上 下
7 / 34

帰郷

しおりを挟む
 神殿に戻る馬車が待機する場所にまで歩いた時、ライラは王宮の一角から視線を感じた。

「……?」

 何気なくその方向を見上げたが、そこには誰もいないバルコニーがあるだけだった。

「聖女様、どうかなさいましたか?」
「いえ、気のせいだったみたい。戻りましょう……」
「そうですな。このような気分の悪い場所などさっさと去りましょう」
「そうね……、新たな聖女様に期待をしたいところだわ」
「期待、ですか?」

 神殿騎士の問いには返答しないまま、ライラは神殿に戻ることにした。
 しかし、自分の都合だけで決めたことを押し通していいものだろうか? 神殿や、これまで管理を任されたいたクレストの部下たち、奴隷から解放した仲間の獣人たちはどう思うのかしら? 裏切られた、そう罵られても仕方ないのかもしれない。
 
「あの振る舞いにまだお怒りですか、聖女様?」
「リー騎士長……どうして獣人というだけであんな扱いを受けるのかと。私はこれまでとても恵まれていたのだなとそう、思いました。クレストで解放した元農奴たちはどんな思いで生きてきたのかと」
「……聖女としては模範的な回答だと思いますが、ライラ様。それが御本心ですか?」
「あっ。何故?」

 困った顔をするライラにリー騎士長は父親のような微笑みを見せていた。
 
「ライラ様。もう十年のお付き合いですよあの振る舞いに、よく我慢なさいましたな。剣を抜かせたところであの近衛騎士たちなら――我らでも勝てたでしょうがそれでは神殿と王家との対立となってしまう。と、いうところですか我慢された原因は」
「まあ、そう……です、ね。それに」
「王太子妃様の聖女になりたい宣言、ですな。問題は」
「え、あの」 
「まさか任期まで聖女でいるおつもりですか?」
「いえ、ですから……その。もう、嫌だと――すいません」
「私と大神官様の前でなら、あなたは殊勝な十六歳の少女に戻られる。いいのではないですか、任せてしまえば」
「でもっ」
「決めたのでしょう? 決めかねているから、どうしようかと悩んで顔を曇らせている。違いますか?」
「誤魔化せませんね、でも任せれるのでしょうか? もしかしたら王太子妃様は数週間でお亡くなりになるかもしれません。私は精霊王様との約束も、王太子殿下との任期まで務めるという約束も破ってしまいます」
「では、ご相談成されるのですな。大神官様に。それから決めても遅くない。ただ――あんな振る舞いに罵詈雑言を浴びせてくる主人など……鞍替えができるならばしたい者もいるでしょう。彼が王になられた後に戦争など起こらなければいいが」
「相談ですか」
「ええ。それが一番でしょう。可能ならば――精霊王様とお話されるのが良いですが」
「……主はここ数年、沈黙されたままですから」
「でしたな。何もなければよいのですが」

 相談してみます。そう言うと、馬車が神殿に戻った時、ライラは神官たちが寝起きする棟の大神官の部屋を目指した。
 体調がすぐれない彼にこんな話をすることには気が引けたが、それでも、もう決めたことだ。
 自分の人生、自分のために使って何が悪いというの、これまで命をかけて国民を守ってきたことが王族に理解されていないことが何よりも辛い。
 そんな彼女の急な来訪を、大神官は待っていたかのように部屋に招き入れてくれたのだった。

「急なことですが、聖女を辞めることにしました。精霊王様はお許しになるでしょうか? 大神官様はどう思われますか……?」

 寝たきりの老人は御付きの者に身を起こさせると、下がるように言いつけて室内は二人きりになる。
 いきなりそんな話題を切り出したライラに大神官はまるで実の祖父のように微笑んで返した。

「実は、そうさな。どういうべきか、先ほどまで話していた」
「話? あのさっき出ていった者とですか?」
「うん? ああ、そうだな。あれはもう長い。ずっと共にいたよ」
「まだ若く見受けられましたが……」
「話は聞いた。王宮での王太子夫妻のふるまいも、神殿やあなたの故郷の仲間を侮辱されたことも。それは許されないことだ。聖女に手を挙げるなと、神殿に敵対するに等しい。何より――」
「どうしてそこまでのことを!? 彼は――どなただったのですか?」
「まあ、聞きなさい。王太子妃が聖女になりたいというなら、ならせてやればよい。あれも怒っていた。これからは聖女がいなくとも結界を維持できるようにするとそう言っていたよ。ただ、効果は幾分、薄れるがね……それも身から出た錆だ」
「それはつまり……!?」

