黄色い果実の見せる夢

レエ

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少年の夢

魔獣の王

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 王女が果実を差しだした。
 少年の方も得意げに手を差しだす。そこには、王女の手にある実の、三分の一くらいの直径の実があった。
「これ……、ベルニルの実?」
「はい! 種から育てて、まだ腰ぐらいの高さなんですが、実が生ったんです」
 王女は実を受けとって、しげしげと見ている。
「すごいわ。本で読んだところでは、もっと乾いた地域の植物だったのに」
「ベルニルの木のことが載っている本があるのですか」
「植物辞典のたった一頁よ。どこの植物か気になったのだけど、意外と広い地域に分布しているようで、あまり絞れなかったわ」
「良かったです。この国では絶対育たないような気難しい植物でなくて」
「……ふふ、そうね。それと、ベルニルの実は体をほぐす効果があるそうよ」
「リラックスするのですか」
「詳しくは載っていなかったけど、そうだと思うわ。鎮静作用より覚醒作用の方がありそうだけど」
 学者の書く本だ。素人には分からない見極め方があるのだろう。
「この実は王女様にプレゼントです」
「ありがとう。久しぶりに食べてみようかしら。子供の時とは味覚が変わったでしょうし」
 王女は一房口に入れ、その酸味に固く目を瞑った。
「やっぱりいらないわ」
 残りは少年に返す。
 少年はがくりと肩を落とした。



 城の使用人は年々減って、少年が城の建物の中に入って掃除することも多くなった。

 偉い人たちの目につかぬように気をつけながら、せっせと箒を動かす。
 掃いたばかりの廊下を、靴音を立てて走りくる女性。
「なぜですか、陛下!」
 すっかり淑女になったはずの王女が、聞いたことないくらい声を荒げている。
 相手はひと際煌びやかな衣装を纏っている。
 王様という、城の一番偉い人だった。
「もう婚礼衣装を作り始めています。それなのに、どうして……」
 婚礼衣装……。
 毎日のように王女と話をしているのに、婚礼衣装の話はまだ聞いてなかった。
「どうして婚約者の名前も、国も知らされないのですか!」
 王女の叫びに、鼓動が高鳴った。
 少年にとっても、とても気になる話だ。
 廊下の隅で頭を下げて縮こまりながら、ドキドキと聞き耳を立てる。
 だが王は歩みを止めず、近くの執務室に入り、扉を閉ざした。
「どうして……」
 ここは城の中。貴族たちの社交場。
 王女の泣きそうな声がしても、奴隷の少年は顔を上げてはいけない。
 ぎゅっと、箒を握りしめた。



「これが最後になると思う」
 王女の部屋の窓越しに、ベルニルの実を受けとった。
「こちらの窓から覗いてごらんなさい。あなたの好きそうなものがあるわ」
 隣の部屋の窓の外に移動すると、中から王女がカーテンを開けてくれた。
「……綺麗……」
 衣裳部屋の真ん中に、純白のドレスが飾られていた。
「そうね。お金持ちの国に嫁ぐから、久しぶりに奮発したみたい」
 少年は目をきらきらさせて、ドレスの眩さにひたすら見蕩れていた。

「……王女様」
「なあに」
「幸せになりますよね」
「…………」
 王女は耳に掛かる髪を手で払った。
「当たり前でしょう」
 ふてぶてしい笑みと共にそう答えた。





 それから数日の間、少年は息つく暇もないほど忙殺されていた。
 城に他国の王が訪れるらしく、歓待の準備に駆り出されたのだ。



 今日が本番。
 歓待の料理のために、朝から晩まで火の番だ。
 その合い間に料理を運ぶ。会場と厨房を往復している時だった。


 人々のざわめく声。
 その中心には、王女がいた。
 純白のドレスの高貴さが、これ以上ないほど似合っている。
 城の人々が溜息をついた。
「王女様方の中で、一番美しいな」
 賛美の声を聞き、少年は鼻高々だった。
「……もったいないことだ」
 賛美の声のはずが、そこには失望があった。
 少年は不思議に思いながら、大広間に向かう王女を見送った。

