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幼少期 - 霧の国の二人の家 -
アッシュ2
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魔法の師が王都に帰ってきて、授業が再開された。
貴族の大きな屋敷の庭。
「アッシュです。よろしくお願いします」
上手に挨拶できたアッシュ。
隣にいるアリエルは鼻高々だ。
アリエルは学業の他に、魔法と体術を習っている。
ミスティアでは魔法使いは珍しくて、教育の場は整っていない。
そのため数少ない個人塾や知り合いの魔法使いに頼むのだ。
「私はセーネ。植物の魔法を使うわ」
セーネはこの屋敷の主の妻だ。
魔法使いであるアリエルの母と同門で、その縁でアリエルの教育を引き受けてくれた。楚々とした美人で常に微笑みを浮かべている。
「……セネクだ。体術を教えている」
セネクはセーネの従弟だ。
セーネと気心が知れているということで、屋敷の警備隊長として雇われている。
がっしりした体で物静かだ。
早速セーネにこれまでアッシュが試した魔法を伝えた。
「分かったわ。でも教えると言っても、アリエルの方がもう私より力があるのよね」
セーネが使える魔法は植物を伸ばしたり動かしたり、あとは水魔法を少し、といった具合だ。
それに対しアリエルは、すでに九種の魔法を操ることができる。
セーネはアリエルの師というより、五歳児が思い掛けず危険なことをしていたら止めるための監督者だ。
新しい魔法や慣れない魔法を使うのは彼女の前で。そういう約束をしている。
「修練方法は他にもあるから教えるね。でも魔法は解明されていない部分が多い上、才能でほとんど決まるから、あとは運次第よ」
「はい」
「魔力はあると言っていたかしら」
「はい。おじい様もアッシュのこと魔力持ちと言っていました」
アリエルにもアッシュの豊富な魔力が見える。
「それなら間違いないわね。魔法に関して、あの方の目は確かだから。上手く引き出せるといいわね」
魔法発動のコツを教えてもらう。
セーネが昔、魔法塾で習ったやり方だそうだ。
アッシュがやり方を覚えて、繰り返しの訓練に入る。
しばらく見守っていたが何も起こらない。
急にできることはなさそうだ。
アリエルは自分の修行をすることにした。
(アッシュを支えるためには……)
今日は動魔法の特訓だ。
アリエルは精神を静め集中する。
魔素は大気中に漂っていたり、突然現れたりする。
それらの魔素の中から動の魔素を呼び寄せて、体内の魔力回路に取り込む。
この時点で少し厄介だ。
動の魔素は気配が薄いので掴みづらい。
水や風の魔素なら、ちょっと意識を向ければ寄ってくるほど懐っこい。
魔力回路に入れば不思議な力で魔素が活性化して、魔力になる。
魔力の状態になると魔法に使えるようになる。
五秒以上掛かって魔力供給量が安定した。
魔力ができたら次は物を動かしてみる。
借りたお手玉に向かって両手をかざす。
「《上がれ》」
詠唱と共に魔法を発動する。
魔力と同調させたお手玉が浮き上がる。
目の前の高さで止めようとしたが、三十センチほど行き過ぎて、下に戻そうとしてまた行き過ぎる。
どうにか目標の高さで浮かせることができた。
次は前方、セーネが植物魔法で作ってくれた的を狙う。
「《進め》」
ギュンッとお手玉が前進し、的を貫く。
「あ」
「あらら、もっと弱くできる? 当てるだけに」
「頑張ります……」
セーネが壊れてしまった的をもう一度作ってくれた。
『初級魔法教本』載っている魔法で、投的魔法という動魔法に似た魔法がある。
投的魔法は魔力で物を持ち投げる瞬間だけ力を使う。
実際に投げるのと感覚は変わらない。
動魔法は持つのではなく、物自体が浮く。
そして飛んでいる間は操作し続ける。
魔力の繋がりを保ちつつ微弱な力を目標方向に加えないといけないので、とても難しい。
とはいえアッシュと親和性が高かったのは動の魔素だ。
(アッシュのために!)
