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第二章

妖しい協定

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 いまみたいな下働きの仕事をして数年を過ごすか。
 それとも冒険者となって、たぶんそれは見習いからだろうけれど、同じ年数を過ごすことは、自分のこれからが先が長い人生において、多分、その後では取り戻せないように大きな差をつける提案だと感じた。

「なりたいとは思いますが。でも貴族の息子ですから‥‥‥」

 どことなく打ちひしがれたようにも聞こえる。
 貴族の息子ということでこれまで辛い目に遭ってきたのだろう。

「……それであっても僕なら君を冒険者にしてあげることができる。そのくらいの特別な権利を与えられていてね。この誘いは今しかしないよ。後から会いたかったと言われても遅い。君はどっちを選ぶ?」
「でも、僕にはお屋敷の仕事が‥‥‥母を悲しませることになる」
「母君は逆に喜ぶことになるだろうね」
「え? どういうことですか。あなたは僕のなにを知っているんです」

 疑念に満ちた声がルークの喉から漏れ出た。
 当然だろう。いきなりこんな提案をされたら誰だって面食らうものだ。
 いきなりの高待遇。しかも母親まで喜ぶとくれば、疑って当然。
 ルークのフランを見上げる視線は、猜疑心に変わり始めていた。

「今は多くを語れない。こうしている間にも時間の制限は結構厳しくてね。とりあえず君の気持ちを確認したいんだ。悪いようにはしない、君の母親を悲しませるようなことにはならないと、この緑の冒険者証にかけて誓おう」
「なりたいと言ったらあなたは僕になにを求める‥‥‥?」

 空気が冷たい。夜も更けてきた。息が白くなる。
 街の中心でもこの寒さだ。
 北部の夜は夏の終わりでも冷える。
 ルークは足元から這い上がってくる寒さに震えていた。

「簡単だよ。来週、もう一度僕は君を尋ねるだろう。その時にあることをしてくれればいい」
「あること‥‥‥?」

 いかにも怪しい。
 そのなにかをするだけで冒険者になれるほど、世間は甘くない。
 訝しむ少年の心を溶かす花のように、フランは困ったような顔をして見せた。

「この魔法の持続時間はそんなに長くないんだ。魔法が切れてしまったら、俺も君のことをずっと見張っている連中に見つかってしまうことになる。こっちもそれなりにリスクを背負ってるのさ」
「よくわからないことを言いますね。なんであなたはついさっき、向こうから現れたじゃないですか」

 後ろ指差しそう言うと、フランは「あの時から魔法が発動してるんだ」と付け加える。

「俺はずっと誰にも見られない状況で君にだけ声をかけたんだ」
「なら‥‥‥僕の姿が消えてしまったように彼らには見えるのじゃないですか」

 呆れたように指摘する。
 フランを大丈夫だと片目をつぶってみせた。

「君が歩いている姿をあの橋の向こうまで幻を歩かせている」
「はあ? そんなことができるって‥‥‥緑の冒険者‥‥‥。僕はこれがばれたら多分クビになるし母親も悲しみます。もしそうなった時、どう責任を取ってくれるんですか」
「そうなった場合も君のことを冒険者にすると俺が保証しよう」
「今ひとつ信用できませんね。あなたの持っている冒険者証を僕に預けてもいいんだったら考えましょう」

 途端にフランはむずかしい顔になった。
 それがないと色々困ることがあるのだろう。最もこちらとしても大きな危険を犯すかもしれないのだから、それぐらいの価値がある人質ならぬ物質はとっておきたいものだ。

「うーん……。無くしたり打ったりしないでくれよ? 再発行にはかなり金がかかるんだ‥‥‥ミトに怒られてしまう」
「ミト?」
「こっちの話。それでやってほしいことなんだけど」

 ぼやくようにそう言うと、フランは懐から一枚の黒いカードのようなものをルークに手渡した。
 冒険者の等級と名前のところに彼の正しい証明が書かれていることを確認して、ルークはそれを内ポケットにしまった。
 失くさないでくれよ頼むから、と情けなく言うフランは、第三位に位置する高位冒険者には見えなかった。

 彼の話は簡単だった。
 翌週の水曜日、昼過ぎのある時間に彼自身が客となり、クロエの元にやってくるのだという。その話題からしてあまりにも空想的なもので、あのいかがわしい場所にこんな身分のある冒険者が本当に来るのかと訝しんだものだ。

「俺が彼女と共に家の中に入ったら、鍵を開けておいてほしいんだ」
「はあ? あの部屋の鍵は‥‥‥お嬢様の許可がなければ開くことも閉じることもできませんよ」

 自分にそんな権利はありませんと伝えてやる。

「だけど、やり方を知っているだろう?」

 やり方は知っている。
 いざという時に使うための合鍵の場所を教わってもいる。
 その鍵は、入り口の扉のすぐ横にある絵画の後ろに隠されていた。
 でもそれをするということは、彼と彼女が男女の関係になっている場所に、誰かが踏み込んだとしてもおかしくないということになる。
 それはすなわちルークの失態にもつながる。
 下手をしたら、こっちまで危うくなるような話だった。

「あの屋敷を管理している髭の男性は、もしそうなったら、僕のことを生かしておかないでしょうね」
「それも問題ない。彼はもう二度と君の前に姿を現すことはないだろう」
「一体何をしようとしているんですか。もうこれ以上話を聞くのが恐ろしくなってきた」

 八歳の少年は寒さとこれから起こるであろう悲惨な状況を察して震えが止まらなくなっていた。

「全ては終われば君に話すことにしよう。とりあえず交渉は成立、ということでいいかな? 失敗しても成功しても君と君の母親に関しては、僕が守ると誓おう。‥‥‥正確には僕の仲間と、うちのギルド。グレンライドファミリアがそれを請け負うことになるけどね‥‥‥もうだいぶ長く話し込んでしまった。君の幻は、そろそろ自宅に近づく頃だろう。そこまで送るよ、足元に気をつけて」
「ちょっと! まだ何も理解してない―ー」

 ルークのその叫びはあっさりと無視された。
 二人の間に真っ青な夜の光がさっと注ぎ込むと、ルークの見ていた世界は一変した。
 さっきまで見ていた筈の街の中ではなく、そこからかなり離れた農村地の片隅に、ルークは立っていた。
 そこからもう一本橋を渡りあと少し歩けば自宅にたどり着く。

「うわわっ」

 と、自分は今どこにいるかを理解した瞬間、平衡感覚が狂った。
 まるで足元に小人がいて彼らに足元をすくわれたかのように、ルークは草むらに前のめりに倒れこむ。

 なんなんだよ、と頭の中で毒づいてやったら、後ろの方でいきなりガサっと物音がした。
 嫌な悪寒が背中を走り、監視されているとフロンが語ったあの一言が、脳裏を過ぎる。

 ルークは素知らぬふりをしてゆっくりと立ち上がり、膝や肘についた土くれを手で払いのけると、ゆっくりの草むらを出てそれから自宅へと戻った。 
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