晴れのちカサブランカ〜仕事と男に疲れた片柳カオルが憧れのモロッコで飛んでもなくロマンチックな夢を見る〜

7.勝負シャドウはイヴ・サンローラン

「Non！」とは言ったものの、生理現象をないがしろには出来ない。
彼の手がいつお尻に降りてくるかもわからないし。そっちの方が問題っちゃー問題。
「Oui C’est cela」
わたしは丁寧に言い直してブルーアイズを促した。
屋上からの眺めをもう少し楽しんでいたかったけど、まだ陽も高いのにお尻を触らせるってのはわたしのモラルに反してる。彼に恥をかかせたくはなかった。

「この下にフードコートがあります。洗面所もきっと綺麗ですよ」
わたしの意図を知ってか知らずか彼は優雅な笑みを絶やさない。なんてインスタ映えする顔なんだろう。あまりの美しさについ手を出してしまいそうになる。
ダメよ！わたしの手！触れたらアンタの負けなんだから。
それにしたって「キレイなトイレ」は魅惑的な言葉だった。カサブランカに着いて以来「キレイなトイレ」には滅多にお目に掛かれなかった。
最悪なのは、ただ床に穴が空いててそばに水道の蛇口とバケツが置いてあるだけっての。バケツだって100均で売ってるのよりお粗末。床はびしょ濡れだし。どーゆーコト？
そもそも使い方がわからない。使用上の注意とかないわけ？
何処を探してもトイレットペーパーらしき物がない。
クルクル回すお馴染みのホルダー自体がない。当然、水栓レバーも見当たらない。
お尻を蛇口に当てて洗えっての？嘘でしょ。角度的に無理だし。するとバケツの意味がわからない。お掃除をしてけって事？
ごはんも手で食べるっていうから、バケツに水を張って手で洗いなさいって事なの？それなら何となく理解出来る。
わたしは仕方なくそうした。だってオシッコタンクは満タンだったし他に手段がなかった。
酷い。あんまりだ。レディーに対する最強の拷問だ。モロッコ政府を訴えてやる。
それであまり水分を摂らない様にしていたんだけど。いつかは大の方をしなくちゃなんない。生きている以上ね。
わたしは断食を覚悟した。でもさっきパンとドライフルーツを食べちゃったし。わたしってホント意志が弱い。

賑やかなフードコート。観光客半分、地元の人半分。
Tシャツやプルオーバー、ジーンズの人達とジェラバを着た人達。わっかりやすい。
ジェラバはモロッコの民族衣装。生地はキャメル、サボテン、羊と様々。カラーも柄も豊富でとってもオシャレだ。
男も女もみんな着てる。
部屋着としても外着としても使えるんだって。便利ね～
わたしの様なズボラにはもってこいのアイテム。
あら？わたしのボディーガードは？あ、そこに居たのね。
「SUSHIを食べますか？」と彼。生魚はちょっとムリ。トイレの件もあるしお腹壊したら一生後悔する事になる。気遣いは有難いけど。
「Non」わたしは断る。むしろよく火が通ったハンバーガーで良い。あとコーラ。フレンチフライ。あったらの話しだけど。
わたしはお手洗い→コッチの案内プレートをアイコンタクトで指し示す。何だか本当に催してきた。
「OK」

あースッキリ。
パウダーコーナーでお化粧を直す。やっぱりココかなり乾燥してる。
ヤバー。マツエク取れそう。エクステの接着部分に油分が付かないようアイクリームは慎重に。目元の際は綿棒と小指の先でそっと。
アイシャドウは気合入れてイヴ・サンローランのシークインクラッシュNo.1レジェンダリー・ゴールド。
どうよ。わたし。
ン～？ちょっとこれラメ感がハンパない。だから使う勇気がなかったのよね。黄金のタレをまぶしたクレオパトラみたい。
まあいーわ。こんくらいインパクトないと。海老で鯛を釣る的な。それ。

ひと通り特殊メイクを施して通路に出た。
すると何処かで人が騒いでる。すごい大きな声。アラビア語、フランス語、英語に日本語が入り混じって、まるで英会話教室の打ち上げパーティー。
怒号。それからいわゆる悲鳴ってやつがあっちからもこっちからも聞こえてきた。
わたしは草原のミーアキャットの様にだだっ広い通路に一人立ち尽くしてる。両手をぶらんと前に垂らしたまま。
ただ事じゃないって事だけは認識してた。
コーナーを曲がって男達が口々に何か叫びながら通路に雪崩れ込んで来た。
その光景はお正月の西宮神社の福男選びみたいだった。境内に殺到する徒競走自慢の男達。

わたしはYouTubeで海外のどっきりカメラを見てる様な気分だった。
口をポカンと開けて。