上 下
38 / 45

番外編05 水槽の底から

しおりを挟む


 あの日から拓真は、しょっちゅう家に来るようになった。

 野球部の活動から引退してからは特に。最後の夏は地区予選の準決勝で惜しくも敗退し、拓真も真南可も涙して部活動から身を引いていった。
 
 それまで放課後も休日も野球に捧げていた時間は、丸々そっくり2人の蜜月にあてられた。

「拓真っ、それ感じちゃうから……っ」

 彼の家でセックスすることもあったが、より多いのは真南可の部屋だった。2人して部屋に籠もっている時間が長くなっているから、さすがに涼介には行為を疑われているかもしれない。

 でも――それでもやめられなかった。
 部活のために節制していたぶんまで性欲に変わって溢れ出るようだった。拓真も、真南可も――。

 ■ ■ ■

『家族』との生活も変わった。
 あれ以来、涼介とすっかり打ち解けられた。少なくとも自分ではそう思っている。

「姉さん」

 そう呼ばれるのも気分が良くなってきた。
 あんなによそよそしい態度だったのに、ひとたび軟化すると彼は意外にも人懐っこかった。

 それに、

(やっぱカッコイイし)

 大人びてはいるものの、その秀麗な眉目にはまだ年相応の中性的な雰囲気が残っている――他のツテから聞くところによると、彼は同級生や、ときに先輩の女子からも『王子様』だなんて呼ばれているらしい。

 ……実際は、高貴な雰囲気なんてないんだけれど。

 家の中での『素』を知っているという優越感。涼介が無条件に笑顔を向けてくれるという愉悦感。

 そんな彼の視線をもっと向けられたくて、真南可はときどきイタズラをする。
 入浴後にはあえて無防備な姿で彼のそばを通ってみたり。上半身には下着をつけずにタンクトップ1枚と、際どいラインまで太ももが見えてしまうホットパンツで。

「またそんな格好して」
「だって。家なんだし、しょうがないじゃん」
「俺も一応男なんだからな――」

 気まずそうに目を逸らす義弟が可愛い。
 これまでも発育のいい胸に男性の視線を感じることは多く、そのたび居心地の悪さを覚えてきたけれど――初体験を済ませてからは心の持ちようが変わってきた。

 拓真はこの身体に夢中になってくれる。こうして『クールな王子様』を煽ることだってできる――自分が魅力的な『大人の女』になっているんだと実感できて、いい気分だった。

「家族にしか見せないんだし、いいでしょ」
「真凛がマネするから。気をつけてよ」
「はーい。ふふっ」
「なに?」
「涼介もすっかり『お兄ちゃん』だなぁって」
「なんだよそれ……」

 涼介は不服そうにこちらを睨むが――真南可の身体を見て、またすぐにそっぽを向いてしまう。

(こういうところは年下くんだなぁ)