 少年は昨日、大広間でなにやら式典の準備をさせられた。
 もしかして、あの準備は……。

「どれだけ美しく着飾っても、幸せになどなれようがない」
 不穏な言葉に、少年の思考は途切れた。
 声の主を探す。ああ、あの柱の側でひそひそ話をしている貴族たちだ。
「魔獣王の妃など、人の身から落ちるに等しい」



 少年は無意識のうちに大広間へ向かっていた。
 使用人用のひっそりとした通用口から中に入る。
 見張りはいたが、城で長く働いている少年は一瞥されただけ。
 幾重にも連なる柱の陰から、式典を覗く。

 広間を埋める人の列。
 この国の貴族たちだが、なんだか皆渋い顔だ。

 陽光の差し込む壇上に、王女は跪き、目を瞑っている。
 その側に立つ王が手を上げると、正面の扉が開かれた。



 幾人もの従者を連れて、その中心にいる一際背の高い男性。
 ――あの方が。
 少年は見入った。
 ――あの方が、夢にまで見た婚約者。
 見たこともない容姿が、少年にはとても特別に見えた。
 夜空に星がきらきら輝くようだ。


「遠路遥々、迎えにきていただき感謝いたします。こちらが我が娘。さあ、挨拶を」
「お初にお目に掛かります。私、サンドラと……」
 顔を上げた王女の前には、思わぬ巨体。腰の辺りしか見えなくて、さらに顔を上に向ける。

 王女の悲鳴が聞こえ、少年は思わず身を乗り出した。

 王女は震えながら一歩、また一歩と後ずさる。
「黒い獣毛……、真っ赤な角……四つの目、そんな……」
 二人で何年も待ちわびた相手。
「ガグルエの、魔獣王……」
 王女は目を見開いて、まるで化け物を見るかのような目で見る。

 ガグルエ国。噂で聞いたことがある。
 魔獣族の王が治める国。
 去年はこの国の西の隣国、三年前はさらに西の隣国を落としている。
(魔獣族……。初めて会った)
 凶悪で醜悪な化け物と聞いたけど、
(大きくて、逞しい)
 ここからでは横顔しか見えず、四つの目が珍しくて判断しづらいが、すっと伸びた鼻梁、顎から襟元への引き締まった筋肉は、惚れ惚れするような美しさだ。堂々とした立ち姿からは、王者の風格と気品がただよっている。
 魔獣族の見た目の統一性は薄いと聞くので、彼が特別なのかもしれない。

 彼の赤い目が、老齢の王に向けられる。
「姫君の様子、どうしたことかな。セブ王」
 低く響く声からは、感情は読み取れない。
「サンドラ!」
 セブ王が声を荒げた。
「何をしている。大人しくガグルエ王の手を取るんだ。それが王女の務めだろう!」
「…………ッ」
 王女は口を引き結び、後ずさる足を止める。だが、震える足を前に出せない。
「こんな……、こんなこと……」
「サンドラ!」
「魔獣族なんて無理よ!」

 ガグルエ王は怯える王女を冷めた目で見下ろす。
「私の妃になるということを知らされていなかったようだな」
 ガグルエ王がそう言うと、その横に控えていた男が進み出た。魚の鰭のような耳をしている。
「サンドラ王女は妃になるどころか、我が王を恐れて近づくこともできない様子。これでは盟約は結べませんねえ。オーラリオ国の雪が解け、兵を動かせるようになれば、貴国のみで退けねばなりません」
「それだけは……! ……そうです。侍従を付けましょう。サンドラが逃げぬよう見張らせます」
「それで寝所に侍れるとでも」
「女の細腕など、陛下なら片手で押さえられます。ベルニルの実は毎日食べさせているので、体はいつでも使えます」
「あのまずい実を説明も無しに? よく食べさせましたね」
 鰭型の耳の従者は疑っている。
 王女は首を横に振った。
「私食べていない……もう何年も」
「やはりね」
「な……」
 王女の言葉に、セブ王は顔を引きつらせた。
「なんてことを……!」
 セブ王が手を上げた。少年はハッとして駆け出した。
「王女様!」
 ガグルエの従者は反応したが、少年を止めはしなかった。
 少年は王女とセブ王の間に割り込む。
「!」
 少年と王女は共に剛腕に……、ガグルエ王に引っ張られた。
 セブ王は空振ってよろけた。
「…………」
 少年の体が宙に浮いている。服の背を掴まれ、ガグルエ王の片手で持ち上げられていた。
 すでに離された王女は、さっとガグルエ王から距離を取った。
「ありがとう……」
 殴られそうなところを助けられたと気づき、お礼を言おうとすると、ガグルエ王が少年を持つ手を離した。
「わっ」
 少年は着地した。
(婚約者……様。……ガグルエ王)
 服を引っ張られて胸元が締めつけられたせいか、ドキドキする。
 彼を見ようとして、まだ青い顔の王女が目に入った。
(王女様、どうしよう……)
 よく分からないけど、ベルニルの実を食べなかったことはとてもいけないことのようだ。
「あのっ、僕にくれていたんです! 王女様、お腹を空かせている僕を心配してくれて」
 本当は味が嫌いという理由だけど、少年は王女をかばうために必死だ。
「許してください……。王女様は良い人です! きっと素敵なお妃様になります」
 ガグルエ王の四つの目をまっすぐ見つめ、少年は目を潤ませる。
「…………」
 ガグルエ王は少年をじっと見下ろしている。その手が、少年の顎に触れた。
「エルフ……、いや、ノーム族の血が混じっているな」
「はい」
 顔を覗きこむように見下ろされ、興奮している少年の頬が、さらに赤くなり、その瞳が潤みだす。恐怖ではなく、何か期待を孕んだ瞳。
「……おかしなノームだ」
 ガグルエ王は小さく呟いた。

