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3話
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深夜になっても寝つけなかったユメルは、翌朝、戸を叩く音に起こされた。
「良かった。返事がないから、先に行ってしまったかと思った」
ぼんやりしていたため、相手を確認せず戸を開け、寝巻のままザークに対面した。
「……――! すみませんッ! 今着替えます!」
「ゆっくりでいいぞ。朝食は?」
「要りません!」
「だめだ」
「お待たせするわけには」
「ユメルの用についていくだけだから気にするな。勝手に何か作るぞ」
「では、私がご用意を」
「じゃあ着替えて、今日の荷物まとめてから手伝ってくれ。採取の準備はユメル任せなんだから」
反論できず、急いで準備をしてから、食堂兼キッチンへ駆けつけた。
(ザークさんがうちのキッチンに立っている)
きゅんとなる胸を抑え、彼に話しかけると、作り終わった料理を食卓に運ぶだけの仕事を任された。
並んだ茶葉からどれにしようか興味深げに選んでいる彼を見ながら、サンドイッチを頬張る。
「美味しいです」
わざわざパンに焼き目をつけてくれている。幸せだけど、世話をかけてしまい複雑な気分だ。ザークが作ってくれたと思うと、早食いするわけにもいかず、味わって食べた。
「いっぱい茶葉があって面白いな。全部飲むまで通っていいか」
口に頬張ったばかりのユメルは声を出せず、必死に頷いた。
昨夜、ザークに変に思われたのではと散々した心配が、無用だったようだ。
お揃いの籠を背負って街の北門を出る。同じ大きさの籠なのに、大柄なザークが背負うと小さく見える。
街道から逸れ、木々の間の細い道を歩く。しばらくしてその道からも外れ、茂みを突っ切る。朝露が付きにくいよう、靴と足元に蝋を塗ってある。
「この黄色い花は」
「珍しい。ユリの一種ですよ。普段は探し回らないと見つからないのに」
「そうか。それは運がいい」
採るのか? と聞かれたが、首を横に振る。花が小さい種なので、花に詳しくない人には見応えが無い。同業者の間でひっそりと親しまれている花だ。
ザークが植物の名前を聞いて、ユメルが答える。
ザークは楽しそうに辺りを観察している。ユメルの中にあった、付き合わせることへの罪悪感は消えて、いつのまにか純粋に楽しんでいた。
そうしているうちに、目的の地点の一つに着いた。
ユメルが採り方を見せると、ザークは器用に真似してみせた。
数分で次の地点に向かう。
この調子なら、大分早く終わるかも。
「魔物はいませんね」
茂みといっても膝より少し上くらいの高さだ。先程通り抜けてきた林まで、辺りを見回すことができる。
以前は湿地でも生育可能な低木が沢山あったけど、魔物が多くなってから、街の近くに隠れられにくいよう、街の皆で度々伐採している。
「湿地は地を這うタイプや泥に潜るタイプもいるから、十分隠れられる。まあ、大型はさすがにいなそう……」
「……!!」
ザークが急にユメルの腕を掴み引き寄せた。ザッと剣を伸ばし、ユメルの後ろにいたワニのような魔物を貫く。バタバタと暴れようとする魔物の首元を足で押さえ、腕を絡めて一気に引き、圧し折った。
動かなくなったのを確認し、ザークは力を抜いた。
「……ユメル、剣を抜くとき血が出る。血で獣を呼ばないよう、念のため、あまり人が近寄らない場所で抜きたいんだが」
ユメルは驚きで固まっている。
「ユメル、大丈夫か?」
はっとして、頷く。
「大丈夫です。向こうの方に崖が草に隠れていて、皆が避けている場所があります。ご案内しますね」
「助かる」
「こちらこそありがとうございます。魔物に全然気づいていませんでした。魔除けのポプリはしていたのですが」
「魔物が慣れてしまうから、数か月使ったなら種類をローテーションした方がいい」
「そうなんですか。うう、小さい頃から使っていた秘蔵のポプリなのですが」
「自分で作ったのか?」
「はい」
「街で売られているポプリではなく、ユメルだけのものだったから、魔物が慣れるのに時間が掛かったのかもしれないな」
「なるほど、ではまた自分で作ってみます」
「ああ。ポプリの効果検証中に街の外に出る時は、俺の非番の日にしてくれ。護衛する」
「いいんですか」
「もちろん」
「悪いですけど……、けど、嬉しいです」
頑張って作ろう! そう気合いを入れていると、
「……男だったら、見回りの仕事の時、後ろについてきてくれていいんだが……、か弱い異性に気を取られているように見られると……」
ザークさんの声を聞き逃した。
「すみません。今、何か……」
「いや、何でもない。案内してくれ」
「はい!」
元気よく返事をして、くるりと茂みの方を向くが、
「…………」
目の端に、ザークが倒した魔物が見える。
