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第二章 帝国編(海上編)
皇帝の意思
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そんなに必死になって何かを頼み込む様って……しばらく見てなかったな。
六歳からお互いに同じ屋敷で住んできた。
帝国から王国にやってきたアルナルドの面倒を見たのは母親だッた。同じ年の兄妹というよりは、姉弟だったような気がして彼はまだ、誰かの手助けが必要なのね。
そう思ってしまう。
幼い時分はもう卒業したはずなのだから、もっとしっかりしてくださいな。
サラはアルナルドにそう心で激励する。
「殿下」
「……何?」
「もう、留学していた半人前ではなく、御国に戻られれば殿下なのですから。こんな女ひとりに頭を下げないでください。貴方のそれは、そんなに安い物ではないわ。違いませんか?」
「違わない、かもしれないね。外には衛兵が二人、君の侍女も二人待っている。そう考えると、あまり長居するのは良くないかもしれない」
こんどは心配?
それともまた保身?
どちらを選んでも、皇帝陛下の御意思はそこの壁にあるがままになるだろうし。
あちらに行けば悪くない扱いどころか、皇族の一人か、それに準じた扱いを受けるだろう。
そしてサラはああ、そうか。と腑に落ちた。
これで、帝国は新しい駒を……それも自在に操れる帝室の一員ではない皇族の血を引く、若い婦女子を手に入れたのだ、と。
「噂が怖い?」
「こんな狭い船内ではねー。これは客船も兼ねているから、他国の賓客も乗船しているんだよ。あまり会わせたくない連中も……いたりする」
「会わせたくない方々? そのためにあの護衛を付けてくれたの?」
「そうかもしれないね。皇族にはこの規模の船なら護衛だって普通につくんだよ。王国の近衛騎士ほどではないけど、彼女たちは有能な軍人だよ」
有能はいいことだけれど……誤解は困るわね。サラは侍女たちにも誤解されてはいないだろうか、つい心配になってしまった。
あの二人はアルナルドと出会うよりも前からずっと育った姉妹のようなものだ。
変な勘繰りや噂に心を惑わされないと嬉しい。
その憂慮は、こんな見知らぬ海上の場所では心に不安を抱かせる。
根深く、薄暗く、光のうっすらとしか差し込まないそんな場所。
まるでレイニーを閉じ込めたあの牢屋を、更にひどくしたような空間が自分の中にあることにサラは驚いていた。
「……もう埋まったって思ってたのに……まだあったんだ」
「埋まった?」
アルナルドが首をかしげる。
何が埋まったんだろう? 順列? それはあれだろうか?
いや、違うな。
僕はまた彼女に余計な重荷を背負わせそうで怖い。
「何でも、ないの。ちょっと気になっただけ」
「そう」
物憂げな瞳で眠たそうにするサラは、さっきまでと違いじっと考え込んでいる。
船内の壁を見つめ、天井に視線を移し、床に堅牢に張られた年季を刻んでいる材木の歴史をさかのぼり知るような目つきで、それを見据えていた。
単なるこげ茶色の床板なのに。
この船はそれなりに手入れされた新しい存在だ。
船倉に住みつくというネズミなんかがここまで上がって来るとは考えにくい。
やがてサラの視線がたどり着いた先は、壁の国旗や家の紋章旗から――アルナルドに移っていた。
「ねえ、アルナルド。皇帝陛下はどう思われているの? 私は助けていただいて、こんな逃げる場まで用意していただいてる。帝国に行けば新たな場所もあるでしょうね。そうなると……陛下は、そのお考えを汲もうと考える私はおろか者かしら?」
「そういうことを考えていたんだね。埋まったというのは……何? 誰かの座るべき場所?」
「いいえ、それは私の心にもうないと思っていた、深い場所。誰にも見せたくないそんな場所がね、まだあったんだって。そう思っただけ」
「なるほど」
「貴方の側室とか正室の数が決められていて、その数がもう埋まったのかしら。なんて、そんな考えはしてないわよ?」
「……残念だ。そんなに興味を持ってもらえなくて……」
「だってアルナルド。それは、陛下が。皇帝陛下がお決めになられることじゃないかしら?」
「君には隠しごとができないね、サラ。どうしてその知性がロイズには失ってはいけないものだと理解できなかったのか。僕にはいまだに信じられないよ」
ロイズの名前で連想するのは暴力と、その記憶に塗りつけられた屈辱の記憶と、レイニーの子供を利用したという自席の念だ。
サラは、他人にその名前を簡単に口にしないでほしかった。
「暴力を奮われた女性に、その加害者の名前を告げることは得策じゃないわよ、アルナルド。心がわしづかみにされたみたいになるから。王太子殿下には見る目がなかったの。でも、貴方にはあるんでしょう? だからこそ、陛下にも進言してくれた。私の価値はどこにあるの?」
「今はまだ……なんとも言えない、かな。君は嫌がるだろうけど、僕の妻にしたいと陛下には奏上してある。それがどう変わるかは……まだ何とも言えない」
「そう。なら仕方ないわね」
仮面夫婦かな。
ロイズがそう言ったのを思い出しながら、サラはアルナルドが贈ってくれた指輪を片手に嵌めた。
「いいのかい?」
「形だけ。でも、皇女殿下をお先に。それは貴方の義務だわ」
「そうだね。陛下の決めるところではあるけどね」
アルナルドはサラの指先を見て、それがそのまま現実になればいいのにと、婚約者が聞いたら怒りそうなことを口にしながら、今日はもう帰るよと言い、船室を後にしたのだった。
六歳からお互いに同じ屋敷で住んできた。
帝国から王国にやってきたアルナルドの面倒を見たのは母親だッた。同じ年の兄妹というよりは、姉弟だったような気がして彼はまだ、誰かの手助けが必要なのね。
そう思ってしまう。
幼い時分はもう卒業したはずなのだから、もっとしっかりしてくださいな。
サラはアルナルドにそう心で激励する。
「殿下」
「……何?」
「もう、留学していた半人前ではなく、御国に戻られれば殿下なのですから。こんな女ひとりに頭を下げないでください。貴方のそれは、そんなに安い物ではないわ。違いませんか?」
「違わない、かもしれないね。外には衛兵が二人、君の侍女も二人待っている。そう考えると、あまり長居するのは良くないかもしれない」
こんどは心配?
