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第二章
昼過ぎのまどろみ
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それから数時間が経過した。
緊張と孤独感と、いつまでたっても鈴が鳴らないことへの苛立ちと、焦りが混じってなんだか居心地の悪さだけが、表面にでてくる。
昼食はロイダース卿ではなく、やはりレティシアが「お昼よ、ついてきて」と小さく誘い、食堂へと誘ってくれた。
白いパン、魚を焼いたものに、豚肉を蒸したもの。
そんなものが数十人が一度に座れそうな大きくて長いテーブルの上に並べられ、中央には、一家の主である男爵がいるはずだった。
しかし、彼は滅多にこの別邸にはこないのだという。
代わりにそこにはロイダース卿が座り、二人は上の人間たちの給仕に追われた。
彼らの食事が終わり、小さい些末な従僕たちが使う控え室で与えられた昼食は、上の人間たちが遺した余り物。
でも食べかけとかではないだけ、まだましだった。
ようやく自分の番だと思うと、緊張で感じなかった空腹と疲労感が一気に襲ってくる。
ルークは夢中になって昼ごはんにありついていた。
その様を見て、同い年の少女は「そんなに慌てなくても時間はあるわよ」と諭すように言った。
「今日は、礼拝の日だから。お嬢様は遅くても夕方までは戻らないわ」
「そう……なの?」
「ええ、そうよ。だからお姉さまたちも、どこかのんびりしていらしたでしょ」
それには気づかなかった。
目上の立場の人間たちに、給仕をするのが精一杯だった。
年上。
誰もが、母親のマーシャよりも、年配の女性達。
食事をする時にも、一定の緊張感が、あの場所には張り詰めていた。
ロイダース卿と同じような、冷たくて遠慮がなく、それでいて何かを警戒するような、そんな視線。
隙がなく身のこなしも軽々としていて、食事をする手つきもどことなく、乱暴なものを感じた。
ルークの知っている貴族の下男下女は、あんな目つきも態度も取らない。
彼らの持っている雰囲気とよく似たものを、少年は知っていた。
まだ父親が存命だった頃、配下の騎士団の演習を見学したことがある。
実戦さながらのそれは、目の前で剣と剣がぶつかり合い、槍と盾が耳につく金属音を上げる。
敵と味方に分かれたそれぞれの陣営から、人があげるものとは思えないような、凄まじい雄叫びが戦場にこだましていた。
あの時、あそこにいた騎士たちも、同じような顔つきをしていた。
同じような雰囲気をまとっていた。
ただ違うところといえば、こちらの方はどこかコソコソとするような、逃げ惑うような。
光の下に出ることを嫌うドブネズミのような、そんな薄ろ暗い気配を感じてしまう。
「みんな、強そうな顔しているね」
食事時。
レティシアと二人ということもあり、気が緩んででた一言に、彼女は「そうね」と返事をした。
「目つきも鋭くて」
「そうだと思う。あたしもここにきてから、ずっと怖いもの」
「君もそうなんだ」
「……でも、辞めれないから」
「え?」
親が男爵家に借金でもしているのだろうか。
それとも、前払いで多額のお金を親に支払うことで、彼女は売られるようにしてここに来たのだろうか。
そんな可能性を模索してみたら、ちょっとだけ違った。
「見える?」
メイド服は首元までぴっしりとボタンが閉じられていて、少女の小さくて細長い首筋は、その全部を見せていない。
レティシアは二つ、三つのボタンを外すと、「誰にも言わないでね」そう言って、左の肩の鎖骨付近を見せてくれた。
「元奴隷なの。買われてきたの。男爵様のおかげでいまは平民になれたけれど、ここを追い出されたらまた同じように奴隷に戻るかもしれない。だからどこにも行けないの」
「……」
「驚いた?」
「ごめん」
「いいの。誰にも言わないでくれたら。まあ、この屋敷のみんなは誰でも知ってるけど」
