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悪女様はお利口なペットを御所望です

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「ごきげんよう、ハリネズミさん。近頃、可愛らしいお友達ができたと聞いたわ。私に紹介してくださる?」
「ボニータ!!お前のような悪魔に純粋な彼女を会わせるわけがないだろう!!それに、何度も言っているが、俺の名前はハリネズミではない!!」
「あら?ハリネズミさんは公爵家と伯爵家の婚約の条件を忘れたのかしら?」
「ぐっ……!!」

 脳裏にまで灼きつくほど鮮やかな紅色の髪と瞳を持つ艶麗な公爵令嬢は、穏やかに微笑む。
 見目の麗しさが令嬢達に評判の好青年風の伯爵令息は、親の敵を見るように公爵令嬢を睨みつける。
 公爵令嬢のボニータと、公爵令嬢にハリネズミと呼ばれた伯爵令息のミドルは婚約関係にある。見ての通り、仲は良好とは言えない。
 それもそのはず、この婚約は、伯爵が自身の息子を借金の形として公爵家に差し出したことでかろうじて成り立ったものであり、円満な関係性などは初めから存在していない。
 多額の借金を抱えた伯爵家と婚約という形で縁を結んだところで、公爵家に大した利益は産出されない。
 ではなぜ、公爵家は婚約を承知したのか?

「ハリネズミさんは私の言うことを必ず聞くこと。これが伯爵家の借金返済の猶予として成立した婚約の条件だったわね?」
「……紹介はする。ただし、アグネスに悪事を働いたら許さないからな!!」
「悪事だなんて。お友達がおイタをしなければ何も心配することはなくてよ」

 伯爵令息は、婚約者であるボニータの願いも命令も何もかもに従うこと。これが婚約を成立させるにあたって、公爵家が提示した条件だった。
 伯爵は躊躇うことなくその条件を呑んだ。令息が婚約とその条件を知ったのは、婚約が成立した後だった。

 公爵令嬢について、社交界では様々な評判が流れている。豪華絢爛なドレスやジュエリーを常に身に纏う強欲な毒花。数多の美男を侍らせて玩具のように扱っている傲慢な女王気取り。悪女の名に相応しい評価も複数存在している。
 伯爵令息は、そんな悪辣な相手が己の婚約者であることが許せなかった。
 知らぬ間に成立して強制された婚約は、望まぬ相手に加え、明確な上下関係が存在する。伯爵令息は日々不満を募らせるばかりであった。

 友人の紹介は、明日のティータイムの時刻に公爵邸にて。
 話が済んだのならと、伯爵令息は風のごとく公爵令嬢の前から去っていった。
 その後ろ姿を、令息にさして関心のない公爵令嬢は視界に留めようともしなかったが、公爵令嬢に付き従う清らかな美貌の執事は憎しみを込めて見つめていた。



 公爵邸の美しきガゼボでは、家主の娘である公爵令嬢と伯爵令息に連れてこられた男爵令嬢が向き合っている。
 伯爵令息は公爵令嬢の命令により即刻帰らされた。男爵令嬢を傷付けたら許さないという台詞を残して。
 1人公爵令嬢と向き合っている男爵令嬢は、真剣な面持ちだ。伯爵令息が隣にいた時の不安げな様子は影を潜めている。

「あなたは最近ハリネズミさんと仲良くなったそうね。どのようにして知り合ったの?」
「私が町にこっそり出かけていた時に偶然声を交わすような出来事が重なりまして、そのうちお食事をご一緒するようになりました」
「ハリネズミさんとのお食事はどうだったかしら?」
「さすが、女性を喜ばせることがお上手な方だと思いました」
「あなたも楽しめたということ?」
「そうですね。ある意味楽しかったのかもしれません」

