15 / 33
第一章
鷹の目の男
しおりを挟む
朝、八時に迎えにいく。
数日前に、男爵家からその日、その時間を指定され、ルークは心を弾ませながら、そのときを待っていた。
朝は二時間も前から起き、普段はめんどくさがる髪の手入れにも文句を言わなかった。
やがて、二頭建ての箱馬車が屋敷も門前に止まり、ドアがノックされるまで、ルークはそわそわとしてしまい、落ち着きを取り戻すことが出来なかった。
「いらしたわ」
「……うん」
母親といるときは大人のふりをしているルークも、いざ人前にでるとなると、ただの八歳の少年に逆戻りしていた。
「一人で行けるの?」
「大丈夫。お母様、行ってきます」
自分では元気なふりをして、母親に心の動揺を見えないようにふるまったつもりだった。
しかし、マーシャはさすが母親で、「いつものように、ゆっくりと振る舞いなさい」と言い、玄関から送り出してくれた。
ルークが男爵家の馬車に乗り込み、その姿が通りの向こうに消えるまで、心配そうにマーシャはその場に立って見送る。
「あの子、気にしていないといいのだけれど」
奉公することが決まった日に、ルークに訊かれたのだ。
どう振る舞えばいいの、母上、と。
久しぶりに、母上と呼ばれた。
なんとなくなつかしさを感じて、マーシャは何気なく答えた。
「王女様たちといるようにすれば‥‥‥ごめんなさい」
「はい」
嫌な顔ひとつせず、ルークは素直にそう返事をしてくれた。
辛い過去は、果たして息子を成長させたのだろうか。
それとも本人が義務感のようにときたま語る、「汚名を晴らさないといけない」という言葉の通り、彼を過去に縛り付けたままなのか。
「名誉を取り戻すなら、あなたが一人前になればそれでよいのです」
マーシャはつねにそう言い聞かせてきた。
復讐や功名心に囚われることなく、ただ過去の因縁を忘れて生きて欲しかったからだ。
ルークにはその想いは届いているだろうか。
母親は、そんな心配とともに、馬車が見えなくなったのを確認して、屋敷に戻った。
自宅を出発した男爵家の馬車は、大通りを西に向かい、それから左折して、貴族街の中心地へと向かう。
途中、いくつかの角を曲がり、大河の支流から引きこんでいる運河に渡る橋を二本ほど渡ってから、ルークが働くことになる別邸へと到着した。
その屋敷はあまり大きな建物でなく、古都にあるにしては、作られてから長い年月が経過していないようだった。
門柱の左右には背の低い針葉樹が並び、それだけでニメートルほどの高さの植物の壁を作っていた。
門が開くと、中には石畳があり、そこまでは歩いても数分もはないほどに狭い。
屋敷は三階建てだが、奥行きはなく、下手をすると部屋数はルークたちが間借りしている屋敷と同じほどに思えた。
「ここで降りて待て」
一緒に馬車に乗ってきた紳士はそう言うと、御者に命じて馬車を転回させてまた門から外へと出ていってしまった。
一人、白壁に塗られた玄関の頑丈そうな扉の前で待っていると、それがギイッと重い音を立てて開く。
「お嬢様の従僕か?」
頭を剃り、あごひげを白と黒の二色に口元から分けて染め上げた、筋肉質な男が、こちらを見下ろしてそう問いかける。
その鷹のようないかつい視線にルークは背筋に悪寒を感じた。
数日前に、男爵家からその日、その時間を指定され、ルークは心を弾ませながら、そのときを待っていた。
朝は二時間も前から起き、普段はめんどくさがる髪の手入れにも文句を言わなかった。
やがて、二頭建ての箱馬車が屋敷も門前に止まり、ドアがノックされるまで、ルークはそわそわとしてしまい、落ち着きを取り戻すことが出来なかった。
「いらしたわ」
「……うん」
母親といるときは大人のふりをしているルークも、いざ人前にでるとなると、ただの八歳の少年に逆戻りしていた。
「一人で行けるの?」
「大丈夫。お母様、行ってきます」
自分では元気なふりをして、母親に心の動揺を見えないようにふるまったつもりだった。
しかし、マーシャはさすが母親で、「いつものように、ゆっくりと振る舞いなさい」と言い、玄関から送り出してくれた。
ルークが男爵家の馬車に乗り込み、その姿が通りの向こうに消えるまで、心配そうにマーシャはその場に立って見送る。
「あの子、気にしていないといいのだけれど」
奉公することが決まった日に、ルークに訊かれたのだ。
どう振る舞えばいいの、母上、と。
久しぶりに、母上と呼ばれた。
なんとなくなつかしさを感じて、マーシャは何気なく答えた。
「王女様たちといるようにすれば‥‥‥ごめんなさい」
「はい」
嫌な顔ひとつせず、ルークは素直にそう返事をしてくれた。
辛い過去は、果たして息子を成長させたのだろうか。
それとも本人が義務感のようにときたま語る、「汚名を晴らさないといけない」という言葉の通り、彼を過去に縛り付けたままなのか。
「名誉を取り戻すなら、あなたが一人前になればそれでよいのです」
マーシャはつねにそう言い聞かせてきた。
復讐や功名心に囚われることなく、ただ過去の因縁を忘れて生きて欲しかったからだ。