ザークの手に掛かるとあっけなかったけど、ユメルが出遭えばひとたまりもない怪物だ。
崖はあそこに見える、頭一つ高い低木の辺り。すぐそこなのだが。
(早く、進まなきゃ)
怖い。
「? どこにいけばいい」
「あの低木のあたりなんですが……」
「そうか。分かった」
(あ、ザークさんだけあそこまで行って、私はここで待つことになるのかな)
それも怖いが、文句は言えない。
「ごめん、ユメル」
ザークが頭を下げた。
「わっ」
そしてユメルの尻を腕に乗せ、持ち上げた。
「これなら茂みに足を入れないでいいだろう。ここで待っていてもらえればいいんだが、一人で置いていくのは心配だからな」
片腕にユメルを乗せ、もう片手で魔物を引きずって、ザークは目的の場所へ歩いている。
「ザークさんの両手が塞がって危ないです!」
「このくらいの魔物なら足だけで片づけられるよ」
「……ほ、本当ですか」
「ああ、この辺りの魔物は一匹ごとの危険性は高くない。数が多いのと、住民を守らないといけないのが大変なだけだ。俺としては隊の奴らの気が抜けないか心配しているくらいだ」
ザークは上手く足元を掻き分けて、段差に気を配って歩いている。
「ユメル、もっと寄りかかってくれると抱えやすいんだが」
「は、はい」
ザークの肩に置いていた腕を、彼の首に回した。ユメルの胸が彼の耳に当たる。
彼の熱を感じ、鼓動が速くなる。
(あの日と同じ……)
ザークに助けられて、彼の腕に乗って街まで連れていってもらった。
まだ恋ではなかったけど、彼に感謝し、大好きになった。
真下にある、ザークの顔を見つめる。
(ううん、あの時から、どきどきしていた)
「ここでいいか」
「はい」
ザークは魔物を捨て、剣を引き抜き、血を払う。
剣を鞘に納めると、両手でユメルを抱えなおした。
ユメルの位置が下がり、自然と視線の交わる高さになる。
「真っ赤だ」
分かっている。顔が熱くて、熱が治まりそうにない。
顔を逸らそうとすると、
「ユメル」
こつんと、額を合わせられる。
「俺も熱いの、分かるか」
「あ……」
ユメルの体温も高いのに、ザークの体も、すごく熱い。
「君の足が地面に着かなくて、俺にすがっているの……」
耳に熱。彼の唇が耳に当たり、吐息が掛かる。
「気持ちいい……」
「……っ…!」
思わず身を震わせた。呼吸の仕方を忘れ、かすれた吐息が漏れてしまう。
その音を、表情を、息の感触を……、正面にいるザークには届いてしまっているだろう。
「ザーク……さん……」
――彼の目は、会うたびに優しく、甘くなっていった。
今、彼の腕の中で、ユメルをとろとろに甘えさせている……その表情は、優しさだけではない。
その目に宿る情欲に……、めちゃくちゃにされたくなる。
ちらりと、ザークは視線を落とした。
「また漏らしてる……」
「……やっ……、ちがう……」
うっすらと、ズボンの前の色が濃くなっている。ゆったりとした型だから、硬くなっているのは分かりにくいけど、男同士だ。察してしまっているだろう。
どうしようもなく昂ぶった体は今にも……。
「可愛い……」
囁かれた声に、頭が真っ白になる。
「――ッ…ぁ……!」
彼の目の前で、喉を反らして、声にならない声を上げた。
「ユメル……?」
「ン……ッ、ふ……」
荒く呼吸しながら、だんだんと意識が浮上する。
(……そんな……)
直接的なことなど何もしていないのに、こんなこと……。
明らかなズボンの湿り。柔らかくなった分、少し張りつくようになっても形は目立たない。
だが同性が至近距離でこれを見て、気づかないはずがない。
なにより、明らかに”あの”瞬間の表情、嬌声だった。
誰にも見せたことのない、いや――、自分でも知らなかった、理性を吹き飛ばすような快楽……。
(気持ちよかった……)
そう思いながら、目を瞑り、唇を噛む。
胸を締め付けるのは、罪悪感と羞恥心。
(ザークさんの腕の中で……ザークさんを想いながら、なんてことを……)
ユメルはザークの顔を見られなかった。閉じた瞼が、涙の雫を流した。
「ごめんなさい……」
まだ告白のステップさえも踏んでいないのに、彼で肉欲を満たしたのだ。
「ユメルは悪くない!」
身を縮みこませるユメルの手を、ザークは握った。
開けた場所に急いで戻り、ユメルを地面に立たせてくれた。ザークは自由になったもう一方の手も、ユメルの手に添えた。両手でぎゅっと握りこむ。
「悪かったのは俺だ……。ユメルが俺に反応してくれるのが嬉しくて……、曖昧な関係で、許される行為じゃなかった」
「……ザ……さ……」
「君の特別な人になりたい」
特別……。
視界を歪ませる涙を貫いて、ザークのまっすぐな瞳が射抜く。
「愛していると、言っていいか……?」
「あい……」
……あい……。
……あ。
「…っー……!!」
言われたことを理解して、目を見開き、涙が止まる。
(信じられない……)
けれど優しいザークさんが、正面からくれた言葉。
「……信じられないくらい嬉しいです」