 しみじみとして、胸中でほくそ笑む。
 彼を翻弄することが、真南可の楽しみのひとつになりつつあった。


 生活の変化といえば、料理はもっぱら涼介が担ってくれていた。

 母はもともと食に関心がないほうだったが再婚してもそれは変わらなかったし、師藤家のほうでも涼介の父は家事に無頓着らしかった。

 ――そもそも、父と母は最近あまり家にいない。
 深夜には帰宅しているが朝には仕事に出ていってしまうし、家族全員で食卓を囲んだのなんて数えるほどだった。

 そして真南可も、食べるのは好きだけれど料理するのは大の苦手だ。
 だから自然と彼が担当してくれていて、

「そんなことより姉さん。ジロジロ見てないで座っててよ」

 真南可は真南可で、キッチンに立って見事な手際で調理する義弟のことを、カウンター越しに眺めてしまう。

「だって暇だし」
「邪魔」
「えー、ひどいなぁ」

 なんて言いながらも、胸元のざっくり開いたカットソーで彼を挑発し続ける。

「……真凛。この人の代わりに手伝ってくれ」

 彼がチラリと振り向く先には、冷蔵庫に背をもたせかけて真凛が立っている。不機嫌そうな表情だったが、

「――どうして私が」
 
 ぶつぶつ言いながらも涼介の隣に立って、言われるがまま包丁を握る。

「そう。もっとゆっくりでいいから、左手は絶対に切るなよ」
「…………」

 優しく教える兄と、無言のまま従う妹。
 なんだか微笑ましい光景だった。

「涼介はさ、なんでそんなに料理うまいの? モテるから練習した?」

 と、からかってみる。
 顔をあげた涼介はニコニコとした表情で、

「周りがしないからじゃない?」
「う」

 こういうところは可愛くない。でもまあ、自分も悪いなと反省する。

「ずっと料理してたの?」
「父親がしないからね。母親たち・・も興味なかったみたいだし」

 彼の場合、今の母親で3人目――と聞いている。
 涼介の表情から感情は読み取れない。怒ってもいないし、悲しんでも、寂しそうでもない。もちろん、本心は分からないけれど。

 チラリ、と真凛が横目で涼介の顔を伺っている。

「真凛、集中」
「…………はい」

 素直に応じる妹。こういう真凛の姿は見たことがない。母親に対しても棘のあるタイプだし、真南可には心を許してくれているが、それとも態度がなんだか違う。

 従順――
 そう、従順になっている気がする。

 少し嫉妬だ。自分にしか懐かなかった子猫が、ごく短期間で他の人間に寄り添っているような。まあ、いいことであるのに間違いはないのだけれど。

 それに、自分が家事無精なせいとはいえ、涼介が真凛にばかり構うのも何だか悔しい。 

「私も料理しようかな――」

 ぽつりと言って涼介の反応を確かめるが、

「それは勘弁してよ。仕事が増える」
「なっ!? わ、私だってちょっとは……食器だって洗ってるでしょう?」
「食器洗浄機が、ね」
「うぅ……っ!?」

「――ふっ」

 漏れた笑い声の主へと、涼介と一緒に目を向ける。
 真凛だ。
 滅多に笑わない少女が、小さく吹き出していた。

「…………。なんでもありません」

 まな板と向き合ったままだし顔にも出さないが、どうやら照れているらしい。
 涼介と目を見合わせて、笑う。

(え、楽しいんだけど)

 ――気づけば。
 涼介のおかげですっかり家が楽しくなったし、彼を中心にこの家は回っている。それが何だか心地良かった。

 順風満帆だ。恋人との関係も、義弟との関係も。

 ……ただ、もうちょっと。
 義弟とはもう少し距離を詰めてみたい。この、誰もがうらやむような年下の男の子と。

(姉として――、そう姉として、だよね)

 心の奥にわき起こる『悪い感情』を誤魔化すように、真南可は胸中でつぶやいた。
 

 ■ ■ ■


 きょうだい3人だけの夕食も終わり、姉妹たちのあとで入浴を済ませた涼介は、髪を乾かして脱衣所を出た。
 廊下はシンと静まり返っている。

 両親は帰宅していないし、真凛は1階にある寝室に――真南可は2階の自室に入っているらしい。

 あいにく、静寂には慣れている。

 ――水槽の底にいるみたいだ。

 と、涼介は自分の家をそのように感じることが多い。静かで、整っていて、人工的な光だけが照らす狭い世界。
 ……最近は異物が転がり込んできたけれども、それには慣れている。慣れているはずだ。

 物音で2人を起こさないよう階段を昇っていくと、キィ、と音がしてドアが開いた。真南可だった。

「……姉さん?」

 どうやらこちらの微かな足音を聞いて部屋から出てきたようだ。義姉は――真南可は、寝衣しんいにしているらしいタンクトップとホットパンツという、いつもの無防備すぎる姿をしている。

「ちょっと涼介と話したくて」

 後ろ手にドアを閉めて、ちょっと甘えたような視線を向けてくる。

「いいけど……今日も姉さんが皿を割った話?」
「そ、それはさ!? まだ2回目じゃん!?」
「まだ割る気?」

 妹の真凛とは性格がだいぶ違う。手先の器用さも、繊細さも。無警戒でがさつなところがあるが、愛嬌でカバーするタイプだ。

「そんな話じゃなくてさ。いやぁ、最近涼介って、いい雰囲気だなと思ってさ」
「どうしたんだよ急に」
「ほら最初はあんな冷たかったじゃん」
「ああ、アレね――」

 べつに真南可たちを毛嫌いしていたわけではない――きょうだいが増えようと涼介にはどうでも良かった。

「すぐに出て行くかもしれない相手に、愛想を振りまく必要はないと思ってね」
「え――」

 父が再婚したのはこれが初めてではない。涼介の実母も、その後にやって来た1人目の義母も長く持たずに去っていった――父親は1人の女性を愛するのに向かない性格だ。だからすぐに破局する。すぐに代わりを見つけてしまう。