「言わないよ。誰にも」
そう約束して、食事を終えると食器を片付けてから、また応接室に戻る。
なんだか知ってはいけない人の秘密をいくつも目の当たりにした気がして、この子はとても疲れてしまった。
応接室で好きに見てもいいと言われた書棚から取り出した本を読んでいると、今度はお茶の時間よ、と簡単なティーセットを持ってお菓子の入った皿を片手に、レティシアが部屋に入ってきた。
「あ、え? ここで食べてもいいの?」
「後片付けをしておけば文句は言われないわ。とはいってもそんなに時間はないから、普段はこんなことも出来ないと思っといた方がいい。今日は特別ね」
彼女が言うには、午後のこの時間は人の出入りが激しいのだという。
だから、休憩があるようでないようでそんな感じ。
ないと思っておいた方が気楽だと、あらかじめ教えてくれた。
緑色のお茶を飲み、ふんわりとした触感のうす皮で包まれた甘い小豆の味がするその菓子を一つ口にすると、なんだか自分だけ一人いい目を見ているような気がして、心が痛む。
「これ、持って帰ってもいいかな?」
「いいわよ。でも、早く食べないと腐るから、気を付けてね」
「どれくらい?」
「三日間くらいはもつと思う」
「それなら―ーうん。お母様に差し上げたくなって」
「いい心がけだと思う。母親がいるって羨ましい」
レティシアはそれ以上自分のことを深く語らなかった。
ルークもそれは聞いてはいけないもののような気がして、触れなかった。
菓子をお嬢様が使っているという紙を一枚だけ頂いてそれにくるむと、鞄に詰め込む。
「あとちょっとしたら戻られると思う。緊張しないように頑張ってね」
「ありがとう」
励ましの声をくれた。
レティシアが自分の仕事に戻ってしまうと、さすがに気疲れが限界を迎えたのか、ルークは窓から差し込む夏の陽ざしに負けそうになる。
眠ってはいけない。
それは分かっていたけれど。
でも、初夏のまどろみには勝てるものはない。
何とか頑張って耐えようとしたのに。いつのまにか、ルークは深い眠りに落ちてしまった。
緊張と孤独感と、いつまでたっても鈴が鳴らないことへの苛立ちと、焦りが混じってなんだか居心地の悪さだけが、表面にでてくる。
昼食はロイダース卿ではなく、やはりレティシアが「お昼よ、ついてきて」と小さく誘い、食堂へと誘ってくれた。
白いパン、魚を焼いたものに、豚肉を蒸したもの。
そんなものが数十人が一度に座れそうな大きくて長いテーブルの上に並べられ、中央には、一家の主である男爵がいるはずだった。
しかし、彼は滅多にこの別邸にはこないのだという。
代わりにそこにはロイダース卿が座り、二人は上の人間たちの給仕に追われた。
彼らの食事が終わり、小さい些末な従僕たちが使う控え室で与えられた昼食は、上の人間たちが遺した余り物。
でも食べかけとかではないだけ、まだましだった。
ようやく自分の番だと思うと、緊張で感じなかった空腹と疲労感が一気に襲ってくる。
ルークは夢中になって昼ごはんにありついていた。
その様を見て、同い年の少女は「そんなに慌てなくても時間はあるわよ」と諭すように言った。
「今日は、礼拝の日だから。お嬢様は遅くても夕方までは戻らないわ」
「そう……なの?」
「ええ、そうよ。だからお姉さまたちも、どこかのんびりしていらしたでしょ」
それには気づかなかった。
目上の立場の人間たちに、給仕をするのが精一杯だった。
年上。
誰もが、母親のマーシャよりも、年配の女性達。
食事をする時にも、一定の緊張感が、あの場所には張り詰めていた。
ロイダース卿と同じような、冷たくて遠慮がなく、それでいて何かを警戒するような、そんな視線。
隙がなく身のこなしも軽々としていて、食事をする手つきもどことなく、乱暴なものを感じた。
ルークの知っている貴族の下男下女は、あんな目つきも態度も取らない。
彼らの持っている雰囲気とよく似たものを、少年は知っていた。
