上 下
103 / 105
第四章 二人の皇女編

人の身の反撃

しおりを挟む
 勢いよく視界の隅に消えていく皇女。
 ベッドの寝る部分から床下までは、膝丈ていどの高さがある。
 猫であれば軽やかにくるんっ、と空中で一回転してすとんっと床上に降りただろう。実際、彼女は猫耳族だし身体能力は高く宙返りしようとした。
 しようとして、支点を失った。

 サラがぱっ、と膝下に抑え込んでいた尾を解放したからだ。
 いきなり力の作用が反転し、皇女は体勢を崩す。ものの見事に、着地に失敗する。
 ゴンっと鈍い音が室内にこだまする。それに呼応するかのように、

「みぎゃっ!?」

 と情けない悲鳴が床下からのぼって来た。
 多分、宙がえりをしようとして、尾を引かれ額から床に激突したものと思われる――。

 恐る恐る覗き込んだサラにはそう見えた。
 首の骨が折れなかっただろうか?
 近習たちの、「ひいっ」やら、「姫様――っ」やら、「ティナ殿下っ!?」やら主人を案ずる声と心からの悲鳴が小さく漏れ出してくる。
生きているかしら?
 このままくたばって――いやいや、なんでもない。

 邪魔者が懲りてさっさと尻尾をまるめて逃げ帰ってくれたら、一つの問題は解決する。だた、猫だけでなく多くの尾を持つ動物は、それを握られたら牙をむき出しにして攻撃してくる。それは鉄則だし、本能による防御行動だ。
 まあ、次に来るのが何かは分かりやすい。

「殿下―?」

 サラはわざと間延びした声で問いかけてみる。
 まだ目の下にある長く豊かなふさふさとした真紅の尾の先を握り締めると、端から手のうちにくるくると巻き上げてやる。もう片方の手に寝ていたときに羽織っていた毛布を引き寄せ、それを持って左膝をベッドの上に立て、背を伸ばした。

 内股があわらになり、婦女子には相応しくない恰好になる。
 皇女としてはしだれない格好だが、いまはそんなことに構っている暇はない。
 すぐそこに迫る危機があった。

「――――ッ!」

 一呼吸。
 痛みから覚めたのだろう。
 獣が放つ怒気が低くうなりを上げる。

 ――来るッ。
 飛び上がる赤銅色の肢体が真紅の大海を室内に作り出した。広がる豊かな長髪が、陽光を浴びてさらに美しくルビーのように輝いていた。
 その向こうからぐるんっと人の足裏に膝、太ももと続き――上半身がその向こうに見えた。一瞬の早業――怒りと誇りを踏みにじられた屈辱に顔を歪めたティナが、レバードのような鋭い牙を剥きだしにしてこちらに飛び掛かって来る。

 それはさっき落ちた態勢をそのまま逆転したものだったが、違うものはひとつだけあった。
 ティナの心にはゆとりだの侮蔑だのというものはなく、そこにあるのは殺戮にはしろうとする獣のそれだった。
 尾を返せ、愚かな人間っ!
 多分、そう叫びたいのだろう。爛々と燃えたぎる憎しみが宿る深緑の瞳には、そんな思いが燃えていた。
 そんなティナに向かい、サラは両手で毛布をふわっと投げかける。
 敵意のないその行動に瞬き数回ほどの疑念が生じるのは、実家の猫とよく似ている。攻撃をしてくるハンターは、その真反対にある特に意味のない行動に、隙を衝かれて動けなくなる。

「はいっ……と」

 瞬間、空中で硬直したティナは毛布に覆い被されたままだ。
 サラが片手に巻き上げた彼女の大事大事な尾は、まだその手中から解放されていなないまま。

「ぎゃふっ」

 皇女にしては、猫にしてはだらしない声をあげて、ティナは再度、激突する。
 今度はベッドの上に。
 柔らかいそれは先ほどの床から受けた冷たい衝撃とは違い、ダメージは少なかった。
 また痛みが来る――そう目を閉じた皇女はほっとする。

 警戒心と攻撃が失敗に終わり、あまつさえ反撃を受けたと知ったのは、尾をこれまで以上に巻き上げられて、絶え間ない筆舌しがたい痛みが尾てい骨あたりから、脊髄を伝い、脳裏に痺れをもたらしたからだ。
 サラは長いロープを船乗りが巻き上げる要領で、肘を曲げ、右腕の肩から肘にかけてティナの尾を二巻ほど巻き上げたやった。