素直な言葉を返す。
それから、
(えっと、こういう時どう返事すれば)
と次の言葉を考えていると、
「ユメル」
熱い体に抱きしめられた。
「愛してる」
み、耳元で……。くらりと意識が遠のくのを、どうにか耐える。
「私もザークさんのこと……愛してます……」
ザークの体が震え、よりきつく引き寄せられる。
「好きです……」
「嬉しい。…ん……」
口付けが髪に落ちる。
抱き上げられた体は、爪先が地面に触れているだけ。
彼に寄りかかって、
「ん……」
黒い首元に口付けを返す。
その喉がごくりと動き、ザークの色っぽい溜息が聞こえた。
(ッー……。ザークさんの、こういう時の声なんて……)
くたっと、彼の胸に倒れる。
「……もう……だめです。また……」
「ああ、ごめん……」
ユメルが落ちつくまで、子供をなだめるように優しく撫でてくれたが、それにさえも反応してしまう。だがそう口にするのが恥ずかしく、どうにか気を張って耐えた。
ザークは鞄に丸めて入れていたマントを取り出し、ユメルの肩に被せた。少し斜めに整えれば、股の辺りは見えない。
「あ、ありがとうございます。持ってきていたんですね」
「夜には寒くなるから」
「あっ、お昼には終わると伝えてなかったでしょうか。すみません」
「いや、知ってはいたが、その……」
ザークは視線を逸らす。
「夜まで、できれば次の日までいるつもりだった」
「それは……」
泊まってくれるということか。
ユメルは自分の顔が赤くなっていくのを感じる。ザークは肌色が濃くて、血色が分からないが、照れているのが伝わってくる。
(昨日は、少しでも友達の先に進みたくて誘ったけど)
濡れた部分を意識して、マントの端を握った。
(ザークさんは、恋人になったんだよね……)
恋人……、泊まる……。
「おい、危ないぞ」
「ひゃっ!」
いつのまにか道の端に寄り、段差に落ちようとしていた。
街道に出ると、ちょうど荷台に空きがありそうな馬車を見つけ、乗せてくれないか交渉する。
歩いているとはためくマントを、ユメルが気にしてしまっているからだろう。
「……ありがとうございます」
小声でお礼を言うと、ザークは黙ったまま微笑んでくれた。
手間賃を払い、ザークが荷台の後ろの方に、足をぶら下げる形で座った。
(……この縁に座るの?)
木製の馬車だ。濡れているのは前とはいえ、跡が残ってしまったら……。
「ほら」
戸惑うユメルの手をザークが引く。そして彼の膝に横向きに座らされた。ザークの足の間に尻を浮かせている形だ。
「出発してくれ」
ザークが声を掛けると、馭者はこちらの様子に気づいていないのか、特段反応なく馬車を走らせた。
「ザークさん……、濡らしてしまったら……」
「そしたら」
ザークは言葉を止めた。
「人がいるから、ユメルの家に着いたら言うな」
「……?」
ユメルを膝から降ろす気配は無く、黙って髪を撫でてくる。どうやら着くまでこのままのようだ。
ユメルは反応してしまわないように、
(もったいないけど……)
ザークから目を逸らし、風景を見ていることにした。
馬車は商業区に入り、ユメルの家の一ブロック隣を通ったので、そこで降りた。
すれ違う知り合いは、鬼人族のザークを敬遠してか、挨拶以上の言葉は掛けてこず、すんなり家に着いた。
「失礼します」
ザークの前で中腰になる。
外では確認する間もなかったが、ザークの膝を確認する。
「良かった。濡れていない」
「濡れたら、乾くまで帰れないから泊まらせてもらおうと思ったのに」
「あっ」
そうか。馬車で言いかけたのはこれだったんだ。
(泊まってくれないのかな)
ちらりとザークを見上げると、色っぽい……挑発的な目。
少し分かってきた。
この目の時の彼は、ユメルを甘く蕩かしてくれる。
欲しいものを”たくさん”くれる。さっき外なのに困ったことになったみたいに。とろとろに絡められ、何も考えられなくなる。
「採った花の手入れが終わったら、一緒に夕食を作りたいです。それと……」
したことのない誘惑。ついザークの胸に額を当て、赤い顔を隠してしまう。
「今日はお酒飲みません」
帰る理由なんて作らせるものか。
ぐっと顔を上げ、彼の肩に手を添え、その瞳を覗く。
「だから、泊まって?」
ザークの目が、嬉しそうに輝いた。
「ああ」
口と口が合わさり、吐息が絡んだ。
初めての口付け。
(唇、柔らかい……)
同じように柔らかいけど、弾力のある舌が、ユメルの唇を割って口の中に入ってくる。
(こんなこと、するんだ……)
ザークのなすがままに受け入れる。いままで意識したことのない自分の唇が、彼に触れられることで輪郭が生まれる。
(カサカサになっていないかな)
自分を好きと言ってくれる相手とはいえ、やはり緊張する。
(手入れしておけば良かった。手は何もしないと水仕事で酷くなるから、クリームを塗るけど……)
ちらりと水仕事のことが頭をよぎり、はっとした。
花!