 繰り返している逢瀬の数に反して、男爵令嬢の口ぶりは、伯爵令息との親密な関係性は伺えない。
 伯爵令息の熱量に対して、男爵令嬢は至って淡々と落ち着いている。
 なぜなら、男爵令嬢は伯爵令息と深い関係になりたいなどと微塵も思っていないからだ。
 伯爵家が多額の借金を抱えていることは有名な話だ。家格が上とは言え、縁を繋いだところで利益を得られるとはとうてい思えない。
 なおかつ伯爵令息は複数名の女性のパトロンを得ており、パトロン以外にも噂の相手に事欠かない恋多き青年であることは、社交界では大半の人が知っている。
 これらのことから、伯爵令息と結ばれたいなどと本気で考える貴族令嬢は非常に少ない。

「あなた、私にお願いしたいことはあるかしら?」
「……実は、ボニータ様に、私の従兄のパトロンになっていただきたいのです」

 そして、伯爵令息との接触を試みる貴族令嬢の大半は、恋遊びの刺激を求めている令嬢か、公爵令嬢への縁つなぎへの足がかりの道具と考えている令嬢だ。男爵令嬢もまたその例から漏れていない。
 公爵令嬢は、複数名の男性のパトロンをしている立場であった。
 幸か不幸か、その公爵令嬢の行為を正しく知る者は、社交界ではほんの一部である。
 公爵令嬢が日頃纏っているドレスもジュエリーも、公爵家の美しき庭園もテーブルに並べられた可愛らしいスイーツも、センスや技を磨くことに注力できるようにと公爵令嬢から支援を受けてきた青年達が作り上げたものだった。
 これらの貢物は、青年達から公爵令嬢への感謝の印である。さらには、公爵令嬢にとっては誤算の求愛の意味も含まれていた。

 男爵令嬢の返答に、答えはこちら側だったか、と公爵令嬢は内心落胆した。

「このお話を当の従兄さんは知っているの?」
「従兄は知っています。……叔父や叔母は知りませんが」
「そう。まぁ、そこは私は口出しはしないでおくわ。それで?従兄さんは何を夢見て燻っているのかしら?」
「歌です。従兄はとても素晴らしい歌声の持ち主で、本人も歌を生業にして生きていきたいと思っているのですが、叔父達は騎士になれと言うばかりで聞く耳を持ちません。従兄の体格を踏まえても騎士には向いていませんし。ボニータ様の庇護下に入ることができれば、叔父達に邪魔されることなく、従兄は歌の道に進むことができると思うのです」
「一先ずはその従兄さんの歌を聞かせてくださる?私がパトロンになるかどうかはご自慢の歌声を知らなければ判断のしようがないわ」
「ぜひ、お聞きください!必ずお気に召されるという自信があります!」

 男爵令嬢は意気揚々としている。余程従兄の歌声に自信があるのだろう。
 従兄と公爵令嬢を引き合わせる段取りがついたところで、目的は果たしたとばかりに男爵令嬢は達成感に満ちた顔をしているが、公爵令嬢には年のために確認しておきたいことがあった。

「あなたはハリネズミさんとの関係をどのように考えているのかしら?」
「事が成れば、少しずつ距離をとっていきます。ボニータ様とのご関係を邪魔するつもりは一切ありません」

 男爵令嬢はにこやかに答えた。
 公爵令嬢は馬鹿にされたのだろうかと、内心少しだけ苛立った。
 公爵令嬢の側に控えていた執事は、その比にはならないほどの怒りを覚えていた。



 甘いお菓子を食べ切った男爵令嬢は、満足げな様子で公爵邸をあとにした。
 たくさんのスイーツやらで賑やかだったテーブルは使用人達によって片付けられた。
 今は優美なティーセットのみが並べられ、ベルガモットの香り漂う紅茶がポットからカップへと注がれている。
 この美しきティーセットもまた、いつか公爵令嬢がパトロンとなって支えた青年が作り上げたものであった。
 ガゼボの空気は、暗いというほどでもないが、決して明るくもなかった。