「いだだっァ!?」
「あら、だらしない……」

 女とも思えない凄い腕力――というわけでもなく、全身を使えばティナ程度の重さなら背が低いサラでもこの程度は造作もない。
 そういった作業に慣れていれば、たいして手間でもない。
 貧乏貴族の娘に生まれたサラは、実家の馬を手入れしたり放牧してる家畜などを引くときにこういうことも習っていた。それがたまたま役立っただけなのだが……。

「はい、おしまい、ですね」

 毛布を左端から巻き上げて右へと。
 その中に手足をすくめたティナをすくい上げ、絡め取り、まるで優れた猛獣使いのようにサラはアリズンの動きを無効化する。

「なっ、お前――なんだっ」
「はいはい、見えないからそうなりますよね。さてっと」
「ひっ……」

 形勢逆転。
 それは皇女がパニックに陥っている今だけしか使えない魔法のような物だけど――サラはティナの襟元あたりに巻き付いている毛布をぎゅっと引き寄せ、動脈を圧迫する。
 左腕辺りをがっちりと太もも部分で動けなくすると、さて――気道が締まるか。それとも腕を逆方向にねじりあげられて悲鳴を上げるか。
 もしかしたら、関節が柔らかい獣人にはまったく通じない攻撃かもしれない。

「皆様、動かないで頂けますよう――さもないと……」
「うやっ!?」
「待っ、まて――早まるな」
「だめ、それは殿下のっ!」

 そこいらから制止の声が入る中、抵抗しようとしてティナは金縛りにあったように全身を硬直させた。
 ざらりとした硬い感触。
 尾の半分ほどの部分に、ゆっくりと上下から差し込まれた生暖かくもその鋭利なモノ。

「動いたら嚙み切りますから。ね、ティナ様?」
「ああああっ――待てっ……」

 脅しは効果的で、ティナは全身を震わせて抵抗をやめた。
 人間の歯でどこまで噛み切れるかわからないけど、まあ、これも恫喝にはいいかもしれない?
 人に武器が無いと思った相手が愚かなのだ。
 咥内にべっとりと唾液に浸されたティナの尾の毛先が溜まる中、サラはさてどれくらい噛んだらいいのだろうかと奥歯に力を込めてみた。
 脅しだと見透かされない程度には、力強く……。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

二人の転生伯爵令嬢の比較

紅禰
ファンタジー
中世の考えや方向性が強く残る世界に転生した二人の少女。 同じ家に双子として生まれ、全く同じ教育を受ける二人の違いは容姿や考え方、努力するかしないか。 そして、ゲームの世界だと思い込むか、中世らしき不思議な世界と捉えるか。 片手で足りる違いだけ、後は全く同じ環境で育つ二人が成長と共に周りにどう思われるのか、その比較をご覧ください。 処女作になりますので、おかしなところや拙いところがあるかと思いますが、よろしければご覧になってみてください。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

それでも、私は幸せです~二番目にすらなれない妖精姫の結婚~

柵空いとま
恋愛
家族のために、婚約者である第二王子のために。政治的な理由で選ばれただけだと、ちゃんとわかっている。 大好きな人達に恥をかかせないために、侯爵令嬢シエラは幼い頃からひたすら努力した。六年間も苦手な妃教育、周りからの心無い言葉に耐えた結果、いよいよ来月、婚約者と結婚する……はずだった。そんな彼女を待ち受けたのは他の女性と仲睦まじく歩いている婚約者の姿と一方的な婚約解消。それだけではなく、シエラの新しい嫁ぎ先が既に決まったという事実も告げられた。その相手は、悪名高い隣国の英雄であるが――。 これは、どんなに頑張っても大好きな人の一番目どころか二番目にすらなれなかった少女が自分の「幸せ」の形を見つめ直す物語。 ※他のサイトにも投稿しています