ルークにはその想いは届いているだろうか。
母親は、そんな心配とともに、馬車が見えなくなったのを確認して、屋敷に戻った。
自宅を出発した男爵家の馬車は、大通りを西に向かい、それから左折して、貴族街の中心地へと向かう。
途中、いくつかの角を曲がり、大河の支流から引きこんでいる運河に渡る橋を二本ほど渡ってから、ルークが働くことになる別邸へと到着した。
その屋敷はあまり大きな建物でなく、古都にあるにしては、作られてから長い年月が経過していないようだった。
門柱の左右には背の低い針葉樹が並び、それだけでニメートルほどの高さの植物の壁を作っていた。
門が開くと、中には石畳があり、そこまでは歩いても数分もはないほどに狭い。
屋敷は三階建てだが、奥行きはなく、下手をすると部屋数はルークたちが間借りしている屋敷と同じほどに思えた。
「ここで降りて待て」
一緒に馬車に乗ってきた紳士はそう言うと、御者に命じて馬車を転回させてまた門から外へと出ていってしまった。
一人、白壁に塗られた玄関の頑丈そうな扉の前で待っていると、それがギイッと重い音を立てて開く。
「お嬢様の従僕か?」
頭を剃り、あごひげを白と黒の二色に口元から分けて染め上げた、筋肉質な男が、こちらを見下ろしてそう問いかける。
その鷹のようないかつい視線にルークは背筋に悪寒を感じた。
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】婚約破棄される前に私は毒を呷って死にます!当然でしょう?私は王太子妃になるはずだったんですから。どの道、只ではすみません。
つくも茄子
恋愛
フリッツ王太子の婚約者が毒を呷った。
彼女は筆頭公爵家のアレクサンドラ・ウジェーヌ・ヘッセン。
なぜ、彼女は毒を自ら飲み干したのか?
それは婚約者のフリッツ王太子からの婚約破棄が原因であった。
恋人の男爵令嬢を正妃にするためにアレクサンドラを罠に嵌めようとしたのだ。
その中の一人は、アレクサンドラの実弟もいた。
更に宰相の息子と近衛騎士団長の嫡男も、王太子と男爵令嬢の味方であった。
婚約者として王家の全てを知るアレクサンドラは、このまま婚約破棄が成立されればどうなるのかを知っていた。そして自分がどういう立場なのかも痛いほど理解していたのだ。
生死の境から生還したアレクサンドラが目を覚ました時には、全てが様変わりしていた。国の将来のため、必要な処置であった。
婚約破棄を宣言した王太子達のその後は、彼らが思い描いていたバラ色の人生ではなかった。
後悔、悲しみ、憎悪、果てしない負の連鎖の果てに、彼らが手にしたものとは。
「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルバ」にも投稿しています。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
母の中で私の価値はゼロのまま、家の恥にしかならないと養子に出され、それを鵜呑みにした父に縁を切られたおかげで幸せになれました
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたケイトリン・オールドリッチ。跡継ぎの兄と母に似ている妹。その2人が何をしても母は怒ることをしなかった。
なのに母に似ていないという理由で、ケイトリンは理不尽な目にあい続けていた。そんな日々に嫌気がさしたケイトリンは、兄妹を超えるために頑張るようになっていくのだが……。
「優秀すぎて鼻につく」と婚約破棄された公爵令嬢は弟殿下に独占される
杓子ねこ
恋愛
公爵令嬢ソフィア・ファビアスは完璧な淑女だった。
婚約者のギルバートよりはるかに優秀なことを隠し、いずれ夫となり国王となるギルバートを立て、常に控えめにふるまっていた。
にもかかわらず、ある日、婚約破棄を宣言される。
「お前が陰で俺を嘲笑っているのはわかっている! お前のような偏屈な女は、婚約破棄だ!」
どうやらギルバートは男爵令嬢エミリーから真実の愛を吹き込まれたらしい。
事を荒立てまいとするソフィアの態度にギルバートは「申し開きもしない」とさらに激昂するが、そこへ第二王子のルイスが現れる。
「では、ソフィア嬢を俺にください」
ルイスはソフィアを抱きしめ、「やっと手に入れた、愛しい人」と囁き始め……?
※ヒーローがだいぶ暗躍します。
お姉さまは最愛の人と結ばれない。
りつ
恋愛
――なぜならわたしが奪うから。
正妻を追い出して伯爵家の後妻になったのがクロエの母である。愛人の娘という立場で生まれてきた自分。伯爵家の他の兄弟たちに疎まれ、毎日泣いていたクロエに手を差し伸べたのが姉のエリーヌである。彼女だけは他の人間と違ってクロエに優しくしてくれる。だからクロエは姉のために必死にいい子になろうと努力した。姉に婚約者ができた時も、心から上手くいくよう願った。けれど彼はクロエのことが好きだと言い出して――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる