色白で
手も小さかったけど
態度だけは
人一倍大きかった
僕は
相本久美子に似ていると言い張ったが
みんなは首をひねった
恋とは
そういうものなのだ
いつも
ふて腐れたような顔をして
人を見る時は
眉間にシワを寄せた
これには理由があったが
僕はずいぶん後まで知らずにいた
僕はちょっと
変わった子が好きだったのだ
彼女は
数学と英語が得意で
将来は
薬剤師になるのだと言っていた
未来の職業まで決めているのだから
凄いなあと感心すると
「じゃけん、オタクらダメなんじゃ」
と即座に言い放った
出会って早々
言いにくいことを
ズバズバ言ってのける
その図々しさに
僕は
ますますメロメロになった
繰り返して言うけど
恋とは
そういうものなのだ
その前の年の夏
女性アイドルグループのキャンディーズが
突然解散を宣言し
世間をアッと言わせた
ファン達は驚愕し
途方に暮れ
道に倒れて泣きくずれた
そして1978年の春
ついに盛大なお別れコンサートを行ったのだった
解散後も彼女たちのレコードは売れ続け
ラストシングル
“微笑みがえし”は初のオリコン1位に輝き
ライバル、ピンクレディーに一矢報いた
解散の原因については
後々まで様々に取り沙汰されたが
日本中の中高生や大学生はもちろんのこと
小学生やおじいちゃん
おばあちゃん
ポチやタマに至るまで
キャンディーズの有終の美に涙したのだった
(当時の雑誌より)
大切な誰かを失う時
その喪失感を別の何かで
補わなくてはならない
そんな初めての経験だった
「雪があ~溶けて~川が~あふれて~ありがた迷惑う~」
ガラガラガラ…
建て付けの悪い雨戸を開けた
「うー、さびい~」
暦の上では春なのに
まだまだ寒い日が続く
ある日のこと
家の狭い庭の片隅に
フキノトウが出た
出たというと
オバケみたいだが
いきなり現れたのは本当だ
僕は
フキノトウと言えば
フォークグループのふきのとうしか知らなかったので
このこんもりとした
珍妙な形状の謎の物体に手も足も出なかった
別に
出す必要もないんだけど‥
僕は
夜勤明けの親父を呼んだ
「おとー!おとー!これはなんじゃ?」
江戸時代みたいな呼び方だが
広島では珍しくない
「なんなら?朝から」
父、高杉栄一郎
タクシー運転手
趣味、酒、博打、喧嘩
朝から早速一杯やっている
夜勤だから
これから寝るところなのだ
「これじゃ、これ見てみい」
「ほほう~、フキノトウか、珍しいのお」
「フキノトウ?」
「フキノトウも知らんのか」
知らないから聞いている‥
「これは何なの?」
「だからフキノトウだ」
「それは聞いたよ、だから どうなるのこれ?」
「どうにもならん」
「そうじゃなくてさ!花が咲くとか、伸びるとか」
「これはこのままじゃ」
「成長しないの?」
「する」
ははあ?すでに酔ってんのか‥
「この芽の状態がフキノトウゆうんじゃ」
「じゃあ最初からそう言えばいいだろーが!」
「最初からそう聞けばええんじゃ」
フキノトウは
野山で採れる山菜の一種だ
蕗の花芽
つまり蕗のつぼみで
食用となる
雪解けを待たずに
芽を出すことから
春の到来を
いち早く告げる山菜として知られる
つぼみであるから
それ自体には葉も茎も枝もない
正確に言うと
あってもまだ
開いてはいない状態だ
根も葉もないという
言い回しがあるが
ここでは関係ない
天ぷらにすると旨い
独特の風味と
ほろ苦さが特徴だ
そういえば
ビールのホップ
形はアレに似ている
(他言語インターネット百科事典より)
「これがフキノトウゆうんか」
なんだか感動だ
「珍しいのお」
「そんなに珍しいんか?」
「食えるけんな、天ぷらにして食うか?」
く、食うのかこれを?