それともまた保身?
どちらを選んでも、皇帝陛下の御意思はそこの壁にあるがままになるだろうし。
あちらに行けば悪くない扱いどころか、皇族の一人か、それに準じた扱いを受けるだろう。
そしてサラはああ、そうか。と腑に落ちた。
これで、帝国は新しい駒を……それも自在に操れる帝室の一員ではない皇族の血を引く、若い婦女子を手に入れたのだ、と。
「噂が怖い?」
「こんな狭い船内ではねー。これは客船も兼ねているから、他国の賓客も乗船しているんだよ。あまり会わせたくない連中も……いたりする」
「会わせたくない方々? そのためにあの護衛を付けてくれたの?」
「そうかもしれないね。皇族にはこの規模の船なら護衛だって普通につくんだよ。王国の近衛騎士ほどではないけど、彼女たちは有能な軍人だよ」
有能はいいことだけれど……誤解は困るわね。サラは侍女たちにも誤解されてはいないだろうか、つい心配になってしまった。
あの二人はアルナルドと出会うよりも前からずっと育った姉妹のようなものだ。
変な勘繰りや噂に心を惑わされないと嬉しい。
その憂慮は、こんな見知らぬ海上の場所では心に不安を抱かせる。
根深く、薄暗く、光のうっすらとしか差し込まないそんな場所。
まるでレイニーを閉じ込めたあの牢屋を、更にひどくしたような空間が自分の中にあることにサラは驚いていた。
「……もう埋まったって思ってたのに……まだあったんだ」
「埋まった?」
アルナルドが首をかしげる。
何が埋まったんだろう? 順列? それはあれだろうか?
いや、違うな。
僕はまた彼女に余計な重荷を背負わせそうで怖い。
「何でも、ないの。ちょっと気になっただけ」
「そう」
物憂げな瞳で眠たそうにするサラは、さっきまでと違いじっと考え込んでいる。
船内の壁を見つめ、天井に視線を移し、床に堅牢に張られた年季を刻んでいる材木の歴史をさかのぼり知るような目つきで、それを見据えていた。
単なるこげ茶色の床板なのに。
この船はそれなりに手入れされた新しい存在だ。
船倉に住みつくというネズミなんかがここまで上がって来るとは考えにくい。
やがてサラの視線がたどり着いた先は、壁の国旗や家の紋章旗から――アルナルドに移っていた。
「ねえ、アルナルド。皇帝陛下はどう思われているの? 私は助けていただいて、こんな逃げる場まで用意していただいてる。帝国に行けば新たな場所もあるでしょうね。そうなると……陛下は、そのお考えを汲もうと考える私はおろか者かしら?」
「そういうことを考えていたんだね。埋まったというのは……何? 誰かの座るべき場所?」
「いいえ、それは私の心にもうないと思っていた、深い場所。誰にも見せたくないそんな場所がね、まだあったんだって。そう思っただけ」
「なるほど」
「貴方の側室とか正室の数が決められていて、その数がもう埋まったのかしら。なんて、そんな考えはしてないわよ?」
「……残念だ。そんなに興味を持ってもらえなくて……」
「だってアルナルド。それは、陛下が。皇帝陛下がお決めになられることじゃないかしら?」
「君には隠しごとができないね、サラ。どうしてその知性がロイズには失ってはいけないものだと理解できなかったのか。僕にはいまだに信じられないよ」
ロイズの名前で連想するのは暴力と、その記憶に塗りつけられた屈辱の記憶と、レイニーの子供を利用したという自席の念だ。
サラは、他人にその名前を簡単に口にしないでほしかった。
「暴力を奮われた女性に、その加害者の名前を告げることは得策じゃないわよ、アルナルド。心がわしづかみにされたみたいになるから。王太子殿下には見る目がなかったの。でも、貴方にはあるんでしょう? だからこそ、陛下にも進言してくれた。私の価値はどこにあるの?」
「今はまだ……なんとも言えない、かな。君は嫌がるだろうけど、僕の妻にしたいと陛下には奏上してある。それがどう変わるかは……まだ何とも言えない」
「そう。なら仕方ないわね」
仮面夫婦かな。
ロイズがそう言ったのを思い出しながら、サラはアルナルドが贈ってくれた指輪を片手に嵌めた。
「いいのかい?」
「形だけ。でも、皇女殿下をお先に。それは貴方の義務だわ」
「そうだね。陛下の決めるところではあるけどね」
アルナルドはサラの指先を見て、それがそのまま現実になればいいのにと、婚約者が聞いたら怒りそうなことを口にしながら、今日はもう帰るよと言い、船室を後にしたのだった。
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