まだ父親が存命だった頃、配下の騎士団の演習を見学したことがある。
実戦さながらのそれは、目の前で剣と剣がぶつかり合い、槍と盾が耳につく金属音を上げる。
敵と味方に分かれたそれぞれの陣営から、人があげるものとは思えないような、凄まじい雄叫びが戦場にこだましていた。
あの時、あそこにいた騎士たちも、同じような顔つきをしていた。
同じような雰囲気をまとっていた。
ただ違うところといえば、こちらの方はどこかコソコソとするような、逃げ惑うような。
光の下に出ることを嫌うドブネズミのような、そんな薄ろ暗い気配を感じてしまう。
「みんな、強そうな顔しているね」
食事時。
レティシアと二人ということもあり、気が緩んででた一言に、彼女は「そうね」と返事をした。
「目つきも鋭くて」
「そうだと思う。あたしもここにきてから、ずっと怖いもの」
「君もそうなんだ」
「……でも、辞めれないから」
「え?」
親が男爵家に借金でもしているのだろうか。
それとも、前払いで多額のお金を親に支払うことで、彼女は売られるようにしてここに来たのだろうか。
そんな可能性を模索してみたら、ちょっとだけ違った。
「見える?」
メイド服は首元までぴっしりとボタンが閉じられていて、少女の小さくて細長い首筋は、その全部を見せていない。
レティシアは二つ、三つのボタンを外すと、「誰にも言わないでね」そう言って、左の肩の鎖骨付近を見せてくれた。
「元奴隷なの。買われてきたの。男爵様のおかげでいまは平民になれたけれど、ここを追い出されたらまた同じように奴隷に戻るかもしれない。だからどこにも行けないの」
「……」
「驚いた?」
「ごめん」
「いいの。誰にも言わないでくれたら。まあ、この屋敷のみんなは誰でも知ってるけど」
「言わないよ。誰にも」
そう約束して、食事を終えると食器を片付けてから、また応接室に戻る。
なんだか知ってはいけない人の秘密をいくつも目の当たりにした気がして、この子はとても疲れてしまった。
応接室で好きに見てもいいと言われた書棚から取り出した本を読んでいると、今度はお茶の時間よ、と簡単なティーセットを持ってお菓子の入った皿を片手に、レティシアが部屋に入ってきた。
「あ、え? ここで食べてもいいの?」
「後片付けをしておけば文句は言われないわ。とはいってもそんなに時間はないから、普段はこんなことも出来ないと思っといた方がいい。今日は特別ね」
彼女が言うには、午後のこの時間は人の出入りが激しいのだという。
だから、休憩があるようでないようでそんな感じ。
ないと思っておいた方が気楽だと、あらかじめ教えてくれた。
緑色のお茶を飲み、ふんわりとした触感のうす皮で包まれた甘い小豆の味がするその菓子を一つ口にすると、なんだか自分だけ一人いい目を見ているような気がして、心が痛む。
「これ、持って帰ってもいいかな?」
「いいわよ。でも、早く食べないと腐るから、気を付けてね」
「どれくらい?」
「三日間くらいはもつと思う」
「それなら―ーうん。お母様に差し上げたくなって」
「いい心がけだと思う。母親がいるって羨ましい」
レティシアはそれ以上自分のことを深く語らなかった。
ルークもそれは聞いてはいけないもののような気がして、触れなかった。
菓子をお嬢様が使っているという紙を一枚だけ頂いてそれにくるむと、鞄に詰め込む。
「あとちょっとしたら戻られると思う。緊張しないように頑張ってね」
「ありがとう」
励ましの声をくれた。
レティシアが自分の仕事に戻ってしまうと、さすがに気疲れが限界を迎えたのか、ルークは窓から差し込む夏の陽ざしに負けそうになる。
眠ってはいけない。
それは分かっていたけれど。
でも、初夏のまどろみには勝てるものはない。
何とか頑張って耐えようとしたのに。いつのまにか、ルークは深い眠りに落ちてしまった。
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