「はにゃッ……ん……」
ザークの口付けが止まらず、情けない声が出る。
「ふ……」
目の前のザークが小さく笑う震えが、唇から伝わってきた。ただの喘ぎ声と思ったのか、構わず続けてくる。
(……ーっ…もう!)
ザークを求められて熱くなる体を叱咤し、ぐっと腕を突っ張る。
「……ユメル?」
「はぁ……、……花を……手入れしないと」
途中で採取を切り上げたため、必要量ギリギリになっている。悪くするわけにはいかない。
「そうか」
説明するとすぐ分かってくれて、作業を手伝うと言ってくれた。
下だけさっと着替え、ザークに教えながら作業した。
「俺の部屋のもこうすると長く持つのか?」
「はい」
ザークは器用で、興味を持って覚えてくれて、楽しい時間はすぐに過ぎていった。
闇に近い夕暮れと、ランプの灯りが室内を照らす。食卓には二人で作った料理が並べてある。ユメルはザークが作ってくれた見慣れぬ串焼きに興味津々で、いただきますを言ってからすぐに手を伸ばした。ザークはユメルの郷土の煮込み料理を食べている。
「おいしい」
「うまい」
二人の声が合わさって、なんだかもっと美味しく感じた。
「なあ、ユメル」
「はい」
お腹がふくれた頃、ザークが改まって声を掛けてきた。
「これをもらってくれないか」
革紐のネックレスの先に、黒色の石が付いている。
「いただいていいんですか」
受け取って、手のひらに乗せてじっと見る。
「ほんのり赤い斑模様があって綺麗ですね。何の石でしょうか」
「俺の角だ」
「ええっ!」
思わず彼の頭を見るが、ちゃんと額から生えていて、欠けているようには見えない。
「鬼人族の男は、首の後ろにも小さな角が一本生えるんだが、邪魔なので子供のうちに親が折ってしまう。ある程度育ったらそれを子供に持たせるんだ」
「そうなんですか」
ユメルが見た鬼人族は、人によって角の色が少しずつ違うが、この角の色はザークの角とぴったり同じ色だ。
「嬉しい」
ぎゅっと握りしめる。
「鬼人族はこれをそうそう手放さない。そのため希少品として扱われ、砕いて薬にすると悪魔の力を得られる、なんて迷信もある」
「手放さないって、あの、そんな大事なもの、本当にいただいていいんですか」
「そのくらい、ユメルが俺にとって特別だという証だ」
「証……?」
「……本来、神の前で誓う前に、泊まるべきではないのだろうが……、我慢できそうにない」
(神に誓うって、結婚……)
男同士でそれはないよね。とくんと鳴った自分の心音を無視する。
「――生涯君しか愛さないと、俺なりに誓いたい。鬼人族がその角を渡すのは、誰よりも大切に想っている相手だ」
その真剣な表情に、息を飲んだ。
(ザークさん……)
優しくて、いつもユメルのことを考えてくれる。
自分の想いにさえ気づいたばかりで、まだ意識していなかったけど、男の恋人から伴侶になるステップは、異性とのように明確な道があるわけではない。
(私が不安にならないように、これをくれたんだ)
ユメルはザークの角を大事そうに持ち上げる。
ツヤがあって心地良い感触。ぎゅっと握っていたため、ほんのり温かくなっている。
(ザークさんがずっと大切にしてきた……彼の体の一部)
そっと口づけた。
熱い吐息が、その黒々とした表面を白く曇らせ、ゆっくりと消えていく。
「……!」
ザークの大きな手が、ユメルの手首をきつく掴んだ。
「……もう待てない」
情欲のこもった目。
「良かった。返事がないから、先に行ってしまったかと思った」
ぼんやりしていたため、相手を確認せず戸を開け、寝巻のままザークに対面した。
「……――! すみませんッ! 今着替えます!」
「ゆっくりでいいぞ。朝食は?」
「要りません!」
「だめだ」
「お待たせするわけには」
「ユメルの用についていくだけだから気にするな。勝手に何か作るぞ」
「では、私がご用意を」
「じゃあ着替えて、今日の荷物まとめてから手伝ってくれ。採取の準備はユメル任せなんだから」
反論できず、急いで準備をしてから、食堂兼キッチンへ駆けつけた。
(ザークさんがうちのキッチンに立っている)
きゅんとなる胸を抑え、彼に話しかけると、作り終わった料理を食卓に運ぶだけの仕事を任された。
並んだ茶葉からどれにしようか興味深げに選んでいる彼を見ながら、サンドイッチを頬張る。
「美味しいです」
わざわざパンに焼き目をつけてくれている。幸せだけど、世話をかけてしまい複雑な気分だ。ザークが作ってくれたと思うと、早食いするわけにもいかず、味わって食べた。