 そのことを涼介はよく理解していた。つまり『新しい家族』に取り入ったところで、涼介に特にメリットはない。

「それに、ああいう態度のほうが父親も喜ぶ」
「……義理のきょうだいと仲悪いほうが?」
「っていうより――」

 父親に反抗的な態度を取ることが、だ。
 あの男は、子どもなどに興味はない。出来れば世話なんてしたくないと思っている――『反抗期の息子』を演じていれば、彼も余計な家族サービスをせずに済む。

「――『反抗期だからそっとしておいたほうがいいんだ』とか周りに言い訳できるだろ。姉さんたちの母親にも、そういうことを言ってると思うよ」

 だから、彼が望むように振る舞う。
 他人が望むものを読み取って演じるのは得意だ。家でも、学校でも。ありのままの自分がどうだったのかなんて覚えていない――いいや、生まれてからこれまで、『自分』なんてどこにもいなかったのかもしれない。

「そんな……」

 ショックを受けているようだった真南可の表情は、憐れむようなまなざしに変わる。

(……いらないんだけどな、同情とか)

 きょうだいが出来たのは初めてだったから少し興味はあった。
 どんなものかと観察をしていた。
 真凛の冷めたところは自分に似ていると思った。血縁はなくても、『妹』だと素直に受け入れられそうだ。

 真南可は――

「あのさ、涼介。甘えたくなったら甘えてもいいよ。いちおう私、年上だしさ? 寂しくなったら甘えても――」

 彼女は自身の魅力に自覚的だ――いや、ここ最近で覚えた、というべきか。拓真とのセックスで、男に求められる快感を知ってしまった。

 だからあえて無防備に装って『義弟』のことまで挑発してきている。年下の男子を誘惑するのが楽しくて仕方ないらしい。

 でも彼女は――相手を選ぶべきだった。

「姉さん。『甘える』って?」
「まあ寝付けないときは話し相手くらいにはなれるよ。部屋も隣だし――」
「……そう」

 薄暗い廊下で。
 彼女の意識の外。
 涼介はすばやく距離を詰めると右手で真南可の頬を愛撫し、首をかたむけ唇を奪った。

「えっ? んッ――!?」

 戸惑う真南可の唇を自分の唇で押さえ込む。抱きしめた柔らかな肌には、ボディーソープの甘い残り香があった。

「な、なにを、涼介……」

 怒りを浮かべる余裕すらないらしく、義姉の顔には困惑ばかりが広がっている。

「言ったでしょ。俺だって男なんだよ、姉さん」

 涼介は言葉を選ぶ。
 彼女を追い詰める言葉を。真南可が悦ぶ言葉を――

「いつもそんな格好して、俺の視界に入ってきて。耐えられると思う?」
「あ、ぅ……っ」
「姉さんがそう言うなら甘えさせてもらうからね――これからも」
「え、あ」
「おやすみ。――姉さん」

 真南可の横をスルリと通り抜け、涼介は自室に入った。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺がカノジョに寝取られた理由

下城米雪
ライト文芸
その夜、知らない男の上に半裸で跨る幼馴染の姿を見た俺は…… ※完結。予約投稿済。最終話は6月27日公開

悲しいことがあった。そんなときに3年間続いていた彼女を寝取られた。僕はもう何を信じたらいいのか分からなくなってしまいそうだ。

ねんごろ
恋愛
大学生の主人公の両親と兄弟が交通事故で亡くなった。電話で死を知らされても、主人公には実感がわかない。3日が過ぎ、やっと現実を受け入れ始める。家族の追悼や手続きに追われる中で、日常生活にも少しずつ戻っていく。大切な家族を失った主人公は、今までの大学生活を後悔し、人生の有限性と無常性を自覚するようになる。そんな折、久しぶりに連絡をとった恋人の部屋を心配して訪ねてみると、そこには予期せぬ光景が待っていた。家族の死に直面し、人生の意味を問い直す青年の姿が描かれる。

