上 下
1 / 1

その1

しおりを挟む
令嬢と言う人生が、少々めんどくさいことを、この場で説明しようと思う。

私の父は名もなき貴族で、母は名もない貴族の一人娘であった。従って、私は確かに令嬢ではあるが、その地位はものすごく低い。所謂最下層の令嬢である。

彼もまた、名もなき貴族の末裔だった。私たちはお互いに名前を尋ねなかった。そんなことは、どうでもよかった。家の名前を重んじるのは、上流貴族の証である。

そんな名もなき令嬢が最初に背負わされた運命と言うのが、王子様との婚約であった。悲しき性である。女の美しさは荒野で磨かれる。命を削るほど、ダイヤモンドのように輝くのだそうだ。

決して自慢するわけではない。しかしながら、私の母は稀有な容姿をしていた。父が婚約を申し込んだのは、必ずその容姿によると思っていた。

私と王子様の出会いは、よくある王家主催のパーティーであった。国中の令嬢を集めて、王子の婚約者を決めるというイベントだった。まさか、私の元にまで召集令状がやって来るとは思ってのいなかったので、驚いた。父は私の意志に任せると言い出した。しかしながら、王家からの召集令状に異を唱えることなどできないわけだから、私はそこそこ取り繕って、パーティーに参加した。

さて、パーティーにいらっしゃる令嬢たちの中央に王子様がいらっしゃった。令嬢たちはしきりに手を振って、自らをアピールした。当然である。王家の人間と婚約することができれば、それはそれは、夢物語の始まりなのだから。


王子の瞳と私の瞳が一瞬触れ合った。すると王子は私を手招きした。後に聞いた話であるが、周りにいた令嬢たちは、私のことをキツネだと思っていたようである。それもそうか、一応世間様よりは容姿が整っているというのに、家柄は最下層なんだから。

「気に入った!私は君と婚約しよう!」

男って単純だと思った。私はそんなに驚かなかった。令嬢様たちが私をひどく睨み付けていたことを憶えている。しかしながら、そんなのも大した問題ではなかった。

どうせ、直ぐに飽きて捨てられるのでしょう?

容姿だけ好まれて婚約した令嬢の末路は、大体決まっているのだ。次の運命に進んで、そこでまた磨かれる。なるほど、私は人間を止めてキツネになるのかもしれない、そう思った。


結論から言うと、意外に長持ちしたと思う。どうしてだろうか?王子様は私に惚れていたようだ。真逆すぎて、逆にいいのだろうか?私はお淑やかな令嬢を演じた。しかしながら、ぼろは出る。王子様に怒ったこともあった。しかしながら、王子様は何も言わず、私の怒りに耳を傾けていた。

自己肯定が甚だしいかもしれないが、私のことを本当に好いていたのかもしれない、そう思った。

だから、あの事件が無かったら、私はキツネになんかならないで、人様でいられたのだと思う。そう、あの事件が起きるまでは。


王子様との婚約が決まって数か月経った日のことだった。正式に婚約を交わす日がやって来た。私の父と母は、いつになく緊張した面持ちで、王家の住まいである帝都の城に入った。

さて、この婚約を祝う人間は、恐らく王子様一人だった。皇帝陛下を始め、その他多くの貴族たちが反対したはずだ。最下層令嬢と王子様が婚約するなんて、それは本来あり得ない話なのだ。お分かりだろう。

だから、確かに予想できた。

婚約の場に王子様の姿はなかった。どうやら、遠征中だった。

つまり、皇帝陛下が私たちに婚約破棄を宣言するのに、都合がよかったのだ。

「倅との婚約は、どうかなかったことにしてほしい……」

もちろん、タダでというわけではなかった。皇帝陛下は、私の父に爵位を授けた。そして、数えきれないほどの金を払った。親にしてみれば、これで終わりでよかったのである。

「あの、皇帝陛下!」

私がムキになることなんてなかった。でも、どうしてだか、私はこの一方的な婚約破棄に異を唱えようとした。

「止めなさい!」

父が私を制止した。ああっ、これで全部終わったんだ、そう思った。懐には眩く光る金がたくさん。私の瞳には眩しすぎた。

後日、王子様は別の令嬢と正式に婚約したことを知った。きっと、あの時私を睨み付けていた方々の誰かなのだろう、と思った。

「落ち着いたかい?」

父はそう言って、時々発作のように溢れる滴を拭ってくれた。私は完全に捨てられた。女として、人間として否定されたのだ。王子様、何か言ってください……私は最後の望みを抱えていた。