「いっぱい茶葉があって面白いな。全部飲むまで通っていいか」
口に頬張ったばかりのユメルは声を出せず、必死に頷いた。
昨夜、ザークに変に思われたのではと散々した心配が、無用だったようだ。
お揃いの籠を背負って街の北門を出る。同じ大きさの籠なのに、大柄なザークが背負うと小さく見える。
街道から逸れ、木々の間の細い道を歩く。しばらくしてその道からも外れ、茂みを突っ切る。朝露が付きにくいよう、靴と足元に蝋を塗ってある。
「この黄色い花は」
「珍しい。ユリの一種ですよ。普段は探し回らないと見つからないのに」
「そうか。それは運がいい」
採るのか? と聞かれたが、首を横に振る。花が小さい種なので、花に詳しくない人には見応えが無い。同業者の間でひっそりと親しまれている花だ。
ザークが植物の名前を聞いて、ユメルが答える。
ザークは楽しそうに辺りを観察している。ユメルの中にあった、付き合わせることへの罪悪感は消えて、いつのまにか純粋に楽しんでいた。
そうしているうちに、目的の地点の一つに着いた。
ユメルが採り方を見せると、ザークは器用に真似してみせた。
数分で次の地点に向かう。
この調子なら、大分早く終わるかも。
「魔物はいませんね」
茂みといっても膝より少し上くらいの高さだ。先程通り抜けてきた林まで、辺りを見回すことができる。
以前は湿地でも生育可能な低木が沢山あったけど、魔物が多くなってから、街の近くに隠れられにくいよう、街の皆で度々伐採している。
「湿地は地を這うタイプや泥に潜るタイプもいるから、十分隠れられる。まあ、大型はさすがにいなそう……」
「……!!」
ザークが急にユメルの腕を掴み引き寄せた。ザッと剣を伸ばし、ユメルの後ろにいたワニのような魔物を貫く。バタバタと暴れようとする魔物の首元を足で押さえ、腕を絡めて一気に引き、圧し折った。
動かなくなったのを確認し、ザークは力を抜いた。
「……ユメル、剣を抜くとき血が出る。血で獣を呼ばないよう、念のため、あまり人が近寄らない場所で抜きたいんだが」
ユメルは驚きで固まっている。
「ユメル、大丈夫か?」
はっとして、頷く。
「大丈夫です。向こうの方に崖が草に隠れていて、皆が避けている場所があります。ご案内しますね」
「助かる」
「こちらこそありがとうございます。魔物に全然気づいていませんでした。魔除けのポプリはしていたのですが」
「魔物が慣れてしまうから、数か月使ったなら種類をローテーションした方がいい」
「そうなんですか。うう、小さい頃から使っていた秘蔵のポプリなのですが」
「自分で作ったのか?」
「はい」
「街で売られているポプリではなく、ユメルだけのものだったから、魔物が慣れるのに時間が掛かったのかもしれないな」
「なるほど、ではまた自分で作ってみます」
「ああ。ポプリの効果検証中に街の外に出る時は、俺の非番の日にしてくれ。護衛する」
「いいんですか」
「もちろん」
「悪いですけど……、けど、嬉しいです」
頑張って作ろう! そう気合いを入れていると、
「……男だったら、見回りの仕事の時、後ろについてきてくれていいんだが……、か弱い異性に気を取られているように見られると……」
ザークさんの声を聞き逃した。
「すみません。今、何か……」
「いや、何でもない。案内してくれ」
「はい!」
元気よく返事をして、くるりと茂みの方を向くが、
「…………」
目の端に、ザークが倒した魔物が見える。
ザークの手に掛かるとあっけなかったけど、ユメルが出遭えばひとたまりもない怪物だ。
崖はあそこに見える、頭一つ高い低木の辺り。すぐそこなのだが。
(早く、進まなきゃ)
怖い。
「? どこにいけばいい」
「あの低木のあたりなんですが……」
「そうか。分かった」
(あ、ザークさんだけあそこまで行って、私はここで待つことになるのかな)
それも怖いが、文句は言えない。
「ごめん、ユメル」
ザークが頭を下げた。
「わっ」
そしてユメルの尻を腕に乗せ、持ち上げた。
「これなら茂みに足を入れないでいいだろう。ここで待っていてもらえればいいんだが、一人で置いていくのは心配だからな」
片腕にユメルを乗せ、もう片手で魔物を引きずって、ザークは目的の場所へ歩いている。
「ザークさんの両手が塞がって危ないです!」
「このくらいの魔物なら足だけで片づけられるよ」
「……ほ、本当ですか」