イヤだ
絶対にイヤだ‥
「い、いらんわいッ!」
「なんじゃ、旨いのにのお~」
なるほど~
これがフキノトウねえ
ふふふ‥
僕はなんだか
嬉しくなって来た
春の訪れを知らせる
蕗のつぼみ
それが
フキノトウ
野山にあるはずの
フキノトウが
我が家の庭に
僕には
そのことが
何かの吉兆のように思えた
「旨いのこれ?」
「ちょっとほろ苦いけどの」
いいぞ、いいぞ!
青春時代の真ん中は
ほろ苦いと言うじゃないか‥
しかし
フキノトウは
芽が開き過ぎると
苦くて食えなくなるとも言う
そして
僕たちの場合は
少しばかり
芽が開き過ぎていて
美味しくいただくには
アクが強すぎたのだ
「掘るか?」
「掘らんでええーっちゅうのッ!」
広島県M市にあった
いや
今もまだ
あるんじゃないかな
新幹線の駅でいうと
広島と福山のあいだにある
Mという駅がそれだ
この街には
TJの大きな工場があったはずだ
駅から数キロのところに港があり
ずっと手前には
桟橋があって
因島とを結ぶ連絡船なんかが行き来していたように思う
とにかく
ずいぶん昔の話しなので
あまり自信はない
僕が高校に入学したその1年か2年前だったかに
M駅は
山陽新幹線の停車駅に昇格したばかりだった
新幹線の改札口は
在来線のそのまた奥にあって
僕は
この新幹線の改札の向こう側に
見たこともないような
夢の国に通じる道が
あるような気がした
ホームへと続くエスカレーターが人を乗せて
上がっていくのが
なんだかとても羨ましく見え
いつまでも眺めていたものだった
僕は
昔から
眺めるという行為が
好きだった
じっと見つめるという行為は
何かを思い出そうとしている時か
誰かに恋してる時か
にらめっこをしてる
時だけだ
M市の隣には
H町というF郡に属する小さな町があった
人口1万人程度のその町に僕は
父と妹の3人で暮らしていた
町には
H駅というドンコーしか停まらない
これまた小さな駅があり
僕は
だいだい色とグリーンの
ツートンカラーの電車に乗って
学校と自宅とを往復した
現在、東京駅と横浜駅間を走っている
東海道線と同じタイプの
あの車両だ
シートは向かい合った
4人がけのボックスシートで
窓の下にはパカッと開く
灰皿がついていた
だから
あの列車に乗る機会があると
とても
懐かしい想いがするのだ
僕と彼女の恋の話しは
決して
スムーズなものではなかったけれど
それは
僕自身が
やたらに単純で
痛々しいほど
うぶだったせいだからで
人騒がせな大事件や事故があったからではない
僕と彼女は
結局別れてしまったが
僕が
もう少し大人だったら
自分や彼女を
責めるばかりの日々を
送らずに済んだかも知れない
すべては
淡い記憶の彼方だ
ひとりの女の子を
気にし始めることが
これほど
苦しい想いに変わるとは
思わなかった
最初は
よくある片思いというやつだった
彼女は
いつも同じ電車の
同じ車両
同じドアのそばに立って
参考書や
文庫本を読んでいた
ごくまれに
1人か2人
女友達と一緒の時があって
そんな時は
とても良く笑っていた
というよりむしろ
他の乗客に迷惑なくらい笑い転げていた
僕は
独りきりでいる彼女を
見ているのが好きだった
話しかけるなんてこと
考えつきもしなかった
僕は僕で
朝は仲の良い男友達数人と
いつも決まった場所から電車に乗っていた
そして遠くから
(とは言え同じ列車なのだが)
1両前に乗っている彼女のことを
何ヶ月ものあいだ
静かに見守っていたのだった
あの子
なんでいっつも
独りなんじゃろう‥
よう本ばっかり読んどるのお
ワルなんじゃろか
あんな長いスカートはいて
なん組なんじゃろ
なんちゅう名前なんじゃろう‥
と
彼女を見かけない朝は
憂鬱さをどこかにまとい
胸の中に膨らむ不安は
ため息となって
僕の
くだらない1日を
なおいっそう
くだらないものにした