アリエルは何発も魔法を放ち、セーネも的が壊れては作り直してくれる。
「二人ともよく魔力が続くな」
セネクが感心していた。
「次は体を動かす番だ」
休憩を挟んで、セネクに体術の稽古をつけてもらう。
長距離を走ったり、障害物を避けてジグザグに走ったり飛び越えたり。
授業の最初は硬かったアッシュの動きは、どんどん機敏になっていく。
「アッシュ速ーいっ」
「……良い動きだ」
セーネの植物魔法で出してもらった蔦の織りなす籠。
二階を越す高さだというのに、アッシュはその頂上に簡単に登ってしまった。
「天才っ! 天才だよ、アッシュー!」
アリエルは半分くらいの高さのコブの上ではしゃぐ。
「あ」
「!」
ずるっと転げ落ちたアリエル。間一髪でセネクにキャッチされた。
セーネも蔦で受けとめようとしてくれたようだ。近くに幾筋も集まっている。
「気をつけろ」
「ごめんなさい」
たっ、とアッシュが近くに降り立つ。
「…………」
口を引き結んでじっとアリエルを見ている。
どうしたのだろう。
「アリエル、怪我はないか」
セネクに確認された。
「はい。大丈夫です」
アリエルがアッシュに視線を戻すと、彼は何も言わずくるりと背を向けて、また蔦を登っていった。
今度は慎重に登る。
アッシュが上から覗き込んでずっと見ている。
(頑張る……っ)
アッシュを目的地にして、どうにか天辺まで上がれた。
ふらふらと立ち上がるアリエル。
その服の裾をアッシュが掴んだ。
「アッシュ?」
彼は何も答えない。
よく分からないけれど、近寄ってくれるのは嬉しい。
「高いねー」
いつもの庭園がとても新鮮に見えた。
帰り道。
「アッシュ、かっこよかったー」
アッシュの特技を知れて、アリエルの胸はときめきでいっぱいだ。
「元から木登りが得意だったの?」
アリエルの家に来る前どんな遊びをしていたか訊いたことはある。
その時は答えはなかったが、体を動かすことには慣れていそうだった。
ここ二か月ほど運動といえば散歩ぐらいしかしていないので、授業の初めは動きが硬かったようだ。
だが授業が終わる頃には、同い年のアリエルを遥かに凌ぐ身体能力をみせた。
セネクが静かに満足そうな顔をしていた。
アリエルの質問に、アッシュはよく分かっていないのか、首を傾げた。
「そっか。ふふ、次も楽しみだね」
体術はばっちり。
魔法の才はまだ開花していないが、アッシュは気にしている様子はない。
「植物魔法って、食べ物いっぱい作れる?」
またご飯の話だ。
「んーとね、僕もセーネさんに訊いたことあるんだけど。魔法で野菜を成長させても、魔力の供給を止めるとすぐしぼんじゃうし、急いで食べても味がすかすかで食べられたものじゃないんだって」
「ん……」
残念そうだ。
「でも昔、美味しい野菜や果物をぽんぽん作れる伝説の魔法使いがいたみたいだよ。その……、昔話だから本当にいたかは怪しいみたいなんだけど……」
アッシュは残念そうな表情のままだ。
(よし。植物魔法も頑張って、アッシュが喜んでくれる魔法を編みだすぞ)
難易度が高いと言われる魔法だが、お手本となる師匠がいるので習得はどうにかなるだろう。
アッシュの興味につられて、したいことが増えていく。
アリエルは元々知識欲旺盛だが、もっと修行が好きになった。
次の日は家庭教師も修行も休み。
二人で近くの公園に向かう。
アッシュが体を動かすことが得意と知ったので、追いかけっこが定番の遊びに加わった。
「こっちだよーっ」
二人で原っぱを走り回る。
可愛いアッシュとの追いかけ合いは、アリエルの心を満たした。
たまにアッシュは他のことに気を取られて立ち止まってしまう。
その時はとことこ彼に近づいて、何に興味を持ったのか教えてもらう。
アッシュがいると何をしても楽しい。
家では隠れんぼをするようになった。
最初のきっかけは十日ほど前。
アリエルと目のあったアッシュが、ソファの陰に隠れてしまった。
(……一人になりたいのかな)
アリエルはしゅんとして、しかたなく本に目を落とした。
だがその袖をくいくいっと引かれた。
アッシュがいつのまにか側にいて、またソファの陰に戻って隠れた。
ちょっとだけ顔を出して、こちらを覗いている様子がとても可愛い。
(誘ってくれた!)