「事前調査で予想できていたとは言え、今回も宛が外れてしまいましたね、ボニータ様」
「……そうね」
「あの愚か者を引き受けてくれる女性など稀有な存在ですから、手こずってしまうのも仕方ありません」
「私が態々会ってあげてるのがいけないのかしら?」
「あの男爵令嬢は、ボニータ様に従兄殿のパトロンを願い申すことが目的でしたから、何としてでもボニータ様との接触を図ったと思いますよ」
「ならば遅かれ早かれね」
「左様でございます」

 公爵令嬢と伯爵令息の婚約に、伯爵令息が不満を抱いているのは社交界では有名な話。そして、社交界で気付いている者は少ないが、公爵令嬢もまた己の婚約に不満を抱いている。
 傲慢で強欲だと評判の公爵令嬢は、自身のパートナーに相応しい存在はいないと考えている。
 故に一代限りの爵位を賜り、生涯独身でい続けることを計画している。公爵や公爵夫人が娘の将来設計をどのように考えているかは別の話だが。
 貴族令嬢が描くには荒唐無稽に思える未来も、様々な青年達のパトロンを務めてきたことで着実に協力者を得続けている。
 公爵令嬢は、パトロンとして青年達を支援し成功へと導くことで、謝礼として独立後の生計の手伝いをしてもらおうと考えていた。
 しかし、何事も予定外の事態は発生してしまうというもの。
 青年達は、己の見目や色には関心を示さず、才能の開花のみを純粋に求められ続けた結果、誰もが麗しき公爵令嬢の愛を求めるようになっていたのだ。
 気づけば止まぬ求愛に、公爵令嬢は煩わしいことが増えてしまったという認識だ。その姿が悪女としての名を広げることもある。
 常時公爵令嬢に付き添い侍る清麗な執事もまた、公爵令嬢に拾われ育てられ救われた1人であった。

「ボニータ様とあの愚者が夫婦になるなど決してあり得ませんが、使える内はまだ使って差し上げてもよいのではありませんか?ボニータ様に愛されていると勘違いを起こすことがあれば業服ですが、ペット集めの役には立っているようですし、一応虫除けにもなっています」
「ハリネズミさんがお利口さんなら、籍を入れるだけならしてもいいかとも思えるのだけどね」
「あれが愚か者でよかったと心から思いますよ。私が必ずボニータ様とあの虫けらの婚約を破談にしてみせます」
「お好きになさい」

 公爵家によって手塩にかけて育てられたはずの執事は、身内の前では感情を自制する素振りが見られない。
 主である公爵令嬢からの待てがかろうじてできるといったところは、一応評価されている。

「それにしても、またペットが増えるのですね。ボニータ様の忠実なる下僕が増えることは喜ばしいのですが、ボニータ様の心を配る対象が増えると思うと、嫉妬で胸が焦がれて、この身がボロボロに焼ききれてしまいそうです」
「オオカミさんは執事として分を弁えなさい」
「かしこまりました。私は必ずやボニータ様が欲しくて堪らなくなる魅力的な男性になってみせます」

 執事の表情は恍惚とし、公爵令嬢は呆れて溜息をついた。
 執事は、公爵令嬢が偶然出会って拾った孤児であり、公爵令嬢が最初にパトロンになった相手である。
 貴族令息として立派に育て、後継を探している貴族に養子として売り出す予定だった。
 しかし、当の本人は公爵令嬢の執事の立場を強く望み、決して公爵令嬢の側を離れようとしなかった。
 あまりにも強情なため、折れたのは公爵家の方だった。申し分ない教育を施したという自負もあり、公爵令嬢の世話役や秘書、さらには護衛としても役に立つだろうと考えたのだ。実際、その役割は十二分に果たしている。
 浅慮な伯爵令息を一時的にでも公爵令嬢の婚約に据えることを受け入れたのは、この執事の存在あってこそでもある。
 困りごとと言えば、公爵令嬢へのただならぬ恋慕のみ。
 公爵令嬢は世話を焼きすぎたのかもしれないと、その後の支援対象には適度に距離を置くことを心がけたが、事はそう思い通りにはいかないのであった。


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