 そして視線だけセブ王に向ける。
「時間をやろう」
 セブの王侯貴族は緊迫した様子で静まりかえっている。
「一晩だけこの街に滞在する。その間に、私がこの国を助けたくなるような提案を捻りだすといい」
「あ、ありがとうございます! さっそく歓待の宴を」
「いらん」
「あ……ええ、そうですね。長旅でお疲れでしょう。最上の格式の部屋をご用意……」
「それもいらん。今夜はガグルエの駐在館に泊まる」
 取りつく島もない様子に、セブ王とセブ貴族は狼狽える。
「ただひとつ譲ってもらいたいものがある」
「は、はい! いかなるものでもご用意いたします」

 ガグルエ王が少年の肩を掴んだ。
「実を食べていたということは、使えるんだろう」
「え……」
 少年と王女は意味を掴みかねていたが、王女ははっとした。
 セブ王は、その異種族は何だ、と横に控える従者に質問している。従者が耳打ちすると、セブ王はほっとしたようにガグルエ王に向き直った。
「ええ。もちろんどうぞ。城で買った奴隷です。ガグルエ王のお役にたてるなら本望でしょう」
「その子は……何も関係ない……」
 王女は小さな声で抗議する。
「それならあなたが相手を?」
 鰭耳の男の言葉に、王女はびくっと震えた。
「冗談はよせ、フィルド。実を食べていない人族の体では、私が楽しめない。……さあ、行くぞ」
 ガグルエ王が壇上に背を向けて歩き出す。

「…………」
 少年が戸惑っているのに気づき、ガグルエ王は振り向く。
「あの、ガグルエ王、様」
「なんだ」
「僕で、お役に立つのですか?」
 少年が訊ねると、彼は口の端で笑って、
「そうだ」
 と肯定した。
(ついていって、いいんだ……)
 胸の中でうずうずしていたものが、ぱあっと解放されたような気がした。少年は満面の笑顔で、壇上から駆け下りる。
 ガグルエ王のすぐ側まで駆け寄ると、彼はまた歩き出した。
 その一歩後ろを、少年は弾むような足取りでついていく。

「フィルド、お前は残ってセブに”助言”でもするか?」
 ガグルエ王と隣を歩く鰭耳の男が話している。
「いえ、その価値もないでしょう。駐在館でこちら側の準備をした方が有意義です」
 少年には会話の意味が分からない。ガグルエ王の歩幅についていくのに必死だ。

 少年はふと、後ろを振り返った。
 少年と目が合った王女が、目を逸らした。
(……?)
 何だろうと疑問に思ったが、後ろに続くガグルエの従者たちの長身に、視線を遮られていく。
「来い」
 ガグルエ王に片腕で軽々と抱えられた。目の前は彼の胸板で、他のものは見えない。
 熱い体温にドキドキしている間に、少年は広間を後にしていた。
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