「ああ、この辺りの魔物は一匹ごとの危険性は高くない。数が多いのと、住民を守らないといけないのが大変なだけだ。俺としては隊の奴らの気が抜けないか心配しているくらいだ」
ザークは上手く足元を掻き分けて、段差に気を配って歩いている。
「ユメル、もっと寄りかかってくれると抱えやすいんだが」
「は、はい」
ザークの肩に置いていた腕を、彼の首に回した。ユメルの胸が彼の耳に当たる。
彼の熱を感じ、鼓動が速くなる。
(あの日と同じ……)
ザークに助けられて、彼の腕に乗って街まで連れていってもらった。
まだ恋ではなかったけど、彼に感謝し、大好きになった。
真下にある、ザークの顔を見つめる。
(ううん、あの時から、どきどきしていた)
「ここでいいか」
「はい」
ザークは魔物を捨て、剣を引き抜き、血を払う。
剣を鞘に納めると、両手でユメルを抱えなおした。
ユメルの位置が下がり、自然と視線の交わる高さになる。
「真っ赤だ」
分かっている。顔が熱くて、熱が治まりそうにない。
顔を逸らそうとすると、
「ユメル」
こつんと、額を合わせられる。
「俺も熱いの、分かるか」
「あ……」
ユメルの体温も高いのに、ザークの体も、すごく熱い。
「君の足が地面に着かなくて、俺にすがっているの……」
耳に熱。彼の唇が耳に当たり、吐息が掛かる。
「気持ちいい……」
「……っ…!」
思わず身を震わせた。呼吸の仕方を忘れ、かすれた吐息が漏れてしまう。
その音を、表情を、息の感触を……、正面にいるザークには届いてしまっているだろう。
「ザーク……さん……」
――彼の目は、会うたびに優しく、甘くなっていった。
今、彼の腕の中で、ユメルをとろとろに甘えさせている……その表情は、優しさだけではない。
その目に宿る情欲に……、めちゃくちゃにされたくなる。
ちらりと、ザークは視線を落とした。
「また漏らしてる……」
「……やっ……、ちがう……」
うっすらと、ズボンの前の色が濃くなっている。ゆったりとした型だから、硬くなっているのは分かりにくいけど、男同士だ。察してしまっているだろう。
どうしようもなく昂ぶった体は今にも……。
「可愛い……」
囁かれた声に、頭が真っ白になる。
「――ッ…ぁ……!」
彼の目の前で、喉を反らして、声にならない声を上げた。
「ユメル……?」
「ン……ッ、ふ……」
荒く呼吸しながら、だんだんと意識が浮上する。
(……そんな……)
直接的なことなど何もしていないのに、こんなこと……。
明らかなズボンの湿り。柔らかくなった分、少し張りつくようになっても形は目立たない。
だが同性が至近距離でこれを見て、気づかないはずがない。
なにより、明らかに”あの”瞬間の表情、嬌声だった。
誰にも見せたことのない、いや――、自分でも知らなかった、理性を吹き飛ばすような快楽……。
(気持ちよかった……)
そう思いながら、目を瞑り、唇を噛む。
胸を締め付けるのは、罪悪感と羞恥心。
(ザークさんの腕の中で……ザークさんを想いながら、なんてことを……)
ユメルはザークの顔を見られなかった。閉じた瞼が、涙の雫を流した。
「ごめんなさい……」
まだ告白のステップさえも踏んでいないのに、彼で肉欲を満たしたのだ。
「ユメルは悪くない!」
身を縮みこませるユメルの手を、ザークは握った。
開けた場所に急いで戻り、ユメルを地面に立たせてくれた。ザークは自由になったもう一方の手も、ユメルの手に添えた。両手でぎゅっと握りこむ。
「悪かったのは俺だ……。ユメルが俺に反応してくれるのが嬉しくて……、曖昧な関係で、許される行為じゃなかった」
「……ザ……さ……」
「君の特別な人になりたい」
特別……。
視界を歪ませる涙を貫いて、ザークのまっすぐな瞳が射抜く。
「愛していると、言っていいか……?」
「あい……」
……あい……。
……あ。
「…っー……!!」
言われたことを理解して、目を見開き、涙が止まる。
(信じられない……)
けれど優しいザークさんが、正面からくれた言葉。
「……信じられないくらい嬉しいです」
素直な言葉を返す。
それから、
(えっと、こういう時どう返事すれば)
と次の言葉を考えていると、
「ユメル」
熱い体に抱きしめられた。
「愛してる」
み、耳元で……。くらりと意識が遠のくのを、どうにか耐える。
「私もザークさんのこと……愛してます……」
ザークの体が震え、よりきつく引き寄せられる。
「好きです……」
「嬉しい。…ん……」
口付けが髪に落ちる。