そう気づいたアリエルは喜々として遊びに加わった。
物陰に隠れるアッシュ。見つめるアリエル。
ちょっとだけ移動するアッシュ。それを追いかけるアリエル。
近づいたらじーっと見つめ合って、そのうちアッシュがまたどこかに移動するので、それを追いかけるのだ。
(これ、隠れんぼかなあ?)
でも……。
(楽しい!)
アリエルは思う存分アッシュを目で追いかけた。
今日は頭を使う日だ。
宿題の作文を手に、家庭教師を迎える。
(アッシュは何を書いたのかなー)
前々回の作文では、
『スクランブルエッグがおいしかったです』
の一行で終わった。
家庭教師に、
「次はもっと長く書きなさい」
と言われていた。
そして前回は、
『オムレツはサワーソースをかけるのが好きです。ソルトハーブも好きです。オニオンソースも甘からくておいしいです。チーズソースはとろとろでおいしいです』
とたくさん書いていた。
「五歳児なのに、僕の知らない味をどれだけ食べているんだ……」
家庭教師のぼやきが聞こえた。
今回は料理以外のテーマで書くよう指示されている。
アリエルはわくわくと発表を待つ。
アッシュが紙を広げる。そして題を読みあげた。
「アリエル様」
「!」
今日のテーマはアリエルのようだ。
(アッシュに作文にしてもらえるなんて!)
胸をうずかせながら静かに聴く。
「おはようと言ってから、朝のきがえをしている時、アリエル様はじっと僕のことを見ています。顔を洗ったり、歯みがきしている時もアリエル様が見ています。トイレから出るとドアの正面に立っています」
「――――」
アリエルの微笑みが固まる。
「ご飯の時もお風呂の時も僕のことを見ています。散歩の時、僕の方を見ていて段差にころびました。魔法の修行中も一回唱えるたびに僕の方へふり返ります。僕がどこにかくれていてもすぐに見つけてきてずっと見ています。この作文を書いている時も、何かあったら教えると言いながら紙は見ずにずっと僕の顔を見ていました」
読み終えて、アッシュは紙から目を離す。
その隣で、アリエルは真っ赤になっている。
(見てる……。見てるけど、そんなに……?)
改めて言われると……。
「きゃああぁぁ――!」
恥ずかしくなったアリエルは部屋の外へと飛び出していった。
部屋にはアッシュと家庭教師が残される。
「その文章は……」
家庭教師は躊躇した後、
「告発ですか?」
と訊いた。
「こく、はつ?」
こてん、と首を傾げるアッシュ。
「この文章で何を伝えたかったのですか」
「何を……」
アッシュはしばらく考える。
そして口を開いた。
「アリエル様の目、きれい」
家庭教師は、ほーっと肩の力を抜く。
「ではそこまで書きなさい」
「はい」
アッシュは素直に書き足した。
家庭教師が帰って、アッシュと二人きりになった。
(見ない方がいいのかな……)
アリエルは本で顔を隠して唸っている。
すると、
「アリエル様」
くいっ、と袖を引っ張られた。
「アッシュ……?」
アッシュはアリエルの手から本を取り上げてテーブルに置き、カーテンに隠れた。
これは……。
(誘ってくれた!)