そうー
くだらない日々だった
僕や
僕の仲間たちにとって
学校は
世界一くだらない場所であり
それがわかっていて
毎日学校に通う僕たちは
救いようもなく
くだらない生徒だったのだ
だからこそ
僕たちは仲が良く
いつもくだらないことで議論し合い
そのたびに見解の相違が起き
絶交を宣言し合い
翌日には互いに謝って
握手をするというお決まりのパターンを繰り返した
まあ言ってみれば
退屈さとの
戦いだったのだ
誰かが
この退屈さを打破しなければならず
僕は常に
その期待を一心に
受けていた
それはわかっていたが
彼女のことだけは
この連中に知られてはマズイとも思っていた
そんなの当然だろ
ややこしいことになるのは
目に見えていたんだから
西郷秀樹
巨漢の彼は
中学ですでに
柔道2段の腕前を誇っていた
「さいごのオデキ」
と呼ぶと
本気で怒った
園部光彦は
中二の時
大阪から引っ越して来た
広島弁と
大阪弁が混じった
胡散臭いやつだ
親父さんは
会社の社長をしていた
なんの会社だかは忘れたが
趣味は
親子喧嘩らしかった
僕は
この2人が偶然
同じバイクに乗っていたことが
今でも不思議だ
彼らは
水と油のように
意見が合わなかったからだ
それなのに
いつも一緒にいた
そして
H駅まで5分とかからない
僕のうちの庭を
駐輪場代わりにしていたのだ
中古のエルシノア(125cc)
のエキゾーストノーストは
発情期の牝ライオン
みたいに騒々しく
(と言っても聞いたことはない)
それが毎朝毎夕
出入りするのだから
たまったものではない
タクシーの運転手をしていた
僕の父親は
2人から金を取れ、と半ば真剣にぼやいていた
夜勤明けの親父ほど
機嫌の悪いものはない
菅原文太を
二日酔いにしたような目で
睨まれたら
冬眠中の蛙も
ひっくり返る
ケロンパ!
いつしか
西郷も園部も
通りからエンジンを止めて
バイクを押して来るようになった
賢明な選択である
どこかの
歌の文句じゃないけれど
みんな
君のことが
好きだったのさ
僕は
彼女のことを
僕の
こころの中だけで
ひとり占めにしておけば
良かったのだけど
僕はもう何ヶ月も
堪えに堪えていて
我慢も
限界に達していたし
とにかく
名前くらいは知りたくて
仕様がなくて
ついに
ある朝
電車の中で
2人の悪友を前に
こう口走ってしまったのだ
なあ
あそこにおるやつ
知っとるか、
と
これが一世一代の
ミステークだった
いや
言い直そう
たくさんある失敗のうちの
ほんのひとつだった
そして
この瞬間から
僕たちの
退屈でくだらない毎日は
吹き飛び
愛と冒険の物語が
はじまったのである
ジャジャーン!
ネットの世界では
みんながノーネームでレスをすると
誰が誰やら
わからなくなることがある
これを没個性的
または無個性による主義なき主張の言いたい放題症候群という
あの頃もちょうど
そんな感じで
誰も彼もが
挨拶がわりに
進路の話しをし
学力模試の答え合わせに
夢中になった
どれだけ勉強したかは
個人情報であり
成績は秘匿された
それでも
上位と最下位の情報は
どこからともなくリークされ
皆の知るところとなった
僕は当時
全国に何10万人もいたただの受験生の1人にだけは
絶対になりたくなかった
どこどこの大学に入るためには
そんな偏差値じゃ駄目だとか
英語さえ伸ばせば
あの私立に入れるとか
なん組の誰それは
首位から転落して
家庭教師を雇ったらしい
とかいう、まことしやかな噂話に至るまで
エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ
正直うんざりだった
気味が悪いほど
一律に学年中が
本格的受験ムード一色に
染まった春
僕たち小数派は
敢えて自己改革に挑んだ
平たく言えば
青春を謳歌する道を
選んだのだ
本当だと思う?