NTR動画を彼氏の浮気相手♀から送られてきたので〜──浮気する男はいりませんので──

ラララキヲ
恋愛
突然鳴ったスマホ。 そこに届いた動画。 大学で初めてできた彼氏。 告白されて付き合って半年。彼は私を大切にしてくれていたなのに知らない女から送られてきた動画には、私の知らない彼の乱れた姿が映っていた…… 決定的な浮気の証拠…… どうする? 許せる? 私は許せない。 だから私は…………── 〔※男女の絡みのフワッとした描写有り。フワッとしてます〕 〔※友人に大らかな男性同性愛者が居ます〕 ◇ふんわりゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾もあるかも。 ◇なろうにも上げてます。 ※※男性同性愛者は居ますが、作中に『男性同士の恋愛描写』はありません(無い)。

君と僕の一周年記念日に君がラブホテルで寝取らていた件について~ドロドロの日々~

ねんごろ
恋愛
一周年記念は地獄へと変わった。 僕はどうしていけばいいんだろう。 どうやってこの日々を生きていけばいいんだろう。

寝取られた義妹がグラドルになって俺の所へ帰って来て色々と仕掛けて来るのだが?(♡N≠T⇔R♡)

小鳥遊凛音
恋愛
寝取られた義妹がグラドルになって俺の所へ帰って来て色々と仕掛けて来るのだが?(♡N≠T⇔R♡) あらすじ 七条鷹矢と七条菜々子は義理の兄妹。 幼少期、七条家に来た母娘は平穏な生活を送っていた。 一方、厳格ある七条家は鷹矢の母親が若くして亡くなった後 勢力を弱め、鷹矢の父親は落ち着きを取り戻すと、 生前、鷹矢の母親が残した意志を汲み取り再婚。 相手は菜々子の母親である。 どちらも子持ちで、年齢が同じ鷹矢と菜々子は仲も良く 自他共に認めていた。 二人が中学生だったある日、菜々子は鷹矢へ告白した。 菜々子は仲の良さが恋心である事を自覚していた。 一方、鷹矢は義理とは言え、妹に告白を受け戸惑いつつも本心は菜々子に 恋心を寄せており無事、付き合う事になった。 両親に悟られない淡い恋の行方・・・ ずっと二人一緒に・・・そう考えていた鷹矢が絶望の淵へと立たされてしまう事態に。 寮生活をする事になった菜々子は、自宅を出ると戻って来ない事を告げる。 高校生になり、別々の道を歩む事となった二人だが心は繋がっていると信じていた。 だが、その後連絡が取れなくなってしまい鷹矢は菜々子が通う学園へ向かった。 しかし、そこで見た光景は・・・ そして、菜々子からメールで一方的に別れを告げられてしまう。 絶望する鷹矢を懸命に慰め続けた幼馴染の莉子が彼女となり順風満帆になったのだが・・・ 2年後、鷹矢のクラスに転入生が来た。 グラビアアイドルの一之瀬美亜である。 鷹矢は直ぐに一之瀬美亜が菜々子であると気付いた。 その日以降、菜々子は自宅へ戻り鷹矢に様々な淫らな悪戯を仕掛けて来る様になった。 時には妖しく夜這いを、また学校内でも・・・ 菜々子が仕掛ける性的悪戯は留まる事を知らない。 ようやく失恋の傷が癒え、莉子という幼馴染と恋人同士になったはずなのに。 古傷を抉って来る菜々子の振る舞いに鷹矢は再び境地へ・・・ そして彼女はそれだけではなく、淫らな振る舞いや性格といった以前の菜々子からは想像を絶する豹変ぶりを見せた。 菜々子の異変に違和感をだらけの鷹矢、そして周囲にいる信頼出来る人物達の助言や推測・・・ 鷹矢自身も菜々子の異変をただ寝取られてしまった事が原因だとは思えず、隠された菜々子の秘密を暴く事を決意する。 変わり果ててしまった菜々子だが、時折見せる切なくも悲しげな様子。 一体どちらが本当の菜々子なのか? 鷹矢は、菜々子の秘密を知る事が出来るのだろうか?

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

俺の彼女が『寝取られてきました!!』と満面の笑みで言った件について

ねんごろ
恋愛
佐伯梨太郎(さえきなしたろう)は困っている。 何に困っているって? それは…… もう、たった一人の愛する彼女にだよ。 青木ヒナにだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

処理中です...