上 下
98 / 104
第九章

忘れられない顔

しおりを挟む

「なにしてるのよ、ほら。早く行って下さいな、お嬢様」
「ちょっ……待ってってば。まだ心の準備が――ッ」

 東の離宮。
 まだうら若い貴族の婦女子が出歩くにしてはちょっと遅すぎる時間帯。
 御供もつけず、護衛も無し。
 そういう状態だったら彼女達はそれぞれ態度父親にとても怒られたことだろう。
 しかし今回は近衛騎士なんてものがそばにいて、これから会うのがこの国で五本の指に入るくらい偉い人物で、その傍らにはケイトの恋人もいる。

「心の準備って、そんなもの必要ないでしょ。さっさとやることやって帰りましょうよ」
「やることってっ――ケイト! 言い方が貴族令嬢らしくない……」
「どうでもいいでしょそんなこと。いい、アイリス? あなたは私とヴィクターとの大事な大事な時間をまた奪うつもりなの?」
「そんなことは――そんなことはないわよ」
「じゃあしっかりしてちょうだい。殿下ときちんとお話をしてね。わたし達、下のものが迷惑を被らないように」

 迷惑、と言うキーワードがとても強調された一言だった。
 多分これで婚約者との仲が破談になったら、ケイトは一生口をきいてくれないだろう。
 そう予感させる一言だった。

「ちゃんとする、ちゃんとしますからッ! 私が殿下とお話をしている間に、二人はこの前の埋め合わせを、ね?」
「当たり前です!」

 騎士の手を借りて馬車を降りた二人の貴族令嬢は、ひそひそと顔を寄せ合い乙女の会話とかいうやつで誤魔化しつつ、これからの算段を練る。

「こちらにどうぞ。アズライル王子も、オンセド男爵もお待ちになっております」
「……オンセド男爵?」

 思わず小さく問いかける。
 ケイトはもう忘れたの、とそんな顔をした。
 そうだった。ヴィクターは父親の跡を継いですでに男爵様になっていたのだ。
 それも王国ではなく――アイリスに剣を突き立てて、女神サティナの妹アミュエラの名誉を回復したあの王国騎士が守る街の隣……帝国の男爵。

「帝国の爵位だったら、規模が違うからこの国では子爵位の権力があったりして……」

 ふと二国間の規模を思い浮かべ、そんなことを思ってしまう。
 ケイトは逆玉というか。
 彼女の実家が子爵だから、釣りあいはとれているのだろう。
 いい侍女だけど、いまでもこれだけ口うるさいのだから、結婚したらヴィクターも大変ね。
 口には出さず、心でそう呟くアイリスだった。
 そして離宮に入れば、通された場所には見知った相手がいる。

「……あ――っ……。でん、か……ッ」
「よく来てくれたな、アイリス。随分、時間を変えたのは困りものだが。元気そうで何よりだ」

 忘れられない顔が、そこにはあった。
 金髪碧眼、まあまあ悪くない美丈夫。
 しかし王太子として甘やかされてきた彼の顔は、わがままと尊大さと、弱い立場の者を思い合えるはずの優しさはそこにはない。

「お久しぶりです、殿下。ご機嫌麗しゅう――その節は私のわがままを聞き届けてくださいまして、アイリス、深く感謝致しております」
「感謝、な。こちらの予定を変じるようにしないで頂きたい、ドナード侯爵令嬢殿」

 冷たい返事――予想していたこととはいえ、心が冷たさを感じていた。
 頭二つほど高い長身から見下ろされると、普通の子女なら黙り込んでしまうかもしれない。
 この頃からこんな醜い顔をしていたんだ……。
 アイリスは真っ先に目に入ってきたその顔を見て、ちょっと唖然としてしまった。
 この時の彼は二十四歳。
 軍務や政務で忙しい最中だったからだろう。
 前回、会う約束をすっぽかしたものだから、アイリスにいささか腹を立てているように見えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹と寝たんですか?エセ聖女ですよ?~妃の座を奪われかけた令嬢の反撃~

