冒険者ギルドの料理番

和泉鷹央

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第一話 雪の国のオフィーリア

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 世界の深淵はどこまでも蒼く、そして闇色に輝いていて、どんなにもがいても自分を手放してはくれないのだと。
 一度その深みにはまってしまったら抜き出すことは容易ではないのだと、オフィーリアは知る。
 最後に振り絞ったその一滴。
 たった一粒の雫が魔力の弾丸となり、相手に届くはずだった。
『紫焔』と呼称されるその幻獣はこの世とは異なる場所に一枚の空間を隔ててその本体を安全に守りながら、敵を攻撃する。
 攻撃を放つ際にたった一瞬だけ。
 その空間の壁が小さくだけれど、親指大の穴を開ける。
 故郷が襲われた時、その場所を狙って村の皆が攻撃をしていた。
 あの時はまだ幼い子供のような魔獣だった。それでも雪を溶かす土を腐らせ、風を死の毒素に変えて村の半数以上が死ぬ大災害だった。
 今目の前にいるこいつは、それよりも数百倍も数千倍も長い時間と巨大な魔力を秘めていて、ここで仕留めなければ被害はより大きくなるだろうと思われた。
 何よりこいつを仕留める方法を知っているのは――多分、私だけ。
 あの総合ギルドのなかで、自分だけでしかないだろうとも思われた。
 一応、自分が戻らなかった時のためにこの魔獣の対処法は記してきた。
 だけど、それが役に立つとは限らない。
 恐ろしくも強大なこの魔の存在は、ランクSの冒険者でも満足に太刀打ちできるかどうか。
 勇者や聖女や、選ばれた精霊使いに賢者や剣聖など、神や魔王に等しい能力者でないと、完全に滅することは難しいだろうと思われた。
 ああ、腕が滅びていく。
 魔力の弾丸は、あの穴を貫くことができなかった。
 指先が真っ黒に染まり、肘の上から肩の方にまでそれはあっという間にやってきた。
 あの時もしも、全て教えてやるという彼の言葉を信じていたら、こうはならなかっただろうか。
 そんな本当か嘘かもわからないあの問いかけを真に受ける方がどうかしている。
 自分の判断は間違っていなかったのだ。
 ただ、敵があまりにも強大な故に‥‥‥この命を散らしても奴を仕留めることができないという悔しさだけがオフィーリアの脳裏を占めていた。
「もう一度! もっと、もっと‥‥‥もっとたくさん食べたかった。あの料理を死ぬ前にもっとたくさん。甘いお菓子も‥‥‥」
 それはねだることができなかったものだ。
 オボロイカから母親はどうやってか、甘いお菓子を作り出していた。
 内臓のどこかに糖分を貯めるところがあるのだと言っていた。
 そこには良質な糖が蓄積され、それを丸ごと素揚げするだけで甘い甘い舌先でとろけるような芳醇な香りのする砂糖菓子ができるのだと、記憶には知っていたけれど。
 でもそれがどこにあるのかわからなかった。
 何よりそれを作って欲しいと言えなかった。
 あの料理人、ナガレが四苦八苦しながら冷凍されたオボロイカと格闘して、何時間もかけて自分のために料理を作ってくれたから。
 それを言うのは贅沢だと思った。
 だから言えなかった。でも今は誰も聞くものがいない。叫んだとしても怒られることはないだろう。
「もう一度、あの甘い砂糖菓子を食べたかった!」
 黒い闇は胸元まで這い上がり、多分今頃は顔を覆うようになっているだろう。
 自分は今からこの魔獣に食されるのだと思うと、なんだか妙な気分になる。死を恐れるというよりも、代金を支払えないと嘆いていた彼の声が脳裏によみがえってしまい、恐怖を感じるよりも先にごめんなさいと呟いてしまう。
 それを許す言葉を願ったわけじゃない。
 でも返事は確かに戻ってきた。
「気にするな。それを回収しなきゃなー‥‥‥ああ、これみんなには秘密にしてくれよ?」
 己の肉体を犯そうとしている闇とは別の昏い何かに覆われていた。
 耳元に聞こえたその声は謝罪を受け入れてくれた。その声は間違いなく彼の――ナガレのものだった。
 そこから先のことはあまりよく覚えていない。
 気づけば魔獣の紫焔は消えていて自分は地面に寝かされ、彼もまた疲れ果ててその隣にしゃがみこんでいた。
「まだ食べれるかな?」
「戻ったら調理する。だからちょっと待ってくれ‥‥‥疲れた」
 そのやりとりに、自分は救われたのだとオフィーリアは安堵の涙を流した。
「わかった。待ってるから必ずね」
「もちろん」
 俺も食べてみたい。
 ナガレは苦笑してそう言った。
 後日、死を覚悟して挑んだランクSの昇格試験に、オフィーリアは合格した。
 その手に合格証書と小さなお菓子を手にして。
 彼女はナガレとともに、テーブルを囲みこれからの話をするのだった。
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