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第二章 帝国編(海上編)

真意

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 ようやく静かになった。
 本日、二度目のサービスね……次は無いけど。
 アルナルドの顔を自分の胸にうずくまらせ、抱き締めてやったらよりどころを無くした黒毛の牧羊犬は尾を振っていた。
 それは行きすぎた表現かもしれないけれど、これまで誰にも見せることのできない影の中で彼が苦しんでいたのは事実なのだろうとサラは思った。
 その黒さに目を向けることを恐れ、周りを利口に使うことで生き延びてきたのも、また彼の側面なのかしらとも思う。賢いというよりは、利用することで安息を得ていたのかも。

 ただ……彼のやり方は学院では通用した。これからはどう?
 帝国なんて巨大な政治の場で、アルナルドの器で生き延びられる? 
 ほかの皇太子たちが十四の王国のどこかで、それ以外の土地で、はるかな別の大陸で生き抜いてきたその現実が待つ場所に彼は何年立っていられる? 
 多分、数年も無理だわ――サラの中に芽吹いた策略、いや策謀の眼は自分の胸に顔をうずめるアルナルドの頭を撫でながら鑑定する。

 さて、どうやって使えない男を切ろうかしら。
 エイルとアイラ姉妹がこの考えをもし聞いたら、ロイズやハサウェイより酷いやり方だろうって言うかもしれない、でも私だって死にたくない。
 サラはそう思う。ただ、アルナルドが利用したからと言って、彼に甘えたのは自分の判断だ。
 裏切りが分かったからといって、裏切りをくりかえしてもいいとか限らない。
 多分、そこが自分の生死の境目を決めることになる気がする。
 勘に近いものを感じながら、皇太子の頭を二度ほどポンポンっと軽くたたくと彼はゆっくりと名残惜しそうに顔を放した。
 押し付けられていたので気づかなかったが、ガウンの胸裾をしたたかに濡らす痕があることにサラは発見する。

「泣くなんてらしくないわ、アルナルド」
「ほっといてくれよ……。笑えばいい。僕はそれだけの男だ」
「そう言うセリフはお母様である皇后陛下に訴えるのね」
「おい……」

 アルナルドはサラの一言にもう戻れる場所はない事を悟る。
 最後に許してくれた情だったのか。同い年ながら、どこか姉のように慕い家族だと思った女性は自分のもとから去る決意をしたらしい。

「なあに?」
「……僕はまた、駒を失ったんだね」
「そう思うの? ならどうする? 私を殺す? それとも、どこかの奴隷商人にでも売り飛ばす? ハサウェイに引き渡してもいいわね。王家を滅ぼそうと企んだ罪人だと判明したからとかなんとか理由をつければ、ロイズだって悪い顔はしないかもしれない」  

 他にいくつかその場で考え付いた方法をサラはアルナルドの前で語る。
 どれもが彼女を救ってくれとはいわない、しかし、アルナルドには協力しない。そんな態度に満ち満ちた案ばかりだった。

「どうして――抱き締めた? あんなことを言って安心させようとしたのさ、サラ?」
「別に。負け犬が泣きそうだったから抱き寄せただけ。悪い?」
「負け犬!?」

 言われた皇太子は認められるか、とばかりに強く反応する。
 やっぱり来るのは拳かなあ。次は傷跡が残るような気がする。
 そんなことを悠長に心のどこかでぼやきながら、サラは返事をした。

「そう、負け犬。それが今の貴方よ、アルナルド」
「おいっ、言っていいことと悪いことがあるぞ?」

 きゃっ、と小さく悲鳴を上げるサラの両肩を掴むとアルナルドはサラを長椅子の背もたれに押し付けた。

「本当のことよ。貴方、しなければならないことを成しえなくて、それでもどうにかするしかないって締め切りに追われてようやく私って駒を手に入れて……安心したらこんな牙をむかれた程度でうろたえる。そんな男に、あの王国はおろかロイズにだって勝てるはずがないわ」
「まだ言うのかっ! 僕はおろかものじゃない!」
「ちょっ、殿下! 痛いっ……」

 そんなサラの訴えを――無視しただろう。
 ロイズなら、ハサウェイなら。あの王家の人間なら……しつけと称して容赦なく拳を振り下ろしたはずだ。
 しかし、アルナルドはピタリと手を止めた。
 サラが、え? と思いおそいくるはずの暴力に耐えようと閉じていた両目を開けた時、彼は静かにそこにいた。

 仮面だったり、しょげていたり、孤独だったり、認められないと怒ってみたり、この数分の間でいくつも見せたうちで最も、人間らしい素顔を晒していた。
 サラはそこまで成り切れないんだ、悪党に。そんな目で見てやると、皇太子は恥ずかしそうに目を背ける。

「出ていけ」

 冷たいが全てを断ち切るという強い意志がこもったその一言を受けて、サラはようやく解放されたと、心で一息ついた。
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