アリエルは明るい表情を取り戻し、意気揚々とアッシュを追った。
「アリエル様、僕もしたい」
ある日の風呂上がり。
アリエルがアッシュの銀の髪に櫛を通していると、アッシュもアリエルの髪を梳かしたいと言った。
アッシュが自分から言い出したことに胸が躍る。
「じゃあ、お願い」
アリエルは期待してアッシュの前に座った。
始めはそっと、だんだんとテンポ良く櫛が入れられる。
頭を撫でられる感覚が心地良い。
「アリエル様の髪、ふわっとしてさらさらで気持ちいい」
「えへへ。アッシュの髪もだよ」
「そうなの?」
「うん。アッシュの髪の銀色をね、さらさらと指に通すと、きらきら輝くの」
「アリエル様の髪は、暗い色の上で光が揺れて、目で追いたくなる」
アッシュがくれた詠うような褒め言葉。嬉しくってアリエルは照れてしまう。
「そっかー……。えへへ。僕がアッシュのこと目で追っちゃうの、肌の色が濃くて綺麗だからかも」
「綺麗?」
「うん! ねえ、明日も追いかけっこする?」
「する」
翌日、公園で追いかけっこした。
「つかまえたっ」
アリエルはアッシュに正面から抱きつく。
原っぱに押し倒されたアッシュは、
「つかまった」
と初めて笑顔を見せた。
「――っ」
アリエルは息を飲む。
その可愛らしい笑顔がずっと続いてほしくて、何も声を掛けられず、ただ真正面で見惚れていた。
貴族の大きな屋敷の庭。
「アッシュです。よろしくお願いします」
上手に挨拶できたアッシュ。
隣にいるアリエルは鼻高々だ。
アリエルは学業の他に、魔法と体術を習っている。
ミスティアでは魔法使いは珍しくて、教育の場は整っていない。
そのため数少ない個人塾や知り合いの魔法使いに頼むのだ。
「私はセーネ。植物の魔法を使うわ」
セーネはこの屋敷の主の妻だ。
魔法使いであるアリエルの母と同門で、その縁でアリエルの教育を引き受けてくれた。楚々とした美人で常に微笑みを浮かべている。
「……セネクだ。体術を教えている」
セネクはセーネの従弟だ。
セーネと気心が知れているということで、屋敷の警備隊長として雇われている。
がっしりした体で物静かだ。
早速セーネにこれまでアッシュが試した魔法を伝えた。
「分かったわ。でも教えると言っても、アリエルの方がもう私より力があるのよね」
セーネが使える魔法は植物を伸ばしたり動かしたり、あとは水魔法を少し、といった具合だ。
それに対しアリエルは、すでに九種の魔法を操ることができる。
セーネはアリエルの師というより、五歳児が思い掛けず危険なことをしていたら止めるための監督者だ。
新しい魔法や慣れない魔法を使うのは彼女の前で。そういう約束をしている。
「修練方法は他にもあるから教えるね。でも魔法は解明されていない部分が多い上、才能でほとんど決まるから、あとは運次第よ」
「はい」
「魔力はあると言っていたかしら」
「はい。おじい様もアッシュのこと魔力持ちと言っていました」
アリエルにもアッシュの豊富な魔力が見える。
「それなら間違いないわね。魔法に関して、あの方の目は確かだから。上手く引き出せるといいわね」
魔法発動のコツを教えてもらう。
セーネが昔、魔法塾で習ったやり方だそうだ。
アッシュがやり方を覚えて、繰り返しの訓練に入る。
しばらく見守っていたが何も起こらない。
急にできることはなさそうだ。
アリエルは自分の修行をすることにした。
(アッシュを支えるためには……)
今日は動魔法の特訓だ。
アリエルは精神を静め集中する。
魔素は大気中に漂っていたり、突然現れたりする。