抱き上げられた体は、爪先が地面に触れているだけ。
彼に寄りかかって、
「ん……」
黒い首元に口付けを返す。
その喉がごくりと動き、ザークの色っぽい溜息が聞こえた。
(ッー……。ザークさんの、こういう時の声なんて……)
くたっと、彼の胸に倒れる。
「……もう……だめです。また……」
「ああ、ごめん……」
ユメルが落ちつくまで、子供をなだめるように優しく撫でてくれたが、それにさえも反応してしまう。だがそう口にするのが恥ずかしく、どうにか気を張って耐えた。
ザークは鞄に丸めて入れていたマントを取り出し、ユメルの肩に被せた。少し斜めに整えれば、股の辺りは見えない。
「あ、ありがとうございます。持ってきていたんですね」
「夜には寒くなるから」
「あっ、お昼には終わると伝えてなかったでしょうか。すみません」
「いや、知ってはいたが、その……」
ザークは視線を逸らす。
「夜まで、できれば次の日までいるつもりだった」
「それは……」
泊まってくれるということか。
ユメルは自分の顔が赤くなっていくのを感じる。ザークは肌色が濃くて、血色が分からないが、照れているのが伝わってくる。
(昨日は、少しでも友達の先に進みたくて誘ったけど)
濡れた部分を意識して、マントの端を握った。
(ザークさんは、恋人になったんだよね……)
恋人……、泊まる……。
「おい、危ないぞ」
「ひゃっ!」
いつのまにか道の端に寄り、段差に落ちようとしていた。
街道に出ると、ちょうど荷台に空きがありそうな馬車を見つけ、乗せてくれないか交渉する。
歩いているとはためくマントを、ユメルが気にしてしまっているからだろう。
「……ありがとうございます」
小声でお礼を言うと、ザークは黙ったまま微笑んでくれた。
手間賃を払い、ザークが荷台の後ろの方に、足をぶら下げる形で座った。
(……この縁に座るの?)
木製の馬車だ。濡れているのは前とはいえ、跡が残ってしまったら……。
「ほら」
戸惑うユメルの手をザークが引く。そして彼の膝に横向きに座らされた。ザークの足の間に尻を浮かせている形だ。
「出発してくれ」
ザークが声を掛けると、馭者はこちらの様子に気づいていないのか、特段反応なく馬車を走らせた。
「ザークさん……、濡らしてしまったら……」
「そしたら」
ザークは言葉を止めた。
「人がいるから、ユメルの家に着いたら言うな」
「……?」
ユメルを膝から降ろす気配は無く、黙って髪を撫でてくる。どうやら着くまでこのままのようだ。
ユメルは反応してしまわないように、
(もったいないけど……)
ザークから目を逸らし、風景を見ていることにした。
馬車は商業区に入り、ユメルの家の一ブロック隣を通ったので、そこで降りた。
すれ違う知り合いは、鬼人族のザークを敬遠してか、挨拶以上の言葉は掛けてこず、すんなり家に着いた。
「失礼します」
ザークの前で中腰になる。
外では確認する間もなかったが、ザークの膝を確認する。
「良かった。濡れていない」
「濡れたら、乾くまで帰れないから泊まらせてもらおうと思ったのに」
「あっ」
そうか。馬車で言いかけたのはこれだったんだ。
(泊まってくれないのかな)
ちらりとザークを見上げると、色っぽい……挑発的な目。
少し分かってきた。
この目の時の彼は、ユメルを甘く蕩かしてくれる。
欲しいものを”たくさん”くれる。さっき外なのに困ったことになったみたいに。とろとろに絡められ、何も考えられなくなる。
「採った花の手入れが終わったら、一緒に夕食を作りたいです。それと……」
したことのない誘惑。ついザークの胸に額を当て、赤い顔を隠してしまう。
「今日はお酒飲みません」
帰る理由なんて作らせるものか。
ぐっと顔を上げ、彼の肩に手を添え、その瞳を覗く。
「だから、泊まって?」
ザークの目が、嬉しそうに輝いた。
「ああ」
口と口が合わさり、吐息が絡んだ。
初めての口付け。
(唇、柔らかい……)
同じように柔らかいけど、弾力のある舌が、ユメルの唇を割って口の中に入ってくる。
(こんなこと、するんだ……)
ザークのなすがままに受け入れる。いままで意識したことのない自分の唇が、彼に触れられることで輪郭が生まれる。
(カサカサになっていないかな)
自分を好きと言ってくれる相手とはいえ、やはり緊張する。
(手入れしておけば良かった。手は何もしないと水仕事で酷くなるから、クリームを塗るけど……)
ちらりと水仕事のことが頭をよぎり、はっとした。
花!