岡暁舟
恋愛
100年に一度の確率で、令嬢に宿るとされる、聖なる魂。これを授かった令嬢は聖女と認定され、無条件で時の皇帝と婚約することになる。そして、その魂を引き当てたのが、この私、エミリー・バレットである。 本来ならば、私が皇帝と婚約することになるのだが、どういうわけだか、偽物の聖女を名乗る不届き者がいるようだ。その名はジューン・バレット。私の妹である。 別にどうしても皇帝と婚約したかったわけではない。でも、妹に裏切られたと思うと、少し癪だった。そして、既に二人は一夜を過ごしてしまったそう!ジューンの笑顔と言ったら……ああ、憎たらしい! そんなこんなで、いよいよ私に名誉挽回のチャンスが回ってきた。ここで私が聖女であることを証明すれば……。

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

〖完結〗幼馴染みの王女様の方が大切な婚約者は要らない。愛してる? もう興味ありません。

藍川みいな
恋愛
婚約者のカイン様は、婚約者の私よりも幼馴染みのクリスティ王女殿下ばかりを優先する。 何度も約束を破られ、彼と過ごせる時間は全くなかった。約束を破る理由はいつだって、「クリスティが……」だ。 同じ学園に通っているのに、私はまるで他人のよう。毎日毎日、二人の仲のいい姿を見せられ、苦しんでいることさえ彼は気付かない。 もうやめる。 カイン様との婚約は解消する。 でもなぜか、別れを告げたのに彼が付きまとってくる。 愛してる? 私はもう、あなたに興味はありません! 設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 沢山の感想ありがとうございます。返信出来ず、申し訳ありません。

わたしのことはお気になさらず、どうぞ、元の恋人とよりを戻してください。

ふまさ
恋愛
「あたし、気付いたの。やっぱりリッキーしかいないって。リッキーだけを愛しているって」  人気のない校舎裏。熱っぽい双眸で訴えかけたのは、子爵令嬢のパティだ。正面には、伯爵令息のリッキーがいる。 「学園に通いはじめてすぐに他の令息に熱をあげて、ぼくを捨てたのは、きみじゃないか」 「捨てたなんて……だって、子爵令嬢のあたしが、侯爵令息様に逆らえるはずないじゃない……だから、あたし」  一歩近付くパティに、リッキーが一歩、後退る。明らかな動揺が見えた。 「そ、そんな顔しても無駄だよ。きみから侯爵令息に言い寄っていたことも、その侯爵令息に最近婚約者ができたことも、ぼくだってちゃんと知ってるんだからな。あてがはずれて、仕方なくぼくのところに戻って来たんだろ?!」 「……そんな、ひどい」  しくしくと、パティは泣き出した。リッキーが、うっと怯む。 「ど、どちらにせよ、もう遅いよ。ぼくには婚約者がいる。きみだって知ってるだろ?」 「あたしが好きなら、そんなもの、解消すればいいじゃない!」  パティが叫ぶ。無茶苦茶だわ、と胸中で呟いたのは、二人からは死角になるところで聞き耳を立てていた伯爵令嬢のシャノン──リッキーの婚約者だった。  昔からパティが大好きだったリッキーもさすがに呆れているのでは、と考えていたシャノンだったが──。 「……そんなにぼくのこと、好きなの?」  予想もしないリッキーの質問に、シャノンは目を丸くした。対してパティは、目を輝かせた。 「好き! 大好き!」  リッキーは「そ、そっか……」と、満更でもない様子だ。それは、パティも感じたのだろう。 「リッキー。ねえ、どうなの? 返事は?」  パティが詰め寄る。悩んだすえのリッキーの答えは、 「……少し、考える時間がほしい」  だった。

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?

秋月一花
恋愛
 本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。  ……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。  彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?  もう我慢の限界というものです。 「離婚してください」 「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」  白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?  あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。 ※カクヨム様にも投稿しています。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

【1/23取り下げ予定】あなたたちに捨てられた私はようやく幸せになれそうです

gacchi
恋愛
伯爵家の長女として生まれたアリアンヌは妹マーガレットが生まれたことで育児放棄され、伯父の公爵家の屋敷で暮らしていた。一緒に育った公爵令息リオネルと婚約の約束をしたが、父親にむりやり伯爵家に連れて帰られてしまう。しかも第二王子との婚約が決まったという。貴族令嬢として政略結婚を受け入れようと覚悟を決めるが、伯爵家にはアリアンヌの居場所はなく、婚約者の第二王子にもなぜか嫌われている。学園の二年目、婚約者や妹に虐げられながらも耐えていたが、ある日呼び出されて婚約破棄と伯爵家の籍から外されたことが告げられる。修道院に向かう前にリオ兄様にお別れするために公爵家を訪ねると…… 書籍化のため1/23に取り下げ予定です。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

処理中です...