「もう終わったことだから、早く忘れなさい」

そう、忘れたかった。でも、どうしてだか、王子様と過ごした日々が忘れられなかった。

私はそれから数年間、家に閉じこもっていた。時折、両親が縁談を持ち込んできたが、私は何一つ返事をしなかった。父はとうとう、私のことをあきらめたようだった。

「それならば、君はもう墓場に行ったほうがいい」

つまり、このまま死ぬか、俗世間を離れる、つまり、出家することを勧められた。なるほど、それも悪い話ではないと思った。私は喜んで修道院行きを決意した。

母は、父に比べて、もう少し私のことを気遣ってくれた。私が修道院へ行くと言えば、

「本当にそれでいいの?」

と訊いてきた。

「私はもう決めました」

でも、いまさら甘えたところで、何かが変わるわけではないと気付いていた。だから、私は迷わなかった。
 
「戻ってきたくなったら……もしあなたにその想いが少しでも湧いてきたら、いつでも戻ってきていいからね」

母は最後にそう言い残した。私はその時気が付いた。

母もまた、困難な運命を乗り越えて、もっともっと美しくなっている、と。母は私に手鏡を授けてくれた。私は母と同じように、これからもっともっと美しくなるのだろうか?そんなことを薄っすらと考えていた。

そうすると、本当にキツネになるのだろうか?

修道院にたどり着くと、そこには、修道院に似つかわしくない男がいた。

「修道院へようこそ。君は新入りかな?」

ここはきっと偽物なんだと思った。

「ああ、逃げようと考えたのかもしれないが、それは無駄だよ。君はもう行く場所がないのだろう?どこへも行けないのさ。だから、ここに居続けるしかないんだ。それにしても、君はまた随分と美しい女だねえ」

修道士が人間を品定めするなんてありえない。やはり、男は偽物だと思った。

「ここから逃げたいかね?逃げるがいい。しかしながら、君は必ずここに戻ってくることになる。それが運命というものだ。贖うことはできないね。ここに居残ったら、私の餌食になるわけだが……死ぬよりはましじゃないかな?」

いや、この際、死んだ方がましかもしれない。私はそう思った。

「君に任せるよ」

今更、何を言っても仕方がない。この運命から逃げたとして、どうしようもない。全てが終わっているのだ。この男の素性は分からないが、従うよりほかないのかもしれない。私はそう思った。

「私はとりあえず休むから、好きにしなさい」

そう言い残して、男は部屋に消えていった。しばらくすると、男が消えていった部屋から、母くらいの年の女が出てきた。

「あらあら、新入りさんですか?」

見るからに、さっきの男とは様子が違った。修道院に似つかわしい女だった。

「これまた、随分と可愛い娘さんね」

なるほど、女は普通である。年のせいか、少しやつれている。比較する意味なんてないが、私の方がはるかに美しい。

「お腹すいたでしょう?長旅ご苦労様でした。食事の準備するから、少し待っててちょうだい」

女はそう言って、再び姿を消した。

確かに食欲は強かった。

この女に甘えるのは正解だと思った。

女はそれから、夜の分の食事も用意してくれた。私はとりあえず一晩、この修道院に泊まることにした。

「新しいお客さんは久しぶりだよ。にぎやかでいいねえ」

にぎやかとは程遠かったが、女は喜んでいた。眠る前に男が現れて、

「一緒に寝るか?」

と誘ってきた。これが狙いであることは薄々気がついていた。気が向けば、もしかしたら身体をくれてやってもいいかもしれない。しかしながら、この晩は疲れていた。

「今日は勘弁して下さらない?」

私は男に言った。

「あなたね、いきなりがっつくと嫌われるわよ」

女も私に乗っかった。それにしても、二人は夫婦ではないのか、と疑問に思った。夫婦であれば、あからさまに不義を認めることはないだろうと思った。そもそも、修道院で姦淫だなんて、シャレにならない。

「お嬢さんはここで寝るといいよ」

私は結局、神様のお膝元で眠ることになった。女がベッドをわざわざ運んでくれた。

「ありがとうございます」

私は丁重に感謝した。

「どういたしまして。さあっ、寝ましょう!」

女は男の肩をポンと叩いて、部屋に戻った。なるほど、やっぱり二人は夫婦のようだった。


神様のお膝元というのは、少し緊張した。この地に立って、王子様がやって来るのを期待していたのだ。王子様との婚約……王子様は私のことを確かに愛していた。

それがどうして?王子様は何も言わずに私を捨てて、新しい令嬢と婚約した。

「神様。私が何か悪いことをしたのでしょうか?そうでなかったら、私に復讐の力を注いでほしいものです……」

私はひとまず、眠りについた。

女は朝も昼も、そして晩になっても、私の面倒を見てくれた。おかげで、衣食住は安定、下手したら、安い貴族をやっているよりも、こちらの方が楽だと思った。女は召使のようだった。しかも、かなり有能だった。

修道院にやって来るのは、大方貴族だった。みんな、罪を告解したり、祈祷を受けたりなど、色々だったが、一番大切なのは金だった。

「どうか、神様のご加護をお願いしたいのです!」

「それならば、金をたくさん寄付することですね。寄付すればするほど、神様はあなたを正しい道に導いてくださいますよ」

「分かりました。金ならたくさんありますからね、ほら、こんなに!」

うーん……女は女で結構な詐欺師だった。でも、そのおかげで金持ちだったはずだ。貴族は自身の不運を全て神様の怒りだと解釈する。それが金で解決すると分かれば、どんどん金を払ってくれる。