「はにゃッ……ん……」
ザークの口付けが止まらず、情けない声が出る。
「ふ……」
目の前のザークが小さく笑う震えが、唇から伝わってきた。ただの喘ぎ声と思ったのか、構わず続けてくる。
(……ーっ…もう!)
ザークを求められて熱くなる体を叱咤し、ぐっと腕を突っ張る。
「……ユメル?」
「はぁ……、……花を……手入れしないと」
途中で採取を切り上げたため、必要量ギリギリになっている。悪くするわけにはいかない。
「そうか」
説明するとすぐ分かってくれて、作業を手伝うと言ってくれた。
下だけさっと着替え、ザークに教えながら作業した。
「俺の部屋のもこうすると長く持つのか?」
「はい」
ザークは器用で、興味を持って覚えてくれて、楽しい時間はすぐに過ぎていった。
闇に近い夕暮れと、ランプの灯りが室内を照らす。食卓には二人で作った料理が並べてある。ユメルはザークが作ってくれた見慣れぬ串焼きに興味津々で、いただきますを言ってからすぐに手を伸ばした。ザークはユメルの郷土の煮込み料理を食べている。
「おいしい」
「うまい」
二人の声が合わさって、なんだかもっと美味しく感じた。
「なあ、ユメル」
「はい」
お腹がふくれた頃、ザークが改まって声を掛けてきた。
「これをもらってくれないか」
革紐のネックレスの先に、黒色の石が付いている。
「いただいていいんですか」
受け取って、手のひらに乗せてじっと見る。
「ほんのり赤い斑模様があって綺麗ですね。何の石でしょうか」
「俺の角だ」
「ええっ!」
思わず彼の頭を見るが、ちゃんと額から生えていて、欠けているようには見えない。
「鬼人族の男は、首の後ろにも小さな角が一本生えるんだが、邪魔なので子供のうちに親が折ってしまう。ある程度育ったらそれを子供に持たせるんだ」
「そうなんですか」
ユメルが見た鬼人族は、人によって角の色が少しずつ違うが、この角の色はザークの角とぴったり同じ色だ。
「嬉しい」
ぎゅっと握りしめる。
「鬼人族はこれをそうそう手放さない。そのため希少品として扱われ、砕いて薬にすると悪魔の力を得られる、なんて迷信もある」
「手放さないって、あの、そんな大事なもの、本当にいただいていいんですか」
「そのくらい、ユメルが俺にとって特別だという証だ」
「証……?」
「……本来、神の前で誓う前に、泊まるべきではないのだろうが……、我慢できそうにない」
(神に誓うって、結婚……)
男同士でそれはないよね。とくんと鳴った自分の心音を無視する。
「――生涯君しか愛さないと、俺なりに誓いたい。鬼人族がその角を渡すのは、誰よりも大切に想っている相手だ」
その真剣な表情に、息を飲んだ。
(ザークさん……)
優しくて、いつもユメルのことを考えてくれる。
自分の想いにさえ気づいたばかりで、まだ意識していなかったけど、男の恋人から伴侶になるステップは、異性とのように明確な道があるわけではない。
(私が不安にならないように、これをくれたんだ)
ユメルはザークの角を大事そうに持ち上げる。
ツヤがあって心地良い感触。ぎゅっと握っていたため、ほんのり温かくなっている。
(ザークさんがずっと大切にしてきた……彼の体の一部)
そっと口づけた。
熱い吐息が、その黒々とした表面を白く曇らせ、ゆっくりと消えていく。
「……!」
ザークの大きな手が、ユメルの手首をきつく掴んだ。
「……もう待てない」
情欲のこもった目。
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