今さら後悔しても知りません 婚約者は浮気相手に夢中なようなので消えてさしあげます

神崎 ルナ
恋愛
旧題:長年の婚約者は政略結婚の私より、恋愛結婚をしたい相手がいるようなので、消えてあげようと思います。 【奨励賞頂きましたっ( ゚Д゚) ありがとうございます(人''▽`)】 コッペリア・マドルーク公爵令嬢は、王太子アレンの婚約者として良好な関係を維持してきたと思っていた。  だが、ある時アレンとマリアの会話を聞いてしまう。 「あんな堅苦しい女性は苦手だ。もし許されるのであれば、君を王太子妃にしたかった」  マリア・ダグラス男爵令嬢は下級貴族であり、王太子と婚約などできるはずもない。 (そう。そんなに彼女が良かったの)  長年に渡る王太子妃教育を耐えてきた彼女がそう決意を固めるのも早かった。  何故なら、彼らは将来自分達の子を王に据え、更にはコッペリアに公務を押し付け、自分達だけ遊び惚けていようとしているようだったから。 (私は都合のいい道具なの?)  絶望したコッペリアは毒薬を入手しようと、お忍びでとある店を探す。  侍女達が話していたのはここだろうか?  店に入ると老婆が迎えてくれ、コッペリアに何が入用か、と尋ねてきた。  コッペリアが正直に全て話すと、 「今のあんたにぴったりの物がある」  渡されたのは、小瓶に入った液状の薬。 「体を休める薬だよ。ん? 毒じゃないのかって? まあ、似たようなものだね。これを飲んだらあんたは眠る。ただし」  そこで老婆は言葉を切った。 「目覚めるには条件がある。それを満たすのは並大抵のことじゃ出来ないよ。下手をすれば永遠に眠ることになる。それでもいいのかい?」  コッペリアは深く頷いた。  薬を飲んだコッペリアは眠りについた。  そして――。  アレン王子と向かい合うコッペリア(?)がいた。 「は? 書類の整理を手伝え? お断り致しますわ」 ※お読み頂きありがとうございます(人''▽`) hotランキング、全ての小説、恋愛小説ランキングにて1位をいただきました( ゚Д゚)  (2023.2.3)  ありがとうございますっm(__)m ジャンピング土下座×1000000 ※お読みくださり有難うございました(人''▽`) 完結しました(^▽^)

(本編完結・番外編更新中)あの時、私は死にました。だからもう私のことは忘れてください。

水無月あん
恋愛
本編完結済み。 6/5 他の登場人物視点での番外編を始めました。よろしくお願いします。 王太子の婚約者である、公爵令嬢のクリスティーヌ・アンガス。両親は私には厳しく、妹を溺愛している。王宮では厳しい王太子妃教育。そんな暮らしに耐えられたのは、愛する婚約者、ムルダー王太子様のため。なのに、異世界の聖女が来たら婚約解消だなんて…。 私のお話の中では、少しシリアスモードです。いつもながら、ゆるゆるっとした設定なので、お気軽に楽しんでいただければ幸いです。本編は3話で完結。よろしくお願いいたします。 ※お気に入り登録、エール、感想もありがとうございます! 大変励みになります!

俺はお前ではなく、彼女を一生涯愛し護り続けると決めたんだ! そう仰られた元婚約者様へ。貴方が愛する人が、夜会で大問題を起こしたようですよ?

柚木ゆず
恋愛
※9月20日、本編完結いたしました。明日21日より番外編として、ジェラール親子とマリエット親子の、最後のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。  お前の家ティレア家は、財の力で爵位を得た新興貴族だ! そんな歴史も品もない家に生まれた女が、名家に生まれた俺に相応しいはずがない! 俺はどうして気付かなかったんだ――。  婚約中に心変わりをされたクレランズ伯爵家のジェラール様は、沢山の暴言を口にしたあと、一方的に婚約の解消を宣言しました。  そうしてジェラール様はわたしのもとを去り、曰く『お前と違って貴族然とした女性』であり『気品溢れる女性』な方と新たに婚約を結ばれたのですが――  ジェラール様。貴方の婚約者であるマリエット様が、侯爵家主催の夜会で大問題を起こしてしまったみたいですよ?

結婚式の日取りに変更はありません。

ひづき
恋愛
私の婚約者、ダニエル様。 私の専属侍女、リース。 2人が深い口付けをかわす姿を目撃した。 色々思うことはあるが、結婚式の日取りに変更はない。 2023/03/13 番外編追加

処理中です...