それらの魔素の中から動の魔素を呼び寄せて、体内の魔力回路に取り込む。
この時点で少し厄介だ。
動の魔素は気配が薄いので掴みづらい。
水や風の魔素なら、ちょっと意識を向ければ寄ってくるほど懐っこい。
魔力回路に入れば不思議な力で魔素が活性化して、魔力になる。
魔力の状態になると魔法に使えるようになる。
五秒以上掛かって魔力供給量が安定した。
魔力ができたら次は物を動かしてみる。
借りたお手玉に向かって両手をかざす。
「《上がれ》」
詠唱と共に魔法を発動する。
魔力と同調させたお手玉が浮き上がる。
目の前の高さで止めようとしたが、三十センチほど行き過ぎて、下に戻そうとしてまた行き過ぎる。
どうにか目標の高さで浮かせることができた。
次は前方、セーネが植物魔法で作ってくれた的を狙う。
「《進め》」
ギュンッとお手玉が前進し、的を貫く。
「あ」
「あらら、もっと弱くできる? 当てるだけに」
「頑張ります……」
セーネが壊れてしまった的をもう一度作ってくれた。
『初級魔法教本』載っている魔法で、投的魔法という動魔法に似た魔法がある。
投的魔法は魔力で物を持ち投げる瞬間だけ力を使う。
実際に投げるのと感覚は変わらない。
動魔法は持つのではなく、物自体が浮く。
そして飛んでいる間は操作し続ける。
魔力の繋がりを保ちつつ微弱な力を目標方向に加えないといけないので、とても難しい。
とはいえアッシュと親和性が高かったのは動の魔素だ。
(アッシュのために!)
アリエルは何発も魔法を放ち、セーネも的が壊れては作り直してくれる。
「二人ともよく魔力が続くな」
セネクが感心していた。
「次は体を動かす番だ」
休憩を挟んで、セネクに体術の稽古をつけてもらう。
長距離を走ったり、障害物を避けてジグザグに走ったり飛び越えたり。
授業の最初は硬かったアッシュの動きは、どんどん機敏になっていく。
「アッシュ速ーいっ」
「……良い動きだ」
セーネの植物魔法で出してもらった蔦の織りなす籠。
二階を越す高さだというのに、アッシュはその頂上に簡単に登ってしまった。
「天才っ! 天才だよ、アッシュー!」
アリエルは半分くらいの高さのコブの上ではしゃぐ。
「あ」
「!」
ずるっと転げ落ちたアリエル。間一髪でセネクにキャッチされた。
セーネも蔦で受けとめようとしてくれたようだ。近くに幾筋も集まっている。
「気をつけろ」
「ごめんなさい」
たっ、とアッシュが近くに降り立つ。
「…………」
口を引き結んでじっとアリエルを見ている。
どうしたのだろう。
「アリエル、怪我はないか」
セネクに確認された。
「はい。大丈夫です」
アリエルがアッシュに視線を戻すと、彼は何も言わずくるりと背を向けて、また蔦を登っていった。
今度は慎重に登る。
アッシュが上から覗き込んでずっと見ている。
(頑張る……っ)
アッシュを目的地にして、どうにか天辺まで上がれた。
ふらふらと立ち上がるアリエル。
その服の裾をアッシュが掴んだ。
「アッシュ?」
彼は何も答えない。
よく分からないけれど、近寄ってくれるのは嬉しい。
「高いねー」
いつもの庭園がとても新鮮に見えた。
帰り道。
「アッシュ、かっこよかったー」
アッシュの特技を知れて、アリエルの胸はときめきでいっぱいだ。
「元から木登りが得意だったの?」
アリエルの家に来る前どんな遊びをしていたか訊いたことはある。
その時は答えはなかったが、体を動かすことには慣れていそうだった。
ここ二か月ほど運動といえば散歩ぐらいしかしていないので、授業の初めは動きが硬かったようだ。