一部を除いて概ね真実だ
実を言うと
選んだわけではない
それしか道はなかったのだ
一流大学は
どうせ無理なんだから
三流私大で
構わんじゃろ、とタカをくくったわけである
言うに事かいて三流とは身の程知らずなのだが
このあたりの
諦めの早さは見事ではあった
けれど彼女のことになると
なかなか簡単には
諦めることはできなかった
あの踏ん張りが
受験に反映されていればなあ
と、今になって思う
斉藤広美
それが彼女の名前だ
たとえ地球が
真っ二つに割れて砕け散ろうとも
この名前が持つ
神々しさだけは
永久に失われないだろう
え?
よくある名前だって?
失礼な!
背は150.5センチ
体重は…
…教えてもらえなかった
髪はショートヘアで
ゆるめのパーマをかけていた
顔は小さく色白で
手も小さかったけど
態度だけは
人一倍大きかった
僕は
相本久美子に似ていると言い張ったが
みんなは首をひねった
恋とは
そういうものなのだ
いつも
ふて腐れたような顔をして
人を見る時は
眉間にシワを寄せた
これには理由があったが
僕はずいぶん後まで知らずにいた
僕はちょっと
変わった子が好きだったのだ
彼女は
数学と英語が得意で
将来は
薬剤師になるのだと言っていた
未来の職業まで決めているのだから
凄いなあと感心すると
「じゃけん、オタクらダメなんじゃ」
と即座に言い放った
出会って早々
言いにくいことを
ズバズバ言ってのける
その図々しさに
僕は
ますますメロメロになった
繰り返して言うけど
恋とは
そういうものなのだ
その前の年の夏
女性アイドルグループのキャンディーズが
突然解散を宣言し
世間をアッと言わせた
ファン達は驚愕し
途方に暮れ
道に倒れて泣きくずれた
そして1978年の春
ついに盛大なお別れコンサートを行ったのだった
解散後も彼女たちのレコードは売れ続け
ラストシングル
“微笑みがえし”は初のオリコン1位に輝き
ライバル、ピンクレディーに一矢報いた
解散の原因については
後々まで様々に取り沙汰されたが
日本中の中高生や大学生はもちろんのこと
小学生やおじいちゃん
おばあちゃん
ポチやタマに至るまで
キャンディーズの有終の美に涙したのだった
(当時の雑誌より)
大切な誰かを失う時
その喪失感を別の何かで
補わなくてはならない
そんな初めての経験だった
「雪があ~溶けて~川が~あふれて~ありがた迷惑う~」
ガラガラガラ…
建て付けの悪い雨戸を開けた
「うー、さびい~」
暦の上では春なのに
まだまだ寒い日が続く
ある日のこと
家の狭い庭の片隅に
フキノトウが出た
出たというと
オバケみたいだが
いきなり現れたのは本当だ
僕は
フキノトウと言えば
フォークグループのふきのとうしか知らなかったので
このこんもりとした
珍妙な形状の謎の物体に手も足も出なかった
別に
出す必要もないんだけど‥
僕は
夜勤明けの親父を呼んだ
「おとー!おとー!これはなんじゃ?」
江戸時代みたいな呼び方だが
広島では珍しくない
「なんなら?朝から」
父、高杉栄一郎
タクシー運転手
趣味、酒、博打、喧嘩
朝から早速一杯やっている
夜勤だから
これから寝るところなのだ
「これじゃ、これ見てみい」
「ほほう~、フキノトウか、珍しいのお」
「フキノトウ?」
「フキノトウも知らんのか」
知らないから聞いている‥
「これは何なの?」
「だからフキノトウだ」
「それは聞いたよ、だから どうなるのこれ?」
「どうにもならん」
「そうじゃなくてさ!花が咲くとか、伸びるとか」
「これはこのままじゃ」
「成長しないの?」
「する」
ははあ?すでに酔ってんのか‥
「この芽の状態がフキノトウゆうんじゃ」
「じゃあ最初からそう言えばいいだろーが!」
「最初からそう聞けばええんじゃ」
フキノトウは
野山で採れる山菜の一種だ
蕗の花芽
つまり蕗のつぼみで
食用となる
雪解けを待たずに
芽を出すことから
春の到来を
いち早く告げる山菜として知られる
つぼみであるから
それ自体には葉も茎も枝もない
正確に言うと
あってもまだ
開いてはいない状態だ
根も葉もないという
言い回しがあるが
ここでは関係ない
天ぷらにすると旨い
独特の風味と
ほろ苦さが特徴だ
そういえば
ビールのホップ
形はアレに似ている
(他言語インターネット百科事典より)
「これがフキノトウゆうんか」
なんだか感動だ
「珍しいのお」
「そんなに珍しいんか?」
「食えるけんな、天ぷらにして食うか?」
く、食うのかこれを?
