あなたを忘れたい

さりゅん

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忘れた記憶、忘れられない記憶

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 この日行うのは、当社の新商品の広告CMの撮影である。モデルに当社の調理器具の新商品である『Sエス-FOLLOWフォロー』を、好感度良く使用してもらうのだ。『S-FOLLOW』は、20·30代の顧客女性に意見を求めて開発した調理器具のセット名である。商品名もあえて『S-FOLLOW』こと『セット·フォロー』、つまりは『“あなたと一緒について行く”調理器具』をコンセプトに開発された。例えばあまりこだわることが少ない“菜箸”を、あえて商品の中に組み入れたのは、初心者にも“菜箸”というものを周知してもらうためである。
 若い主婦層が比較的好む、スモーキーカラーの配色をしている菜箸は、持ち手の辺りがアタッチメント式になっていて、好きなカラーに交換可能。デザインに飽きやすい主婦層にフォーカスした、今までに無い商品である。他にもディッシャーは、潰したポテトが詰まりにくいシンプルな形で先端がハートの形をしており、潰した後にハート形の跡が残ると言うものだ。
 これらを20代、30代の女性の読者層からの人気が高まり、最近雑誌の業界でモデルとして支持されているらしい、モデル『サナ』、今回は彼女に、イメージモデルとしてこれを扱ってもらう予定だ。私と同年代の28歳だと言う彼女。一体どれほどの美人なんだろう。何ともそんなぼんやりとしたイメージを思い浮かべて、何気なく手首につけた腕時計を見た。秒針が指しているのは、10時1分前―――。
「…そろそろ時間だ」
撮影時間が間もなく20秒と迫った頃、「サナさん、入りまーす」と大きな男性スタッフの声が響いて。私は気を引き締めて、彼女を迎えるべく出入口を振り返った。

          *

 彼女はまるで雪のようだった。冷たい世界に降るふわっとした綿のような儚げで優しげな笑顔が美しくて。縫いぐるみの様に愛らしい顔立ちに、まるで雪のように白い肌は、長い黒髪によく映えている。
 彼女を初めて見た時の詩の一節が、真っ青で冷たい感情と一緒くたになって私の身体を巡る血潮の中に流れ込んで来た。
 スタジオ『東都南鳩第3スタジオ』に入って来た『彼女』は、あの頃より一段と大人っぽくそれでいて愛らしさはそのままの姿へと変わっていた。
 綺麗なサラサラと靡く黒髪。血色のいい白い肌と、グレーの大きな瞳。オレンジベージュの口紅を塗って。シンプルなナチュラルメイクしかしてないように見えたが、それでも十分美しいと感じるのが、彼女の魅力なのだろう。
 やがて彼女は、よろしくお願いします、と自分を迎えるスタッフに、都度挨拶交じりに頭を軽く下げながらやって来る。私は断崖から突き落とされたかのようにただただ『ショック』に似た驚きで、他のスタッフと同じ様に会釈するのがやっとだった。


 芸名を『紗奈さな』と言うらしい。彼女のマネージャーに新しくしたと言う名刺を渡され、書かれていた彼女、サナの芸名を見た私は、再度撮影中の彼女を見やった。彼女、サナはセットである仮設キッチンの定位置で、調理器具の新商品である『Sエス-FOLLOWフォロー』を片手に笑顔で料理の演技をしている。
「―――…じゃ、今の表情のまま、お願いしまーす」
監督が、そう彼女に伝える。
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