だが授業が終わる頃には、同い年のアリエルを遥かに凌ぐ身体能力をみせた。
セネクが静かに満足そうな顔をしていた。
アリエルの質問に、アッシュはよく分かっていないのか、首を傾げた。
「そっか。ふふ、次も楽しみだね」
体術はばっちり。
魔法の才はまだ開花していないが、アッシュは気にしている様子はない。
「植物魔法って、食べ物いっぱい作れる?」
またご飯の話だ。
「んーとね、僕もセーネさんに訊いたことあるんだけど。魔法で野菜を成長させても、魔力の供給を止めるとすぐしぼんじゃうし、急いで食べても味がすかすかで食べられたものじゃないんだって」
「ん……」
残念そうだ。
「でも昔、美味しい野菜や果物をぽんぽん作れる伝説の魔法使いがいたみたいだよ。その……、昔話だから本当にいたかは怪しいみたいなんだけど……」
アッシュは残念そうな表情のままだ。
(よし。植物魔法も頑張って、アッシュが喜んでくれる魔法を編みだすぞ)
難易度が高いと言われる魔法だが、お手本となる師匠がいるので習得はどうにかなるだろう。
アッシュの興味につられて、したいことが増えていく。
アリエルは元々知識欲旺盛だが、もっと修行が好きになった。
次の日は家庭教師も修行も休み。
二人で近くの公園に向かう。
アッシュが体を動かすことが得意と知ったので、追いかけっこが定番の遊びに加わった。
「こっちだよーっ」
二人で原っぱを走り回る。
可愛いアッシュとの追いかけ合いは、アリエルの心を満たした。
たまにアッシュは他のことに気を取られて立ち止まってしまう。
その時はとことこ彼に近づいて、何に興味を持ったのか教えてもらう。
アッシュがいると何をしても楽しい。
家では隠れんぼをするようになった。
最初のきっかけは十日ほど前。
アリエルと目のあったアッシュが、ソファの陰に隠れてしまった。
(……一人になりたいのかな)
アリエルはしゅんとして、しかたなく本に目を落とした。
だがその袖をくいくいっと引かれた。
アッシュがいつのまにか側にいて、またソファの陰に戻って隠れた。
ちょっとだけ顔を出して、こちらを覗いている様子がとても可愛い。
(誘ってくれた!)
そう気づいたアリエルは喜々として遊びに加わった。
物陰に隠れるアッシュ。見つめるアリエル。
ちょっとだけ移動するアッシュ。それを追いかけるアリエル。
近づいたらじーっと見つめ合って、そのうちアッシュがまたどこかに移動するので、それを追いかけるのだ。
(これ、隠れんぼかなあ?)
でも……。
(楽しい!)
アリエルは思う存分アッシュを目で追いかけた。
今日は頭を使う日だ。
宿題の作文を手に、家庭教師を迎える。
(アッシュは何を書いたのかなー)
前々回の作文では、
『スクランブルエッグがおいしかったです』
の一行で終わった。
家庭教師に、
「次はもっと長く書きなさい」
と言われていた。
そして前回は、
『オムレツはサワーソースをかけるのが好きです。ソルトハーブも好きです。オニオンソースも甘からくておいしいです。チーズソースはとろとろでおいしいです』
とたくさん書いていた。
「五歳児なのに、僕の知らない味をどれだけ食べているんだ……」
家庭教師のぼやきが聞こえた。
今回は料理以外のテーマで書くよう指示されている。
アリエルはわくわくと発表を待つ。
アッシュが紙を広げる。そして題を読みあげた。
「アリエル様」
「!」
今日のテーマはアリエルのようだ。
(アッシュに作文にしてもらえるなんて!)