イヤだ
絶対にイヤだ‥
「い、いらんわいッ!」
「なんじゃ、旨いのにのお~」
なるほど~
これがフキノトウねえ
ふふふ‥
僕はなんだか
嬉しくなって来た
春の訪れを知らせる
蕗のつぼみ
それが
フキノトウ
野山にあるはずの
フキノトウが
我が家の庭に
僕には
そのことが
何かの吉兆のように思えた
「旨いのこれ?」
「ちょっとほろ苦いけどの」
いいぞ、いいぞ!
青春時代の真ん中は
ほろ苦いと言うじゃないか‥
しかし
フキノトウは
芽が開き過ぎると
苦くて食えなくなるとも言う
そして
僕たちの場合は
少しばかり
芽が開き過ぎていて
美味しくいただくには
アクが強すぎたのだ
「掘るか?」
「掘らんでええーっちゅうのッ!」
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遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
夏の出来事
ケンナンバワン
青春
幼馴染の三人が夏休みに美由のおばあさんの家に行き観光をする。花火を見た帰りにバケトンと呼ばれるトンネルを通る。その時車内灯が点滅して美由が驚く。その時は何事もなく過ぎるが夏休みが終わり二学期が始まっても美由が来ない。美由は自宅に帰ってから金縛りにあうようになっていた。その原因と名をす方法を探して三人は奔走する。
パーフェクトアンドロイド
ことは
キャラ文芸
アンドロイドが通うレアリティ学園。この学園の生徒たちは、インフィニティブレイン社の実験的試みによって開発されたアンドロイドだ。
だが俺、伏木真人(ふしぎまひと)は、この学園のアンドロイドたちとは決定的に違う。
俺はインフィニティブレイン社との契約で、モニターとしてこの学園に入学した。他の生徒たちを観察し、定期的に校長に報告することになっている。
レアリティ学園の新入生は100名。
そのうちアンドロイドは99名。
つまり俺は、生身の人間だ。
▶︎credit
表紙イラスト おーい
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
偽者の飼い主と二十分の散歩
有木珠乃
青春
高校一年生の児玉葉月は毎夜、飼い犬のバニラを散歩させていた。同じくクラスメイトで人気者の関屋真宙も、飼い犬のあずきを夜にさせていたため、一緒に散歩することに。
いくら犬の散歩でも、夜は危険だからという理由で。
紳士的で優しい関屋に、好意を寄せていた葉月にとっては願ってもいないことだった。
けれどそんな優しい関屋に、突然、転校の話が飛び込んくる。
葉月は何も聞いていない。毎夜、一緒に散歩をしているのにも関わらず。
昨夜は何で、何も言ってくれなかったの?
ショックのあまり、葉月は関屋にその想いをぶつける。
※この作品はノベマ、テラーノベルにも投稿しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
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