貴族たちは修道院にどれほど寄付したか、競い合っている。

「私の方がたくさん払っているから、今度の婚約は上手くいくんだよ」

婚約と金と神様は大して関係ないと思うが……。こいつらはバカだと思った。

私は深々と頭を下げる貴族たちを見て苦笑した。

「お嬢さん、今日も中々いい稼ぎですよ。修道院って言うのは、こういうところなんです」

貴族社会を反映しているとすれば、これはこれで納得できる。

「でも、お嬢さんはもう貴族じゃないんでしょう?今度は貴族から金をふんだくる番ですよ。その美しさで男を誘惑してみてごらんなさい。あなたは女神様みたいだからね、稼ぎ頭になりますよ。金がいっぱい貯まったらね、この世界を支配することができるかもしれない。そうすると、私の息子もスラムの民から皇帝に上り詰めるってわけさ!」

息子?ひょっとして?

「ここに住んでいらっしゃる男の方……ひょっとして、あなたの息子さんなんですか?」

「あらっ、今頃気がついたの?」

まさかの運命、どうする、私?

 





 
しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、契約不履行により、秘密を明かします

tartan321
恋愛
婚約はある種の口止めだった。 だが、その婚約が破棄されてしまった以上、効力はない。しかも、婚約者は、悪役令嬢のスーザンだったのだ。 「へへへ、全部話しちゃいますか!!!」 悪役令嬢っぷりを発揮します!!!

拾った仔猫の中身は、私に嘘の婚約破棄を言い渡した王太子さまでした。面倒なので放置したいのですが、仔猫が気になるので救出作戦を実行します。

石河 翠
恋愛
婚約者に婚約破棄をつきつけられた公爵令嬢のマーシャ。おバカな王子の相手をせずに済むと喜んだ彼女は、家に帰る途中なんとも不細工な猫を拾う。 助けを求めてくる猫を見捨てられず、家に連れて帰ることに。まるで言葉がわかるかのように賢い猫の相手をしていると、なんと猫の中身はあの王太子だと判明する。猫と王子の入れ替わりにびっくりする主人公。 バカは傀儡にされるくらいでちょうどいいが、可愛い猫が周囲に無理難題を言われるなんてあんまりだという理由で救出作戦を実行することになるが……。 もふもふを愛するヒロインと、かまってもらえないせいでいじけ気味の面倒くさいヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACより pp7さまの作品をお借りしております。

婚約破棄が成立したので遠慮はやめます

カレイ
恋愛
 婚約破棄を喰らった侯爵令嬢が、それを逆手に遠慮をやめ、思ったことをそのまま口に出していく話。

【完結】君の世界に僕はいない…

春野オカリナ
恋愛
 アウトゥーラは、「永遠の楽園」と呼ばれる修道院で、ある薬を飲んだ。  それを飲むと心の苦しみから解き放たれると言われる秘薬──。  薬の名は……。  『忘却の滴』  一週間後、目覚めたアウトゥーラにはある変化が現れた。  それは、自分を苦しめた人物の存在を全て消し去っていたのだ。  父親、継母、異母妹そして婚約者の存在さえも……。  彼女の目には彼らが映らない。声も聞こえない。存在さえもきれいさっぱりと忘れられていた。

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

正妃として教育された私が「側妃にする」と言われたので。

水垣するめ
恋愛
主人公、ソフィア・ウィリアムズ公爵令嬢は生まれてからずっと正妃として迎え入れられるべく教育されてきた。 王子の補佐が出来るように、遊ぶ暇もなく教育されて自由がなかった。 しかしある日王子は突然平民の女性を連れてきて「彼女を正妃にする!」と宣言した。 ソフィアは「私はどうなるのですか?」と問うと、「お前は側妃だ」と言ってきて……。 今まで費やされた時間や努力のことを訴えるが王子は「お前は自分のことばかりだな!」と逆に怒った。 ソフィアは王子に愛想を尽かし、婚約破棄をすることにする。 焦った王子は何とか引き留めようとするがソフィアは聞く耳を持たずに王子の元を去る。 それから間もなく、ソフィアへの仕打ちを知った周囲からライアンは非難されることとなる。 ※小説になろうでも投稿しています。

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

結婚したけど夫の不倫が発覚して兄に相談した。相手は親友で2児の母に慰謝料を請求した。

window
恋愛
伯爵令嬢のアメリアは幼馴染のジェームズと結婚して公爵夫人になった。 結婚して半年が経過したよく晴れたある日、アメリアはジェームズとのすれ違いの生活に悩んでいた。そんな時、机の脇に置き忘れたような手紙を発見して中身を確かめた。 アメリアは手紙を読んで衝撃を受けた。夫のジェームズは不倫をしていた。しかも相手はアメリアの親しい友人のエリー。彼女は既婚者で2児の母でもある。ジェームズの不倫相手は他にもいました。 アメリアは信頼する兄のニコラスの元を訪ね相談して意見を求めた。

処理中です...