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第四章
張子の熊
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伝説級の魔物なんて用が無いのよ……。
アイリスはああ、うるさーい、とぼやくと両耳を抑えた。
威嚇に恫喝を含めたようなその雄たけびはしかし、どうにも肝心なものが足りないものを感じさせる。
バルッサムと伝承に謡われる魔物は確かにそこにいるのだ。
真紅の髪を魔法の風にたゆたわせた、炎の女神の女司祭の眼下に。
そのはずなのに、足りない。
「魔素の変動が少ない、魔力の揺らぎが足りない、何より――世界の変革が起きてない」
魔力は世界に空気と同じように存在する。
それを生み出す元になるのが魔素だ。
魔素はふんだんにどこにでもあるけど、あんな魔物が出てくれば大量に消費されるはず。
いわば、コップに並々と注いだ水を何かでいきなりくみ出したら、周囲の水はその空白部分を埋めようとして流れ来んでいくはずなのだ。
「それすらも無いってことは幻覚かしら? にしても、木々は倒れてるし、家も崩されたし。あれ?」
試しにあまり威力の少ない火の球をいくつか創り出して、バルッサムにぶつけてみた。
これだけ標的が大きいと、外すなんてこともなく、熊はそれを鬱陶しいと片手で払って吹き飛ばしてしまう。
周囲に被弾した火球は余波を伴って、いくつかの火災を起こし始めた。
「あ――っ! いけない、火事になるじゃないの! 貴方、きちんと受け止めてくれないと困ります!」
周りで聞いていたらひどい要求だと思うかもしれない事をアイリスが叫ぶと、バロッサムは口元を歪め、明らかにバカにしたような笑みを作っていた。
お前の吹けば飛ぶようなそんな炎など、自分の毛皮の厚さには通用しないぞ?
そんな笑みだった。
アイリスの対抗心がむくりと起き上がる。
「いい度胸だわ。たかだか伝説の闇の中に生きて来たようなそんな低俗な存在が、私に挑もうなんて生意気なのよ!
!」
私が誰の女司祭か思い知らせてあげる。
そんな生来の苛烈さが眠っていた少女の魔力にそっと火をつけた。
しかし、奇妙だ。
天空を歩くようにアイリスは歩を進め、どう見ても赤茶けた巨大熊へと雷火だの、ドロリとした大地の底より召喚した溶岩だのをぶつけてみるも、どうにも手ごたえがない。
まるでそこにだけ幻影を見せたような、それでも実体があるような、ないような……。
「感覚器をごまかして何か別の存在が悪戯してるのかしら? もしそうなら、攻撃そのものが意味がない……」
ふと思いたち、再度、バルッサムの周囲にあらかじめ張っておいた結界の円陣に添うようにして、均等な距離を保ちつつ、三階から四階建ての建物でも飲み込んでしまうほどの豪炎の竜巻を発生させてみる。
距離を徐々に縮めてゆくように操作をしつつ、その間、バルッサムからはというと優しくない、まったく優しくないその爪の切り裂いた真空の波がアイリスめがけて押し寄せ、彼女の自慢の髪の幾房かをざっくりと切断していった。
この熊は焼いて後からみんなで食べよう。
毛皮なんて知らないわ。
アイリスは上天で六本の竜巻を一本にまとめると、その勢力を一気に加速させる。
内部に収まったバルッサムは真空の苦しみと果て亡きアイリスの怒りの焔によってただれ、その熱により姿を失うはず……だったが。
「なんてしぶとい」
天上高く、数百メートルに達するかというほどの火焔の柱は、その勢いを周囲にばらまくことなくただ天空の一点を目指して昇天する。
その勢いが消えた後に残るのは、大気はもちろん、充満していた魔素すらも焼き切るほどの煉獄だったはずなのに。バルッサムはまだ余裕だとでもいうかのように、アイリスにその炯眼を向けていた。
アイリスはああ、うるさーい、とぼやくと両耳を抑えた。
威嚇に恫喝を含めたようなその雄たけびはしかし、どうにも肝心なものが足りないものを感じさせる。
バルッサムと伝承に謡われる魔物は確かにそこにいるのだ。
真紅の髪を魔法の風にたゆたわせた、炎の女神の女司祭の眼下に。
そのはずなのに、足りない。
「魔素の変動が少ない、魔力の揺らぎが足りない、何より――世界の変革が起きてない」
魔力は世界に空気と同じように存在する。
それを生み出す元になるのが魔素だ。
魔素はふんだんにどこにでもあるけど、あんな魔物が出てくれば大量に消費されるはず。
いわば、コップに並々と注いだ水を何かでいきなりくみ出したら、周囲の水はその空白部分を埋めようとして流れ来んでいくはずなのだ。
「それすらも無いってことは幻覚かしら? にしても、木々は倒れてるし、家も崩されたし。あれ?」
試しにあまり威力の少ない火の球をいくつか創り出して、バルッサムにぶつけてみた。
これだけ標的が大きいと、外すなんてこともなく、熊はそれを鬱陶しいと片手で払って吹き飛ばしてしまう。
周囲に被弾した火球は余波を伴って、いくつかの火災を起こし始めた。
「あ――っ! いけない、火事になるじゃないの! 貴方、きちんと受け止めてくれないと困ります!」
周りで聞いていたらひどい要求だと思うかもしれない事をアイリスが叫ぶと、バロッサムは口元を歪め、明らかにバカにしたような笑みを作っていた。
お前の吹けば飛ぶようなそんな炎など、自分の毛皮の厚さには通用しないぞ?
そんな笑みだった。
アイリスの対抗心がむくりと起き上がる。
「いい度胸だわ。たかだか伝説の闇の中に生きて来たようなそんな低俗な存在が、私に挑もうなんて生意気なのよ!
!」
私が誰の女司祭か思い知らせてあげる。
そんな生来の苛烈さが眠っていた少女の魔力にそっと火をつけた。
しかし、奇妙だ。
天空を歩くようにアイリスは歩を進め、どう見ても赤茶けた巨大熊へと雷火だの、ドロリとした大地の底より召喚した溶岩だのをぶつけてみるも、どうにも手ごたえがない。
まるでそこにだけ幻影を見せたような、それでも実体があるような、ないような……。
「感覚器をごまかして何か別の存在が悪戯してるのかしら? もしそうなら、攻撃そのものが意味がない……」
ふと思いたち、再度、バルッサムの周囲にあらかじめ張っておいた結界の円陣に添うようにして、均等な距離を保ちつつ、三階から四階建ての建物でも飲み込んでしまうほどの豪炎の竜巻を発生させてみる。
距離を徐々に縮めてゆくように操作をしつつ、その間、バルッサムからはというと優しくない、まったく優しくないその爪の切り裂いた真空の波がアイリスめがけて押し寄せ、彼女の自慢の髪の幾房かをざっくりと切断していった。
この熊は焼いて後からみんなで食べよう。
毛皮なんて知らないわ。
アイリスは上天で六本の竜巻を一本にまとめると、その勢力を一気に加速させる。
内部に収まったバルッサムは真空の苦しみと果て亡きアイリスの怒りの焔によってただれ、その熱により姿を失うはず……だったが。
「なんてしぶとい」
天上高く、数百メートルに達するかというほどの火焔の柱は、その勢いを周囲にばらまくことなくただ天空の一点を目指して昇天する。
その勢いが消えた後に残るのは、大気はもちろん、充満していた魔素すらも焼き切るほどの煉獄だったはずなのに。バルッサムはまだ余裕だとでもいうかのように、アイリスにその炯眼を向けていた。
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