胸をうずかせながら静かに聴く。
「おはようと言ってから、朝のきがえをしている時、アリエル様はじっと僕のことを見ています。顔を洗ったり、歯みがきしている時もアリエル様が見ています。トイレから出るとドアの正面に立っています」
「――――」
アリエルの微笑みが固まる。
「ご飯の時もお風呂の時も僕のことを見ています。散歩の時、僕の方を見ていて段差にころびました。魔法の修行中も一回唱えるたびに僕の方へふり返ります。僕がどこにかくれていてもすぐに見つけてきてずっと見ています。この作文を書いている時も、何かあったら教えると言いながら紙は見ずにずっと僕の顔を見ていました」
読み終えて、アッシュは紙から目を離す。
その隣で、アリエルは真っ赤になっている。
(見てる……。見てるけど、そんなに……?)
改めて言われると……。
「きゃああぁぁ――!」
恥ずかしくなったアリエルは部屋の外へと飛び出していった。
部屋にはアッシュと家庭教師が残される。
「その文章は……」
家庭教師は躊躇した後、
「告発ですか?」
と訊いた。
「こく、はつ?」
こてん、と首を傾げるアッシュ。
「この文章で何を伝えたかったのですか」
「何を……」
アッシュはしばらく考える。
そして口を開いた。
「アリエル様の目、きれい」
家庭教師は、ほーっと肩の力を抜く。
「ではそこまで書きなさい」
「はい」
アッシュは素直に書き足した。
家庭教師が帰って、アッシュと二人きりになった。
(見ない方がいいのかな……)
アリエルは本で顔を隠して唸っている。
すると、
「アリエル様」
くいっ、と袖を引っ張られた。
「アッシュ……?」
アッシュはアリエルの手から本を取り上げてテーブルに置き、カーテンに隠れた。
これは……。
(誘ってくれた!)
アリエルは明るい表情を取り戻し、意気揚々とアッシュを追った。
「アリエル様、僕もしたい」
ある日の風呂上がり。
アリエルがアッシュの銀の髪に櫛を通していると、アッシュもアリエルの髪を梳かしたいと言った。
アッシュが自分から言い出したことに胸が躍る。
「じゃあ、お願い」
アリエルは期待してアッシュの前に座った。
始めはそっと、だんだんとテンポ良く櫛が入れられる。
頭を撫でられる感覚が心地良い。
「アリエル様の髪、ふわっとしてさらさらで気持ちいい」
「えへへ。アッシュの髪もだよ」
「そうなの?」
「うん。アッシュの髪の銀色をね、さらさらと指に通すと、きらきら輝くの」
「アリエル様の髪は、暗い色の上で光が揺れて、目で追いたくなる」
アッシュがくれた詠うような褒め言葉。嬉しくってアリエルは照れてしまう。
「そっかー……。えへへ。僕がアッシュのこと目で追っちゃうの、肌の色が濃くて綺麗だからかも」
「綺麗?」
「うん! ねえ、明日も追いかけっこする?」
「する」
翌日、公園で追いかけっこした。
「つかまえたっ」
アリエルはアッシュに正面から抱きつく。
原っぱに押し倒されたアッシュは、
「つかまった」
と初めて笑顔を見せた。
「――っ」
アリエルは息を飲む。
その可愛らしい笑顔がずっと続いてほしくて、何も声を掛けられず、ただ真正面で見惚れていた。
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こまの ととと
BL
『申し訳ございませんが、皆様には今からこちらへと来て頂きます。強制となってしまった事、改めて非礼申し上げます』
ある日、教室中に響いた声だ。
……この言い方には語弊があった。
正確には、頭の中に響いた声だ。何故なら、耳から聞こえて来た感覚は無く、直接頭を揺らされたという感覚に襲われたからだ。
テレパシーというものが実際にあったなら、確かにこういうものなのかも知れない。
問題はいくつかあるが、最大の問題は……俺はただその教室近くの廊下を歩いていただけという事だ。
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