 しーっ、と大神官は人差し指を立てると、口の前にそれを持ってきて秘密だ、とそんな仕草をした。
 驚きのあまり声がでないライラは呆れてしまうばかりだ。
 この老人と彼……精霊王はなんと、自分がこの神殿に入る前からこうやって、親しく話をしてきたというのだから。

「あれとはな、わしの妹が聖女になり、彼女を亡くした悲しみでわしが立ち直ることが出来なかった時、たまたま偶然のいたずらで出会ったのだ」
「そんなお話、初めて耳にしましたわ。それにしても、そうならそうと教えてくだされば……何より、聖女の親族の悲しみを知っているなら、精霊王様だってこんな十年の寿命だけにしなくてもいいのに……!」
「まあ、そう責めて差し上げるな、ライラ。死んでいった聖女たちは――国の外のどこかで生まれ変わっている。というよりは、蘇生し、新たな人生を過ごしている。これまでずっとそうだった。秘密だがな」
「ではなぜ、十年という区切りを!?」
「人の世の治世はそれくらいがキリが良いのだそうだ」
「それでは納得致しかねます! 死んだ者は国内に戻れず、家族にも会えずに死ぬまで別人となって生きることになるではないですか……そんな悲しい運命をなぜ、精霊王様は歴代の聖女に与えたのですか……!?」
「なぜ、か。死に蘇生しても聖女の力を失うわけではないのでな。少しばかり、力は残っている]
「大神官様、ライラには意味が分かりかねます……」
「この国では王族と聖女の地位は等しい。国外ではどうかな?」
「いいえ、それはまるで知らない――結界の外の世界のことはあまり知らされておりません。ただ、外には魔族がおり瘴気があり、それを防ぐために国外との交流はあまりないとしか……知りません」
「そうだな、ライラ。それを望んだのが精霊王様と契約された初代の国王だった。外の世界でも王族とまではいかないが、貴族のような地位が与えられて暮らせるとすれば、どうかな?」
「つまり、それが聖女を十年続けたことの……報酬、だと……? でも望まない方もいたのでは? 戻りたいと泣いた方もいたはずです。なのに、戻れなかったのですか? 誰も?」
「戻れば結界の使い方を知る人間が二人になる。それでは、魔族などにもし操られた時どうなると思う?」
「あっ……」
「そういうことだ。あくまで聖女は国内に一人だけということだな。役目が終われば戻れない、いや戻してやりたくてもできなかったのだろう。多くの国民の命がかかっていただろうからね。……さて、話を戻そうかライラ。新たな聖女様は王太子妃様と決まった。引き継ぎなどはこちらでしておくとしよう。それまでは、このおいぼれの命も持つだろうしな」

 そなたは今夜、故郷に戻りなさい。
 そう言うと大神官は人を呼び、ライラの荷造りをするように命じてしまった。
 荷物と共に神殿をライラが出たのはその夜遅く。
 誰にも知られないように、粗末な馬車一台だけの帰郷だった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

虐げられた第一王女は隣国王室の至宝となる

珊瑚
恋愛
王族女性に聖なる力を持って産まれる者がいるイングステン王国。『聖女』と呼ばれるその王族女性は、『神獣』を操る事が出来るという。生まれた時から可愛がられる双子の妹とは違い、忌み嫌われてきた王女・セレナが追放された先は隣国・アバーヴェルド帝国。そこで彼女は才能を開花させ、大切に庇護される。一方、セレナを追放した後のイングステン王国では国土が荒れ始めて…… ゆっくり更新になるかと思います。 ですが、最後までプロットを完成させておりますので意地でも完結させますのでそこについては御安心下さいm(_ _)m

【完結】本物の聖女は私!? 妹に取って代わられた冷遇王女、通称・氷の貴公子様に拾われて幸せになります

Rohdea
恋愛
───出来損ないでお荷物なだけの王女め! “聖女”に選ばれなかった私はそう罵られて捨てられた。 グォンドラ王国は神に護られた国。 そんな“神の声”を聞ける人間は聖女と呼ばれ、聖女は代々王家の王女が儀式を経て神に選ばれて来た。 そして今代、王家には可愛げの無い姉王女と誰からも愛される妹王女の二人が誕生していた…… グォンドラ王国の第一王女、リディエンヌは18歳の誕生日を向かえた後、 儀式に挑むが神の声を聞く事が出来なかった事で冷遇されるようになる。 そして2年後、妹の第二王女、マリアーナが“神の声”を聞いた事で聖女となる。 聖女となったマリアーナは、まず、リディエンヌの婚約者を奪い、リディエンヌの居場所をどんどん奪っていく…… そして、とうとうリディエンヌは“出来損ないでお荷物な王女”と蔑まれたあげく、不要な王女として捨てられてしまう。 そんな捨てられた先の国で、リディエンヌを拾ってくれたのは、 通称・氷の貴公子様と呼ばれるくらい、人には冷たい男、ダグラス。 二人の出会いはあまり良いものではなかったけれど─── 一方、リディエンヌを捨てたグォンドラ王国は、何故か謎の天変地異が起き、国が崩壊寸前となっていた…… 追記: あと少しで完結予定ですが、 長くなったので、短編⇒長編に変更しました。(2022.11.6)

自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのはあなたですよね?

長岡更紗
恋愛
庶民聖女の私をいじめてくる、貴族聖女のニコレット。 王子の婚約者を決める舞踏会に出ると、 「卑しい庶民聖女ね。王子妃になりたいがためにそのドレスも盗んできたそうじゃないの」 あることないこと言われて、我慢の限界! 絶対にあなたなんかに王子様は渡さない! これは一生懸命生きる人が報われ、悪さをする人は報いを受ける、勧善懲悪のシンデレラストーリー! *旧タイトルは『灰かぶり聖女は冷徹王子のお気に入り 〜自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのは公爵令嬢、あなたですよ〜』です。 *小説家になろうでも掲載しています。

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

そう言うと思ってた

mios
恋愛
公爵令息のアランは馬鹿ではない。ちゃんとわかっていた。自分が夢中になっているアナスタシアが自分をそれほど好きでないことも、自分の婚約者であるカリナが自分を愛していることも。 ※いつものように視点がバラバラします。

義妹に婚約者を奪われて国外追放された聖女は、国を守護する神獣様に溺愛されて幸せになる

アトハ
恋愛
◆ 国外追放された聖女が、国を守護する神獣に溺愛されて幸せになるお話 ※ 他の小説投稿サイトにも投稿しています

偽物と断罪された令嬢が精霊に溺愛されていたら

影茸
恋愛
 公爵令嬢マレシアは偽聖女として、一方的に断罪された。  あらゆる罪を着せられ、一切の弁明も許されずに。  けれど、断罪したもの達は知らない。  彼女は偽物であれ、無力ではなく。  ──彼女こそ真の聖女と、多くのものが認めていたことを。 (書きたいネタが出てきてしまったゆえの、衝動的短編です) (少しだけタイトル変えました)

出来損ないと言われて、国を追い出されました。魔物避けの効果も失われるので、魔物が押し寄せてきますが、頑張って倒してくださいね

猿喰 森繁
恋愛
「婚約破棄だ!」 広間に高らかに響く声。 私の婚約者であり、この国の王子である。 「そうですか」 「貴様は、魔法の一つもろくに使えないと聞く。そんな出来損ないは、俺にふさわしくない」 「… … …」 「よって、婚約は破棄だ!」 私は、周りを見渡す。 私を見下し、気持ち悪そうに見ているもの、冷ややかな笑いを浮かべているもの、私を守ってくれそうな人は、いないようだ。 「王様も同じ意見ということで、よろしいでしょうか?」 私のその言葉に王は言葉を返すでもなく、ただ一つ頷いた。それを確認して、私はため息をついた。たしかに私は魔法を使えない。魔力というものを持っていないからだ。 なにやら勘違いしているようだが、聖女は魔法なんて使えませんよ。

処理中です...